新品のベビーウェアに隙なく包んだ、丸っこいお尻がユーグの眼前でひょこひょこ揺れている。叩くたびに「ぶー」と鳴くたまねぎ型のクッションを、いかにも不思議でたまらないと言いたげに「うぅ?」と覗き込んだり、ぶーぶー叩いたりしている赤ん坊を、ユーグは困惑しきって眺めやっていた。
普段なら、小さな同僚のこの奔放な振る舞いに、ただ夢中になっていれば良いところだ。だが今のユーグには、とある重要な任務がのしかかっていた。
とりあえず、機嫌をとるようにやんわり声をかけてみる。
「神父トレス?」
「うぅ?」
生返事とともに「ぶーぶー」とクッションが鳴く。クッションの上に乗っかって、ぶーぶーゆらゆら、とあぶなっかしく揺れていた赤ん坊は、やがてゴロン、とクッションから転がり落ちた。それでもクッションを手放さないものだから、今度はクッションがベベ・トレスの上に乗っかる。「にぅ」とクッションの下から、憤慨の声とばたばたもがく手足が覗いていた。
「ええと神父トレス……まずクッションを手放さないか?」
恐る恐る提案しながら、クッションをそっと引っ張ってみる。
「にぅっ」
『ぶー』
赤ん坊とクッションに、一斉に拒絶されてユーグはしょんぼりと手を引いた。もう片方の手には先程から、今回の任務に使用すべき得物が携えられて、だが空しく機会を伺うばかりとなっている。
ごろごろと、クッションごと転がった挙句、何とか無事にはいはいの姿勢に戻ったベベ・トレスの、おむつでふくれたそのお尻と、己の手の中のもの――教授お手製、「親馬鹿専用高性能デジタルカメラ」を見比べて、ユーグは物憂く嘆息した。
今、眼前の赤ん坊がご機嫌で着用しているベビーウェアは、ミラノ公がお抱えの服飾デザイナーに命じて作らせた、彼女お気に入りの一品である。それなのに、「アイアンメイデン」に搭乗して遠く北の空に在り、おニューのベビーウェア姿を己が眼で愛でることのできない彼女に、つい同情してユーグは、せめて写真だけでも撮っておくことを約束してしまったのだ。
だがこれが存外の難題であった。
基本的に知識欲旺盛なベベ・トレスは、お着替えまでは大人しく同意したものの、着替え終わった後はすっかり、教授製作「七色の声音を持つ特殊繊維製クッション」に夢中になってしまったのである。クッションにしっかり抱きついたまま、呼びかけようがつつこうが、生返事だけでちっともこちらを向いてくれない赤ん坊で、ベストショットなど獲得できるはずもない。
こんな珍妙な、それでいてベビーのハートを鷲掴みにして離さぬプレゼントを持ち込んだ、厄介な養父――つまり彼の剣の師匠を、ユーグはひたすらに恨まずにはいられなかった。
――ここは心を鬼にするしかない。
悲愴感たっぷりの翠の眼差しを、愛すべき赤ん坊へと向けてユーグはひとり、拳を握り締めて決意する。
何となく殺気を感じ取ったのか、よたよたとユーグを振り返ろうとしたベベ・トレスの、その拳にしっかり握られたクッションを、ユーグはえい! と取り上げた。
すぽん! と手の内から抜けて奪われたクッションを、口を開けてフリーズした赤ん坊はただ、見送る。
「…………」
それだけでめげそうな、重苦しい沈黙が、大の大人と作り物の赤ん坊の間に流れた。
「……ち……違うんだ、天使くん……頼むからそんな眼で見ないでくれ」
絨毯の上にぽつんと座り込んだまま、ぽかんとユーグを見上げたままの、途方にくれた赤ん坊を、今のうちに撮影してしまえば良いものを、ユーグは本気でうろたえた。
「うぅ…?」
「だって、……だって君があんまりこれに夢中になっているから……」
「…………」
「……悪かったよ」
実際には、彼の小さな同僚は何を責めているというわけでもなく、ただ穴が開くほどユーグの顔を見上げていただけなのだが、情けない父親(仮)は30秒を待たずして陥落した。
しょんぼりと、両手でクッションをベベ・トレスの前に据えてやる。「ぶー」と鳴ったそれをぼふぼふぶーぶー、と叩いてみて、だが、ベベ・トレスは両手でそれをたくましく鷲掴みにすると、えい、とユーグに押しやった。
「あ、いや、別に俺はこれが欲しかったわけじゃなくて……」
「にぅ」
遠慮するな、と、度量の広い赤ん坊は、我侭な同僚に気前良くクッションを押しつけてやる。
「いや、だから、……ええと……ありがとう」
困惑しつつも、その好意が嬉しくないかと聞かれればそれは勿論嬉しいユーグは、つい、そのクッションを受け取ってしまう。
「ぷぅっ」
こいつはやっぱりおれがいないとだめなのだ。そう認識を新たにしたらしく、鷹揚に良い子のお返事をしてみせて、小さな同僚はユーグの膝に、べしょん、と満足げに取りついた。