君と迎える小さな死/前編
銀色の手術台の上、シーツだけ敷かれたそこに、小柄な機械化歩兵が安置されている。その傍らに、ぼろぼろの僧服を頑固にまとった大男がうずくまって、
床のボストンバッグを何やら激しく漁っていた。
「おい拳銃屋、膝用の冷却器がねえぞ……このままじゃ、立ち上がっただけで煙噴いちまわな」
横たわる機械化歩兵は、声をかけられても、その眼を動かしはしなかった。代わりに、部屋の隅に設置された監視カメラがぎろりと動く。急ごしらえらしいそれは、トレスの首筋の接続口と有線されているようだった。
そのカメラに向けて、大きくバッグの口を開けてみせながら、レオンはいくつかの部品を取り出してみせる。
「見た目は不格好だが、パッドつけるしかねえよなぁ。お前、ここの冷却剤使えんの?」
「否定。汎用品との互換性はない」
「オートクチュールしか受けつけませんってか……もう、いっそこいつに一式積んどけ」
レオンはカメラに向かい、天井を指差してみせた。「ここ」「こいつ」――派遣執行官“アイアンメイデン”が操る、同名の巨大空中戦艦のことだ。今まさしく、彼らはその腹の内に呑まれているのだった。
「卿の提案は、ワーズワース博士に進言しておく。俺の機体管理は彼の権限内だ。シスター・ケイトではない」
抑揚の失せた声で答えながら、トレス本体の眼が動く。立ち上がった大男――派遣執行官“ダンディライオン”が、男くさい笑みを浮かべて彼を覗き込んでいた。
「じゃ、ま、ちゃっちゃとやっちまうか。せめて身動きだけでもとれねえと、お前もご主人様の前でカッコつきゃしねえだろ」
「否定。外装の問題ではない。判決に間に合わない場合、聖天使城の強襲もあり得――」
「あー。こいつは溶接ってわけにもいかねえよな。クリップで繋ぐか」
トレスの抗弁を気持ち良く無視して、レオンはトレスの腹部を覗き込む。人間なら内臓が露出しているに等しいダメージを、痛そうに眺めやりながらも、手早い手つきで断線を繋いでいく。
「この線どこよ?」
「カットだ。再接続は不可能」
「んじゃ絶縁しとくか。……うわ、お前、やっぱ軽ぃわ今日は。こりゃ侍も大喜びだ」
腹の辺りを難なく片手で持ち上げ、背中のジャックポッドを手探りで探しながら、レオンは感嘆の声をあげる。
「ここに溜まってる循環液、バキュームする前に穴開けて抜いちまうぜ。点滴用のチューブがどっかにあったろ、あれでチューっと――」
「ガルシア神父」
冷然とした声が、外付けの維持装置をいじっているレオンの頭辺りにかけられる。
「おう、どうした?」
「先刻の卿の発言に疑問点がある」
「チューブじゃマズイか?」
「否定。なぜ俺の重量が減ると、ヴァトー神父が喜ぶのだ?」
「ああ、そっちか。――かてぇ皮膚だな……ドリルでも使うか、何とかして口から出すか」
排出機能を損傷しているため、トレスの義体内部は現在、自分自身の疑似体液で水浸しの状態になっている。とりあえず排水口を取りつけようと悪戦苦闘しながら、レオンは何でもないことのように答えた。
「やっぱ200キロじゃ、したいこともできやしねぇしなぁ……アイツ夢見がちっぽいからな。腕枕に膝枕、ついでに抱き枕、絶対やるぜ。勿論騎乗位は外さねえ……あの顔は、ああ見えてやるこたごっそりやる顔なんだ」
「……卿の発言には理解不可能な語彙が多すぎる」
「だってお前ら、デキてんだろ?」
鼻歌混じりの爆弾発言に、機械たる身は動揺しはしなかった。単純に、言われたことを理解できなかっただけかもしれない。
「…………再入力を要求する。何がデキている? 騎乗位とは何だ?」
「ま、ま、いいってことよ。俺も軍隊上がりだ、そこそこ理解はあるつもりだぜ……他人事ならな」
ほら、血ぃ吐いてみな、と赤ん坊にするように背中を叩かれて、がくがくと機械人形は身体を起こした。さらに詰問の言葉を継ごうとして、通常呼吸はせぬはずの喉が、ごぼ、と鳴る。
