桜と侍
視界の悪さを嫌ったのか、ガンスリンガーはその樹の下に立とうとはしなかった。
「……来ないのか?」
剣士の金の髪は、重くのしかかる枝枝の狭間に半ば隠れてしまう。表情すら判然とせぬ、夜闇にもほの白くけぶった空気の中で、白い手袋をはめた手が伸びた。真紅に染め抜かれた十字が、白の中にはひどく暗かった。
この男の「来ないのか」は、「来てくれ」という要請なのだということを、トレスは把握している。なぜそのような発言形式を取るのかは、理解していないとしても。
ゆえにトレスは、無言で樹に二歩近づいた。男とは、正確に1メートル50センチの距離をおいている。「もっと近づけ」と言われる前に、トレスは詰問の言葉を継いだ。
「――この樹を鑑賞することが、卿の迂回理由か」
「そうだ。どうしても見てみたくてな。……美しいだろう?」
美醜に対する観念には、多分に人間的情動が含まれる。その為に、トレスは問いに対する答えを、理解不能として切り捨てた。
純白の花ではなかった――もっとも、トレスの厳正な認識において、「純白」というものは滅多に存在しないのだが。この花はわずかに赤みがかっている。だが、「薄紅」と称するにはあまりに白が強すぎた。
それが、がっしりとした赤茶色の幹に支えられ、節くれだって伸びた枝枝に、びっしりと……ひしめきあうように開花している。遠目には、白いもやと映るかもしれない。
「師匠が言うには、もともと、『帝国』のさらに東……絶滅地帯の極東に、多く咲いていた花らしい。見渡す限りこの樹が植えられた庭園なども、あったそうだ。
一本でこの迫力だから……それはすさまじい光景だったろうな」
枝枝に半ば埋もれながら、剣士は繊細な手を伸ばし、一枝をそっと押して揺らした。パッ、と白が散り、慎ましい黒の僧衣に降りかかる様を、トレスはその無機的な眼差しで眺めていた。
「――サムライの花……だ、そうだ」
救いがたい昏さを含んだままの、金髪のサムライの声だった。
「発言の意図が不明だ、ヴァトー神父。その花を、サムライが何らかの用途にて使用したということか」
トレスは「サムライ」の意味を知っていた。「騎士」とほぼ同義にある言葉だ。ただサムライは神に仕えない。あくまで、主君にのみ忠愛を捧げる存在であった。そして、恐るべき切れ味を秘めた曲刀を常に携え、欲を廃し日々を質素に生きていた剣士なのだという。
……その類似点の多さから、彼に「サムライ」とあだ名をつけたのは、先日Axに加わったばかりの新たな派遣執行官――“ダンディライオン”だった。
「1000年か、1500年か、とにかく、そんな昔のことなんだ……詳しい資料も残ってはいない。ただ、サムライの愛した花だ、と言われている。何となく……わかるような気もする」
トレスの視界の端に映った現時刻は、列車の出発まで1時間を切ったことを示している。意識すらせぬ短時間で必要時間を換算し、トレスは、昏い眼差しのこの剣士に警告を発することは控えた。もっと時間が迫ってから、出立を勧告すれば良い。
「俺には理解不能だ」
トレスは愛想のない声で言った。だろうな、と伏し目がちに小さく笑い、剣士は幹にもたれて佇んだ。
「……これも師匠の受け売りなんだが……」
そう言い出しながら、頚木のように背負った刀を、肩から外し、傍らに寄り添わせるように、幹に立てかけて寄りかからせる。
「この樹は観賞用に品種改良されたものだそうだ。自然に生え育ったものじゃない。明確な目的をもってかけあわされ、作り上げられたものだ。長く生きることを目的としてはいないから、寿命も非常に短く――実を結ばず、人工的な挿し木によってのみ殖やされる」
「クローンか?」
乾いた問いに答える前に、数秒の沈黙があった。白い花弁のスクリーンを通して、金髪の剣士から小柄な人形に、強い視線が注がれた。やがてつむがれた言葉は、一見、トレスの問いとは関係のない事柄だった。
「サムライとは、潔い死に惹かれる存在であったらしい……すべての選択が、死ぬ方へ、死ぬ方へと片づいていく自滅の生き物だ。死に美しさを見出す彼らが、この花を愛した所以もまた、……その散り様の美しさだったそうだ」
不意にユーグは、真紅の十字を刻んだその白い手の甲で、ガン、と傍らの枝を殴りつけた。身を震わせて花を散らせる、その吹雪を身に受けてふと、笑う。
「……わかるか、ガンスリンガー。
この花は、死を撒き散らすためだけに造られた――美しくグロテスクな一個のクローンだ」
赤黒く十字の浮く白い手は、殴った枝に触れ、花を指先で殺ぎ落とさぬようゆっくりと、愛撫するように手を這わせた。
「……だから、『サムライ』が愛してやまなかったのさ」
囁く翠の両眼はどこまでも陰鬱で……微動だにせず見返す機械人形の、全身をその昏さに染め抜いていた。
「――列車の出発まで3000秒を切った」
唐突ともいえる勧告と同時に、トレスは即座に桜と侍に背を向けた。まるで何かを切り捨てるかのような、あまりに思い切りの良い動作であった。
「可及的速やかな移動を要求する、ソードダンサー」
背を向けてからそう、振り向き様に言い捨て――その振り向く動きに合わせるように、ぐい、と腕を引かれてかすかにバランスを崩す。
