数種のセンサーと戦術思考を並行処理する戦闘視野に、一人の人影が立った。
重火器による容赦ない破壊の末、見る影もなくなった彫刻つきの階段をゆっくりと降りてくる。影と映ったのは、舞い飛ぶ粉塵や割り砕かれた屋内照明のためばかりではない。その人間のまとう、黒の僧衣のせいだろう。しかしそれ以外は輝かしい光彩を放っていた。
淡くきらめく豊麗な金の髪。磁器を思わせる肌。そしてきららかなエメラルドグリーンの瞳。
敵性体と認識した次の瞬間、その姿は光学系モニターいっぱいに迫っていた。まるで、捕捉から近接までの時間が消失したかのように。
衝撃検知と同時に全回路にアラートがあふれ返る。かろうじて処理を終えたセンサーは体基幹部の断裂を伝え、押しよせる緊急信号に対処しきれず、シナプスは次々に焼き切れた。
人間ならば、痛覚閾値の限界を越えるダメージ。胸部から腰部にかけて体が斜めに切断されたことを中枢機構が認識したのと、すでにノイズにおおわれ始めた視界に、金色の斑を散らした翠の瞳が広がり────その片隅で振り上げられた銀の閃きが、自らの頸部に食いこんだのを感知したのは同時だった。
そして戦闘視野がとぎれた。
トレス・イクスは暗がりの中で瞼を上げた。
視覚センサーを作動させるだけで事足りるその起動に、人間じみたひと手間を加えたのは彼のメンテナンス担当者だ。
無駄ではなく余裕だよ────と、このタイムラグを批判したキリングドールに彼は言い、
「君がなにものであれ、人間の間に在ろうとするからには、人間が必要とする無為を受け入れたまえ」
せめて通常起動時ぐらいはね。と、パイプをかかげてきれいに片目をつぶってみせた。そのゼスチュアで、トレス・イクスは、ただでもいなしがたい相手が無敵のお茶目モードに入っていると悟ったものだ。いわゆる人間特有のこの理不尽に、稼働5年の機械が抗する術などない。
トレス・イクスはむっつりと────どこか非難をこめてまばたきを繰り返すと、傍らに首を倒した。
きらきらと輝くものが視界に入る。なだらかに波うつ金の髪────人間の髪だ。薄闇の中にほの蒼く浮かび上がって見える、黄金の流れにふちどられた絶世の美貌。機械化歩兵の暗視視野は、伏せられた長い睫毛が頬に落とす影までも見てとった。その下に、今は隠れている翠の瞳。自分の体の上に、遠慮会釈なく投げ出された腕は白く、無粋な記号が灼きこまれていた。
“ソードダンサー”ユーグ・ド・ヴァトー。
改めて認識するまでもない、それは彼の同僚だった。
トレス・イクスがユーグ・ド・ヴァトーとこのような夜を共にすごすようになってまだ日は浅い。そして、頑強な派遣執行官と言えども、人間の例に洩れず、ユーグもその行為のあとはトレスの傍でよく眠った。
トレス自身はと言えば、生身の肉体の脆弱さとは無縁であるがため、わずかしか休眠を必要としない。が、生身の脳を持つがゆえに、全く眠らないと言うわけにもいかなかった。
外的センサーの6割強を視覚に振り分ける脳の構造上、トレスもまた睡眠中にタスクのバグとも言うべき映像を脳裏に宿す。
すなわち、夢を。視るのだ────
「────トレス…?」
いぶかしげな声がたった。確認するまでもなく、この室内にいる一人きりの人間────ユーグのものだ。身じろぎが、ベッドに思いのほか大きな振動を与えたせいだろう。なにしろトレスの自重は、装備を軽減した今でさえ140kgもあるのだ。
「神父トレス?どうかしたのか?」
今さら寝たフリ────なんて考えもつかない機械化歩兵は、顔を上げて、すぐ目の前にある世にもうるわしい貌を睨むように見つめる。
「────否定。何も問題はない。もう一度就寝を、ヴァトー神父。卿が先に眠りについてから、6859秒が経過したばかりだ。早朝ミサの刻限まではまだ10000秒以上の余剰時間がある」
