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二人の神父が通りを歩いていた。 一人はほっそりとして小柄な青年で、端正ながらおそろしく無愛想な顔をまっすぐに上げたまま、石畳を踏み割りそうな戞然とした足取りで進んで行く。 今一人は、その連れとは対照的に典雅に歩を運びつつも、男女問わずすれちがった人間を振り返らせずにはおかない、驚くべき美貌の青年。 コードネーム“ガンスリンガー”と“ソードダンサー”。同じ黒の僧衣をまとい、同じ血闇の気配をそこはかとなくたなびかせた、彼らは派遣執行官だった。 もう午に近いとはいえ、旧街道沿いの通りは往来が激しい。馬車が埃を蹴立てて行き交い、辻々では見せ物の口上や、通路に日よけを差し掛けて小商いに励む行商人の呼びこみの声が、絶え間ない喧噪となって降り注いでいる。 そのまっただ中で、突然二人づれの内の一人―――ユーグ・ド・ヴァトー神父が立ち止まった。 「ヴァトー神父」 連れだって歩いていた片割れ―――トレス・イクス神父が、催促とも疑問ともつかない抑揚の欠けた声音で呼びかける。 「何か問題が発生したのか?それなら申告を」 律儀に立ち止まって首を傾けた相方の肩に手をおいて、ユーグは素直に申し出た。 「腹がへった。なんだか足にも力が入らないようだ」 ――いわゆる金髪翠瞳の美形の口から発されるには、あまりそぐわないセリフである。しかし、それを浴びせられた方の返答は更に散文的だった。 「肯定だ。卿が最後に補給活動を行ってから、774分が経過している。血糖値は100を切っていると推定され、筋組織及び深部細胞の備蓄カロリーもエンプティに近いだろう。脳内シナプスの不活性化も著しいと推測される」 「―――つまり13時間近く食事をしてないってことか・・・」 低血糖の脳には過負荷なだけの、ムダに詳細な解説を一切はしょって、ユーグは根本的なところだけ理解した。 「事物に集中するあまり心身の保持に顧慮しないのは、卿の悪癖だ」 そっけなく言い捨てて、ガンスリンガーは肩に置かれた手をどけた。が、突き放しはせずに、そのまま相手の肘をつかんで引きずるように歩き出す。 「イクス神父?」 「帰還予定時刻まで4976秒の余剰時間がある。その間に補給を行うことを推奨する」 抵抗する力も気力も今ひとつなソードダンサーは、彼より小さな同僚に手を引かれるまま、おとなしく歩いた。 ガンスリンガーがソードダンサーを連れこんだのは、彼が空腹を訴えた場所から最短距離にあったオープンカフェだった。ユーグは飢え死にしかけている青年にふさわしい量を注文をし、結果、焼きたてのパンを盛ったバスケットと、チコリとグリーンレタスのサラダ、ポーチドエッグにソーセージ、ヨーグルト、ボウルたっぷりのカフェオレと言った、いかにもなフランク的ブランチがテーブルを占拠したのだった。 料理がならぶと、ユーグはさっそくそれを平らげにかかった。 彼の向かいの席についたトレスは、『待機中』の札が鼻先にぶら下がっているのが見えるような顔で、むっつりと黙りこんでいる。 エネルギー補給を食事と言う方法によらないトレスは、こんな時やることがない。と言って、会話やコミュニケーションで時間を消化すると言う選択も、キリングドールにはなかった。 勢い、残された『観察』と言う方向に、彼の機能は向かう。 すなわち、彼の同僚の動向に。 よほど空腹だったと見えて、ユーグは黙々と食事にいそしんでいる。若者にありがちな、オオカミのように効率の良い食べ方だ。 そのくせ、ひどく優雅だった。 幼少時より彼の血肉に溶けこんだ修身の賜物か、それとも長じて骨身に叩きこまれた鍛錬の余得なのか。 そうでなくても見ているだけで快感を覚えそうな美貌の主が、その名にふさわしい優美な所作でパンをちぎり、サラダを口に運ぶ。