最愛の親友の亡骸を抱えて、レゴラスは途方に暮れていた。彼は、この物堅いドワーフに、埋葬の場所の希望を問い忘れたのだ。
彼とこの親友のために、トル・エレスセアの内陸に用意された、一軒の家の寝台の上。支えるようにドワーフを抱いて、レゴラスは、ぼんやりと物思いにふけっていた。
ガンダルフは、そのまま彼を一晩放置した。一夜明けて、彼らの家を訪れて、ガンダルフはそこに、先夜からまったく変わらず、少し困ったように首を傾げたまま、考え込んでいるエルフの姿と、その腕の中でゆったりと眠る、白髪のドワーフの姿を見つけた。
ねぇ、ミスランディア、ギムリが起きてくれないんですよ。
そんな言葉を、このエルフが吐いたなら。
そうか、それは困ったのう、どうせまたおまえさんが悪戯でも仕掛けたんじゃろう――そう言って呵呵と笑ってやれるのではないか。そうしたら、あの腕の中のドワーフが、うるさげに、おもたげに、存外つぶらなあの黒い目を開くのではないか。
そんな埒もないことを考えながら、ガンダルフは、レゴラスの肩を軽く叩き、見上げて来る常磐緑の瞳を覗き込んだ。
「埋めてやらにゃならんぞ、レゴラス、緑葉のレゴラスよ。ギムリはうつし世の労苦から放たれたのじゃ。彼の体は土に返し、魂はアウレにお返しするべきではないか」
「でもミスランディア、」
さえずるように美しいシンダールの声。なにか欠落したようにただ、美しい。
「わたしは、彼にどこに埋めてほしいか聞くのを忘れてしまったのですよ」
「ホビットたちの隣がよかろう。東の岸、遠く中つ国をみはるかす丘の上に、彼らが眠っとるのは、おまえさんも承知しておるな。
 ギムリも、エルフばかりが傍におっては落ち着きもせんだろうが、なに、ビルボとフロドとサムが一緒におったなら、淋しくはなかろうて」
レゴラスはぼんやりとガンダルフを見上げていたが、やがてこくりと素直に頷いて、ドワーフの身体をガンダルフに差し出した。冷たく、硬く、軽いドワーフの小さな身体を。


