真新しい木の机に海図を広げ、ナミはひとり考え込んでいる。外ではルフィとウソップが、釣りに挑戦しているらしい。にぎやかな笑い声が、ラウンジまで聞こえてきた。
ルフィとゾロの人並みはずれた膂力のおかげで、小型とは言えキャラヴェル船を、たった四人で操縦することができている。せめてもう一人は怪力のクルーが欲しい。仲間になったばかりのウソップも、同じ年頃の少年の中ではそこそこ腕力のある方なのだろうが、荒海に漕ぎ出す海賊としては、残念ながら貧弱だった。
――どういう基準で仲間を選んでるのかしら。
ナミは自分の航海術に自信を持っているし、「海賊狩りのゾロ」は東の海に冠絶する剣士だ。海賊王になる!と豪語する少年が、仲間にしたがるのも理解できる。
だが……ウソップは。
一緒にいたいと思えば、それが「仲間」なのだろうか。だったらそれは子供の「お友達」と同レベルだ。そう思うナミは、自分がルフィの言う「仲間」という言葉に、切実な願望を向け始めていることに気づいていない。
彼女も含まれたその「仲間」という言葉に――
「すっげェぞこれ!」
「待て待て、まだ引くな!」
大きな魚でも釣り上がったのだろうか、一段と歓声が大きくなる。そこに、低くかすれた声が混じりはじめた。ゾロが昼寝から起きたらしい。
やがてラウンジの扉が開き、眠たげに眼をしばたかせた青年が、逆光の中からぬっと姿を現した。
「んん……」
時間として中途半端な昼前の現在、どんな挨拶をすべきかわからない、という顔でゾロは不明瞭にうなる。挨拶がわりにナミは「なんか飲みなさいよ、汗かいたでしょ」と母親めいたことを言ってやった。別段逆らうことはなく、のっそりとゾロは冷蔵庫に向かう。ナミは何となく、くすぐったい気分に襲われた。何せ相手はあの魔獣ロロノア・ゾロである。本来、このように暢気な船に乗り合わせて、おはようだのおやすみなどと言う相手ではない。
「島に着くのか」
恐ろしい勢いで瓶から水を飲み干すと、満足げな息をついてゾロはそう問うた。
「ちゃんとコップに入れて飲みなさいよ」
「うるせェな……島に着くのか」
「他の人も飲むんだから。わかった?」
「わかった、わかった……」
ゾロが辟易したように頷いたのを確認してから、ナミは掲げた拳をおろした。海図を広げて説明してやる。
「いい? 今ここ。もうじきこの島が見えてくるはずよ」
「こんなに何にもない大海原なのに、よくわかるな」
「……わからないあんたらの方が、海賊としては異常なのよ。島の名前はロッシ、できれば一泊はしたいわ。……なに?」
ナミが細い眉を寄せたのは、興味なさげに聞いていたはずのゾロが、不意に海図を見返したからだった。ゾロは気難しげに、海図の「Rossi」の字をにらんでいる。その口が何かを言いかけた時、「島だ!」と叫びかわすルフィとウソップの声が聞こえてきた。
カンカンとサンダルを小気味良く鳴らして、ナミは外に躍り出る。腹のくちた肉食獣のような、どっしりとした、なのにやけになめらかな気配でゾロが後をついてきた。隣に立たれ、ナミはそれを見上げる。
「迂回して着けた方がいいぜ」
霞のような島影を、遠く眺めたままゾロは言った。
「何よ」
「あの島には見覚えがある」
「……まずい島なのね?」
「はっきり覚えちゃいねェがな。昔、賞金首を連行する船に、護衛として乗ったことがある。行き先が確か、この島だった」
つかまえた賞金首を連れて行く島。それはつまり。
「海軍が詰めてる……」
「あァ」
あと裁判所とか、何とか。そう面倒くさげに言うと、ゾロは晴れ渡った空を見上げた。正確には、その空に翻る海賊旗とマストを。
「あれを隠すとか、そういうこたァウチの船長はしねェだろ。迂回すれば、海賊の使う入り江もあったはずだぜ」
「わかったわ。……ルーフィ! ちょっと聞いて!」
羊の船首に胡坐をかいていたルフィが、「ん?」と振り返る。そちらに歩み寄るナミの背後で、ゾロが扉を閉める音がした。既に、島への興味は失っているようだった。
海軍や世界政府の出張所があるせいか、島はそこそこに栄えていた。いつもの通り(と言える程度の仲にはなりつつある)寝息をたてて動かないゾロを、放置してナミたちは街へ繰り出した。
旗揚げして間もない「麦わらの一味」を、海賊と見なす者も存在しない。傍目には島民にすら溶け込んで、少年少女はさわがしく通りを冷やかした。
そんな彼らをすり抜けるようにして、子供たちがわっと駆けていく。
