初夏のあおあおとした緑の香が、開け放たれた窓から室内に流れ込んでくる。機体の温度調節も万全に行い――つまりすやすやと寝息をたて、その緑の香を満喫し、ヘヴィ級のサイバー・ベイビーは大満足の休眠中だった。
でんと大の字に転がって眠るさまは、このひろびろとしたベッドのすべてはおれのしぶつなのだ、とはっきりと主張しているかのようだ。だがそれでいて、小さな握りこぶしは添い寝の同僚の金髪をしっかと捕まえていた。もしかしたら、これもおれのしぶつだ、と認識しているのかもしれない。
「いどうはすいしょうできない」とばかりに捕獲されたユーグは、添い寝の体勢で横になったまま、積み重ねたクッションに肘をついて頭を支えている。そうしてもう片方の手で、一生懸命上下しているベビー服の腹や、ふわふわとしたチョコレート色の髪を飽かず撫でてやった。
「HC-BIIIX稼動実験室」と銘打たれたこの部屋は、教授のローマの別邸に存在し、HC-BIIIXの稼動拠点となっている。特に、本体のHC-IIIXがローマ勤務の際には二体が顔をあわせないようにと、端末たる彼はこの部屋で、山ほどの玩具や手隙の分室員とともに過ごすのが常であった。一時期はユーグの自室が使用されたが、さすがに、司祭寮のベランダにおしめを干すわけにもいかない。何より、しまい忘れた玩具をトレスに発見されては一大事だ。
そこでこのように別邸の一室で、いかにも「撫でろ」と主張している小さなおなかを撫でながら、ユーグは耳に残る幼い日の子守唄を、おぼろに歌い聞かせ――そして大抵、歌いながらうっかりと眠り込んでしまうのだった。
それは眠気を誘うような午後の光や、トレスの保護者たちが金に糸目をつけず買い与える心地良いクッションのせい――だけではない。すぐ傍らで「ふにゅ」と幸福そうな寝言をもらす、たのもしい小さな同僚が、ユーグの心を致命的にほぐしてしまうからなのだった。
小規模かつ機能的な休眠を終え、自己診断を終えたHC-BIIIXは張り切ってぱちりと眼を開いた。ふわふわしたチョコレート色の髪をクッションにすりつけながら、忙しく左右を確認する。お気に入りの玩具とお気に入りの同僚に、囲まれていると再認識すれば、「ぷぅ」と満足げに現状を肯定した。
重い機体もものともせずに、えい、と寝返りを打ってはらばいになる。力強く起き上がり、同僚の金の髪を視線で追いかければ、やはりお気に入りの翠の瞳は、目蓋の下に隠れてしまっていた。
うぅ、と気難しげに小さくうなったミニ・ガンメタルハウンドは、それでもどうやら「ばとーしんぷはしゅうしんちゅう」という事実を理解したようである。ではその安息を守ってやらねばなるまい、とでも判断したのか、いとも頼もしげに高性能サイバーアイが索敵を開始し、そして、ぴこーん! とある一点に集中した。
発見したのは見敵必殺すべき存在ではない。懸念材料である。
だらしなくはだけられたままのユーグの胸元。横臥の体勢だから、よれたシャツの隙間から、初夏の風は腹まで入り込んでいる。
「うぅ…?」
ちかちか、とかしこげな両眼に演算の光がまたたいた。次々と再生された記憶は、あおむけに転がって休眠準備をする己、それを見下ろす金髪や銀髪の同僚の姿だ。どれも、手に大きなふわふわを持っている。そしてそのふわふわで機体をしっかりとくるんでくるのだ。それがいかにも重要事項なのだと言いたげに。
「ぷぅ」
そう、それは重要事項に違いない。あの行為の心地良さを思い出して、自信満々にべべ・トレスは己の演算結果を肯定した。すべきことが決まれば、次にはそれを達成する為の準備が必要だ。座り込んだまま、再び周辺環境の走査に入る。
そして、自らの機体の下に敷いた、夜空のような濃紺の上掛けにはまったく気づくことなく。視覚センサーは、今度は横たわるユーグの下半身に視点を定めた。そこには真っ白いシーツが、申し訳程度にからんでいる。
