その少女を一角が初めて見たのは、十三番隊の隊舎を訪れた時のことだった。抜けるような白い肌に、しっとりとした黒髪の、驚くほどに小柄な、ほっそりとした少女だった。
「朽木ルキアっての、あの子かよ」
無遠慮に問えば、問われた平隊員は、かすかな反発を眼の端に宿らせた。「そうですけど」の「けど」が刺々しくて、へぇ、と一角は隊員の顔を見返した。別段、そこまで警戒される問いでもなかったように思う。興味本位でのことだ。
理由を悟ったのは、もう数日のちのことだ。
廊下を進む彼女を見て、たまたま一角の傍にいた死神が、別の死神に言ったのだ。
「あれが朽木家の囲われ者か?」
なるほど、と一角は納得した。おかしなことに、彼はすっかり失念していたのだ。朽木ルキアという名前に、「朽木白哉という大貴族が引き取った端女」という風評がつきまとっているであろうことに。


「あんたが、朽木ルキアかい」
からかうような声をかけられて、ルキアはゆっくりと視線を上げた。上げ終わった時にはすでに、いつもの通り、完全な無表情を作ることができていた。
このように声をかけられる時、次に続く言葉はろくなものではない。大抵、「あの朽木家の」と続いてくる。この、好奇心を不躾になすりつけてくる視線を見ても、間違いはない。
「はい。十三番隊に属しております。斑目三席どの」
十一番隊隊長更木剣八の、戦闘面での懐刀は、その特異な外見についても知れ渡っていた。目尻に朱を入れた坊主頭となれば、斑目一角のほかにあるはずもない。
「へぇ、俺のことを知ってんのか。光栄だな」
朱もあざやかな眼をほそめ、斑目一角はニィ、と笑った。隊長といい、五席といい、ばさらな見かけの男ばかりだ、とルキアは思った。思ってからふと、胸の痛みに困惑した。十一番隊のばさらな見かけといえば、隊を移ったばかりのあの男こそがそうであった。
「……わたくしに何か御用でしょうか、斑目三席どの」
「いいや? ただ、顔を見て、声を聞いておきたかっただけだ。……ふぅん、あんたがなぁ、あの――」
ああ、ほら、とルキアはほんのわずかに、口元を笑みでひきつらせた。ここであからさまに反発して、義兄の名に泥を塗ることはできなかった。
一角はルキアの顔から眼を離すことなく、吊り上げたままの口元をほころばせた。
「――あのぶっきらぼうな山猿の、幼馴染チャンだとはな」
「え、」
虚をつかれてルキアは、はっと息を呑んだ。
「身長差にしてどんだけだ、50センチぐれぇか? 美女と野獣ってな、このことだぜ」
「人のことが言えるのかい、一角」
典雅な――あるいは、典雅を装った声が、一角の背中にかけられる。
「んだよ、弓親」
「今の君と彼女だって十二分に、美女と野獣だと思うけどね。物見遊山で、あんまり弟子を困らせるものじゃない」
「――わかったよ」
じゃあなルキアちゃん、と片手を挙げて、一角はルキアに背を向けかけた。
「あ、あの!」
「何でしょう、ルキア様」
朽木家の息女なれば、敬語を使うのは当然だ――そう言わんばかりに、弓親が皮肉げな笑顔を向ける。
「……いえ」
弟子とはもしや恋次のことであろうか。だがそれを問うてなんとするのだろう、そう思ってルキアはうつむいた。
そんなルキアの頭に、低い声が降って来る。
「恋次がな」
弓親に袖を引かれながら一角は、はじかれたように顔を挙げるルキアへと、口の動きで囁きかける。
「更木隊の六席に内定だ。新入りにしちゃ破格だな。……名誉も危険も高ェ職だぜ」
「一角!」
苛立たしげに、弓親が袖を引く力を強める。
「わかったよ弓親……じゃあなぁルキアちゃん、今度こそ酒でもつきあってくれよ!」
後半はわざと下卑た声を張り上げ、高らかに笑うと一角は、弓親と連れ立って廊下を去った。駆けつけてきた先輩が、「何もされなかったか」とルキアの顔を覗き込んだ。十一番隊の素行の悪さは、十三番隊にも知れ渡っている。タチの悪いナンパだ、とでも思われたのかもしれない。
「何ともございません」
ルキアは努力して小さく笑った。朽木家の息女を預かる十三番隊の、平隊員たちが時として、過分に彼女の身を気遣うことは彼女を息苦しく思わせていた。上位席官たちの方が、彼女を容赦なく扱ってくれる。
彼ら二人からは、なつかしい匂いがした。十一番隊はケダモノの集まりだという。その中に、第六席などという晴れやかな地位を手に入れたあの男もまた、あの頃と変わらず、獣のように身を横たえているのだろうか。
「……恋次」
その名を口の中でつぶやけば、息苦しさはさらにつのった。逢おうと呼び出せば必ず、朽木の養女と野卑な山男の取り合わせは、人口に膾炙することだろう。どのように言葉を交わしても、そしりを免れぬ間柄だ。名をつぶやき、無事を祈ることぐらいしか、彼女にはできないのだった。


