正しい猫語の聞き取り方
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「馬車」 「ん」 「ねぇ、馬車」 ソファを独占して長長と寝そべるでかい黒猫が、退屈したのか、やたらとちょっかいをかけてきた時、間の悪いことに馬車は耳掃除の真っ最中であった。 「ちぃと待て、今でかいのが取れ――」 言いかけた時、 「あのですね」 細い手が伸びて、思いっきり馬車を揺さぶった。 「どわぁっ!」 思わずのけぞりつつ、耳かきを放り出す。あやうく馬車の鼓膜を突き破りかけた耳かきは、馬車の膝の上に落ちたものの、先住権を主張する暇もなく、ぺいっ、と凶悪かつ端正な手によって追いやられた。 どすん! とソファから体をねじり、膝の上に落ちてきた上半身。白いシャツに黒いスリムパンツ、いつもながらの死神のご登場である。でん、と膝の上に仰向けに上半身を乗せ、下半身はソファに乗せたままという器用な格好で、人型の黒猫が開口一番ものうげに言ったのは、 「聞いてるんですか、馬車」 という一言だった。思わず馬車の声が大きくなる。 「聞いとるはずなかが!」 すると端麗な眉をひそめてお猫様曰く、 「人の話はちゃんと聞かないとだめでしょう」 何を言っても無駄だ。そう思いつつ馬車はぼそりとつぶやく。 「その台詞、熨しつけて返しちゃるき……」 「ええか。当たり前のこととは思うが、人が耳いじっちょう時にちょっかいかけゆうな」 「私もやってください」 「……は?」 「耳掃除」 「自分でせえ」 瞬間、ごう、と殺気が噴き上がった。 「……あのな」 「してください」 「……」 耳掃除をなまけてなますにされるなど、冗談にもなりはしない。仕方なく「ほら、降りてこい」と下半身もひきずりおろし、膝の上に頭を乗せさせる。気持ち良さそうにおとなしく横たえた頭を、くしゃくしゃと撫で、馬車は手渡された耳かきをそっと耳に差し込んだ。 あぐらをかいた馬車の膝の上で、身長の割りに小さな頭は、時々くすぐったげに、首をすくめてクスクス笑う。その度に、肩を押さえた手に、さざなみのような微妙な動きが伝わって来た。これはなかなか、忍耐力と意志力を試させる作業ぜよ、と思いつつ、心頭滅却して厳粛に掃除を続ける。 すると唐突に、膝の上の黒髪が打ち振られた。 「こら、動きよるな」 「ねえ馬車」 首をねじるようにして、わずかに暗みを帯びた赤の瞳がこちらを見上げている。 「横向いちょれ。掃除でけん」 元どおりに顔をねじ向け直し、やりはじめるとけっこう癖になるその作業を再開すると、やはりくすぐったげに身体をもぞもぞさせながら、赤屍は言った。 「3月14日は暇ですか?」 「14日?」 壁の日めくりカレンダーの下に、付録でついている年間カレンダーを見上げる。記憶を探り、 「……いや、あかん。仕事が入っちょう――」 きに、と言いかけて言葉を飲んだ。3月14日が何の日か、思い出したのである。 ――いや、まさか。 飲みこんだ語尾の続きを待っていたらしい膝の上の赫瞳は、ややあって、馬車が沈黙したのを見てのんびりと続きを発した。 「仕事ですか? ならしかたないですね」 「な――にか、手伝ってほしいことでもあったか?」 自分でもやや緊張していると思いつつ、尋ねてみると、 「ないですけれども、ホワイトデーじゃないですか」 これまたあっさりと、馬車が考えまい考えまいとしていた言葉を口にのせる。 ――待て。ちょっと待て。 赤屍がホワイトデーを知っていたことにも驚きだが、それ以上に、バレンタインデーのあの騒ぎを、もう一度繰り返すのはごめんである。 もっとも、騒ぎの43%ぐらいは、確実に馬車から持ち掛けたものだった――と、赤屍には主張する権利があるだろうが。 「まぁ、どの道仕事なら良いのですよ」 「……何?」 「邪魔するわけにもいかないでしょう」 時々くすぐったさに身を縮めつつ、気まぐれな黒猫は至極上機嫌に、馬車の膝の上で頬を擦っている。 そのうちあまりの気持ちよさにか、うとうとと船をこぎはじめた。 ――ここまで物分かりが良いと、気味が悪いの。 