彼の定位置



その日、「剣の館」には珍しく、三人の派遣執行官が顔を揃えていた。
三人とも、別の地域に投入されるべきユニットとして召喚されたのだから、驚くべき偶然だと言うべきだろう。
「あたしゃさっさとバラしに行きたいんだけど」
唇と同じ真紅に毒々しく彩られた、己の爪を退屈そうに眺めながら、ソファにだらしなく身を沈めたモニカがつぶやく。退廃的に僧服を着崩したその格好で、半ば寝そべるようにしどけなく座って、ちろりと見上げた――その先には、同僚の神父がひとり立っていた。
モニカと対称的に、堅苦しくきっちりと僧衣を着込んでいる。感情のうかがえない瞳が、ぎろり、とソファを見下ろした。顔は戸口の方を眺めたまま、眼だけがぎろぎろ動く様は、まるで人形か何かのようだ。……実際、彼は人形であった。
「ねぇ、お人形ちゃん。何とかお言いよ……あたしは退屈してんだから」
「否定」
感情の発露が極端に少ないトレスだから、仕方がないといえば仕方がないのだが、即答された声には好意の欠片も存在していなかった。
「何さ」
「卿の退屈を解消させるために、俺が具体的行動に出る義務はない。現在の俺と卿に与えられた任務は、『剣の館』での待機だ」
「言うねぇ。あの不幸どもにはホイホイ飯でも身体でも奢ってやるくせにさ。この前だって、夜中にナイトロードが押しかけても嫌な顔ひとつしないでべろべろに――」
ちゃ、と撃鉄を起こす音に、モニカは面倒くさそうな顔のまま半身を起こした。
「そこまでにしておけ、シスター・モニカ・アルジェント。デマの捏造は利敵行為として、ミラノ公への報告の対象になる」
「捏造するんだからデマなんじゃないか。当たり前のこと言ってんじゃないよ、お・ち・び・ちゃん」
「……」
返答する必要なしと判断したのか、トレスは右手の銃を携えたまま、ソファではなく書物机へと向かった。スプリングの存在しない、頑丈なその椅子が、トレスの専用席なのである。
それでも、「剣の館」内での移動を制限されているモニカにつきあって、こうして談話室にとどまっている辺り、トレスは任務に支障のない範囲で、最大限に人が良いのであった。
……何をしでかすかわからないモニカを、監視しているつもりなのかもしれないが。
そんな談話室の扉が、律義にノックされてから開く。
「……不幸の片割れが来たよ」
ソファの背もたれにべったり貼りつくようにしてもたれ、だらりと腕を垂らしてモニカは扉の方角を見やった。
そんなモニカにさえ、礼儀正しく目礼し、常に仕込の刃を携えた執行官――ソードダンサーは、トレスの方に歩み寄る。
「イクス神父、ミラノ公の到着予定は?」
書物机の上で、右手の追加兵装の動作確認を行っていたトレスは、顔も上げずに答えた。
「一八〇〇だ。クルースニク、アイアンメイデン両名ともに、損害は軽微。ここの3名は公の到着を待って各自任地に赴くものとする」
「そうか。ではアベルたちに挨拶をしてから旅立てるな」
「肯定」
「お人形ちゃん、あたし相手の時と態度が微妙に違わなくないかい?」
表面的には穏やかな――それゆえにそこはかとなく恐ろしさの漂う――魔女の声が、トレスではなくユーグを振り返らせた。
「神父トレス……シスター・モニカと何かあったのか?」
おだやかに問われて、そっけない声が「否定」とのみ返答する。勿論、モニカはそれでは納まらない。
「男好きなのさ、そいつ」
物騒かつスキャンダラスな台詞に対し、ゆるやかに波打った金髪を、首を傾げることで揺らせ、館中の尼僧の胸をときめかせるその翠の瞳をユーグはゆっくりとまたたいて、……そして生真面目に頷いた。
「それは光栄だ」
「……地獄に落ちな」
心の底からうんざりしたといった様子で、モニカは低く吐き捨てた。とんがった女だな、と言いたげな、気のない視線をユーグは向ける。この男は、基本的にどんな馬鹿なことを口走っても絵になる辺りが、多方面にとって絶望的である。
トレスはすでに、ふたりの会話に注意など微塵も払っていない。ただ、黙々と己の作業を進めている。
肘掛けすら存在しない、あまりに簡素なその椅子を見下ろし、ややあって、ユーグは人差し指を唇に当てて考え込んだ。
「着席するなら、シスター・モニカの正面が空いている」
椅子に視線が向いていると、気づいていたのか。トレスが無感動にそう言い捨てる。
「確かにそうなんだが……ああもしどけない女性の向かいは、目の毒に思えてな」
モニカはもはや「ケッ」と言う努力すら惜しんだらしく、チンクエデアを磨くことに専念しはじめている。