「よし、出た……んじゃ、続き行くか」
まるで人間のように、一気に吐血したその様子を、眉一つ動かさずに確認してから、レオンは先ほどまでの会話などすっかり忘れたような顔で、人形の身体を縫いあわせる作業に戻ったのだった。
「剣の館」の自室に戻るミラノ公の後に、当然のような顔をして――つまり常の通りの無表情で――付き従おうとしたトレスの腕を、派遣執行官“クルースニク”が掴んで止めた。
「トレス君、だめですよ……お腹の穴をちゃんと塞がないと」
「否定。ミラノ公の安全を確保してからでも、遅くはない」
主人の前で怪我をバラされたことが、機械なりに不快だったのか。トレスは大きく引き裂かれたままの僧衣を打ち振って、アベルの腕を振り払おうとする。
「だめです。もう、どうして君はそうなんでしょうねぇ」
よたよたとよろけながらも、断固としてアベルは繰り返した。ねぇ、カテリーナさん、と呼びかけられて黄金と白磁の美女はふと、微笑む。
「そうね……私も、不安材料を抱えたままの派遣執行官に送られたくはありませんよ、ガンスリンガー」
「――肯定」
少し声が落ちたのは、気のせいではないだろう。カテリーナはトレスの顔を覗き込んだ。
「神父トレス、早く完治して、私を安心させて頂戴。……いいわね?」
「肯定」
絶対なる主人の「お願い」に、もう一度首肯して、それでもミラノ公に“ダンディライオン”が付き従うことを確認してから、トレスは彼らに背を向けた。
「アベル、『証人』の――アルフォンソ・デステの引き渡しの一切をお願いできますか? ワーズワース博士、貴方は“ガンスリンガー”及び“ソードダンサー”の健康状態をチェックしてください」
「俺は――」
返り血と泥とオイルに染まった金髪を揺らせ、抗議の言葉をあげかけたユーグを見つめ、カテリーナはきっぱりと言った。
「無理は禁物です、“ソードダンサー”。あなたの傷は、そう簡単に完治するものではありませんでした。私のために動いてくれたことは嬉しいけれど、だからこそ、病院に大人しく戻っていただきますよ」
「……わかりました」
「まぁ、予定よりはずっと早く復帰できると思うよ、ユーグ。それだけ元気に動けるならね」
そうしたら僕の研究室の大掃除だねぇ、部屋が綺麗になるのは嬉しいよ、と実に愉快げにパイプを噛み、教授は手のかかる子供ふたりに、「おいで」と手招きしてみせた。
「じゃあな、養生しろよへっぽこども」
「君もだ、ガルシア神父。後で必ず護衛を代わってもらえ」
動甲冑に鷲掴みにされた同僚を心配してか、ユーグが念を押す。へぇへぇ、とおどけたように笑ってみせて、レオンは背を向けた。
立ち去る麗人と巨漢を、残された派遣執行官たちはしばし見送る。
「さて……ではまた後で、アベル君。我々も行こうか、ユーグ、神父トレス」
「はい」
敬愛する師匠に頷いてから、ユーグはふと、傍らに立つ小柄な影を見下ろした。
「イクス神父?」
おだやかに声を掛けられて、レオンを見送っていたトレスはユーグを見返す。
「……怒ってます? トレス君」
恐る恐るかけられたアベルの言葉に、トレスは無表情に「否定」と答えて言った。
「ヴァトー神父」
「何だろう?」
「卿は、俺の重量が減ると騎乗位を試す、とガルシア神父が言っていた」
トレスが言葉を継ぐ前に、ゴン! という音が辺りを震わせた。
教授、トレス、ユーグの、三色三対の瞳が床を眺めやる。
床に突っ伏して倒れたままのアベルが、復活する様子はない。
「ナイトロード神父? 歩行に問題があるなら申告を」
「ああ、気にしなくて良いよ、イクス神父。彼は床が好きなんだ」
パイプを口から離さず、思慮深げな表情を作った教授が、まじめくさってトレスに問う。さすがに、アルビオン紳士はこんな時にも取り乱しはしない。
「しかしイクス神父、君にまさかそんな語彙がインプットされているとは思わなかったねぇ」
「否定。俺はガルシア神父の発音をそのままリピートしただけだ。語義を把握しているわけではない」