なんとなく釈然としない自分の気持ちが、決して、ホワイトデーの話がお流れになったことが残念だったのではなく、赤屍の引きのよさを怪しんだためなのだ、と自分に言い聞かせつつ。 馬車は膝の上の感触と風景を本格的に楽しむ為に、耳掃除を止めて、ころん、としどけない身体を仰向けに転がした。 結局3月14日当日。馬車はものぐさな黒猫を家において、運び屋の仕事にでかけていた。 運ぶのは、東南アジアで見つかった翡翠の原石。 横取り屋と蝿は、こちらがいくら追い払ってもしつこくまとわりついてくるところがそっくりだ。ぼんやりとそんなことを考えながら、逃げ惑う四輪を崖に追いつめ、自分のコンテナでプレスする。 がりごりと、ハンドルにまで伝わる車の断末魔の悲鳴に、知らず、くく、と咽喉の奥で笑いが漏れる。昂揚する気分そのままに、一気に車をクラッシュさせようとして、 「もしかして苦戦してます? 馬車」 ひょい、と逆さまに、助手席の窓に見慣れた顔が移って思わずハンドルを滑らせた。 「誰が苦戦しちょうか!」 とっさに言い放ったのがそっちへのつっこみであったことに、我ながら天を仰ぎたくなった時、銃声が響く。 「あ、撃ってきましたね」 「めんどいきに、おまえが行け」 「私ですか? 今日はオフですよ」 「小遣いぐらいやるぜよ」 「また耳掃除してくれますか?」 えらく素の表情のまま――しかも助手席のガラスに逆さに貼りついたまま――、そんな可愛らしい台詞をほざかれてさらにハンドルが滑った。 「……いかん、心臓に悪い」 「どうしました?」 「……いや。耳掃除なぞいくらでもしちゃるきィとっとと黙らせぇ」 「はいはい」 何だかんだ言って、嬉々として殺戮の宴へお出かけしていく黒ずくめの死神を、サイドミラーに映した馬車は改めて、はぁ、と深い溜息をついた。 「終わりました」 いかにも「たくさん遊んでもらいました」といった様子の、満足げな黒猫が、車を止めてもらって助手席に滑り込む。 「そうか」 言いたいことは目眩がするほどたくさんあったが、とりあえずシートに返り血用のバスタオルを敷き、馬車は同僚を出迎えた。 しあわせそうに、バスタオルの上で血まみれの手袋を外すその姿が、あまりにシュールで、なんとなく目を背ける。 「――で、」 「そうそう、ホワイトデー」 「……ぐっ!」 「どうしました、馬車?」 今日何度目かの急カーブをきった、ハンドルさばきに赤屍が目をみはる。「何でもない」と言い返して溜息ひとつ。 「……今日は仕事、ちうたが?」 「ええ、聞きましたよ」 あなたと違って私は人の話もちゃんと聞きますから。との言葉に反論する気にもなれず、 「だから、ホワイトデーなんざ構ってられんなぁ、おまえにもわかろ?」 「……どういうことですか?」 「どういうこと、て――」 「馬車が仕事なのは仕方がないから、私が出向くと言いませんでしたか?」 車内に沈黙が満ちる。 ハンドルを握るのも疲れてきた馬車が、低い声で言い放った。 「……聞いちょらん。一言も聞いちょらんがよ」 「いけませんね馬車、人の話はちゃんと聞かないと」 血まみれのコートの前を無造作に開いて、手をバスタオルできちんと拭いて、内ポケットからやっぱり綺麗に包装された白い包みを、かなりうきうきと取り出す黒猫を一瞥。 ――もしや……結構、イベント好きなのか? ホワイトデー、の名にしてはやけに赤黒い色彩が跳ねとんでいる、その白皙の顔を、横目で眺める。 「はい、馬車。ヴァレンタインのお返しですよ」 「……ああ」 運転中の膝にぱさ、と包みを乗せられて、言葉にし難い――しかしかなり強烈なこそばゆさに、その場に倒れそうになるがぐっとこらえ。 「そこの助手席な」 「はい」 「ドアポケット」 「はい? ……これは……?」 ネクタイと思しき包みを手にしておっとりと目を見張る、人型の黒猫を、正視できずにまっすぐ前を睨んだまま、ぼそりと。 「……お返し、やきねぇ」 何よりこそばゆいのは、何だかんだ言ってちゃんと「お返し」とやらを買っておいた自分に違いないと、心の底から馬車は溜息をついた。 結局、何度溜息をつこうが端から見れば「ごちそうさま」としか言いようがない、そんな話である。 |