王様三人と愛人と





「ひどいね、エオメル」
「何がです」
レゴラスの先導で森を駆けながら、エオメルは心外げにレゴラスの背中を見る。
「だって、あんなことをされては、わたしはもう、二度とこの森に帰ってこれやしないよ」
「踏ん切りをつけてさしあげたのだから、感謝されてしかるべきだ」
「踏ん切り?」
「これでもう、あなたはあの人が死ぬまで、人の子の間にいなくてはなりますまい。この森に帰って静かに暮らすことはできません」
「……ひどいね、本当に」
エオメルは、さびしげな笑いを含んだその声に一瞬黙り、それから、静かな声で囁いた。
「知っています。
 だが、わたしと同じ世界にいてほしかった。
 わたしが死んだ後も、あの人の傍にいてあげてほしかった」
レゴラスは歩を止めた。
エオメルが振り返り、その手を取って引き、ふたたび走り出す。
手をつないだままエオメルは言った。
「我が義弟も、そう思えばこそ、イシリアンを危険に晒す賭けを黙認したのでしょう。
 王は生きる。わたしよりも、おそらくファラミアよりも、長く生きる。
 ……王と、わたしと、ファラミアの死を看取り、西方まで、王と王妃の魂を持っていってくれるのは、きっとあなたひとりだ。
 そう思えばこそ……ゴンドール。イシリアン。そしてローハンを、賭けて悔いはなかったのです。勝手な願いとわかっている。わかっていればこそ……一国ぐらいは、賭けて良いと思った」


森の出口が近づき、強烈に白い光が射し込んでくる。
エオメルが口笛を吹き、レゴラスは歌つむぐシンダールの言葉で友を大きく呼ばわった。
森の外に飛び出し、日光にくらむ間もなく、駆け寄ってきた2頭の馬に飛び乗る。
レゴラスの馬には鞍も手綱もついていなかった。エオメルの馬には、緑の絹の布で巻いた槍のようなものが携えられている。
エオメルはそれを、レゴラスに向けて放り、早口にまくしたてた。
「レゴラス、わたしはこの馬を休めながら行かなければならない。あなたは馬を乗り換えながら最短距離を突っ走りなさい。先に行って、それを使い、エオルの子らがじき援軍に駆けつけると、伝えて士気を高めて欲しい」
「エオメル、」
「あの人が来るなと言っても、わたしが行きたいのだ。仕方あるまい。
 ゴンドール・アルノール両国の王とも言えども、マークの王の自由意志を阻むことはできないのですよ」
「エオメル!」
王の愛馬の手綱を、手を伸ばして無理矢理引き寄せ、ぴったりと馬を隣につける。
「どうした、レゴラス殿、」
言葉に出しては何も答えず、だが、レゴラスは、うろたえる馬を鎮めるのにていっぱいのエオメルに向け、身を投げるようにして力任せに抱きしめることで、何よりも雄弁に答えを語った。
レゴラスの馬はエオメルの馬を宥めるように軽く体を擦り寄せ、馬上でふたつの影はしばし、しっかりと抱きしめ合う。
「ああもう、」
震える声でレゴラスは、エオメルの背をまさぐり囁いた。
「どうしてヴァラールは、こんな良い男をエルフにしてくれなかったんだろうなぁ!」
「人の子だから、こうなったのだ。そして人の子としてあなたに逢い、そう言わせたことを誇りに思いましょう」
目の前の金糸の滝にキスをして、エオメルはレゴラスを突き放す。
「戦場にて!」
美しい声が高らかに叫んで、矢の如く南へと駆け出していく。
「戦場にて!」
叫び返して、エオメルもまた、いななく馬を駆ってその後を追っていった。


