貢ぎ物を君に
駅へ向かう商店街の人込みの中、埋もれてしまいそうな小柄な神父の頭上には、さきほどからひっきりなしに、のどやかなお喋りが降り積もっていた。
「……それが大変な量なんですよ、服とか帽子とか山ほど買い込んで――いやもうね、比喩じゃなく本当に山なんですから、こう、どどーんって! レオンさんったらどこにあんなお金を隠してたんでしょう」
延々と愚痴り続ける同僚の一歩先を、いかにも機械めいた重い足音を立ててトレスは、無言でずんずん歩いている。同僚の歩調に合わせる気など、これっぽっちもないらしい。確かに、これほど愚痴られればいい加減、感情持たぬ機械とて相手を捨てて帰りたくなるだろう。ましてや、トレスにはわずかながら生体部品が残っているのだ。
「まったくねぇ、ファナちゃんだって、買物に時間とられるよりパパが一秒でも早く駆けつけてくれる方が、嬉しいに決まってるじゃないですか。人生山あり谷ありっていうか、むしろ谷ばっかりな私が言うんだから間違いないですよ……ねぇトレス君?」
ひとりで激しく主張を繰り返すアベルは、周囲の胡乱げな視線にふと、我に返った。すぐ目の前を滑るように進んでいたはずの、明るい茶色の頭が見えない。
「トレス君……トレスくーん! どこ行っちゃったんですかぁ?」
「ここだ、ナイトロード神父」
どこまでも冷静な、生の声としか聞こえぬ機械音声が、アベルを呼ぶ。
「いたいた、トレス君……迷子になっちゃ駄目ですよ」
「否定。俺が卿をロストしたのではない。卿が俺をロストした」
遠まわしに「迷子になったのはてめえの方だよ」と断言しておいて、トレスは視線を対象物に戻す。気を悪くした様子もなく、アベルはトレスの視線を後ろから追いかけた。
「何見てるんです? トレス君もお買物ですか? 無駄遣いは駄目ですよ」
どこまでも、いい具合にトレスを子供扱いするアベルに、やはりこちらも気を悪くする様子はなく――どうやら彼らはこういう関係で落ち着いているらしい――、トレスはアベルを振り返った。
「ナイトロード神父、ローマに帰る前に購入しておきたいものがある……余剰時間のうち1200秒間を使用しても良いだろうか?」
「そうですねぇ、どうせ私ひとりじゃ時間がどのくらいあるのかもわかりませんし……どうぞトレス君の用事をすませてくださいな」
トレスが自分から買物をしたい、と言い出すことは非常に珍しい。だが、その珍しさが何となく嬉しかったのか、アベルはほやほやと笑った。そも、この機械化歩兵に任せていれば、間違ってもスケジュールをオーバーすることはない。それなら、その余暇を多少使ってやっても構わないだろう。せいぜいが20分程度のことだ。
「で、トレス君、何をお買物したいんですか? もしかしてローマのカノジョにお花とかですか? いやぁ隅に置けませんねぇトレスく――」
アベルは言葉を切った。
トレスが揺るぎ無い足取りで吸い込まれていった、その店を確認したためであった。
その日ユーグは、人造矮人の材料を床にぶちまけてしまった師匠のために、研究室の絨毯を四角く切り取り、ひっぺがしている真っ最中だった。なんだかふつふつと常温で沸騰しているその黒い液体と、うごめくカーペットを眺めやり、始末の方法を考えあぐねていると、ドアが規則正しくノックされる。
「イクス神父?」
名を呼びながら足早にドアに歩み寄り、勢い良く開け放ってユーグは、だが、とっさに半歩後ずさった。
「――……やっぱり、ここでしたか……主よ、ユーグさんが美形な自分をちょっぴり冒涜しています」
無表情に黙然とたたずむトレスの背後で、アベルががっくりとうなだれている。だが、ユーグが注目しているのは、その打ちひしがれた姿ではなく、トレスが背負った山のような荷物だった。
「イクス神父……それは新しい装備か?」
至極普通の質問を放つユーグに対して、至極普通にトレスも答える。
「否定」
「……そうだろうな」
トレスの右手に持たれたデッキブラシと、背中のザックからはみ出た洗面器を眺めやって、ユーグはやはり、生真面目に頷いた。
