休息――1 





ボロミアがホビットたちに剣術の稽古をつけている間、レゴラスはぼんやりとその場に立ち尽くして空を眺めていた。
他の者のように微笑ましく見守るでもなく、ただ、人には見えぬ何かを眺めている。
ギムリはその姿を見て、エルフという生物の「お高さ」についてぶつぶつと何やらこぼしたが、当のエルフは素知らぬ顔だった。
「そこのエルフの若殿、頼む、助けてくれ!」
メリーとピピンに馬乗りになられたボロミアが、とっさに朗らかに声をかける。おやおや、とアラゴルンが斜めにレゴラスを見上げる中、レゴラスは当惑したように、その緑の瞳をもみくちゃの三人に向けた。
「助けたらいいのか?」
「そう、助けてくれ」
笑いのにじんだボロミアの声には何か、教え込もうとするような響きがあったが、レゴラスはそれには気づかなかった。
「弓は使うなよ」
ボロミアの声音に気づいたアラゴルンが、同じように笑いを含んだ声をレゴラスにかける。レゴラスは弓をその場に置いた。使うつもりだったのかな、とメリーとピピンは少し後ずさりかけた。
その瞬間、獲物を狙う猫のように突如伸びたエルフの両手が、がばりと片手にメリーの、そしてもう片手にピピンの襟首を掴まえて空中にぶらさげていた。
「レゴラス! 何をするんです!」
大慌てでじたばたと暴れるふたりを宙づりにしたまま、どこに捨てたらいいんだろう、とでも言いたげな途方に暮れた目つきでレゴラスは、ふたりとボロミアを見比べた。
「はは、上出来、上出来、さすがあの強弓を引くことはある」
「あなたもボロミアみたいに毎日鍛えているんですか?」
エルフに興味のあるサムが駆け寄ってレゴラスにまとわりついた。このものしずかで常にピシリと空気をはりつめさせたエルフに、サムは話し掛けたくてならなかったのだろう。
一気に三つの小さな塊にまとわりつかれたレゴラスは心なしか、無表情のままややおろおろとしているように見えた。
ボロミアはそれを見てとうとう声を立てて笑いながら、起き上がってレゴラスの手からホビットふたりを受け取った。
「お守りは苦手か、エルフ」
両脇にホビットを抱えてその場に座り直したボロミアを見下ろして、レゴラスは眉を寄せる。
「僕は一番若い世代だったから」
「末っ子か」
「人の言い方では、そう言うかもしれない」
「で、毎日鍛えているのか」
その声は斜め後ろのアラゴルンが発したものだった。
眉を寄せたままレゴラスはアラゴルンを振り返る。
「知っているだろう」
「サムは知らないぞ」
「あ、」
レゴラスは足下のホビットを見下ろした。
サムがどきどきして自分を見上げているのにやっと気づいたのだ。
少し考え込んでから、レゴラスはその場に屈み込み――この瑞々しいエルフが座り込んだところなど、滅多に見れるものではない――、サムに視線を合わせてやった。
「僕の森は常に影の勢力と隣り合わせなので、戦いは盛んだ。鍛錬するというほどのことはしなくても、自然に弓は強くなる」
「毎日戦っていたら、俺も強くなるんでしょうか」
レゴラスは少し首を傾げて考え込んだ。そしてアラゴルンの隣でおとなしく食事をしているひとりのホビットを見る。
「結局の所、」
考え考え、エルフは言葉を選んで答えた。
「気高く在ろうとしない生物は賤しくなっていくし、強くなろうとしない生物は弱くなっていく。
 けれども、肉体が強ければ良いというものでもないような気がする。定命の子は皆エルフより弱いけど、だからといってエルフを殺せないわけじゃない」
フロドから視線をサムに戻し、レゴラスは立ち上がる。
「大切なのはきっと、何の為に強くなり、その為に何を選ぶかなのだと思う」
「よく……わかりません」
「僕にもよくわからない」
素直に答えてレゴラスはぎこちなく、眼元だけで笑った。
「僕も君と同じように、まだ、若いから」