街道沿い、くたびれた馬を励ましながらエルフの王子は一気に宿屋に駆け込んだ。
「ローハン王エオメル陛下からお聞きではありませんか!? わたしはゴンドールへの使者レゴラスです、馬をお貸しいただきたい!」
歌つむぐ声が喚声の如く叫ぶ名乗りに、深夜の宿屋は大騒ぎとなり、宿屋の主人が飛び出してくる。
「ああ、ああ、お聞き申し上げております、エルフのお方、替えの馬と鎧はこちらで!」
「鎧?」
エオメルがそこまで気を利かせたとは思わない。
厩に案内されて、引き出された馬にエルフの言葉で話し掛けていたレゴラスは、主人の持ってきた藤の箱を見て愕然とした。
金属の使用を最低限に抑え、森の中で獣に行動を感づかれずにすむ、軽騎兵の為の硬い皮鎧と、彼の愛用してきたエルフの短剣。
……そしてゴンドールの王冠輝くサーコート。
「……父上、」
思わずぽつりと声が漏れた瞬間、柄にもなく一瞬泣きたくなる想いにとらわれる。
だが一瞬後には感傷を振り払うように首を振り、レゴラスは顔を上げてにこり、と宿屋の主人に笑いかけた。
マントを羽織ってひらりと、新しい馬に飛び乗る。
「ありがとう、では行ってきます!」
ピクニックにでも行くかのように、晴れやかにそう手を振って、レゴラスは一休みすることすらなく、再び馬に一声かけた。


後に史書は、馬を次々に替えながら、闇の森からイシリアンまで、中つ国を半ば縦断するほどの距離を一休みもせず走破した、緑葉王子について驚嘆を込めて書き残している。


「彼のエルフの君は金の髪を乱し、埃にまみれてなお白い肌を紅潮させ、裸馬に乗って片手にローハンの王旗を掲げ、高らかに、歌つむぐ声からときの声をあげて戦場を見渡した。
 ラァ、ラァ、と抑揚を込めたときの声は歌へと変じ、ゴンドールの花たるイシリアンの外の野に、堅く守りの陣を敷いた自由の民の軍勢の直中に、一陣の歌う風となって飛び込む。
 『見よ、
  すべてのゴンドールの子、
  すべての緑葉の森の子、
  すべてのいとしき自由の民!
  使者は戻り来た、旗を右手に、弓を左手に!
  旗の色は? 旗の印は?
  そしてその旗を持つ使者の名は?
  来るであろう、猛きエオルの馬の司が!
  そして花歌い鳥笑うイシリアン、
  この地に再び日輪は輝く!』
 救援の印たるローハンの王旗を打ち振る、中つ国では最後のロリアンの弓の使い手の声を、その戦場で、一度聞いた者は終生忘れることはなかったという。
 動かぬとされていたローハンからの使者の到着に、敵は動揺し、味方は勇気づけられた。そこに中つ国の人の子の王、エレスサール陛下の軍勢が、執政ファラミア公を助けるべく到着した。
 
 しぶとく残る邪悪の根を絶ちきるための戦いは、このようにして、幕を開けたのである。」


こうして緑葉の森より帰還した、かのエルフの王子は、彼自身が歌に歌って予言した通り、その日を境に二度と、己をはぐくみし森に戻ることはなかった。
彼は生涯の親友と共に、諸国を気ままに旅することを愛し、また、友情を誓った定命の子らの国に、彼らととどまることを楽しんだ。
そして戦が起これば必ず、かのドワーフの親友と共に、その姿はゴンドールの王旗の傍らにあったという。
王は、苦痛に満ちた指輪戦争の中において、ただひとり、片時も離れることのなかったかのエルフの君と、その親友の存在を、エルフの石と等しく、己の勝利の証と思い、いくさ場においては常に、離れがたく傍らに置くことを望んだ。
そしてエルフとドワーフのふたりの殿もまた、己の弓と斧が、王の力となることを望みつづけたのである。


多くのエルフが倦み疲れ、悲歎にうつむいたこの第四紀の初期において。
かの緑葉の王子レゴラスは、西へ旅立つその日まで、あくまで朗らかに、闊達に在りつづけた、非常に森の子らしきエルフであったと、伝説は今に伝えている。