「はじまるぞ!」
「四本腕のガーラだ!」
そんな声がとぎれとぎれに、ナミたちの耳に聞こえてきた。
子供たちだけではない。通りの流れが、吸い寄せられるように町の中心に向かっている。何が始まるにしろ、時間がないらしく大抵の人が急ぎ足だ。
「なんだなんだ?」
「お祭りかしら」
「肉祭りか!」
好き勝手なことを言いながらも、彼らもまた、誘われるようにして歩き始めた。さほど歩くまでもなく、幾本もの通りが合流した先にあったのは、大きく開けた空間だ。町の中央広場らしく、足元は色とりどりの石のタイルが敷き詰められている。にぎわう人ごみの視線の先を追って、ナミが背伸びをして眺めた先には、見世物台めいたものがひとつ、高々と組み上げられている。
そしてそこにうずくまる一人の男――
――裁判所とか、何とか。
ゾロのその言葉がよみがえり、はっ、とナミは息を呑んだ。
「何がはじまるんだ?」
田舎育ちのウソップはもちろん、ルフィにも経験のないことらしい。怪訝そうに、くたびれたなりのその男を見上げている。
「処刑よ」
声をひそめてナミは言った。
「処刑?」
「海賊が、処刑されるのよ。後ろに執行人が控えてるでしょ」
斧を持った大男を、ナミは視線で示してみせる。ウソップはナミと同じように息を呑み、ルフィの顔からはふっと表情が失せたようだった。
台上にのぼった役人が罪状を読み上げているようだが、ナミたちの立つ場所までは届かない。とぎれとぎれに、どこかの村を襲ったことや、何かを略奪したことなどが聞こえてくるだけだった。
「人殺し!」
そんな罵倒が、どこかから壇上に向けて叩きつけられる。すぐにそれは伝染し、広場全体にヒステリックな叫びが蔓延した。
「人殺し!」
「人殺し!」
役人が、手に持った紙を広げて民衆に示す。死刑の執行が宣言されたのだろう、耳のおかしくなるような怒声で広場の空気が飽和した。
その怒声に今更怯えたのか、木製の枷をはめられ首を据えさせられている男は、不意に狂ったように暴れだす。取り押さえられながら男が叫び、不明瞭なそれを聞き取ろうとしてか、広場の喚声がざわざわと弱まった。
凍りついたように死刑台を眺める、少年海賊たち。その耳に突如、聞きなれた単語が突き刺さる。
「あの男が! ロロノア・ゾロがいなければ!」
麦わら帽子の下で、ルフィの漆黒の眼が大きく見開かれた。
「海賊狩りさえいなければ、おれは今頃――」
海賊狩りのロロノア・ゾロ。
その名が広場のあちこちで、たちのぼるようにつぶやかれていることを彼らは感じ取った。
「呪ってやる! 呪ってやるぞ、ロロノア・ゾロ! おれはまだ――」
「行くぞ」
片手で麦わら帽子を押さえ、深くかぶり直しながら、そう言ってルフィは背を向けた。
「ルフィ、」
足早に歩き出したルフィを、ナミは追う。あわてて二人を追ったウソップが、足をもつれさせて転んだ。身体が空気にあてられて、こわばってしまっていたのだろう。
そんな二人にかまわず歩きながら、ぽつりとルフィはつぶやいた。
「あれが最期か?」
「え?」
「海賊の最期なんだ。他に言うことがあったと思うんだよな。自分を倒した奴の名前なんかじゃなくてよ」
「ルフィ……」
麦わら帽子の下で、厳しく引き結ばれた口元。
その口元がナミに、シロップ村でのできごとを思い出させた。
『あいつら、間違ってる……!』
大の字に寝て、天を見上げ……そう言い放った時の。あの時のルフィの口元だ。
人々の喚声や遠ざかる距離のせいで、末期の海賊の叫び声はもう聞こえない。人ごみから抜け出すナミはルフィについていくのが精一杯で、処刑台を振り返る余裕もなかった。
「他にって、何よ」
追いかけながらそう尋ねても、「さァ」とルフィは首をかしげる。自分でも判然とはしていないのだろう。
「海賊なんて、あんなものよ」
「そうか?」
「そうよ」
「へェ、……」
ルフィは何かをつぶやいたようだったが、ナミにはそれは聞き取れなかった。
死に臨んで、泣き言や呪詛以外の言葉を叫ぶことのできる海賊など、存在するはずがないとナミは思う。他の島で、海賊の処刑を見たこともあったが、皆、青ざめて命乞いをしながら見苦しく最期を迎えていった。ナミにとって海賊など、所詮その程度のものだ。
ルフィやウソップが憧れをもって思い描くような大海賊など、ナミは知らない。
どこか頑なにそう撥ねつけた時、心のどこかで小さな疑問が湧き上がった。
――じゃあ、ルフィは?