無駄と言うものが全くない動作が網膜に残すのは、まろやかな曲線といさぎよい直線の調和。まさに舞のそれだ。 もっともトレスの場合、同僚の見目かたちも、統計学的平均値と過去数百年間の文化背景を参照して、そのパーツの配置・形状・色彩が、より大勢に受容され得るものだという認識があるのみだったし、その芸術的なまでに洗練されたふるまいでさえ、空間認知における効率的な変移として捉えているに過ぎない。 とは言え、彼が、その光学センサーを通してもたらされる全てを、単なる画像処理に留めているだけではないと言うこともまた、事実ではあったが。 典雅な食事風景をながめる内に、トレスの視線はふとユーグの手元に落ちた。 今、彼はクロワッサンを手に持ち、片方の指先でつまむように軽く触れながら、手首をひねってひとかけらちぎった所だ。どういう仕組みになっているのか、わずかばかり粉が落ちるだけで、薄い皮まで上手に裂きとっている。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 トレスは視野領域を広げて、他のテーブルをサーチした。 中間時間帯とあって店内は空席が目立ったが、デート中のカップルや、地図を広げておしゃべりしている観光客、交渉中とおぼしい商人づれなど、そこそこ人が入っている。中には、ユーグのように所狭しと皿を並べている客もいて、トレスはそれらのテーブルの上に焦点を絞った。 クロワッサンの置かれている皿には例外なく、ばらばらに砕けた薄皮のかけらが散乱している。 また視野を狭めて自分たちのテーブルに戻ってみると、彼の同僚はふたつめのパンを置いたところだった。あいかわらずきれいなままの、白い皿の上に。 「どうした?ガンスリンガー」 その凝視に気づいたのだろう。ユーグが手を止めてたずねた。 「・・・卿はそれを扱うために、何か特殊な技能を習得しているのか?」 「うん?なんだって?」 とっさに言われたことがわからず、ユーグがたずね返す。 「卿が摂取しているその、バターを多用した生地をひとつづりに巻き上げて焼いたパンのことだ。膨張した生地の間に構築された多層構造によって、断裂が一定方向に連鎖する上表層の剥離がはなはだしく、また加圧すると容易に各層の圧縮破壊が引き起こされるため手指で扱うのは困難と見られる。にもかかわらず卿は」 「ちょっとまて、神父トレス」 そのあたりでようやくユーグは、トレスの長々しい解説をさえぎった。 「要するに君は、つぶれやすいクロワッサンをうまくちぎるのに、コツがあるのかどうかとたずねているのか?」 「肯定」 ユーグの要約を、ガンスリンガーは謹厳に――しかしどこか子どものような率直さで容認した。対してソードダンサーは、頭痛を覚えているがごとくこめかみに指先をあてる。 とても食べ物について語っているとは思えない、機械人形の言である。 が、根が善良なユーグは、同僚でもあるどこぞの傭兵くずれのように、「ここでデタラメ教えてやったらおもしれ―だろうなあ」などとは思わなかったし、当然、それを実行して後々とんでもない騒動の震源となり果てる道を選んだりはしなかった。 さりとて、このなりゆきにまったく興を覚えなかったわけではない。 ややかしげた顔を再び正面にもどした時、ユーグは、「待ち」の姿勢できまじめにこちらを見返している、蒼天の色のガラスの瞳にほほえみかけた。 ためいきの出るような美貌に加え、やわらかくすがめられた翠晶の瞳が切子細工さながらにきらめく、まぶしいほどの笑みである。相手が女性なら、一発で幻惑されることまちがいなしだ。 が、もちろん、腺はおろか血管すら持たない機械化歩兵は、道に外れた感慨を抱くには至らなかった。 「回答の入力を要請する。ソードダンサー」 無味乾燥な要求を無味乾燥な声音がつむぐ。