「とりあえず、ふたりとも入るといい……掃除の途中だが、紅茶ぐらいは出そう」
「そもそもユーグさん、その格好ちょっと……アレですよアレ」
「ああ……すまない。取り込んでいたものでな」
ユーグは、その優雅なカーブを描く金髪を束ねた三角巾に、ゴムの手袋をはめた手でそっと触れた。黒い液体のべったり染みついたエプロンをかけていても、美形の価値が落ちるわけではないだろう。……多分。
見慣れているのか、ユーグのその格好に感想を述べることはなく、トレスは淡々と、彼の誘いを断った。
「俺はここで構わない。調査部へ連絡しなければならないことがある」
「じゃあ、その荷物はここに――」
「これは卿に譲渡するものだ。部屋に届けておく」
堅苦しい物言いで、そう言い捨てるとトレスは背を向けようとする。
「待て、イクス神父」
素早くゴム手袋を片方脱いだユーグが、デッキブラシを持ったトレスの腕をやんわりと掴んだ。20歳になったばかりと見える、人形めいた端正な容貌の、小柄な青年が、驚くほどの美貌の年上の男に、しっかりと腕を掴まれて引き寄せられる。夢見がちな少女が悲鳴を上げて喜ぶような一場面だ。周囲の余計な大量の備品さえ存在しなければ。
「質問があるなら速やかに入力を、ヴァトー神父」
トレスが無表情にユーグを見上げる。
「その……」
大真面目にためらってから、ユーグはトレスからデッキブラシを取り上げた。
「……もしかして……知っていたのか、神父トレス?
俺が……俺が先日、力加減を誤って、研究室のブラシを叩き折ってしまったことを」
「肯定……ワーズワース博士の研究室には、危険な施設が多い。備品の損傷も頻繁に起こっている。卿はそれを、自室の備品で補っていたはずだ」
「それは……」
「卿は自分ですべてを処理しようとしすぎている」
つまりそれは、好意的に解釈すれば「自分ひとりで抱え込むな」ということなのだろう。ユーグは息を呑み、そして、自分よりかなり低いところにあるトレスの肩越しに手を伸ばして、そのザックを軽く撫でた。
「……ありがとう、神父トレス。君には本当に……かなわない」
汚れたエプロンやゴム手袋で触れないように、首を伸ばすようにして、ブラウンの髪にくちづける。
「礼は不用だ。この研究室は俺も利用している」
「それでも、礼をしたいのさ……午後からの掃除は、君の洗浄用ポッドを一番に済ませておこう。早く用事をすませて、旅の垢を落とすといい」
「……肯定」
――この構図は何かに似ている。
忘れられた形になったアベルが戦慄とともに思い出したのは、遠い昔に見たホームドラマのワンシーンだった。
山ほどの土産を抱えて出張から帰る夫。欲しがっていても言い出せなかったプレゼントをどっさり手渡され、エプロン姿もまぶしい新妻は嬉しい驚きに涙ぐむ。そして、愛のこもったくちづけを交わした後に、妻は夫に輝く笑顔を投げかけるのだ。
『お疲れでしょうあなた、今お風呂沸かしてますから……』
「!!!!!」
もう声もなく悶えてアベルはその場にくずおれた。愛し合っているのはかまわない。だがこの二人の場合、当人同士は大まじめなのにもかまわず、何かが――いや、むしろ何もかもが間違っている。根本的に間違っている。美形二人が雰囲気たっぷりに、家庭用品満載で見つめ合う時点で、間違いもピークに達している。どこから正せばよいのかもわからない。
「おお、主よ、すっげえ良いシーンのはずなのに微妙に感動できないのはなぜなんでしょう……」
さめざめと泣くアベルを心配げに見下ろし、「君もよければ休んでいかないか?」と、何もわかっていないユーグは手を差し伸べた。
結局、蠢く絨毯を焼却処理する頼もしい旦那様の傍らで、美しい奥様が手ずから出してくれた紅茶とクッキーを、二人前ぺろりとたいらげながら――
「これがあるから、ついついここに来ちゃうんですよねぇ」と、アベルは贅沢な嘆きをこぼし、紅茶のお代わりと砂糖を十三杯、所望するのであった。