この太陽のように笑う少年海賊の、細い首にも。処刑台に引き据えられて、刃の落ちるそんな日が来るのか。
その時彼はどんな顔で、どんな呪詛を吐くというのだろう――
「ナミ、メシを買おう!」
輝く声が名を呼んで、ナミは勢い良く顔をあげた。光のまぶしさに眼がくらみ、よろければ腕がしっかりと掴まれる。
「なんだお前、顔色悪ィぞ」
「……なんでもない」
己の動揺の理由など、深く分析したくはなかった。しっかりと立ち直して歩き出せば、ルフィの硬い手が離れていった。
「『メシ食う』んじゃなくて、『メシ買う』か。我慢できんのかよルフィ?」
広場を抜けてようやく調子が出てきたのか、ウソップがそんな軽口を叩く。
「おうっ、ゾロに持って帰ってやんなきゃな!」
処刑のことなど忘れ去ったような顔で、未来の海賊王はそう笑った。背後で爆発的に喚声が膨れ上がったが、ルフィは振り返らず、ナミとウソップもまた、それに従った。
「ゾロ、メシだぞ!」
その声が聞こえてようやく、ゾロは眼を開いた。もちろん、眠りながらも意識のどこかで、きらきらしたいくつかの気配が自分の周囲に戻ってきていることは認識していた。狭い船上暮らし、気配がいくつかうろつくぐらいでいちいち跳ね起きていたら、身がもたない。ひとり海をさすらう生活のおかげで、ゾロは気配を嗅ぎ分けて図太く眠る能力を身につけたのだった。
それにしても、この船長の声はどうにも無視しがたい力を持っている。眠っていたくてもなかなかそうさせてはくれない。眼をこすりながら甲板の上に胡坐をかいて座り直すと、眼前に紙袋がでんと突き出された。
「……なんだ」
「肉まんだ!」
「そうか、ありがとう」
紙袋を受け取って開けば、食欲を誘う匂いに腹が鳴った。天気がいいから外で食うのだ、と嬉しげに言ってルフィはゾロの隣に座り込む。見れば、確かにござが敷いてあり、そこではナミが横座りをして紅茶を飲んでいた。買ってきたらしいサンドイッチが、開いた紙箱から覗いている。今日は急ごしらえのピクニックの日であるらしかった。
「ほらよ」
背後からカップを差し出されるが、予測していたゾロは「おう」と手を挙げてそれを受け取った。そのままウソップはゾロの傍らを通り過ぎ、律儀に靴を脱いでござに座る。ルフィはゾロの隣に座ったまま、「いっただきまーす」と一口で己の肉まんをひとつ平らげた。
ゾロが紙袋からひとつ肉まんを取り出した時、サンドイッチ片手に何気なくナミが言った。
「海賊の処刑があったわよ」
「へェ」
さして興味もなく、ゾロは肉まんを眺めたまま相槌を打った。
「四本腕のガーラって言ってたけど」
肉まんを顔に近づける手の動きが止まったが、すぐにゾロは「へェ」とまた相槌を打って、肉まんにかぶりついた。
「……お前よォ……」
黙々と、そして平然と飯を食うゾロをおっかなびっくり眺めていたウソップが、しみじみとため息をつく。
「何だ」
「いや、本当にお前、『海賊狩りのゾロ』だったんだなァと思ってよ」
「あぁ、私もそれ思ったわ」
「何だそりゃ」
塩気のやや強く作られた肉まんを、ひとつほおばり終えてゾロは苦笑した。
「ゾロ、有名人なのか? そういやコビーもアルビダも知ってるみてェだったな」
「有名人なんてもんじゃないわよ。お母さんが子供に、寝かしつける時の脅し文句にするぐらいだもの、『夜騒いでると、海賊狩りがお前を海賊だと思って狩ってしまうよ!』って」
ゾロの「苦笑」から「笑」がとれ、仏頂面になる。そのような脅し文句にまで引っ張り出されて、嬉しいはずもない。寝かしつけられるような年齢の子供まで、見境なく狩る男だと思われているのも心外である。