身体をひねってバランスを取り直し、詰問の言葉を繰り出そうとして、そのまま腕を引き寄せられ、トレスの肩は眼前の、僧衣の胸にぶつかった。
「ヴァトー――」
抗議しようとする声が、断ち切られたように止む。
唇を塞がれたからと言って、言葉を切る必要はなかった。話そうと思えば、唇も舌も使わずとも、喉の発声器官だけで話すことができる。音声出力の切り替えに手間取ったわけでもない。
だがトレスは黙ったまま、すぐ目の前で伏せられた翠の瞳を淡く縁取る、長い金の睫毛を見つめていた。
唇は一瞬で離れ、トレスに何か言う暇を与えずに、金の髪は翻り、腕を掴んだまま剣士はやわらかく一歩を踏み出す。
「ヴァトー神父、卿は――」
「列車の時間があるんだろう? ――行こう」
その場にとどまる理由を見つけることはできなかった。トレスは腕を引かれるままに、斜め前の長身に続いて歩き出した。トレスが従うと知ってやっと、掴まれたままの腕は放たれる。二人の神父が――サムライとクローンが歩を進めるたびに、湿った香りをふりまく花弁がひらひらと、その身体から引き剥がされ、花散るままに地上へ落ちた。
「ついてるぜ」
横合いからケープの内に手を突っ込まれ、トレスは無言のまま、速やかにそして容赦なく、突っ込まれた手を掴み出した。「いてぇな」と面倒くさそうに手を振ってみせたのは、浅黒い肌に野性的な魅力をたたえた大男だった。
男らしく節くれた手から、ひら、と落ちたものを、正確無比なトレスの視覚センサーが捉える。
大柄な手が大雑把に――だがその実、損傷したトレスの機体にはほとんど負担をかけぬように――、小柄な身体のケープを揺さぶり、はたく。
「サムライと花見たぁしゃれ込んだじゃねえか、拳銃屋」
半ば赤黒く染まった花弁が、あるものはやわらかく、あるものはごわついて、数枚、床の上に散っていた。
「なぜソードダンサーが同行したと推測した?」
直接には答えず、トレスは30センチ頭上にある笑顔を、無表情に見上げた。
「桜はサムライの花だろ」
「回答の主旨が不明だ、ガルシア神父。再入力を」
トレスの抗議は無視された。どこか世慣れぬ少年でも見やるような眼差しで、レオンはトレスを一瞥した。
「桜ってのは、死に急ぐサムライの象徴らしいぜ。見てきたんだろ? 奴によく似た花だったろうが」
「俺には比喩や見立てを理解する能力が乏しい。卿の発言に同意することはできない」
あの晩、孤独で天邪鬼な剣士は、「何か」を桜に喩えていた。それは明らかに、ソードダンサー自身のことではなかった。トレスはそれを理解していたが、その「何か」の正体は、……推測はできても、その答えが正しいとは思っていなかった。
「奴も怪我してんのか?」
“銃”と“剣”が揃って投入され抜き放たれれば、生まれるのはただ、無限の死だ。当然、その死を生み出す彼らとて、無事にすむ確率は低かった。
無遠慮にケープを開かれ、かぎ裂きだらけの僧衣を観察されたトレスは、やはり無言で相手の両手を叩き落してから、無愛想に、だが正確に答えた。
「左義手を全損、かつ全身に軽度の裂傷はあるが命に別状はない。現在は入院中だ」
「お前らなぁ、」
目元をわずかゆがめて、レオンは子供を叱るような口調で、一度、何かを言いかけた。トレスの、ある意味透徹と言えないこともない、その眼差しは変わらなかった。言いかけた言葉を飲み込み、レオンはやるせないため息をついた。続く言葉は、吐き捨てると言うには少し、優しすぎたかもしれない。
「――お前ら、……似合いだよ」
それが誉め言葉でないことを、トレスの生体部品は理解した。だが、その言葉に対して嘆きや自嘲を感じる機能は、トレスには存在しなかった。
存在しない――はずだった。
「んな顔すんな。言い過ぎた」
何一つ変わらぬ変わらぬはずのトレスの表情から何を読み取ったのか、レオンは手を伸ばして荒っぽく、それでも軽く、埃にまみれたトレスの頭を叩いた。
「否定。俺には表情を浮かべる機能がない」
「そうかい」
やはりトレスの主張は無視され、代わりに、レオンは「行くぜ」と肩をすくめてみせて歩き出した。「どこに行くつもりだ」と呼びかけながら、ややぎくしゃくと歩き出すトレスに、当たり前のような顔で振り返る。
「教授のとこに決まってんじゃねえか。直すんだろ」
「なぜ卿が同行する?」
「同行しねえ方がいいのか?」
その問いに、即座に「同行は必要ない」と言えるはずだった。だがトレスは一瞬、生真面目に考え込んでしまった。
「あんま簡単な故障でもないんじゃねえの? たどり着く前にハングアップしても、お前の体重じゃ誰も運んじゃくれないぜ」
何気なくレオンが後押しする。
さらに二秒間考え込んだトレスは、やがて、どこか気が進まない、といった様子で、それでもレオンを見上げた。
「……同行を要請する、ガルシア神父」
「いい子だ」
軽く笑って、大男は再び歩き出した。背を向けたその瞬間の、囁くようなつぶやきを、小柄な機械化歩兵の聴覚センサーはたしかに聞き取った。
「花だって、早く散る競争なんざしねえのにな」
ガルシア神父、と機械音声が呼ぶ前に、レオンは自分自身を哂うように唇をゆがめ、トレスの眼から己の顔を隠すように、軽く肩をそびやかしたのだった。