「あぁ……道理で、何となく下世話な響きの発音だと思ったよ」
嘆声混じりに納得して、師匠は愛弟子へと視線を流した。
床にへたり込んで鼻を押さえているアベルに、落ち着き払ってハンカチを差し出していたユーグが、師匠の視線に気づいて顔を上げる。
「……とりあえず、俺は騎乗位という言葉の意味について答えれば良いのか、イクス神父?」
どこまでも優しく誠実な声で、ユーグはトレスに尋ね返した。
「肯定」
「だ、だめです! だめだめ! そんなふしだらなこと教えちゃ駄目! お父さん許しません!」
最後の方はやや支離滅裂になりつつも、アベルがバネ仕掛けの人形のように立ち上がる。
「アベル……イクス神父も一個の人格だ。情報の取捨選択は自分で行うべきだと俺は思う」
「稼動して5年の子にナニ無茶言ってるんですかユーグさん! 幼児虐待ですよこれは――」
チャ、といつのまにかトレスの右手に出現したジェリコM13が、アベルの後頭部に押しつけられる。
「ナイトロード神父。卿は、俺を人間の幼児だと主張するのか?」
心なしかゆっくりと述べられた、無表情な声にアベルは骨まで蒼ざめた。
「い、いえ、トレス君、私はですね――」
「騎乗位とは、基本的には男女の性行為における体位の一つを言う」
バイロンでも読んでいるかのような、物憂く透明な声がアベルを救う。
だが発言の内容は、とても詩的なものだとは言えなかった。
「男性が仰向けに横たわり、女性がその男性器の上にまたがることでセックスを行う。男性同士の性行為においては挿入場所が変化するが、外見上に大きな相違はない」
淡々と説明されて、トレスの眼の奥にめまぐるしく赤や黄の光がはじける。彼は彼なりに、今のユーグの言葉を懸命に分析しているらしい。
「――つまり、卿は、」
気の毒な機械化歩兵の声は、やや困惑しているようにも見受けられたが、それでもやはり正確無比だった。
「男女間の性交渉に匹敵する行為を、俺に期待しているということか?」
「ちょっとトレス君、……って……」
その声音が、あまりにも、純粋な困惑をたたえているように思えて、アベルはトレスを凝視する。それは、男性が男性にセクハラを受けた際の困惑ではなかった。強いて言うなら、考え込むトレスの様子は、むしろ――「ないものねだり」を受けて困っているように、アベルには見えた。
「ユーグさん……ダメですよセクハラはぁ」
アベルはやんわりと、銃を突きつけられて両手を挙げたまま、ほわんと冗談めかしてユーグを叱った。考えてみれば、脳内麻薬さえ機械に抑え込まれたトレスには、欲情という観念そのものが存在しない。セックスなどできるはずがないのだ。
それでも、他ならぬユーグが相手であればこそ真剣に、その言葉を検討して困惑している。先刻の言葉は、アベルには残酷なからかいに思えた。
叱られてユーグは、少しさびしげにちらりと笑う。ユーグは、トレスの困惑について、アベルの知らないもうひとつの理由を知っていた。それは、カテリーナ・スフォルツァという「女性」の枢機卿に常時張りついて護衛するために、トレスの身体に施されている機体の仕様によるものだった。だが、所有者たるミラノ公と、メンテナンス担当の教授以外に、それを知る必要はない。……ユーグとて、この機械化歩兵に深く関わることがなければ知らずじまいだっただろう。
そ知らぬ顔でパイプの吸い口を噛みながら、教授がユーグを斜めに見やる。生粋のアルビオン紳士に、フランドルの恋の伊達を試されているのだとは知っていても、愚直なユーグには、真っ正直に答えることしかできなかった。
……その「真っ正直」な言葉の生み出すはた迷惑な破壊力など、微塵も知らぬままに。
「ヴァトー神父? 回答の入力を」
冷たい声で人形が促す。
ユーグは首を傾げるようにしてトレスを眺めやった。
実にサマになるその仕草のままに腕を組み、優しくも真摯な声で答える。
