ガラクタの眠り



教会に続く一本道を、息を切らせて少女が走る。胸が苦しいのか、それとももしや泣いているのか、その息はまるで、しゃくりあげながら走っているかのようだった。
必死の面持ちの少女に、反対側――教会から街に向けて歩いてきた神父が二人、そろって、彼女に目をとめる。片方は背が高く、片方は小柄だ。どちらも、旅塵にまみれている。だがまた、どちらも――特に背の高い方は驚くほどの――美しい顔立ちをしていた。
「あっ――神父さまっ」
歩みを止め、彼女を見ている二人連れに気づいたらしい。少女は焦ったようにたたらを踏み、だが、勢いをとめることができずにつんのめった。転ぶ! と目をつぶって、それでも、少女は手にもったものをかばうように抱きしめた。だが、彼女を襲った衝撃は、地面と激突したにしてはあまりにもやわらかなものだった。
「大丈夫か?」
甘く響く優しい声がかけられる。はっと顔を上げ、少女は自分を抱きとめて見下ろしている、若い神父の姿を見出した。ゆるくウェーブのうねる、長い金の髪の奥、もの愁う眼差しが彼女をじっと見ている。こんな時にもかかわらず、少女の心臓は勢い良く跳ねた。ありえないほどに、純粋に翠色をした、美しい眼の男だった。
いつのまに少女の傍らに立っていたのか。力強い手に支えられて、少女は姿勢を直した。腕の中の包みを見やって、事態を思い出す。とっさに神父を見上げ、挨拶も礼もなしに問いを叩きつけた。
「もうっ……もう棺は埋められてしまったのでしょうか!」
「棺……?」
整った眉を、金髪の神父がひそめたのは一瞬だった。すぐに彼は、教会の方角を一度振り返り、彼女に視線を戻すと首を横に振った。
「俺たちが出てきた時は、まだミサの最中だったと思うが」
「あ、ありがとうございます……」
形ばかりの礼をして、また走り出そうとした時――からからの喉に声がひっかかり、彼女は咳き込んだ。
「何か急用があるのか?」
金髪の神父は、心配げに彼女を覗き込む。誠実な人柄のように思われた。
「おじいちゃんが……」
一瞬、先ほどまでの涙がまたせりあがりそうで、少女は出もしないつばを飲み込んだ。
「……おじいちゃんが、死んだら一緒に棺に入れてくれって、眼鏡と……ペンを……」
そんなものを忘れていたなんて、両親も自分もなんて馬鹿だったのだろう、と、いまさらながらに彼女は己を呪う。彼女の祖父は、それなりに高名な小説家だった。眼鏡と、ペンと、そして、彼女が気を利かせた原稿用紙――出棺される前に、その躯の傍らに届けてあげなくては。
「……よければ、俺が届けるが?」
繊細なほどに整った手を差し出して、金髪の神父は彼女に手を差し出す。「ヴァトー神父」と、少し離れたところに立っていた、もうひとりの神父が彼のことを呼んだ。味気ない、ひどく冷たい声だった。怒っている、と、彼女は身をすくませた。
だが金髪の――「ヴァトー神父」は、一歩も譲ることなくただ、小柄な同僚をじっと見つめた。ヴァトー神父の方が、もう一人の神父より、いくつか年上のように見える。けれど、両者は対等だった。ただ、何かぶつけあうように見つめあっている。
やがて人形のような無表情のまま、小柄な神父は数歩歩いて彼らに近づいてきた。
「保護姿勢を」
「え?」
問い返しても返事はなかった。
ヴァトー神父は少女の手から包みを取り上げる。そして、ひどく無造作に、ふら、と一歩を踏み出した。
次の瞬間、まるで地面が縮んだかのように、金髪をなびかせた神父の姿は遠ざかっていた。
「え? ……ええっ!?」
まるで吸血鬼のような勢いで、飛ぶように去る黒い背中。それを見送る間もなく、少女は悲鳴を上げた。小柄な神父が、彼女を背後から突如持ち上げ、片腕で担ぐように抱き上げたのだ。
あまつさえ、小柄な神父は、でたらめな疾走を続ける金髪神父の後を追って、いともたやすく走り始めた。さほど速い歩調ではない。慎重に、揺れを最小限におさめて走ってくれている。余力はまだまだありそうだった。






