シンダールの双王は、森の中央で相見えた。春萌えいづる新年の日、木漏れ日は黒き木々の狭間から、星のきらめきのようにちらちらと、ロリアンの王の銀の髪と、闇の森の王の金の髪に落ちかかっていた。
暗闇は、エルフには特に畏れるべきものではなかった。木漏れ日だけで十分だった。ゆえに、彼らは灯りを持たず、それぞれ、伴の者をひとり連れただけで、古い馴染みに会いに来た。
「これは、珍しきことだ」
歩を進めてきた銀髪の王が、おだやかに目元に笑みを浮かべた。光のやや強い一角、ぼんやりとうす明るく浮かび上がってみえる一角。幹によりかかり、腕を組んで彼方を見つめ、物思いにふける金髪の王の姿を見てのことだった。
「何が珍しい。己が国より滅多に出ぬはそなたも同じぞ」
「そうではない。あのスランドゥイルが、相手より早く待ち合わせの場所に訪れている、それが不思議でしてな」
腕を組んだまま、金髪の王――スランドゥイルは片眉を上げて友を見つめる。だがその瞳はたのしげであった。
「我はそこまで傲慢か?」
「傲慢など。時間を守らぬだけでしょう。お父君によく叱責を食らっていたではないか」
「いくさ場で遅れたことはないがな」
「いくさ場にては突撃が疾すぎる。さても時間を守らぬ友でありましたよ、そなたは」
「エルフのくせに、定命の子の如く神経質に、時を刻むからくり仕掛でも持ち歩いた方が良いかのような物言い。変わらぬの、ケレボルン」
ふたりは睨み合って黙り込み、ややあって、同時に、低い声を立てて笑いはじめた。
「ああ、さても、何となつかしきことか!」
「まこと。1000の時が過ぎたか、2000の時が過ぎたか、もはや、数えるもわずらわしきことよ。そなたがあのノルドールの高貴な姫と暮らしてよりこの方、とんと、足が遠のいたぞ」
「措きやれな。我が奥は佳き女。わたしが離れがたくなるも、悟ってくださらぬと」
「ははぁ。尻に敷かれておるとの噂は実であったか」
さらりと流したケレボルンは、そのスランドゥイルの返答に、おや、とやわらかく眼を細めた。スランドゥイルの声に、遠く、実父オロフェアをなくした頃の棘がない。ロリアンを、裂け谷を、嫌っていたはずの男だった。
時が、たったのだ、……そう幽かな痛みと共に思う。
するとスランドゥイルがそれを見抜いたかのように、小さくつぶやいた。
「何もかも、昔そのまま、とは参らぬさ。そなたも我も」
「まこと」
きらきらと、木漏れ日が頷きあう双王の髪を銀と金に輝かせる。
「北はいかがか」
「変わらずに、民は笑い騒ぐ。変わったのは我が子の身の丈ぐらいよ」
「お会いしたぞ。健やかな見目良き王子であられた」
「まだまだ、子供よな」
「そう思うは親だけであろう。や、今の言は照れ隠しであられたのか」
ケレボルンは小さく目を眇めるようにして笑った。子供だと思っていた者が、いつのまにか、連れ添う者を見つけ、子を育み、そして――去っていく。
「……変わらずに、我の言葉をくるむのがうまい」
激烈な一面を持ち合わせるこの金髪の王は、柔和にして穏健なる銀髪の同族の友が、嫌いではなかった。凹凸がよく合っているのかもしれない。何より、同じ世代のシンダールの者は、もう随分と少なくなっていた。見回してみても、彼ら二人ぐらいだったであろう。
長い時が――エルフの彼らにとってさえ、長い、長い時が流れたのだ。夢うつつの、区別さえつかぬおぼろな、それでいて激烈な、入日に到る長い時が。
喪いつづけてきた中に、ほんの少し、得られたかけがえのないもの。そしてまたそれを喪い、そしてまた時が流れる、喪う、……かけがえのないものを、またわずか、得る。
長きこの生とはなんであったのかと、双王は奇しくも同時に思った。
「ご子息はいつお帰りに?」
「さて。100年後か、200年後か。放蕩者でな」
それは父親譲りであろう、と言いかけてケレボルンはふと、その眼を軽く伏せ、そういえば、とつぶやいた。
「ご子息はアンドゥインの河口近くに向かわれたと、我が孫たちが申していたが」
「……そうか」
偉大なるアンドゥイン。北はるかより流れ出で、南洋に続く一の大河。
風の如く自由なかの緑葉は、もしや、そのまま大海へ流れ出でてしまうかもしれない。
「ままならぬ世よ。
 エルフが無理矢理溜め込んでおった魔力は灰燼の如く消え失せ、ずるずる引き延ばしておった終末も、はや目の前とは。ノルドールの後始末を人間と小さき人に拭わせておいて、とっとと、我らは西へ撤退か」
「もともと、指輪のことがなくとも、我らはこの地を明け渡す定めであった……シルヴァンの暮らしを愛するそなたには、哀惜ひとしおとは思うが」
「ふん……」
木々は枯れ、獣は死に、日は昇りまた沈み、雨が降れば土砂は流され、時には天敵に殺される。
そんな生き様を、選んではや、いくとせか、いくももとせか、いくちとせか。
スランドゥイルはしばし森の声を聞くかのように黙って耳を傾け、ややあって、友を斜めにちらりと見た。
「それで、そなたの孫娘どのは、約束通り人の子と夫婦となるか」
ケレボルンは黙って頷く。
スランドゥイルは珍しく沈黙を守り、そして、ぽつりとつぶやいた。
「ままならぬな」
「……ああ、まこと、ままならぬ」
不死の命のエルフの双王でさえ、こんなに世界がままならぬのなら。
小さな、名もなき人の子にとって、世界とはどんな業苦に満ちたものであるのだろうと、ケレボルンは思った。