ぶすくれた顔で、一角は布団の上に大の字になっている。文机に背を預けるようにして脚を投げ出し、弓親はそんな一角を見下ろした。文机はもともと弓親のもので、あまりにもその手の家具がない一角の部屋に、無理やり持ち込んだものだ。一角は使わないので自然、弓親専用の家具になりつつある。
「君が悪いよ、一角。馬に蹴られずにすんだだけ、ありがたいと思ったら?」
「……るせぇ」
ばたん、と音を立てて寝返りをうち、一角は弓親に背を向けて横臥する。肘をつき、頭を己の手で支えるようにしてる一角に、改めて弓親は溜息をついた。
ルキアと一方的に話して以来、一角の機嫌は微妙に下降の一途をたどっている。それでも、恋次には何も告げようとしないあたり、一角はそれなりに、あの物堅い弟子を可愛がってはいるらしい。
「煮えきらねぇんだよ、恋次のヤツも」
「仕方ないよ……相手は正一位の妹姫じゃないか」
「俺を見ただろ? 話のひとつやふたつするぐれぇ、なんてことはねえ。それをあの山猿は四角四面に、顔すら合わせられねぇって風情をしやがる」
「君は平気でナンパしてたけど、彼女はあまり平気そうでもなかったね。後でおウチの人に怒られるんじゃないの、下賎の者とつきあうなって」
「……」
背を向けたまま一角は黙り込んだ。きっとその顔は、ますますふてくされていることだろう。
ルキアのこととなると、恋次はうつむきがちに、ひどく思いつめた顔を見せる。それでいて、自分などが傍らに寄ってはルキアの立場を悪くするだろうと、廊下ですれ違うことすら避ける有様だ。一角にはそれが歯がゆくてしょうがないのだろう。だが一角や、あるいは彼らの上司である剣八ほど奔放になれぬ弓親には、恋次の想いの様が実によくわかった。
あのように常識外れな刺青や、かぶいたなりに給料をつぎ込む外見とは裏腹に、あの大男は本質的に生真面目なのだ。実は、十一番隊には珍しいほどの常識人でもある。密会だの逢引だのといった手段などとても、思いつくことすらできまい。
朽木ルキアという少女の、品のあるさまを見て弓親は嫉妬したが、考えてみれば、貧困の中で彼女があのようにいられたのには、傍らでともに育った男の影響もあったのだろう。朽木ルキアは、極度の貧困と騒乱の中から引き上げられたにしては、崩れたところがまったくなかった。隣にいる男が崩れていては、そうはいかない。
一角にしてみれば、引き裂かれた幼馴染に会いたければ、口さがない噂なんざかなぐり捨てて逢えばいい、と思えるのであろう。それは歯がゆさのためだけではなく、「更木隊の六席」が、いかに死にやすい職であるかを知り尽くしているためでもある。強くなったら、偉くなったら――そう思っている明日にはもう、恋次は寸断された肉片となって転がっているかもしれないのだ。
「恋次のことだからさ、案外――生き延びてどっかの副隊長ぐらいまでにはなるんじゃないの」
弓親は、黙りこくったままの背中に向けて、あやすようにそう言ってやった。
「どうだかな」
「筋、いいんだろ」
「あいつには、ツキがねえ」
「そうかな」
文机に指先をすべらせ、己の持ち込んだ漆のなめらかな感触を楽しみながら、弓親は言った。
「あんな可愛い幼馴染と、一緒に育って生き残ったヤツに……ツキがないなんてこと、あるの?」
「ケッ」
違えねえ。そう吐き捨てて、一角は不意に起き上がった。布団の上に胡坐をかいて、弓親を見やる。
「なに」
「酒。持ってきたんだろ」
「まぁね。君、落ち込んでるだろうと思ってさ」
ふくべを持ち出した弓親に、「なんで俺が」と一角は心底、嫌そうな顔をしてみせる。
「だって君、随分と恋次に入れ込んでるから。あんな可愛いオヒメサマが相手じゃ、太刀打ちできないって思わなかった?」
「きっ……気色悪いこと言ってんじゃねえぞ弓親!」
掴みかかってくる男から、ふくべをかばって部屋を這い回り、弓親は声をあげて笑った。
恋次にツキがあるというなら、自分にはもっとツキがあるのだろう、と弓親は思う。この可愛い愚直な男と早くに――たとえば剣八より早くに知り合い、身の程をあっさりと思い知らされ、生死の狭間を共に越えて生き残った。今では大好きな上司と毎日を派手に遊び暮らし、そしていつしか派手に死ぬと決めてもいる。幼い頃に己の姫に出会ってしまい、天空の月しか見えずに首を伸ばし続ける野良犬には、一生できないかもしれない生き様だ。
たったひとつの恋を諦めただけで、恋次にもこのご機嫌な毎日が待っているというのに……
「……難儀な話さ」
珍しく、ふくべからじかに酒をあおって、弓親はそうつぶやいた。確かに届いたはずのそれに、悪友は聞こえない振りをしてくれたようだった。