「例えば君が、俺と騎乗位で交わりたいという願望あるいは必要性を持ち、それを俺に表明してくれた場合、俺は喜んでお相手させてもらうと思う」
警戒したように、トレスは一歩後ずさる。
聞いているギャラリーが、煙にむせたり再び床と仲良くなったりする前に、ユーグは「だが」と言葉を継いだ。
「俺が君に感じている友情は、セックスの有無程度のことで増減するものじゃない」
「……発言の意図が不明だ」
「つまり」
無表情に見上げてくる人形の頬を軽く撫でて、ユーグは当たり前のことのように言った。
「しようがしまいが、君のことが大好きだ」
「……あーもー良かったですねぇトレス君! 両想いですよ! 心置きなく清く正しく美しいオツキアイしてくださいね!」
立て続けに聞かされた重度の惚気に、とうとう自棄を起こしたらしい。アベルはバシバシとトレスの肩を叩きまくる。
「『両想い』――卿の発言は理解不能だ、ナイトロード神父」
「どうでもいいからちゃっちゃと実験室こもってイチャイチャしてくださいよ。はいはい行った行った。ユーグさんも!」
「アベル、神父トレスは怪我人なんだからあまり手荒に――」
「じゃあね、また会いましょう!」
「わかった、とにかく退散するから押さないでくれ……行こう、“ガンスリンガー”」
物凄い勢いで追い立てられ、「再入力を要求する」と最後まで言うことも許されず、トレスはユーグにやんわり引きずられて実験室へと去っていく。
肩で息をするアベルの矛先は自然、パイプに手を添える振りをして上品に笑いを噛み殺している教授へと向かった。
「ねぇ……プロフェッッッサアァァ? 一体何なんですかあのお弟子さんは……?」
「すまないね、アベル君。どうやら僕はユーグに、正直こそ美徳と教え込んでしまったらしい」
「正直ったって、己の欲望にだけ正直でも意味がないんですよ!」
「大事なことじゃないか。体裁を取り繕っている時間なんて悠長なものは、彼らにはないんだから」
あまりにも何気なく吐かれた言葉に、思わず「だからってですねぇ、」と反論しかけて、はたとアベルは口をつぐんだ。
「ブリュージュでも、タリンでも、実働隊の彼らは実に紙一重で命を拾っているんだ。いつその一重をあっさり超えてしまうかわからない。しかもユーグは5年間も回り道をしてくれたからねぇ……今更言葉なんて繕っている暇もないだろう?」
表情のうかがえぬ飄々とした面持ちで、教授はくわえたままのパイプを軽く上下させる。
「それに、彼が両手を喪ってからここに来るまで、どんな生活をしていたか想像できるかね、アベル君?」
「は?」
「両手のない美貌の青年が、貴族としての生活しか知らぬままに城を追われて、身分を隠し、どうやって生き延びたと思うかね? 今更、体位ひとつがどうのこうので恥じ入る可愛げなど残っていると思うかね?」
「それは、……それは……」
言いかけてアベルが言葉を呑んだのは、この場にいないユーグへの気遣いのなせる業だろう。アベルは教授の言いたいことを察した。だからこそ、口に出して言えないこともあった。
アベルの沈黙を待って、あくまでのんびりと教授は話を継ぐ。
「ま、僕も先刻の会話で、少々思い知らされたよ。ユーグにとっては、性別や体位どころか、性愛の有無、生命非生命の区別そのものさえ、今更どうでもいい問題なんだということがね」
「……突き抜けすぎですよ、それって」
「では、君はユーグが人形『であろうとお構いなしに』愛する思考の持ち主であるよりも、人形『しか』愛せない性癖の持ち主であった方が良かったかい?」
アベルはしばらく黙り込み、ややあってやけっぱちの気配残る声で言い切った。
「なんかもうどーでもいいです。ユーグさんとトレス君がしあわせになればそれでもう、ええ」
「いい答えだね。実に同感だ」
珍しく素直に教授は同意し、最後まで落ち着き払ったまま、のんびりと、弟子たちを追って実験室へと戻っていったのだった。