「……怒っているのか?」
デートに30分遅刻した男のような態度と言葉をこぼし、ユーグは傍らを歩くトレスの顔を覗き込んだ。
「否定」
俺は機械だ、感情はない――そのお決まりの台詞を吐くことすらせず、トレスは一言で片づける。その声は必要以上に冷ややかに聞こえ、ユーグはため息をついて前に向き直った。
「その……すまない」
列車が一本遅れたのは、先ほどの大騒ぎ以外の何者のせいでもない。もちろんユーグは、自分の行動を後悔などしてはいなかった。無事、祖父の遺品を棺に納め、「ありがとうございました」と、泣きながら最高の笑顔で笑ってくれた少女の、あの顔を見て後悔などできるはずもない。
だが、どうしても年下の少女に甘くなる自分はともかく、トレスまで付き合わせる必要はなかったのだ。仕事を終えれば、とにかくさっさとミラノ公の傍らに帰ろうとするトレスが、機嫌を損ねるのも当然である。
「謝罪の必要はない。……卿が謝罪しても列車が止まるわけではない」
にべなく言って、トレスは振り向きもせずに歩調を速めた。とりつく島もない、とはこのことだった。
おや、とユーグは首をかしげる。どうも、今回の不機嫌は根が深い。
それでも、トレス自身がそれを意識していなければ、問いただしたとて答えは期待できない。携えた刀に眼をやって、ユーグは話の糸口を探した。
死神に語ることのできる事柄など、そう多くはない。……その名の通りの話題以外には。
「この刀は――」
ユーグは、鞘に収まったままの刀を、歩きながら眼の高さに掲げた。
「本当なら、俺が死んだら俺の棺に入れて欲しいものなんだがな。……よく切れるから、墓穴で朽ちさせるのも惜しい気がする」
この刀を彼に与えてくれたのは、彼の崇敬する師匠――ワーズワース博士だ。死んだら、師匠にお返しするべきなのかもしれない……ユーグはそう思う。だがその一方で、この「業」を抱いたまま、この「業」に貫かれたまま死にたいとも思うのだった。
――いっそ、一番いい死に方は……
禍禍しさの欠片もない、静謐に収まっている刃を眺めるユーグの瞳に、ほの昏さがある。
――君に殺され君を殺して死ぬことかもな……「ガンスリンガー」
ユーグがトレスに抱く想いは、ユーグがこの刃に抱く想いに似ている。自分がいなくなっても、彼(それ)は何一つ変わることなくまた、鞘走られて人を殺しつづけるだろう。それでいい。だが、どこかで――自分こそが、彼(それ)の最後の鞘になりたいと、そんな望みも抱きつづけている。
トレスの歩調は変わらない。ゆるぎなく前を向いたまま、機械化歩兵は無機的に答えた。
「個人に酷使された武器には、その個人特有の癖がつく。顕著な場合は、他人が使用しても、その個人が使用した場合ほどの効果を望めない」
実際、ユーグの刀は、余人が居合抜いても鞘の途中で引っかかることがある。ユーグ自身は慣れている刀の「癖」が、この五年間でひどくなっているらしい。
「他人の使用できない武器は意味がない。卿の棺に入れても問題はない」
変わらずにゆるぎない――だが、それはどこか鬱屈を含んだ声だった。
「君の“ディエス・イレ”も、君の棺に入るのか?」
その暗さに誘われたように、そんな、不吉な問いを放てば、間髪いれずに「否定」と答えが返ってきた。
「なぜ?」
「俺に墓はない」
少しずつ人通りの増えてきた道を、歩くトレスの無表情が硬い。
「俺が壊れれば、解体して使用可能な部品を再利用されるだけだ。――墓は必要ない」
その表情の硬さと、ふと差し込んだ想いに胸をつかれて、「そうか」とユーグは囁いた。
「そうか、神父トレス、君は……
 自分の墓に所有物を伴いたいわけじゃ、なかったんだな」
虚をつかれたように、歩みを止めて、トレスはユーグを見上げた。
胸の痛みにとまどいながら、ユーグは小柄な同僚の髪をさらりと撫でる。
「君は……『あの人』の墓に、一緒に入れて欲しいんじゃないのか?」


「あの人が使い潰した、大切な……大切な『遺品』として、ずっと一緒に、生体部品が朽ち果てるまで……」


ほんのわずかに、表情を持たぬはずのトレスの瞳が見開かれ――それがユーグに、己の直感の正しさを伝えた。
――なんて可哀想な人形なんだ。
それ以上かける言葉を失い、思わずユーグは人目も忘れて、トレスを引き寄せようと手を伸ばす。
だがさすがに、一瞬で我に返った機械化歩兵は、ユーグの手を避けるように一歩を退いた。
「――仮定の話は意味を持たない」
何事にも隙のないはずの機械が、そんな、とってつけたようなことを言って顔をそむけ、再び前を向いて歩き出す。
機械の中にわずか残った、残滓のような魂の、そのすべてを、黄金と深紅の女神に奪われて――……滑稽なほど必死に、どこまでも一方通行に、ただ、かの人を護りつづける哀れな人形。
その生命すら、その遺伝子すら、宿った瞬間から、……いや宿る前の「設計図」から、すべて人を殺すためだけに計画された彼が、何を望むかと思えば人並みの墓標ですらなく。
片眼鏡や、ペンや、小さなイヤリングや、十字架や……そんなものと同じレベルの渇望しか抱けない。
「ままならないものだな、神父トレス」
追いかけて歩き出したユーグは、小柄なその背中に声をかける。
トレスは歩きながら彼を振り返った。
「俺でよければ、」
追いついて手を伸ばし、その首筋――延髄のある場所にヒタリと手を当てて、
「このあたりとか、」
歩いていても揺れもしない、その義手をさらに首筋から頬、目蓋へと優しく撫でていく。
「このあたりとか、そう、この綺麗な眼も……喜んで墓に抱いていくのに」
やるせなく笑うユーグの顔を、しばらく見上げてトレスは何かを言いかけ、だが、結局何も言わずに再び前に向き直った。