「いい感じだ」
アラゴルンの傍らにやってきたボロミアが、アラゴルンに囁きかける。
「異種族とのつきあい方を知らんだけなのさ。エルフは賢い。やり方さえ覚えれば立派にやっていく」
アラゴルンは答えて、パイプから口を離し、レゴラスにやや大きな声で呼びかけた。
「レゴラス! おまえも小さい人たちに剣を教えてやれよ」
「そいつはむしろ俺が教わりたいな」
ボロミアが身軽に立ち上がった。
きまじめに眉を寄せた無表情に戻ったレゴラスは黙って首を振る。
「なぜだ?」
この頃、ボロミアはレゴラスが身振りだけで言葉を返さないことに慣れたらしく、気にする様子を見せなくなった。
「僕の剣の使い方は、エルフの使い方だから」
短すぎるレゴラスの言葉に、アラゴルンが肩を竦めて註釈した。
「筋肉の使い方がそもそも根本から違うんだ、ボロミア。昔こいつに剣を教わってえらい眼に遭った。『弓を使っている時に間近に襲われたらどうするんですか』と聞いたらなんと答えたと思う? 『弓矢を前に放って空中にある間に、背から剣を居合い抜きして足で弓矢を蹴って片手で拾う』だぞ。馬鹿にしてるのかと思ったが、いざとなったら本当にやるんだからな」
「そうだ。あなたは知っているはずだ、僕が人の子に剣は教えないことを」
なのになぜそんなことを唆す、と聞きたげな瞳をレゴラスはアラゴルンに向ける。
ギムリが呆れたように両手を広げた。
「そんなこともわからんのか、エルフ」
「君にはわかるというのか、ドワーフ」
「当たり前だ」
おい、言うなよ、とアラゴルンがつつくのを無視してあっさりと、ギムリは言った。
「からかわれたに決まっとろうが」


「さ、お喋りはほどほどにせんと日が暮れるぞ」
絶妙のタイミングでガンダルフがそう声をかけ、立ち上がる。
「レゴラス、」
アラゴルンを小突きに行こうとしていたレゴラスの肩を、フロドが遠慮がちにつつく。
振り返ったレゴラスは視線を落とし、それから、フロドが律義にも、レゴラスが屈まずすむように大きな岩の上に立っているのを見て視線を目の位置に戻した。
非常に微笑ましい光景だが、両者とも心の底からまじめである。
黙って次の言葉を待つレゴラスに、フロドはその大きな瞳をじっと向けて尋ねる。
「どうしてさっき、サムに話している途中に僕を見たんですか?」
「いつ?」
「『強くなれる』話の時」
「ああ」
何でもないことのように頷いて、レゴラスはフロドに「降りろ」と促すように手を差し伸べる。
フロドがその手に捕まって飛び降りた瞬間に、言った。
「サムはきっと、君の為に強くなるのだろうと思ったから」
「……それは、いいことなのかな」
小さな声でつぶやくフロドの声に、レゴラスは叡智宿る瞳をじっと向けたまま、ただ、少しだけ手を握る力を強くした。
他人の為に強くなるということは、自己陶酔を招き、時に傲慢となり、時に、過ぎた正義感となる。森の奥からいくつもの戦を見て来たレゴラスに、その問いは即答できるものではなかった。
見上げるフロドから視線を外し、もう一度、促すように手を引く。
歩き出したフロドの手を離さず、ただ、一言のつぶやきを答えとした。


「君も一緒に、強くなればいい」


「……うん」
フロドが少しだけ微笑する。
傍らに背筋を伸ばして優雅に歩く、彼の為の射手はどこまでもまっすぐで、そして強い。
「フロド様!」
大好きな友達が呼んでいる、そのことに気づいてフロドは走り出した。


どこまでも真摯な表情でそれを見送るレゴラスを、「大きい人たち」が見やって少し、静かに笑った。