「ゾロ、おめェおっかねェなー」
のんきにルフィが大笑いをして、ますますゾロは眉間にしわを寄せた。まァでもよ、とウソップが長い鼻を指でこする。
「おれも怖かったなァ……おれの知らねェとこで、親父はもう『海賊狩り』に狩られちまったんじゃねェかと思ったことがあってよ」
迎えに来ない船。ふっつりと途絶えたままの消息。
もしや父は――ウソップがそう怯えたとしても、無理はない。
「……赤髪海賊団とやらに、手を出した覚えはねェよ」
ゾロはぶっきらぼうに、だがはっきりとそう答えた。
「わかってるって。それにおれの親父は、こんな寝腐れ迷子にやられるほど間抜けじゃねェさ」
「てめェ!」
「お、ゾロ、メシもう終わりか?」
紙袋を置いて腰を浮かせたゾロだが、ルフィの何気ないその言葉を聞いた瞬間、即座に座りなおして紙袋を抱え込んだ。ゴムの魔手から死守した肉まんを、またひとつ取り出す。黙々と頬袋を動かしているゾロから、ナミはウソップへと視線を動かした。
「ウソップみたいな怯え方なんて、希少よ、ゾロ。普通はその反対なんだから」
「反対ってなんだよ」
サンドイッチを頬張りながら、ウソップはナミを見返す。
「『海賊狩り』って言うぐらいなんだから、やたらと怯えるのは海賊とその家族ぐらいのもの。善良な市民が怯える相手は、海賊狩りじゃなく海賊の方」
ゾロは他人事のように食事を続け、ルフィも聞いているのか聞いていないのか、骨つきチキンを噛み砕くことに余念がない。ウソップは異論ありげに口をへの字に曲げたが、言葉に出して何か言おうとはしなかった。
「新聞は海軍寄りだから、賞金稼ぎの手柄を大々的に宣伝したりはしないけど、それでも、『海賊狩り』の名は東の海に知れ渡ったわ。それは、さっきみたいなことが何度もあったから。……引き渡されて処刑される海賊たちが、海賊狩りの名を叫んだからよ」
ゾロが視線を上げてナミを見やり、すぐにその視線を手の中の饅頭に戻した。四本腕のガーラ……自らが斬り、捕らえ、引き渡したというその海賊の末路を聞いても、食事の手を止めることはない。
「海賊なんて大抵は、暴虐の限りを尽くす卑劣な略奪者……その襲撃に怯える人たちにとって、『海賊狩り』は希望の星。顔にバツを書かれた手配書が配られて、新聞のそっけない記述から、『彼』の手柄らしいと知る。そうしたら必死に海図を広げるわ。先週まではあの島に滞在していたらしい、次こそこの島に来るだろうか、もしかしたら、……もしかしたらあの海賊も『海賊狩り』が、狩ってくれるんじゃないかって……」
もしかしたらあの海賊も。
……あの海賊も、『海賊狩り』なら……
「ナミ?」
静まりかえった甲板上、板一枚下にあるはずの波の音が遠い。
ばりり、とルフィが骨を噛み砕く音が、やけに響いた。
「……そういう奴を、あんたは海賊に引き込んじゃったってことよ、ルフィ」
どこかわざとらしい明るさで、ナミは話題を切り替えるようにそう笑った。
「民衆がこぞって泣くわね、きっと」
「別におれは、『海賊狩り』を名乗ったことなんざねェよ」
憮然と言って、ゾロは空になった紙袋を丸めた。
「斬った分だけ強くなった、斬った分だけメシが食えた、それだけだ。誰かのためにやったことじゃねェ」
「おれだって、海賊になれとは言ったけどよ、ゾロ以外のものになれって言ったことはねェぞ?」
それがひどく当たり前のことなのだ、とでも言いたげな顔で、至極不思議げにルフィも言った。意味がわからずナミが焦げ茶の眼をまたたけば、なァ、とルフィはゾロに同意を求める。