ふたりはしばし、口をつぐんだまま、立ち並ぶ木々に同化した人型の森そのものとなって、ひっそりと、互いの思念を交わし合った。
連れてきた伴の者も返し、日が落ち、そして、ふたたび昇るまで、じっと、その場にただ立ち尽くす。
やがてスランドゥイルが顔を南へ向けた。
「……残るのだな」
「しばしは」
ケレボルンも同じ方角に顔を向けた。森を抜け平野を越えれば、そこには、ロスロリアンという名の森がある。
「ノルドールの奥方と、なぜ運命を共にせぬ」
「時を、しばし置こうと」
「……シンダールも、業腹よ。ノルドールを笑えはせぬな」
この温和な、しかし、決して温和なだけの男ではない銀髪の王が、中つ国でもっとも力強きエルフの奥方と、離れがたく結びつき、愛し合っていると、スランドゥイルは知っていた。
その奥方が、指輪を携え、もはや抑えがたく西方への想いに引きずられ、……倦み疲れて、とつ彼方へ渡るというのに。
この男はそれを支えようとは言い出さない。
「……まさしく、わたしも、シンダールなれば」
苦笑したケレボルンは、南の方角にひどく、やさしい視線を向けていた。
如何なる辛苦も、かの姫と共に舐めてきた身ではあるけれど。
今、共に行くことはできないと彼は思う。
二つの族の間には、あまりにも多くのことがありすぎて。
……中つ国で生きた数千年のその間。ずっと、輝かしき、いとしきノルドールの光と共にはあっても、シンダールの、シルヴァンの、丈低きエルフの悲しさは、忘れられず彼の傍らに在りつづけた。
捨て石となった愚かなシルヴァン・エルフの骸を抱いて、血の涙を流す金髪の友、数千年前の、その、怒りと嘆きに満ちた視線が、己に向けられたことを思い出す。
己が彼の道をたどらなかったのは、いとしき女のおかげではあるけれど、だからこそ。
ただひとり、かのノルドールの女はいとしけれど、だからこそ。
今はかの女と別れ、この地に残り、考えてみたい。


わたしは。
わたしたちは。
何もかも過去の遺恨を忘れた振りを、せねばならぬかの浄福の地とやらでも、
……共に在れるのであろうか、最愛の光の君よ……?


「……少し、近くに越してこい」
スランドゥイルはそう言って小さく笑い、ふわり、とマントを翻して背を向けた。
「どうせすぐに、考えることにも飽きて、孫の元にでも隠居することになろうよ。
 されどそれまで、指輪なき、かの地は隙間風がきつかろうて。もう少し、近くに越してこい」
「ドル・グルドゥアの跡地にでも?」
思わず小さく微笑んで問えば、それよ、と背を向けたままのスランドゥイルが返す。
「かの地は、どうせシルヴァン・エルフが浄めねばなるまいよ。
 だが、我にはもう、この森は少し広すぎるのさ」


本当は、南の地には、かの秘蔵っ子の緑葉を――と、スランドゥイルは考えていたのやもしれず。
だが、海に惹かれたであろうつむじ風が、もはや、森へ帰るはずもない。
「ままならぬ、……か」
胸に手を当てて丁重に見送りながら、ケレボルンはつぶやく。
このつぶやきを、あの友は何回、……何千回、繰り返して来たのであろうかと、思いを馳せながら。


かつての緑森大森林、オロフェアの治めた広大な森。
今は、山脈より北を緑葉の森、
狭隘部より南を東ロリアンと言う。


もはや森はエルフの物ではなく。
ただ、その名だけが、想いの欠片を、今に遺す――