レゴラスはひとりで埋葬を終えた。ガンダルフはパイプをくゆらせ、ホビットたちの墓に低い声で話しかけながら、じっと、レゴラスの作業を眺めていた。そういえば、この面倒くさがりの王子が、土木作業など真面目にしている姿はめったに見れるものではなかった。
多くのエルフが、レゴラスの悲歎を気遣って、だが、何も言うことなく、ある者は小さな花を、ある者は糸杉の樹を、持ちよっては彼に与え、彼はそれを、せっせとドワーフと、三人のホビットの墓の周りに植えていった。埋葬とは死者ではなく、取り残された生者を癒すための儀式である。それを知るエルフは、森のエルフが愛する木々や、花や、鳥を連れて来ては墓に与え、丘は緑に溢れた。
太陽が昇り、月がさまよった。そのどちらもが姿をひそめかける薄暮の時間。レゴラスは不意に手を止めた。
ギムリが昔、ホビットたちの墓の傍らに、腰掛けて長く話ができるようにと、据えた小さな岩。そこに腰掛け、ずっと、パイプを片手にエルフを見守っていたガンダルフが、その後ろ姿を見据える。
「ミスランディア」
おだやかな、かなしい、明るいあの声であった。
「何かねレゴラス」
パイプを口から離して問う。
「ボロミアは良い男だったね、なんて高潔なひとだったのだろう! ただ、ひとはとても綺麗なものと、とても醜いものを持ちあわせているのだったね、それをわたしに教えてくれたのはボロミアだった」
「そうか」
「メリーとピピンは、本当に、眼を閉じる時まで彼らそのままでしたよ、素敵に愉快で、ねぇ、じゃあ、また逢おうね、とでも言うかのように、かろやかにお別れを言ったものだよ!」
「そうじゃろうな」
「アラゴルンはね、わたしは旅立ちの時には逢えなかった、やっぱり夕星王妃のお邪魔をしてはいけないからね。でも綺麗な顔だった、わたしの知っている顔が皆そこに映っていたよ!」
「なるほど」
「フロドは癒されたのだねぇ! 癒したのはこの島だったのだろうか、それとも、サムが来てくれたからだろうか、それとも、彼がもってきたパイプ草のおかげだったりして、わたしにはわからないけれど、彼が癒されたから、サムも癒されたのだろうねぇ!」
「わしもそう思う」
「ギムリは、」
少しレゴラスは黙ってから、ややあって、ミスランディアに背を向けたまま、墓標をそっと撫でた。
「ギムリは、わたしはなんてすごいひとだろうと思ったよ、ドワーフの故郷から遠く離れてたったひとり、この地で息を引き取る瞬間に、あんな風に、自分がしあわせだったといえるなんて!」
「……レゴラス、」
「さぁ、ミスランディア!」
不意にレゴラスは振り返った。
常と変わらぬやわらかい、悲しみと喜びをまじえた美しい顔、その中できらきらと、エレスサールのように双瞳が緑の光を放っていた。
「あなたで最後だ、ミスランディア! もうフロドも、サムも、ギムリもいない、わたしが見送る旅の仲間は、ミスランディア、あなたが最後なのです!」
ガンダルフは視線を逸らし、ゆっくりと、四つの墓を順番に見て取った。
「この横にわしの墓を作れと?
 おまえさんはわしに死ねと言っておるのかね、レゴラス、中つ国の最後の緑葉よ」
レゴラスの言いたいことは、本当はガンダルフにも分かっていたに違いない。なぜなら彼は、レゴラスがおそろしく綺麗ににっこりと笑い、首を振った時にも驚きはしなかった。
「いいえ、……いいえ、ミスランディア、わたしはあなたを知っている、この島に辿り着いてから、幾多のエルフが教えてくれた、ミスランディア、
 ……おお、そうですとも、腰の曲がり、節々の痛む老人ミスランディアなどでは決してない、あなたの真の姿を。彼らは教えてくれたのですよ、


 オローリン!」


わたしはすべての旅の仲間を見送るのが定めなのだよ、と、レゴラスは常々言っていた。
彼はそのために120年の間、中つ国にとどまったと言っても過言ではない。
この常磐緑の双瞳は、己を除く8人の生き様をつぶさに見つめ、そして、その終わりをすべて見届け、己の胸にしっかりと抱いて、そして、その度に、悲歎に胸を裂かれながらも明るく笑って生きていく。
8人の死に顔を胸に刻み。
最後のひとりとして、とこしえに生きることで、彼らのことをこの世界に埋もれさせない。
歌を作り、思い出を語り、彼自身が存在しつづけることで、8人もまた生きつづけているのだと……悲壮な決意などではなく。彼は呼吸するように自然に、定命の子と共に運命を分かったエルフ、というものの生き様を心得ている。
エルロンドが教えずとも。ガンダルフが語らずとも。


そして今、レゴラスが最後のひとりを見送る時が来たのだ。


「もう、ごまかさなければいけない相手はいない。
 あなたはその重い殻を脱いで自由になって良いはずです、偉大なるマイア、ヴァラールの使者、マンウェとヴァルダに愛されしあなた、オローリン。あなたはそれだけのことを成し遂げたのだから。
 そうしてわたしは最後のひとりを見送り、ミスランディアは思い出の中の人になり、わたしはただひとり、徒歩(かち)の九人の最後のひとりとなるのです。定めの指し示すままに!」
レゴラスの口調は微妙に変化し、いつのまにか、大好きな灰色爺さまへの言葉ではなく、エルフをこよなくいつくしむマイアへの言葉を使っていた。
ガンダルフは答えず、レゴラスをじっと見つめたまま、ゆっくりとパイプを吹かし、答えることはない。
レゴラスも挑むように、薄暮の中に炯炯と瞳を光らせたまま、ガンダルフのことを見つめていた。