「海賊になっても、ゾロはゾロじゃねェか。海賊狩りだって、気に入った奴なら賞金首とも仲良くすりゃいいし、海賊だって、気に入らねェ海賊がいればぶっ飛ばしゃいい。そうだろ?」
「さァな。実際、そんな形になっては来たけどよ」
そう言ってゾロは苦笑する。「海賊狩り」としてならば、今頃は大層な金が手に入っていたであろうことに、ようやく気づいたのかもしれない。
なにせ、
「バギーだってクロだって、ぶっ飛ばしてきたじゃねェか。それと何が違うんだ?」
「……期待よ。『いつか』っていう期待」
言ってからナミは、「あんたにはわかんないわ、ルフィ」と舌を出してみせた。なんだよ、とふくれたルフィも、デザート代わりの林檎の山を差し出されれば即座に機嫌を直す。真っ赤な林檎に大喜びでかぶりついているルフィのさまを、ナミは見守った。
この男たちに逢わなければ、きっと期待していられたと思う。いつかあの島に「海賊狩り」が来て、あいつらを狩ってくれるのだと。
期待どころか、「海賊狩り」を色仕掛けでたらしこんで、あの島に誘い込むぐらいのことはしたかもしれない。
きっと今だって不可能ではないその企みを、もう思いつくことすらできず、林檎の芯を詰まらせるルフィを見て、涙目になるほどナミは笑い転げたのだった。
『呪ってやるぞ、ロロノア・ゾロ!』
不意にその声が耳によみがえって、サンジはスパイスの瓶に伸ばしていた手を、反射的に引っ込めた。
海賊の処刑など、別段見たいものでもない。広場に向かう人々の群れにも、本来ならさほど興味はなかった。その中に、ミニスカートからすらりと伸びた脚も美しい、うっとりするような美少女の後姿がちらりと見えさえしなかったら。
あまりにも見事な脚線美に一目ぼれし、活発そうに跳ねる淡色の髪は赤毛だったかオレンジだったかと気になって、ふらふら後を追いかけた結果。サンジはまさに処刑の瞬間に出くわしてしまったのだった。
『呪ってやるぞ、ロロノア・ゾロ!』
「ロロノア・ゾロ、ねェ……」
引っ込めていた手を再度伸ばし、サンジは瓶を手でもてあそんだ。鮮やかな赤のパプリカ粉。ガラス瓶の中でさらさらと揺れる、その毒々しいまでの赤の濃さこそが、サンジに先ほどの呪詛を思い出させた原因なのかもしれなかった。
海賊狩りの、ロロノア・ゾロ。
血に飢えた人食いの魔獣――
「ハン、」
鼻で笑って瓶を戻す。サンジの態度を誤解したらしき店主が、勘定台からじろりと視線を投げつけてきた。弁解の代わりのように、籠に別の瓶をおさめてみせながら、サンジは「海賊狩りのゾロ」のことを考えた。
血に飢えているかどうかは別として、賞金稼ぎと言う生き物が「人食い」であることは紛れもない事実だ。奇しくも職業のことを「それで食っている」と表現するように、人は労働することで金銭を得、その金銭でメシを食う。医者は人の身体から病気を取り除くことで、メシを食っている。つまり病気を食って生きているようなものだ。
そして賞金稼ぎは、賞金首を狩って突き出すことで金銭を得、その金銭でメシを食う。賞金稼ぎが、自ら賞金首に手を下したかどうかなど、問題ではない。海軍に連行されれば、海賊はまず間違いなく処刑される。それはつまり、賞金稼ぎが賞金首を殺したことになるではないか。
人を殺した金で、メシを食う。それが「人食い」と呼ばれずしてなんと呼ばれるというのだろう。
――だからって、どうってこたァねェ。弱肉強食のこのご時勢だ。町を歩けば、人食い様であふれていやがる。
