最後の仕事 




西方の焔を従えて歩み来たアラゴルンの、その傍らにレゴラスは寄り添うが如く佇んだ。
「レゴラス?」
それは、二人だけの秘密の会話を交わす時の距離だった。アラゴルンは声を低め、話が切り出されるまで待つ。
「剣を」
レゴラスの、燐光のように緑の燃える瞳は、アラゴルンを見てはいなかった。エルフはアラゴルンの腰の剣を見つめていた。
「剣を? 何だ?」
「剣に触れさせて欲しい」
もはや野伏とは呼べぬ風格を加えたその両眼で、じっとエルフを見つめ、ややあってアラゴルンは、黙って鞘から剣を引き抜いた。鍛え直されしナルシル――王の存在を知らしめるアンドゥリルを。
余人には決して触れさせぬ剣ではあったが、今、こうして共にあるエルフと、そしてドワーフは既に、彼にとって「余人」ではない。だが、鎚の業を重んじるドワーフではなく、森のエルフが興味を示したということは、アラゴルンにとって驚きではあった。
レゴラスは、差し出された柄を握りしめ、刃の平にびっしりと刻まれた、そのルーン文字へと手を這わせた。刹那、火傷したかのようにその手が小さく跳ねた。
「レゴラス?」
危惧するような呼びかけに、エルフは答えない。ただ、彼はその常磐緑の瞳を、ぼう、と光らせて剣に見入っていた。その眼の奥底に、何か焔のようなものが――アンドゥリル、西方の焔たるその名にふさわしい閃きが、刃からきらりと跳び込んだような気がした。


蒼白く光を反射するその輝きを、レゴラスは魅入られたように見つめていた。エルフの晴れやかなる瞳は、その刃の奥に、焔を見た。
気まぐれに時を超えるエルフの視界に、目の痛くなるような、赤々とした焔が燃え盛り――その先で、匠の振るう鉄槌が振り下ろされる。
鉄槌を振るうエルフと言えば、それは匠のエルフたるノルドール族だろう。まるでひとつの魂が分かたれたふたりであるかのように、刀鍛冶は鎚を打ち合う。火花が散り、光が踊る。焔に照らされるエルフ達の顔は、透徹と澄んで美しい。その一打ちごとに、100年の苦難を。その一振りごとに、100人の涙を。思い出して打つのだろうか。練り込んで振るのだろうか。
――これは、我らの最後の仕事。
緑葉のエルフの耳に、声ならぬ声が滑り込む。
――匠の族たる我らの、これは人の子に残す最後の誇り。
甲高く、軋るように鉄槌は哭く。二度と入らぬであろう釜の火が、最後に手向ける赫き花。打ちつけるたびに、咲いては散る――
――エルフの時代が終わるなら。その終わりに、ふさわしい仕事を。
手に持てる職を余すところなく彫りつける、匠の傷だらけの腕は――美しかった。


力強い手に肩を掴まれ、レゴラスは刃から目を離した。
どこか切羽つまった、心配げな眼差しで「王」が彼を覗き込んでいる。
――人の子の王よ。最初の王よ、最後の王よ。
その唇が彼の名を呼ぼうとするより早く、レゴラスは語りかけていた。
「ロスロリアンのシルヴァン・エルフが命を落とし――」
はっ、と肩に置かれた手が震える。
「――裂け谷のノルドール・エルフは剣を鍛えた」
レゴラスは掲げた剣の前後を入れ替え、柄を彼の王に差し出した。
「次の時代のために――次の種族のために。皆、最後の仕事をして旅立つのだ。
 人の子の王よ、君たちは愛されている」
ロスロリアンのシルヴァン・エルフに。
裂け谷のノルドール・エルフに。
そして、


「――僕もまた、この弓で最後の務めを果たすだろう。
 エルフであることの誇りを賭けて」


闇の森のシンダール・エルフに。


みしり、とエルフの肩が軋んだ。
「君の最後の仕事は、」
差し出された剣は受け取らぬままに、ひどく静かな、穏やかな声で王は囁く。
「王冠を次の者に託し、眠りについた私の傍らで――最後の子守唄を歌うことだ」
レゴラスは、何かを押さえ込んだように凪いだ王の瞳を、じっと見つめた。
やがてその唇が、かすかに……ほんのかすかに暗闇の中で笑みを形作る。
「それは素敵な仕事だ」
「そうだろう?」
痛みを閉じ込めた、静かな二対の瞳がしばしかち合う。
だがやがて、王は差し出された柄を、その手にしかと握りしめ――彼の弓士は、うやうやしく己の胸に手を当てたのだった。






庭園に面した、光と風のよくあたる部屋を、王はレゴラスにあてがった。その部屋の窓際にたたずんで、エルフは静かに両の手を差し上げた。
手の中に、繊細なカーブを描いて輝いているのは、ミスリルで作られたサークレットだ。
『銀は腐るからな。あんたは、弓矢はともかく冠を磨いたりはしないだろう』
やけに面倒くさそうに、ほらよ、とこの冠を差し出した、無骨なドワーフの言葉をエルフは思い出す。いや、その性根はともかく、その手先の技が無骨などであるものか。エルフは驚嘆の思いをもって、己の手の内の芸術に見入った。
『これからのあんたには、こんなものも必要になるだろうと思ってな、まぁ、……褒美に貰ったミスリルが、ちょうどこればかり余ってたってのが一番大きな理由さ』
――これからの僕に。
瑞々しき花冠を額に戴き、北の森を統べる身となるはずであった彼は――もう、どこにもいはしない。
――ようやく、はじまるのか……僕の、最後の仕事か。
命を捨てたシルヴァン・エルフたちのように。
剣を鍛えたノルドール・エルフたちのように。
人の子の王を支え、荒れ果てしイシリアンを、再び花笑い鳥歌う地に再興し、エルフの美と喜びを、最後の花を、咲かせて去るのが彼の定め。
「かつてない喜びと誇りのもとに――」
ゆるやかにつむがれるエルフの歌が、誓いの魔力を込めてサークレットにかけられる。
「――僕は勤めを果たすだろう」
囁きかけられたサークレットは……日の光を超えた輝きを刹那、弾かせた。