「ぷぅっ」
「……ん……?」
ばたんばたん、とたくましくはいはいを始めた20キロ超の機体によって、ベッドはゆさゆさと振動した。
だが、任務疲れの神父は小さくうめいたものの、覚醒する気配がない。着実に歩みを進めた小さな機械化歩兵は、ベッドに投げ出されたユーグの左腕を、いとも無造作に、のしっ、と腹で踏み越えた。小さな丸々とした拳が、しっかと目的の白いシーツを掴む。
後はこれを何とかして――どう何とかするのかまではまだ演算もしていない――、ユーグの身体にかけ、ふわふわとくるんでやれば任務完了だ。
だが次の瞬間、思わぬ障害が突如として発生した。
発生箇所はべべ・トレスの腹部――正確には、そのずっしりふにゃふにゃとした腹部「に下敷きにされた、ユーグの義手」だ。
「う……ん」
容赦なくのしかけられた重量に、さすがに寝苦しさを覚えたユーグがうっすらと眼を開け……そして義手を引き寄せるように、ぐっ、と力を入れたのだ。
結果、義手はべべ・トレスの腹部を乗せたまま浮き上がり、科学技術の真髄を詰め込んだ、重い頭部に引きずられるようにして、小さなボディは前のめりにずずず、とずり落ちてしまった。
……おむつのお尻と、そこからにゅっと突き出た小さな脚を、ユーグの義手に乗せたままで。
「うぅ?」
しっかとシーツを掴んだまま、べしょ、と寝台に顔を突っ込んだ小さな機械化歩兵は、脚をばたばたと動かしてみる。だがそれは空を蹴るばかりで、寝台の感触はまったくついてこない。
「にぅ……にぅっ」
両手はシーツを掴んだままだから、はいはいができない。下半身を空中に浮かせたままでは、もちろん、後退することはできない。
これは大変な事態になった、とようやく悟ってべべ・トレスは、にぅにぅとさかんに空を蹴ってもがきはじめた。
「……?」
義手を揺さぶられる感覚に、寝ぼけ眼のユーグがひょい、と手元を見る。そしてその翠の両眼は、空中でぶらぶらしている脚を見て一気に覚醒した。
「トッ……トレス!?」
仰天して声も裏返る勢いで、顔から寝台に突っ込んだままの赤ん坊を抱き上げる。片手をようやくシーツから離したものの、もう片手ではしっかり握ったまま、小さな機械化歩兵は同僚の腕の中でおそるおそる左右を見た。もう安全だ、と知ってようやくユーグの顔を見上げる。
「……にぅ」
己の味わった恐るべき悲運を表現できず、ただそうとだけ報告して、べべ・トレスは身体一杯で同僚の胸にしがみついた。
「すまないな神父トレス、俺はうたた寝していたらしい……このシーツが欲しかったのか?」
「ぷぅ」
「そうか、気づかなくて悪かったな。さぁ昼寝の続きをしよう」
シーツを取り上げられることはなく、また元通り、小さなずっしりとした機体は寝台の上に仰向けに安置される。
うぅ、とうなって、まるまるした拳がシーツを突き出せば、「ありがとう」と甘い微笑を浮かべてユーグはそれを受け取り、
何のためらいもなく、べべ・トレスの小さな機体をふわふわとそのシーツでくるんだ。
「……うぅ?」
「おやすみ、俺の可愛い天使くん」
どうもこれは当初予定していた結果と違う気がする、と、もぞもぞと機体を揺するミニ・ガンメタルハウンドを、また、ユーグは優しく撫でて寝かしつける。
確かにこれは重要事項だ、だがしかし――と抗議しかけてべべ・トレスはふやふやとあくびをした。とどめとばかりに、同僚の唇からはやけに安定感を誘う一連の音楽が流れ出てくる。
確かにこれは重要事項だ。
「ぷぅ」
ふにゃふにゃした声で肯定するのがせいいっぱいだったらしく、小さな機体はふたたびの休眠状態に移行した。駄目父親(仮)がまたもやつられてうたた寝するまで、シーツは何度も、ふわふわとくるみ直されたのだった。
福様、本当にありがとうございました!