すべての、「輝かしき時」は、いつか思い出にうずもれる。
レゴラスにとっては、その時が今だった。
指輪の仲間はレゴラスをおいてすべてが去り。その代わりに、イスタリとして派遣された5人のマイアの中でただひとり、偉業を成し遂げたオローリンという、遠い存在がその場に残る。
炯炯と輝く緑の光を、ガンダルフは見つめて動かない。
だがやがて、黙ったまま口からパイプを離し、小さく息を吐き出すと立ち上がった。


「ミスランディア」
かなしく、あかるく、やさしい、シンダールの魔法の声。
いとしいこの名を呼ぶのもこれが最後と、すべての想いを込めた声。
ガンダルフはゆっくりと、灰色の長衣を引きずって歩くとレゴラスの目の前に立ち、


「この、ばかもの」
ぽかり、と容赦ない力でレゴラスの頭に杖の直撃を食らわせた。


「あイタ!?」
思わず頭を抱えて飛びのいたレゴラスに、容赦ない言葉の速射が浴びせられる。
まさしくそれは、ピピンが昔、「掛け値なしのガンダルフ節」と笑って評した口調だった。
「まったく、何を考えておるんじゃおまえさんは!? 少しばかり冒険を積んできたからといって、わしに指図できるほどの年寄りになったつもりかね! わしに、マイアになれじゃと? よくもまぁそんなことがいえたもんじゃ!」
「だ、だって、ミスランディア」
「それじゃよ! わしは灰色の自分が気に入っておる! 白の衣に変わったとて、お高くとまった、鼻持ちならんエルフどもが呼ぶその名が、わしは気に入っておるのじゃよ」
杖を力強く大地に突いて。ガンダルフは威嚇するように腰に手をあて、仁王立ちとなる。
「……ミスランディア、」
「何より、このパイプ草よ! 光り輝くマイアに戻ったわしに、このパイプをふかす姿が似合うと思うかね?」
レゴラスは呆然とガンダルフを見上げていたが、やがて、ふるふる、と、呆然とした顔のまま首を横に振る。不安そうに、頼りなさそうに、己の望みを乗せて答える。
「……似合いません、……似合いません、似合いませんとも、ええ、ミスランディア、ミスランディア、」
「そうじゃともそうじゃとも! このたわけた物知らずのエルフの小僧っ子め!」
ごんごん、と杖で容赦なく頭を叩かれてレゴラスは、頭を抱えてその場にうずくまった。
痛みのあまり涙目になった……と、見る間にその涙がほろほろと頬を伝わり、そんな自分に驚く。
杖を突き直すガンダルフの、髭と眉に隠れた気難しい瞳が、やさしくやんわりと細められ。
そして、
「……心配せんでも、わしは、おまえさんを残して消えたりはせんぞ。
 おまえさんの中で、わしがただの思い出になってしまうのは、どうにももったいない話じゃて」


ガンダルフのその言葉を聞いた次の瞬間、レゴラスは、土に汚れた己の手で不意に己の顔を覆った。
咽喉を裂かんばかりの悲泣の絶唱が、歌つむぐシンダールの唇からほとばしる。
手の汚れと、悲しみの絶叫をふさいでいた心の壁を、押し流し洗い流しながら、涙がきらきらと指の隙間から流れ落ちた。


緩慢に滅び行く種族の、最後の若きシンダールの流した涙は、定命の子供たちの、四つの墓の据えられた大地に染み込み、染み渡り、染み通った。
その涙から、名もない小さな、悲しみの青紫に薄く染められた白い花が、無数に咲き出でたと伝えられているが、かのエルフの愛した、定命の子の種族が、それを見ることは世界の終わりまであり得ない。


その花は、中つ国を遠く離れたトル・エレスセアの岸に今もある。
その花を、見ることができるのはとわに……不死の命のエルフだけ。