「2時間経ってる?」
トレスの言葉に、ユーグ・ド・ヴァトーは伸び上がった。どうやらトレスの忠告を無視して逆に眠気を払っているらしい。
奔放な仕草で、輝くばかり白い裸身をのびやかにうねらせ、ユーグはトレスにより近く身を寄せた。
「それはちがうな」
ささやき声で、とっておきの笑みと共に告げる。
「正確には、寝ていたのは1時間ほどだ。差し引きの1時間分は、ずっと君を見ていた」
「俺を?卿の行動は意図不明だ。休止状態にある非鑑賞用の機械を眺めるメリットはない」
「君はじゅうぶん鑑賞に値するさ、神父トレス────」
ユーグは喉声で含み笑いながら、長い指先をのばして、ほっそりとしたトレスの顎をくすぐるように愛撫した。
「それに、君がごく自然に休止するタイミングにはなかなか出くわさないから、こんなにおだやかに眠っている姿は新鮮でかわいい」
「────卿の美醜観念は一般のそれと齟齬が生じていると推定される。可及的速やかに改善するよう勧告しておく」
『医者に行け』。と、人間だったら言われたに等しい発言はユーグを哄笑させたが、彼はすぐ手を口にあてた。今はまだ真夜中なのだ。
「それはそうと────どうしたんだ?神父トレス。体内装備のアトミッククォーツが、ベルを鳴らす時間をまちがえたのか?」
通常3時間ほど休眠する彼にしては、いつになく早い起床だ。が、揶揄されても、機械化歩兵はどこまでもまじめだった。
「否定。仮想領域にプールされた記憶データをメモリーに書き換える際、情報処理ルーチンにバグが生じ、既保存済みデータと混在した。そのためシナプスが疑似活動を行い、覚醒したものと思われる」
「バグでデータが混在した?」
ただならぬ単語が飛び出して、ユーグは片肘ついて半身を起こす。
「師匠に言って───」
「無用だ。休止中の脳で、外付機構に一時保存されたデータを記憶野に移し換える時、中枢機構から無作為に取り出されたデータが、逆流する形で視覚野に再生されるのはよくあることだ」
「────それはつまり───」
ユーグはいささかならず驚愕の面持ちでたずね直した。
「夢、のことか?」
「肯定。ワーズワース博士も同じ見解に達した」
トレス・イクスの返答はあいもかわらずよどみない。最初の驚きからさめたユーグは、次の事実に思い当たった。
「悪い夢だったのか?」
夜中に突然飛び起きると言えば、他にあるまい。けれどトレスは沈黙した。夢の良し悪しと言う概念が、今ひとつわからなかったのかもしれない。
「何の夢だったんだ?」
質問を変えてみると、面食らうような回答が返ってきた。
「卿の夢だ」
「なに?」
気を悪くして、ではなく驚きで眉をひそめたユーグだったが、続く言葉はさらに意外なものだった。
キリングドールは言った。
「卿に破壊され、機能停止させられた時の夢だ」
「ちょっとまて。夢とは言えそれはひどいだろう。俺は君を殺したことなんかないぞ」
声に不快がにじむ。本人には無自覚ながら、相手の“夢”に対するこの支離滅裂な非難は、かつて彼と死闘を行ったことへの自責の念も作用していた。
知ってか知らずでか、トレスは素直に首肯をくれた。
「肯定だ。卿が俺───HC-IIIX個体を破壊した事実はない。それが行われたのはHC-VIIIX。聖天使城内宮の2F階段室廊下に於いて、卿は一撃でVIIIXの機体を腰斬し、続く二撃で頸部を切断した。卿の反射反応はVIIIXの予測値をはるかに上回っていたため、VIIIXは卿をモニター及びセンサーのいずれにも捕捉できず、また、対物走査補正の余地もないままに破壊された。今より約2012日前のことだ」