しかし、ユーグはにこりと、さらに楽しそうに含み笑った。 「パンをちぎるのに、別にコツなんかないさ。まあ、そうだな、慣れというやつかな。――よし、」 うなずくや、ユーグはバスケットの中からクロワッサンを取り出して、トレスの前の皿にのせた。 当然のことながら、機械化歩兵は水ひとつオーダーしなかったのだが、食事をシェアする可能性を慮ったウェイターが、トレスの前にもテーブルウェアを整えていたのである。 「・・・?ヴァトー神父?」 呼びかけには、コンマ数瞬のタイムラグ。キリングドールの反応をほんのわずか遅らせることに成功したソードダンサーは、きげんよく笑いながら言ってのけた。 「やってみればいい。案外君は上手かも知れないぞ。ガンスリンガー」 「・・・・俺はパンなど扱ったことはないし、またその必要もない」 返答は、さらに遅れること数秒。彼なりにそれを試みることを検証してみたらしい。ますます笑みを深くしながら、ユーグは言いつのった。 「何事も経験と言うじゃないか。心配するな、神父トレス。まかりまちがって君がそれを握り潰してしまっても、俺がきちんと食べるから。食物をムダにしたりはしないさ」 な?と強く促されて、トレスは皿の上に目線を戻した。彼に表情筋というものが設定されていたなら、きっとその眉間にはしわが寄っていただろう。 「手袋はとれよ。バターで汚れる」 親切ぶって忠告してやりながらも、 (もしかしたら、怒って席を立ってしまうかな?) と一瞬ユーグは懸念したが、それは杞憂に終わった。 その、著しく偏頗に制御されているはずの思考回路の、一体どの部分が知識の更改を要請したかは知らない。 が、トレスは神妙な顔つきのままおもむろに手袋を外すと、きつね色のふんわりとした塊を、まるで振動感知起爆装置つきの爆発物でもあるかのように、慎重かつしかつめらしい手つきで取り上げたのだった。 蒼く冷たい瞳の中で、蜜色の閃きが踊る。 どうやら、先に見たユーグの動作をメモリから引き出して、光学再生しているらしい。新規作業を遂行可能と確信できるまでの演算と仮想演習―――イメージトレーニングと言う奴だ。 ユーグが興味深そうに見つめていた、実にまばたき二つ分の沈思のうちに、この優秀な機械人形は、グリッドと記号で構成された内的世界からこの世に戻ってきた。 続く動作でなめらかに首をかたむけ、自身の手の中にある雲のようなやわらかい物体に焦点を絞りなおす。 「・・・シミュレーション終了。リピートを開始する」 『いただきます』にしちゃ味気ないな。 などと、ユーグがやくたいもないことを考えている間に、トレスは先刻の彼の動作を再現し始める。 機械の指先がパンの端をとらえ、ひねって裂こうとし――とたん、ぺしゃんこに潰してしまった。ご丁寧に、固定した方もちぎろうとした方も、両方いっぺんに。 一瞬のことで、ユーグも声すら出ない。 動きそのものはトレースできたようだが、微妙な力加減まではデータを取りきれなかったようだ。 いびつに歪んだクロワッサンを、今さらながら注意深くつかみつつ、キリングドールは目を上げてユーグの顔を見た。あいかわらず、容子のうかがえない無表情である。が、続く沈黙にはどこかとほうにくれた感があり、ユーグは吹き出さないようにするのに苦労した。 「やはりこれは俺の適性外作業だ」 そう結論づけると、トレスは手の中のひしゃげたパンを皿に戻そうとした。 機械にも失望というものがあるのかどうか、ユーグにはわからなかったが、いつもの仏頂面がひどくがんぜなく思えて、 「まあ待て。神父トレス」 と、彼は身を乗り出した。 「少々形が変わってもパンはパンだ。味だってさして落ちるわけじゃないし、食べられるさ」 例え相手が木石でも感じ入るだろう優しい声でなぐさめながら、その一方でユーグはほら、と口を開けて見せた。 