デスクの上に転がっているものを、ユーグは黙然と眺めやった。濡れたように輝く、純白の小さな球体。方々から、やけに金属的なオブジェが突き出ている。
指先でつつくと、ころりと転がったそこに、透明な小さな円がはめ込まれていた。手にとって覗き込む。何が光を乱反射しているのか、ちらちらと、中に暗いオレンジの十字架が浮かび上がったような気がした。
「ヴァトー神父?」
気配には気づいていたから、ユーグは焦りはしなかった。彼は球体を手にもったままゆっくりと振り返り、想像通りの姿をそこに見出した。「ヴァトー神父」などという堅苦しい呼び方をする派遣執行官は、たったひとりしかいない。
「これは君の眼か? イクス神父」
「肯定」
「綺麗だな」
言ってからユーグは、トレスが首筋と有線したミラーシェードをかけていることに気づいた。常よりさらに人形めいて見える機械化歩兵は、どうやら今、眼球のメンテナンスを受けているらしい。
「触ったのはまずかったか?」
「否定。それはもう使用しない」
「……? なぜだ?」
ユーグは改めて、手の中のつややかな球体に見入る。傷ひとつ、入っているようには見受けられない。黒目に値する部分の、その奥の照準すら鮮やかに浮き上がって見える。
「原因は不明だ。だが動作不良が多い」
「師匠は何と?」
「ワーズワース博士は、その眼球に故障個所は存在しないと主張している」
「……なのに、見えない?」
「肯定。現在、視神経から再検査中だ」
淡々と言う機械化歩兵が、なぜか普段よりさらによそよそしく思え、ユーグはミラーシェードをひっぺがしたい衝動にかられた。
そんなユーグの心中も知らぬげに、トレスは冷たく言葉を継ぐ。
「代替品を使用したところ、光学系センサーは問題なく稼動した。やはり視神経ではなく眼球に問題があると思われる。その眼球は処分する」
「こんなに綺麗なのに……もったいない」
思わずそう声をあげると、一瞬の沈黙が、室内を支配する。やがて目隠しをした人形は、ひどく静かな声で答えた。


「なら、卿が好きにすればいい。……入れたいのなら、卿の墓に入れろ」


ユーグが言葉を見つけ出す前に、身を翻したトレスは、常と変わらぬ堅実な足取りで研究室から出て行ってしまった。


呆然とユーグは、閉められた扉と、手の中のひんやりとした義眼を見比べる。
――まさか、これは。
プレゼント、という五文字が思い浮かんだ瞬間の、己の思考のあまりの身勝手な飛躍によろめきながら、それでも、ユーグは胸元に手を押し当てる。
髪の先まで、爪の先まで、記憶端子の一片まで、あの人形は女神の所有物だというのに。
生体部品と、無数の禁則事項が生み出す矛盾や齟齬の、ぎりぎりのラインをついて……トレスはやっと、健全な眼球ひとつを、ユーグのために落としてくれたのだ。
懸命な、どこまでも真っ直ぐな、そんな人形の在り方がかなしくてならず、ユーグはその場に立ち尽くす。
「……後悔するなよ、神父トレス」
瞳を閉じ、押し当てたその義眼にそっと囁きかける。
「本当に……墓まで抱いて持っていってやる」
その吐息と、掌の熱を受けて、冷たい義眼は一瞬、ほんのりとあたたかくなったように思えた。






研究室の、教授のデスクの奥にひとつ、ケースにしまわれて、機械人形用の義眼が保管されている。新品のように磨かれたそれは、ひとりの派遣執行官が「もし私が死んだなら」と、彼の剣の師匠に預けて出て行ったものだ。
「どうして君たちは、そんなに生を急ぐんだろうねぇ……?」
優しい嘆息とともにかけられた言葉に、その派遣執行官は、困ったように笑ったものだった。
誰もが予感するように、あまりにも烈しく生きる彼が、いつかその師匠より先に死んだ時――……箱は開かれて、彼の棺に、躯の傍らに、納められるのだろう。


彼の躯が、人知れぬ場所で砕け散り、人知れぬままに朽ちていくのでなく――奇跡的に、ローマに引き取られたならば。