トレスにとって、ユーグは感情の振幅が大きく「理解しにくい」個体である。
その為、トレスは時に、様々な「テスト」によってその反応を把握しようと試みた。
なぜそんな「テスト」の必要があるのかと人が問えば、きっと当たり前のように「個体把握の為だ」と答えただろう。
だが、ユーグ以外の個体にそれほど積極的に、トレスが「テスト」を行うことはない。
そしてその事実を、トレス自身は決して気づこうとしないのだった。


一緒に寝よう、とベッドに引きずり込まれて添い寝を要求されることは、さほど珍しいことではない。
腕枕ができないのが不満だ――トレスのチタンの頭蓋骨はユーグの腕には重すぎるのだ――などと、たわけたことを囁かれるのも、稀なことではない。
勿論、こうして、眼を閉じもせずにただ、じっと隣で仰向いているトレスの、ぼんやりと光っている眼――それをユーグがまどろみながらふと、目を覚ましては見つめ、たわむれに手を伸ばしてその睫毛を撫で、振り向かせようとするのも、お互い、慣れたことだった。
甘えるように他愛なく囁きかけては、律儀に返答した人形に「就寝を推奨する、ヴァトー神父」とじろりと睨まれて、わざとらしく恐縮する。そんなことを、飽きもせずに繰り返してやっと、何か安心できたかのようにゆるゆる、まどろみはじめて枕に大人しく頭を預ける――ユーグが何を不安に思って、こんなことを繰り返すのか、トレスは知らない。ただ、求められればそれに応えた。……当たり前のように。
その「当たり前のよう」な習慣が、トレスにひとつの疑問を起こさせる。
そしてトレスはそれを即時実行に移した。
「……トレ、ス?」
眠りの淵から覚めぬ声が、とろりとトレスの名を呼ぶ。だがトレスはそれを無視した。
「神父トレス?」
今度こそはっきりと目覚めた手が、やんわりトレスの後ろ髪を撫で、軽く引く。
……そう、後ろ髪を。
トレスはユーグに背を向けるように寝返りを打ち、そのまま横臥したのだ。
「用件の入力を、ヴァトー神父」
ちら、と肩越しに視線をやるも、すぐにトレスは背を向け直し、壁を見つめたままそう言い捨てる。
「どうしてこっちを向いてくれないんだ?」
「別段の意図はない」
衣擦れの音がしてベッドがかすかに揺れ、何か熱量を持った生体反応が――恐らくはユーグの額が、トレスの背に押し当てられた。
「……俺は何か君を怒らせるようなことをしたか?」
唇が触れているのか、息が布越しにトレスの背を温める。
「否定」
「……神父トレス?」
甘い声だった。甘くて優しい声だった。そのぐらいの観念は、トレスにも理解できるつもりだった。
だがトレスは黙ったまま、ただ背を向け続けた。
アクションを起こしてから130秒が経過している。トレスは次の行動を予測した。恐らくもう一度声をかけてくるだろう。そしてはっきりと依頼するはずだ。「こちらを向いてくれないか」と……
こつん、とユーグの額がトレスの背中にやわらかく当たった。小さな吐息が僧衣を湿らせる。


そして、再び衣擦れの音と、ベッドの軋みが聞こえ――……
ユーグはごろりと寝返りを打って、トレスの身体から離れてしまった。


「……?」
表情を持たぬはずのトレスの、仮面めいたその顔にかすか、戸惑いとも、躊躇いともつかぬ気配が漂う。
後部の視覚サブセンサーと、聴覚センサーに容量を傾けて知覚を広げ、背後の様子をトレスは無言で探った。
どうやらユーグは頭の後ろで手を組み、天井を見上げた体勢で仰臥しているらしい。
予想外の反応に、トレスの思考は混乱する。こんな時に、彼の優秀な常駐戦術思考が役に立つはずもなく、トレスはしばし、ユーグに背を向けたまま木偶のように固まった。
客観的に考えれば、それは別に、じゃれてくるはずのユーグがあっさり諦めたというだけのことであり、トレスが思い悩む必要はない。だが、自分に固執するはずだったはずのユーグが、何事もなかったかのように天井を見上げているという事実は、トレスにとってひどく拘泥すべきことのように思われた。
だからといって、逆に此方がどのようなアクションを起こすべきかという判断が、機械でがちがちに固まった脳味噌に可能なわけもない。
じりじりするような数秒間。
ユーグからの反応はない。それどころか、すやすやと寝息さえたてはじめた。
後背用のサブセンサーでは、かすかな表情まで読み取ることはできない。目をつぶっているか開いているのか、それだけでも確認しなければならない、と――寝息をたてているということは、目をつぶっているに決まっているのに――そんな強迫観念めいた義務感に囚われて、トレスは身じろぐ。
そして身体の動きを最小限に抑えたまま、そろそろと振り返って横目でユーグの姿を確認した。
刹那、


「……『悪い子』だな、君は」


センサーの混乱がコンマ数秒で収まった時には、トレスはベッドの上に仰向けにされ、その左肩を掴んで彼を引き倒したユーグが、のしかかるようにして至近距離から彼の顔を覗き込んでいた。


「――放せ、ヴァトー神父。発言の意図、行動の意図ともに不明だ」
とりあえず睨みつけながらトレスがそう言い放つと、ユーグは口元をかすか吊り上げるようにして笑った。
それがいかにも勝者の余裕をたたえた笑みで、感情を持たぬはずのトレスの、微量な苛立ちを誘う。
「俺を試しただろう。相手の愛を無駄に試すのは『悪い子』のすることだ」
「試す? 否定、俺は――」
「これでもう、今日は背中なんて向けられないぞ」
のしっ。そんな音がしそうなほどがっしりと、ユーグは上半身でトレスの腹の上に乗り上げてしまう。跳ね飛ばすことは可能だが、それが本当に必須の行動かは疑問だった。
反応を選びかねているトレスの、その頬や髪をいじりながら、ユーグは鼓動打たぬ胸に頬を押しつけて囁く。
「意地悪をしないでくれよ、可愛い人。俺の心臓を止めかけた罰に、今日はこのまま寝かせてくれ」


「予想外である」という一点では同じなのに、その反応はトレスをひどく安定させた。
「肯定」
他に何を言う必要もないだろう、となぜか確信して、ただその一言だけを告げてやり、トレスはそのまま、いつものように天井を無機質に見上げる。
吐息混じりにそっと笑ったユーグが、そのついでのように、小さくあくびをした。密着した体からそれが伝わって、さらにトレスの思考をゆるやかに、フラットラインに近く安定させる。
この反応こそが正しい。
この反応を「求めて」いたのだ。
そのささやかに我侭な行動が、どれほどユーグを喜ばせたのかなど露ほども知らず、トレスはそう、ひとり断定すると機体から力を抜ききった。