あまりにも淡々と語られて、ユーグはあぜんとした。ショッキングな内容に動揺したのではない。驚いたのは、5年前の聖天使城襲撃時の他の個体の戦闘状況とその帰結を、この相手が完璧に記憶していると言うその事実だった。
5年前のあの日、10体のキリングドールズ・マシナリーの圧倒的な戦力を前に、聖天使城は、そしてヴァチカンは、壊滅の危機に瀕していた。
それを救ったのが、教理聖省長官フランチェスコ管轄下の異端審問官たちと、当時国務聖省長官として就任したばかりだったカテリーナの私兵集団────後のAxとなる超絶的な戦闘力を持つ異能力者たちで、ユーグもその一人だった。
打ち砕かれた大理石と水漆喰のかけらに混じって、引き裂かれた人体のパーツが散乱する悲惨な廊下に降り立ち、ユーグ・ド・ヴァトーは壁もろともひび割れた水道管からふりそそぐ水と、ばらまかれた体組織から流れ出た赤黒い液体を蹴立てて疾走、その飛沫の中から斬撃をくりだした。
手加減はしなかった。
足下に散らばる、もはや男女の区別もつかぬ無残な物体が無言で訴えるように、相手もまたそうだったのだから。
しかしそれを。そのすべてを。
「─────君が知っているとは思わなかった……」
呆然とつぶやくユーグに、キリングドールはきらっと光を宿した瞳を向けた。
「初起動時、HCシリーズにはレゾナンス・システムが組みこまれていた。これにより、10体の機体のいずれもが、ある種の電気信号を介して互いの戦闘記憶の逐次交換を行っていた。従って、各個体が全機体の直面する状況及び各々の身体状態を把握することが可能だった」
それは、起動後に当然生じるはずの、機体それぞれの経験値のばらつきによる能力差異をなくすためのものだろう。一体が得た戦闘データを、瞬時に他の個体も共有できるなら、こんな効率的なことはない。しかし、
「レゾナンス・システム?」
耳慣れない語句を捉えて、ユーグが首をかしげる。キリングドールはさらにレクチャーを続けた。
「レゾナンス・システムとは、脳内微弱電流を利用した共振・共鳴作用によって、一定の電荷を相互に交換することを可能としたシステムのことだ。同一、あるいは酷似した遺伝形質を持つ個体同士によってのみ可能とされ、当時画期的なシステムとして理論上は確立していた」
「いわゆる精神感応か?」
「近いがちがう。精神感応───テレパシーではなく、シンパシーと呼ばれるものにより近いと、ガリバルディ博士のデータにはあった」
つまり、『双子の不思議』や『虫の知らせ』のたぐいを強化したものなのだろう。
「今も────そのシステムは稼働しているのか?」
恐れを含んで問われたのは、ドゥオ・イクス───異端審問官としての名はブラザー・バルトロマイ───の存在を聞き知ってのことだった。教理聖省に属し、今は生死不明とされるトレスの兄弟機────キリングドールズの生き残りの一人。故に、
「否定」
とのトレスの返答は、ユーグに、我知らず張りつめさせていた息をほどかせた。次に投げかけられた、より衝撃的な事実に直面するまでは。
「レゾナンス・システムの演算機構である補助脳は、聖天使城襲撃の際の機体損傷に伴って損失。アッシジにて確認されたIIX機にも痕跡は認められなかった。他ナンバーの同型機は全て破棄されたものと仮定して、全機装備をロストしたものと推定する」
「補助脳?」
もう何度目になるのか、できの悪い生徒のようにおうむ返しの質問を返すユーグ。トレスの無機質な解説の中に織りこまれたその単語は、ひどく不吉な響きを帯びていた。
トレスは無表情にリピートした。
「“補助脳”だ。クローニングされた大脳サンプルのうち、脳神経の一部───松果体に相当する部分のみを増殖培養したものを、延髄の直上に連結して搭載する。原理は昆虫類の間接脳と同様だが、仕組み及び使用目的は完全に異なる」