「?何だ、ヴァトー神父?」 「にぶいな。そのちぎった方のパンをくれ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ―――つまり、食べさせろと言っているのだ。この、目の覚めるような美貌を載っけた一応職業聖職の成人男性が、細身で端正な美形とは言えれっきとした男性型殺戮人形(しかもこちらも聖職者)に。 双方見てくれは並以上とは言い条、それはちょっと―――いやかなり、問題あるだろう。 一瞬のいくつかが過ぎた。 ユーグがそろそろ後悔しはじめた頃、なにを思ったかこのキリングドールは、ちぎりとったパンの一片を、餌乞いするひな鳥よろしく待っている男の口に放りこんだのである。 はむ。 機械化歩兵の指が舌に触れた瞬間、ほとんど神速でユーグの口が閉じる。 歯は、降りていない。咀嚼の気配は無かった。 けれどトレスの触覚センサーと熱感知センサーは、あたたかく湿っている、つるりとした感覚を大脳に伝達する。 生きもの内膜の感触だ。しかも、自在に動く数少ない部位。 相手の口腔にやわやわと指をはまれ、あまつさえ舌でなぶられていることをトレスが認識するには、実のところ彼の視覚センサーだけで充分ではあったのだが。 「・・・・ヴァトー神父」 心なしか非常に不穏な気配をはらんだ呼びかけに、しかし目の前の男は、 「バターがついてるんだ」 と悪びれもしない。この返答の間にも、逃がすまいとするかようにトレスの指をかるく噛み押さえながら、ぬけぬけとほざく。 「君の指にはちゃんと指紋も彫りこまれてるんだな。凹凸がある。・・・・知らなかった」 確かに、指紋のようなきわめて精緻な造形は、舌でなければ感知できないだろう。そこは味覚を司るだけでなく、人体の中でもっとも鋭敏な触覚器官でもあるのだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ガンスリンガーは黙ったまま、いまだしつこく指先に舌をあてて確かめている口内から、厳然として指を引き抜いた。 拒絶とも取れる無感動かつ無慈悲な仕草であるが、ユーグは、驚きも哀しみも見せなかった。 殺戮機械の指先。そこに秘められているはずの暴戻は、この時かけらも現れ出はしなかったからだ。 そうと望めば、ユーグの顎を引きちぎって取り出すこともできたであろう、その指先。そしてその主を。 ユーグはやさしいほほえみで見つめた。常変わりなく見つめ返すガラスのまなざし、その奥に潜んでいる、彼にとってこの世で唯一無二の奇跡の具現に語りかけるように。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 暫し、無言の対峙があって。 先に目をそらしたのはトレスの方だった。 彼は目線を下に降ろし、必然的にテーブルの上の己の手にそれは落ち、そしてその視点はまだ片手に握りこまれたままのパンに移る。 指先は、あたりまえのようにそれをむしり。 またこちらに戻ってきた視線に、ほほえみを留めたままのユーグの唇はてらいなく開かれた。 与えられたひとかけらは、先のものよりいくぶん弾力を残しており、ユーグはこの優れた人形が、またひとつ学習したのを知った。 それから、件のパンがすべてユーグの胃におさまるまでの幾回か。 キリングドールは着実な進歩を見せながら謹直にパンをちぎり続け、その度ごとに香ばしい味わいとなめらかな触感でソードダンサーの舌を楽しませたのだった。 さて、俗に悪事千里を走るの例えもあるが。 旧街道添いのカフェなどと言うむちゃくちゃ人目に立つ場所で、新婚さんも裸足で逃げ出すほどの甘々っぷり披露した二人の神父の話は、たちまち人口に膾炙するところとなった。 噂は即日その上司の耳に入り、二人がこっぴどく怒られたのは言うまでもない。 |