「俺がそちらに着席した場合、スプリングを損傷する可能性がある。卿の着席を要求する」
「……ここに座ったら居心地が良さそうだ」
「ヴァトー神父?」
トレスの言葉を聞かずに、何やら試案していたユーグが、どこまでももの憂げに真面目な声で、トレスの背中を指差した。
トレスが己の背中を、人間の首にはかなり難しい柔軟さで眺めやる。
「発言の意図が不明だ、ヴァトー神父。再入力を要請する」
「つまり……」
ユーグは、椅子の上のトレスを、うながすように軽く押した。立ち上がろうとしたトレスの肩に手を当てたまま、世の男どもが恨まずにはおられぬ長い脚を軽く振り上げる。
「ヴァトー神父」
押されたまま、身体をわずかに前に移動させたトレスが、警告するように再び名を呼んだが、ユーグは頓着せずに、いともたやすく、トレスの座る椅子をまたいだ。
……トレスの背中と、椅子の背もたれの間に身体を割り込ませて。
さすがに抗議するように軋んだ椅子を、軽く後ろに引いてスペースを取ると、ユーグは反応を選びかねているらしいトレスと、椅子の背もたれの間に、図々しくも座り込んだ。
「ああ、やはり居心地が良い」
ぴったりと身体を押しつけるようにして、瞳を閉じ、いかにも心地よさそうにトレスの後ろ髪に頬を押しつける。
己より20センチ以上背の高い男に割り込まれ、書き物机との間で進退窮まったトレスは、反論しながらも己のギミックのチェックに余念がない。
「否定。卿の現在の状況は決して、居住性が良いとは言い難い」
「君の声は機械音声だからか、反響してボディがかすかに震動する。それが心地良い」
片手で杖のように刀を床につき、もう片手をトレスの腰に回して、ユーグはトレスを捕まえたまま、眠るように嘆息する。
「癖になりそうだ」
どんなに脳味噌の溶けたことを言おうが、やはりハイネの詩を読んでいるかのように愁いを含んで絵になる男が、頓着せぬトレスの髪を鼻先でするりと撫でかけ、そして……
異様な金属音とともに、床にチンクエデアが転がった。
「いきなり何をする、シスター・モニカ」
ゆるやかに掲げたとしか見えぬ刀で、チンクエデアを叩き落したユーグが、トレスの背中に貼りついたまま、やや眠たげに肩越しにソファを振り返る。
「あんたがそれを言うか、色ボケ人形フェチ……」
邪魔なソファを突き抜けて手を伸ばし、チンクエデアを投げた瞬間の体勢のまま、モニカが憎憎しげに言った。眼前で繰り広げられる光景のあまりのとろけっぷりに、思わず目つきも半眼になってしまっている。
恋人を殺されて怒り狂う女を見つめるかのような、そんな沈鬱なまなざしでモニカを見つめていたユーグは、しつこくトレスを捕まえたまま、それでも物憂く口を開いた。
「君もここに座りたいのか?」
「今すぐ死ね!」
二本目のチンクエデアが投げられる寸前に、撃鉄を起こす音がした。
「私闘は禁じられている。それ以上騒ぎを起こすようなら、実力で阻止するという選択肢もありえる」
何も理解していない――あるいは、何を理解しても基本的に考慮しない――殺人人形は、感情の死に絶えた声でそれだけを言った。
「イ・ク・ス……脳味噌までからっからに干からびちまったのかい?」
ほとんど猫なで声のようなおどろおどろしさで、モニカは甘く囁いた。
「あんたの背中にべったり貼りついて午後のけだるい恋人同士を気取ってるそこのしみったれたサムライを、何とかしろって言ってんだよ、あたしは……とっとと振り落としな!」
「まず、」
追加兵装は問題なく稼動したらしく、次に銃のチェックに入ったトレスは、至極事務的に答えた。
「生体部品への水分の補給は、106時間前に完了している。俺の大脳は別に干からびてはいない」
わざわざモニカの怒りに油を注ぐような言葉を吐いてから、トレスは平板な言葉を継ぐ。
「次に、ユーグ・ド・ヴァトーは現在俺の6時方向に密着しているが、これは緊急時の戦術行動において障害になり得るほどのものではないと判断した。先ほど卿が投げたチンクエデアを、彼が排除したことからもそれは立証される」
憎らしいことに、ユーグはトレスが銃をホルダーから抜く際に、邪魔にならぬようわずかに及び腰になっているのだった。その隙間に銃身をねじ込むようにして、ホルダーにジェリコM13を納めたトレスは、その時になってやっと、モニカを振り返った。
「よって、ユーグ・ド・ヴァトーは俺が武力をもって削除するほどの障害ではない」


