堅固なる城塞を見上げ、淡い金の髪を風になぶらせて王はひとり、馬を立てている。周辺に、護衛の者の姿もない。
この人は孤独を好む性なのかもしれない――だが、バルドは敢えて、馬の傍らに歩み寄った。王は、振り向くことはない。ただ、鞍もおかぬ馬のたてがみに、つと手を置いただけだった。
人の子の身にはありえぬほどの美貌が、薄寒い日の光に晒されている。常緑樹の葉によって編まれた冠は、もう数日を経ているはずだったが、未だに萎れる気配もなかった。
「王よ」
「そなたの王ではない」
にべなく答えた「王」は、確かに、彼の王ではなかった。彼は人間であり、街の民であった。だが「王」はエルフであり、森の王であった。
「では何とお呼びすればよろしいだろうか?」
「好きに呼べ」
それもまた人を食った答えではあった。だが、バルドは気を悪くはしなかった。ただ彼は生真面目に、「では王とお呼びしよう」と頷いてみせただけだった。
北の森を統べるエルフ王――スランドゥイルは、しばらく彫像のように、すらりと馬上に動かなかった。だが、不意に王は視線を流した。流した先に、バルドが立っている。
臆せず視線を受け止めた男を、しばらく王は斜めに見下ろした。
「……『王』か」
「お気に召されなんだか」
「そなた自身が一国の王となっては、我を『王』とのみは呼べぬぞ」
「……は?」
思わず、呆けたような声を返して、バルドは目を見開いた。その時には、スランドゥイルはその稀有なる眼を彼からそらし、凍てついたような無表情で、再び城壁を見上げているのみだった。
――私が王に?
戯言としか思えぬその言葉を、胸の中で繰り返す。
だがその言葉はエルフ特有の魔力をバルドに吹き込み、全身に、かっと力を燃え上がらせた。
かつて一国の王であったギリオンの、彼は直系の子孫なのだ。その胸の奥に、喪われた国の再建を目指す志がないなどと、どうして言うことができようか。
――私が王に……!
予兆とは、鳥の声や、風の囁き、通りすがりの旅人の、きれぎれに聞こえるその言葉……そんなものにも内在しているという。
ましてや、エルフが――それも噂では、ドル・グルドゥアに死人占い師の現れるその以前から、森を統べていたと聞く偉大なエルフが、歌つむぐ唇に乗せたその言葉。
それを戯言とするか、予言とするかはバルド次第なのだ。
「では、」
ものしずかな眼に力を込めて、バルドは馬上のエルフ王を見上げた。
「これよりは、スランドゥイル殿、とお呼びしよう」


再び、馬上の視線がついと流れた。
その眼の奥にかすかな笑みが閃いたような気がして、思わず、バルドはかすかに背伸びをする。
「――弓士とは、さても小気味良い輩の多きことよ」
上古のシンダリンでそう己に囁く。恐らく、バルドにそれは聞き取れなかっただろう。だが、スランドゥイルは人の子の言葉に言い直そうとはしなかった。
代わりに言ったのは、「そろそろ戻るか」という、ごく平凡な一言である。
返事をしようとして顔を上げた、弓使いのその眼の奥を、三度目に眺めやってスランドゥイルは、さらに平凡な――一見平凡としか思えない――言葉をふいと投げつけた。
「なぁ、バルド殿」
「はっ――」
スランドゥイル『殿』と呼びかける相手に、バルド『殿』と呼び返す。両者の年の差は、六千歳ほども離れているだろうか。
それでも、スランドゥイルは「バルド殿」と彼を呼んだ。
一瞬、言葉を失ったバルドが我に返った時には、すでに馬の向きを変えたスランドゥイルが、至極のびやかに馬を進めはじめている。
その背を護るように、弓を握りしめたままバルドもまた、馬の傍らを追って歩きはじめた。
エルフの王に付き従うのではなく……共に歩み、共に戦い、いつか、共に笑うために。