指先が、冷たいガラス瓶を摘んでは、籠の中にそっと落とし込んでいく。その手はかつて、震えながら包丁を握りしめて、一人の海賊を殺そうとした手だった。人様に美味いメシを作るために、幾多の生物をためらいの欠片もなく殺す者の手だった。
――おれもその人食い様のひとりか。
あのクソじじいが自分の脚を食うことで、サンジが生き延びたというのなら。きっと、その脚はサンジが食ったも同然なのだろう。
籠を勘定台に置き、金を支払う。支払いついでにサンジは、店の親父へと声をかけた。
「おっさん、処刑は見たかい」
「息子がな」
「へェ。どうだったって?」
「『海賊狩り』を呪いながら、首を落とされたとよ」
その光景は知っていたが、サンジは何となく、未見のことであるかのように相槌を打った。
「そうかい、あの海賊を捕らえたのは『海賊狩り』か」
「悪行の報いで捕まっておきながら、海賊ってのは最後まで見苦しい逆恨みをしやがる」
「まったくだ」
頷いてサンジは、己のあごひげから唇の辺りを口さびしげに擦った。店が禁煙なので煙草が吸えない。
サンジの鬱屈も知らぬげに、親父は瓶を箱詰めしながら言葉を継ぐ。
「海軍の奴らも、教えてやらねえってのは意地の悪いまねだと思うが」
「あ?」
「なんだ知らねえのか。『海賊狩り』のゾロは、海軍に捕らえられたらしいぜ。この島の支部の奴らが言ってたから、確かな話だ」
顎をさするサンジの手の動きが、ぴたりと止まった。
「……海軍に? 『海賊狩り』がか?」
「ああ。どうせ何か悪事が知れたのさ。賞金稼ぎも一皮剥けば、ゴロツキとそう変わりゃしねえ」
「へェ……」
海軍の手に負えない海賊たちを、やすやすと狩って連れて来る「海賊狩り」だ。海賊のみならず海軍とて、良くは思っていなかったことだろう。服役で済んだとて、監獄で海賊どもの私刑に遭うのが関の山だ。
「ありがとうな、おっさん。いい品揃えだぜ」
箱に詰め、バンドをかけてもらったそれらを肩から提げる。ずしりとした重みが、右肩一方へとのしかかった。片手で半ばそれを抱えるようにしながら、サンジは店を出た。
東の海の海賊どもに、祟り神の如く恐れられた「海賊狩り」。一度その顔を眺めてみたくはあったし、いつかはバラティエを訪れることもあるだろうと、想像もした。だがどうも、サンジの望みはかないそうにないらしい。
――海賊狩りよ、てめェはその死の瞬間に、いったい何を呪いやがる……?
黒い手ぬぐいに腹巻、三本刀のぼんやりとした人影に、サンジは心の中で問いかけた。先ほど死んだ海賊のように、泣きわめき、呪いの言葉を吐きながら死んでいくのだろうか。
――おれは?
無意識のうちに咥えていた煙草に、火をつけながらサンジはぼんやりと考える。
――おれも誰かを、呪って死ぬのか?
幼い頃の、あの生死の境に考えていたことを、サンジは思い出そうとした。海に呑まれる最期の瞬間、考えたのはゼフへの呪詛だっただろうか。
それとも、
「……、」
その単語を言いかけた唇が、紙巻の端を噛み締めた。かすかな震えが右手のマッチに伝わり、炎がぶれる。「チッ」と舌打ちをしてサンジはマッチを投げ捨てた。
誰かを呪う暇など、あるはずもない。
胸のうちに、こうもくすぶる頑固な夢がありつづける限りは。
苦い煙を肺腑の奥まで取り込み、そのこだまに耳を傾けながら、サンジはゆっくりと通りを歩く。
歩きながらふと、自分が叩き殺し首を落としてきた鳥獣も、最期は己を呪って死ぬのかと考えた。
その問いに答え得る獣が、氷雪の地にドクロの旗を掲げているなどと、夢にも知ることはなく。