「……へえぇ……」
ずるり、という音のしそうな――実際には音ひとつ立てず――なまめかしい所作で、モニカはソファをすり抜けながら立ち上がった。
「邪魔になんなきゃ何してもいいってのかい、おちびちゃん?」
「その発言は対象とする範囲が広すぎる。回答は不可能だ」
ユーグは眠ってしまったのか、トレスを抱き枕にしたままぴくりとも動かない。ひくひくと、片頬をひきつらせて笑いながら、モニカは、一歩、また一歩と独特のキャットウォークで一人と一体に近づいた。
「御託はいいのさ、イクス……邪魔になんなきゃ、あたしのことだって拒まないってことだろう?」
「今まで卿が密着してきたケースを分析するに、92%の確率で俺の任務遂行の邪魔をしている」
「でも、今の任務は待機なんだろ?」
赤い舌を淫猥にちらつかせてみせるモニカは、さすがに危機を感じたトレスが立ち上がろうとするその一瞬に、一気に椅子との距離を詰めた。
その殺気に、ユーグが眼を見開くと同時に小太刀を引き抜き、モニカの咽喉元につきつけようとする。
だがその小太刀を透過したモニカの身体は、それどころかユーグの身体も、トレスの義体さえも透過して二人の前面に出ると――
くるぅり、と振り返ってトレスの膝の上に、その形の良いヒップをどすん! と落として居座った。


「――邪魔だ」
冷厳に、即座にそう判断を下したトレスの首に、「そんなつれないことお言いでないよぅ」と甘ったるく両腕を投げかけて、モニカは愛を請う娼婦のようにいやらしく、身体をトレスの膝から胸板にかけてすりつけた。
さすがに驚いたらしいユーグが、トレスの後ろ髪から顔をひけば、勝った! と言いたげな笑みが、にんまりとその真っ赤なルージュに浮かぶ。
「熱烈だな、シスター・モニカ」
「あてられるだろ? とっとと帰ンな、朴念仁」
「……卿ら。警告する、俺の前と後ろから離れ――」
扉が開いたのは、トレスの両手が、己の腰の後ろ、ホルスターに回ったその瞬間だった。


「こんな所にいたんですか皆さん、探したんですよー――……ふぐぅっ!?」
チープなみやげ物を山のように抱え、しあわせ満面の笑みで前触れもなく扉を開けて――奇声と共に固まったのは、
「あ、不幸の片割れもう半分」
「アベル? 18時到着じゃなかったのか?」
まったく動じていない男女に声をかけられても、ばさばさとみやげ物を床に落として固まったままの、不幸な銀髪神父――アベル・ナイトロードだった。
「とっ、とっ、とっ、」
「とっとっとー」
馬鹿にしたように、モニカが半ば歌うように真似るのも気づかず、アベルは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「トトトトトトレス君っ! 何をしているんですか君はなんて羨ましい――じゃなくて!
 そんな、その、そんな――えっとそんなふしだらな格好をしちゃいけません! 大体そんな姿勢じゃ腰が疲れ――い、いえ、違うんです、私が言ってるのは決して淫らな意味でのことじゃなくて――」
アベルの言葉を明らかに無視しながら、トレスは通信機から聞こえてくる音声に耳を傾けていた。どうも、アイアンメイデンから、「クルースニク」のスケジュール変更について連絡が入っているらしい。
一方のアベルは、ずかずかと談話室に入ってくると、この期に及んでトレスを捕まえていた男女同僚にくどくど説教を始める。
「いいですか、ユーグさんもモニカさんも、トレス君を玩具にしちゃいけません。トレス君はちゃんとした人格を持った人間なんですから」
「別に俺は、神父トレスを玩具にした覚えはないが」
心外そうに眉を寄せて、憂愁の美貌をさらに翳らせたユーグは抗議した。
「あたしは玩具にしてたけど、イクスに拒絶はされなかったね」
アベルが部屋に踏み込む前の、トレスの最後通牒は聞かなかったことにして、モニカも自信たっぷりに言い放つ。
「トレス君は優しい子なんだから言い出せないだけです! これはセクハラですよ、セクハラ! まったくもう、枢機卿の懐刀がセクハラなんて大スキャンダルですよ、ねぇトレス君――トレス君?」
「ミラノ公の到着が早まった。警護及び送迎任務を受諾。これより遂行する」
モニカなど存在しないかのように、いともたやすく立ち上がると、トレスはもはや振り向きもせずに扉に向かって歩き出す。
それでも、散乱するみやげ物は、前を向いたままちゃんと避け、歩み去る律儀かつ忠実なる猟犬を、三人の男女は、毒気を抜かれた様子で見送ったのだった。


