この戦いが終わったら
「ギムリ、ギムリ? どうしたんだ、転んだのかい?」
慌ててもがきはじめたレゴラスを、ちゃっかり片手で抱き留めて逃がさぬよう閉じ込めながら、アラゴルンも「大丈夫か」と心配げな声をかける。
「だっ、……大丈夫だとも」
よろよろと起き上がるギムリに同情の眼で向けながら、双子は、遠目にはいちゃついているとしか見えないアラゴルンとレゴラスをなまぬるく見守った。
「なぁ、レゴラス、どうだろう」
「愛人? 私が?」
「そう、あんただ」
真剣そのものの表情で、アラゴルンは頷いた。レゴラスも真面目に考え込んでいる様子である。
何とか立ち直ってギムリは声をかけた。
「……レゴラス旦那が、ずっと王城に閉じ込められるのをがえんじると思うかね、アラゴルン」
「それ以前に、闇の森の王子を愛人としてはべらせるなんて、国際問題だぞ」
「いや、もっと『それ以前』の問題があると思うんだが私は……」
口々に続く双子たちも、どうやらアラゴルンの提案には反対のようだった。
周囲の反対に悠然と、片手でレゴラスの目をふさぎ、片手でレゴラスの腰を抱いたアラゴルンは反駁する。
「勿論、アルウェンとの兼ね合いがあるから、王城に篭めたりなどはせぬ。私が己の求める権利を手に入れることができたら、の話だがね、どこか美しい地を探してそこをあんたにあげるとするよ。
あんたはそこに好きに住んだらいい。気が向いたら旅に出ればいい。ただ、私が呼んだ時には遊びに来てくれ。訪ねていったら迎えてくれ。……できれば、他の誰かと婚姻はしないでくれ」
耳元に囁くと、レゴラスは不思議そうに首を傾げる。
「あまり今と変わらないような気もするね」
「そうか?」
「ギムリも一緒でいいかい?」
今度は突っ伏す気力もなく、ギムリはその場にしゃがみこんだ。どこの世界に、ドワーフつきで人間の王の愛人になりにいくエルフの王子がいるのだ。
「レゴラース」
アラゴルンの声が苦笑をはらむ。そりゃそうだよな、と双子が顔を見合わせた時、未来の王は愛人候補の尖った耳に、それはそれは優しくキスをして再び囁いた。
「私が君とギムリを引き離すわけがないだろう? もちろん、ふたりまとめて面倒を見させてもらうとも」
「ならいいよ、あなたの愛人になろう」
「………勝手に決めるなーーー!」
思わず斧を振り回すギムリから、レゴラスを抱き上げて逃げ回るアラゴルンは声を立てて笑い、ギムリに尋ねる。
「あんたまで私の愛人になれって言ってるわけじゃなし、いいじゃないか。私の元に来るのはいやかい?」
「勝手に決めるなと言ってるんだ!」
「ギムリ、君はアラゴルンが好きだろう?」
アラゴルンに姫のように抱き上げられ、くるくると振り回されて共に否応なく逃げながら、レゴラスはためらいなく尋ねた。
ぐ、と言葉に詰まったギムリが斧を振り上げた格好のまま固まるのを憐れみの眼で見て、すでに事態のまともな把握を諦めている双子は船室への階段近くまで避難し、顔を見合わせて溜息をつく。
「ねぇ、ギムリ、ギムリ、私はアラゴルンのことが好きだよ、君を好きだと同じ程に。君もそうだろう?」
「……そ、それとこれとは別――」
「だから一緒に、これからもアラゴルンを支えていこう? 前にも言ったね、君はゴンドールの礎を石と金とミスリルで築くのだと! 私にはそういう芸当はできそうもないよ、けれども、愛人になってアラゴルンの眉間の皺を伸ばしてあげるぐらいなら、私にもできそうじゃないか!?」
クァ!
「!」
緑葉の輝く声を遮るが如く、ふたたび海鳥の声が響き渡る。
だが、
「レゴラス」
未来の王はしっかりとその身体を抱いて離さず、未来の愛人はその首にかじりつくように抱きついたまま、なつくように鼻を頬に摺り寄せて言った。
「どこにも行かないよ、私は。だってあなたの愛人になったのだからね!」
はっ、とその場にいたものが目を見張る。
「……そう、それでいい、レゴラス、私の未来の愛人どの!」
あやすようにその身体を大きく揺らして、アラゴルンもまた、どこか悲しいほど幸福そうにレゴラスの唇を盗んだ。
おかしなやり口だ、と思う。常軌を逸しているのは言うまでもない。だが、
「要するに、引き留めておきたいだけなんじゃないか……」
少し痛みを隠せないまま揶揄の口調を作って、エルラダンはつぶやく。
きっと愛人でも部下でも、友人でも何でも良かったのだ。傍に置いておけるポジションなら、それで。
「エルフの王子が、人間の王の愛人か」
苦笑と共に肩をすくめかけて、はっとエルロヒアは一歩前に出る。
「ちょっと待てアラゴルン! それ、絶対私の父が激怒するぞ!」
「はっはっは、エルロンド卿はレゴラスのことがお気に入りだからなー」
「それでもって君の花嫁の父親だ! 待て、アラゴルン、レゴラス、考え直せ!」
「レゴラス、私たちの初夜の時にはあんたの好きな花を寝台いっぱいに敷きつめてあげるからね」
「初夜? それは夜のお勤めというやつかい? ねぇギムリ、不安だから君も一緒に――」
「この馬鹿エルフ! あんたもあんただよアラゴルン、王になる前から馬鹿王っぷりを全開してるんじゃない!」
真っ赤になって怒るギムリ、蒼くなって追いかける双子、抱き上げられたまま声を上げて笑うレゴラス、それを運んで逃げながら、アラゴルンは不意にその場に立ち尽くした。
「……夜が明けるぞ」
いっせいに一同は東の方角を見た。まぶしい陽光が眼を射し、星を戴くエルフの瞳すら細めさせる。
「エルベレス ギルソニエル……」
誰からともなくそのつぶやきが漏れ、ついで、誰からともなくミナス・ティリスの燃え上がる塔の方角を振り返る。
「……あと、少しだ」
やさしくレゴラスを下ろして、アラゴルンは再びその唇にキスをした。
「もう少しだけ、私に――私たちにつきあってくれ、いとしい不死なるもの」
「……いいよ、そうするよ」
だってわたしがそうしたいのだもの。
そう囁いてレゴラスはアラゴルンによりかかり、ミナス・ティリスを輝く瞳で見つめつづけた。
かくして、中つ国において1・2を争う弓士であるこのエルフは、己が君と想い定めた王エレスサール・テレコンタールの崩御に望むまでは、決して、西への憧れに胸かきむしる鴎の声にも、心傾けることはなかったという。
だが、史書は彼の無二の友たるドワーフについて、「燦光洞の領主」と記しながらも、このエルフの地位について一片の記述も行うことはない。
それは、気高き種の王子たるこの人に王が配慮し、彼の持ちかけたその、大いに誤解を招く地位について、後世に残してはならぬと厳命したためではないか。
……だがそれももう、今となっては確かめる術なく、ただ、鴎の声だけが変わらず、すべてのエルフの立ち去りしその海辺に響くのみである。