「わかった────もういい。もうやめてくれ、神父トレス」
聞き終えたユーグはそれ以上声もなく寝台にくずおれた。
なんと言う罪深い───なんと神を畏れぬ所業であることか。HCシリーズが書類上からも完全に抹殺・破棄された一連の事情は、むろん彼も知るところではあるが、改めて────それも当の本人の口から示唆されると、これはまたなんと恐るべき罪なのか。
生体脳を、さながら電脳知性の演算中枢代わりに用いた機械化歩兵団。生まれる前から機械に接続され、それ以外の環境を知ることなく適応した子どもたち。
ユーグはそのようにHCシリーズを────トレス・イクスを理解していた。
しかし、10体の機体全てに使用された脳が、同じ個体をクローニングしたものであることからわかるように、実用に耐えた実験体は、たった一人きりだったのだ。
求められたのは、人工物への拒否反応がなく、シナプスの100%が接続可能で、かつ、複雑なシステムや多種多様な武器を使いこなせる優秀な知能。しかも、多岐にわたり変化に富んだ戦場・戦況に対し、臨機応変に対処できる柔軟さをもあわせ持ち、なにより命令には絶対服従する従順な性質。
まるで神話の戦士だ。これら、夢物語のような条件を満たす可能性のある被験者を見出すだけでも、相当な試行錯誤がくりかえされたことはまちがいない。
完璧な殺戮人形の完成を見るまで、一体どれだけの受精卵が意図的に集められ、何人の子どもたちが作為的に育てられたのだろう。そしてその子たちは、どうなったのだろうか。
“完成品”であるHCシリーズ試作機の、仮面のように表情の抜け落ちた白い面を見つめながら、ユーグはかけるべき言葉も見つけられなかった。
ただあまりに重いその何かが────逆に彼の腕を上げさせた。やはり人の手になる、その腕を。
「──────すまない」
人工の腕の中に、人工物で造られた体を抱きしめる。よりそったことでベッドの中央が大きくたわんだが、400kgまで耐えられる特注のスプリングは、わずかに不満そうな軋みをたてただけだった。
「───謝罪の必要は皆無だ。ヴァトー神父」
そしてトレス・イクスの返答は、いつもと同じように平板なものだった。
「聖天使城で、HCは敵性体を全て抹殺するよう指令を受けていた。卿が破壊しなければ、VIIIXが卿を殺していたことは疑う余地がない。卿の行動は正しかった」
「───それでも悪かった」
一度目はそうとは知らず、二度目は明確な意思を持ってこの相手と殺しあいを演じたソードダンサーは、より深く彼を抱きこんだ。トレスの体とベッドの間でつくりものの腕がぎしぎしと悲鳴を上げたが、それでもユーグは彼を離さなかった。
「二度と君に剣を向けたりはしない。誓う。トレス・イクス」
頭を上げると、流れ落ちる金の髪に半ばうずもれた白い貌が、こちらを見上げていた。冷たく整った面の中、深い夜の色に沈んだ瞳の底で、ユーグのそれを映したかのような黄金のまたたきがひとつ、強く輝く。
「─────知っている。ヴァトー神父」
機械音声が紡ぐ声の、揺るぎない響き。ユーグはためいきをつき、まるで許しを請うように、秀でたなめらかな額にくちづけした。
「……トレス。君を─────」
睦言めいて吐息まじりのささやきを、
「─────知っている。ヴァトー神父」
やはり変わらぬ声音が迎え入れ。
それがユーグの悔いに満ちた苦悩の上に、あたたかい雨のようにこぼたれた。
そして、また。
その夜以来、トレス・イクスが、初起動時に負った精神的外傷によるフラッシュバックのために休眠を妨げられることはなくなったのだった。