忠実なる鋼の猟犬を従え、女王の如く堂々と歩むミラノ公の、その傍らに本日は、もう一人の随行者が並んで いた。どこか人を食ったポーカーフェイスでパイプをくわえ、それを口から離しては、ミラノ公に話しかける。書類に目を落としたまま歩く彼女は、時折頷きながら、彼女のブレーンの献策を検討しているようだった。
「ミラノ公!」
「あッ――」
敷き詰められたタイルのひびに気づかなかったらしく、書類から手を離してミラノ公はよろける。その腕を背後から掴み、彼女を支えたのは、付き従っていた猟犬――トレスだった。
少し驚いたのだろう。やや紅潮した頬で嘆息し、ミラノ公はトレスに微笑みかける。
「助かりました、神父トレス」
「視界の確保を、ミラノ公。書類を見ながらの歩行は危険だ」
「確かに。続きは、執務室に戻ってからがよろしいでしょうな」
ミラノ公の投げ出した書類を受け止め、小脇に抱えながら、教授も頷いた。
「そうね、その方が――……」
トレスの手を取って姿勢を直したカテリーナは、手を引きながらふと、言葉を切った。
「ミラノ公?」
注視されたトレスが、どこかいぶかしげにも聞こえる声音で主人を呼んだ。
「……髪の毛がついているわ、神父トレス」
小柄なトレスの肩に、さほど苦労することもなく、カテリーナは手を伸ばした。
トレスの肩に貼りついていた、長い金髪を、白い手袋の優雅な指先でつまみ上げる。
「隅に置けませんね、とからかってみたいところだけれど……貴方に限って、ねぇ?」
それでもどこか悪戯っぽい微笑を浮かべ、カテリーナはトレスの瞳を覗き込む。
「発言の意図が不明だ、ミラノ公。再入力を要求する」
トレスの声はやはり、微塵も揺るぎがなかった。
「貴方が私の所有物だということを忘れてはいけませんよ、ということです」
一瞬、深淵をたたえたその微笑はそのままに、さらりと言ってカテリーナは、その髪の毛を振り捨てた。
「公の発言は俺の最優先課題の根幹だ。忘却することは100%ありえない」
心なしか憤慨した様子の機械化歩兵に、カテリーナがもう一度笑いかけた時、
「そういえば……」
と、負けず劣らずたのしげな教授の声が、機械化歩兵に警戒態勢を取らせる。
「どうしました、ワーズワース博士?」
「いや、我が不肖の弟子が少々、気になることをつい先刻、言ってきましてね。
 神父トレスを怒らせてしまったような気がする。懇ろに謝りたいから、メンテナンスの時間を教えて欲しい、と……」
「まぁ、ソードダンサーが……」
言いかけて、カテリーナはトレスの顔を見、先ほど髪の毛を捨てた床を見た。美しくウェーブのかかった長い金髪……といえば。
「神父トレス、あなた……待機中に、神父ユーグと何をしていたの?」
生真面目な声で、……正直、かなり本気で、カテリーナはトレスを詰問した。
やましさなど一片もなさげなトレスは、カテリーナの剃刀色の双瞳を、まっすぐ見返して無機的に答える。
「ヴァトー神父の要請で、着席中に密着していた。
 不都合があるなら入力を、ミラノ公」


おそらく笑いをこらえたのだろう、眼を伏せて、咳き込む前のように口元を上品に押さえた教授を、カテリーナは横目で睨んだ。
視線を戻し、ある意味子供を諭すような優しい口調で、彼女の猟犬に話しかける。
「……別に問題はないわ、神父トレス。ただ、あまり同僚を甘やかしてはだめよ? 貴方には拒否する権利があるのだから……いいわね?」
「特に拒否する理由はない。――ミラノ公、そろそろ執務室へ」
あっさりと答えて、有能な機械化歩兵は主君を促す。促されつつも、カテリーナは教授を振り返り、かっちりと念を押した。
「ワーズワース博士。後で少し話があります。……何の件かわかりますね?」
「わかりますが、ミラノ公……彼らはあれでうまくやっているのですよ。イクス神父とて、決して嫌がっているわけではない」 既に飄々たるポーカーフェイスに戻った教授が、さも深刻げに顎に手を当てる。
「むしろ僕としては、いいガス抜きとして奨励するぐらいの方向で――」
「――国務聖省でセクハラが蔓延するなど、あってはならないことです」
自分のことが話題になっているとは考えていないのか、規則正しい重い足取りを崩さないトレスが、いっそ羨ましく思えてカテリーナは嘆息した。


後日、省内のセクハラ対策にミラノ公が頭を悩ませている、という噂を聞き――
「そんなものが省内に存在していたのですか?」
と、憂愁の美貌を翳らせた愛弟子に本気で尋ねられ、博士が、さすがにミラノ公への同情を禁じえなかったのはまた、別の話である。