運び屋にはシーズンというものがある。たとえば中元・歳暮の時期には、さほど危険性はないものの、納期のせっぱつまったデリバリーが多く舞い込む。また季節の変わり目は、一日遅れれば大打撃を被る婦人服などを、トラックチャーターで運ばされることもある。
だが、それらの多くは馬車や赤屍・卑弥呼といった「大物」には縁のない話だ。彼らは破格の報酬を取るだけに、そんな普通の運搬に雇われては、雇った方の採算が取れない。そもそも赤屍などは、車の運転すらろくにしないのだから、まっとうな運搬業などこなせるはずもなかった。
だから彼らの仕事は自然、ひどく風変わり且つ危険なものを運ぶことが、多くなる。それは生きた人間だったり、形のないものであったり、法に触れるものであったり、3時間以内に運ばないと爆発するものであったり――大抵、他の運び屋が匙を投げたものばかりが回ってくる。
だからその日も、裏業界に名を轟かせるミスター・ノーブレーキが、とある化繊メーカーまで運んだのは、「他企業から引き抜かれた研究所員を、『研究所の設備ごと』届ける」という、非常にやっかいな依頼であった。結果、40フィートカートンに、設備を再現して16時間。追っ手を振り切って港まで運び、カートンごと、海専門の運び屋に手渡して――
依頼が完了したのは次の日の朝、すでに日もまぶしく昇った頃だった。
――やれやれ。毎年のことながら……
色気のないヴァレンタイン・デーだ、と思いながらも、ふっ、と顔が緩んだのは、トラックの運転席、煙草の箱の隣に置かれた、スティック型のチョコレートのパッケージに目が留まったからである。
――いつもお世話になってるから、お礼がてらってことで。馬車さんけっこういい男だから、チョコレートには困んないかもしれないけど……これだったら、運転しながらでも食べれるでしょう?
首都圏を出るまで一緒だった、レディ・ポイズンの言葉が蘇る。
馬車に言うように、例の邪眼の小僧にも素直に言えたらよかろうによ、と喉の奥で笑いながら、馬車はゆっくりとハンドルを切った。卑弥呼の、そのお世辞とも本気ともつかぬ言葉を大きく裏切って、馬車はチョコレートなどと言うものに、縁があったためしは本当に少ない。ましてや、仕事以外のことにはすさまじいまでに無頓着な、あの死神がそんな行事を知るはずもなく――
――……何を考えちょうかよ、俺は。
思わず苦笑した時、車庫が見えてきて馬車は小さく頭を振り、ふざけた思考を綺麗にそこから追い出した。
「今ぁ帰ったき」
一人暮らしにもかかわらず、声に出して言ったのは他でもない。玄関に黒い革靴が一足、きちんとそろえて置いてあったためである。そして、出る前にきちんと消したはずのテレビの音が、漏れ聞こえてきた。
だが、そんな声をかけた時の60%がそうであるように、今日もまた、居間のソファに寝転んでいるであろう赤屍の返答は、返ってこない。
「……寝ちょんか?」
居間の扉を開けて顔を覗かせ。しばし絶句して、ややあって大きく溜息をつく。
――またかい。
そう思わぬでもなかったが、重い足取りで、それでもソファの上――毛布の塊にぽん、と手を置く。
「どした、調子でもあかんが?」
「――」
毛布のはざまから覗く紅い瞳が、明らかに「今、私は猛烈に機嫌が悪いんです」と訴えつつ無言のプレッシャーをかけてくる。
「何か食うか?」
食べ物で釣ってみようか、とかけた声は見事に無視された。
「……馬車」
「ん?」
「ちょっとそこに座りなさい」
「……もう座っちょうがよ」
たしかに馬車は、ソファの傍らに胡座をかいていた。
「いいから」
何が良いのかわからないが、黙って聞いてやった方がよさそうだ、と馬車は神妙な顔でその場に座り直した。
「若者の行事に疎いあなたは知らないかもしれませんが、馬車」
毛布にくるまって拗ねこもった、気難しい人型の黒猫が、左眼だけを覗かせてとうとうと説教をはじめる。
「昨日は巷ではバレンタインデーという国民的祝祭の日だったのですよ」
「……」
つい先年までろくに知らなんだのはおまえの方じゃき、と突っ込むのもためらわれて、馬車は真面目くさって「それで?」と相槌を打った。
「バレンタインデーというのは、普段の感謝を込めて、大切な人にチョコレートを送る習慣があるのです」
「……そうじゃな」
「知ってたんですか!?」
刺々しい声に、何か地雷を踏んだだろうか、と首を傾げつつ、
「そらまぁ、世間一般の知る程度には知っちょうが」
と返してみた。
しばし、放射線状に殺気を放ちながらの沈黙が続く。
「……おい」
「あなたという人は、」
「?」
「あなたという人は、知っていて一度も私にチョコレートを寄越さなかったんですね!?」
思わず目眩がした馬車は、胡座をかいたまま、床に手をついて自分を支えた。
「しかも、私がその習慣をせっかく思い出してチョコレートを買ってきたのに、あなたは14日中に帰ってきやしない」
「――――買ったんか!?」
「買いましたとも」
この異様な存在感と空気を誇る黒衣の麗人が、並み居る婦女子を後ずらせ、遠巻きに見守られつつ悠然とチョコレートを買う場面が、馬車の脳裏を走馬灯のように駆け抜けていく。
以前、怪我をして出血多量で死にかけた時に経験した「貧血」という症状を、十数年ぶりにもう一度経験してしまいそうで、片手で目を覆った。
「……あの、な」
何を何からどう説明すべきか悩みながらも、馬車は口を開いた。
「なんですか」
言い訳できるもんならしてみやがれ、と言いたげなつっけんどんな返答が返ってくる。辛抱強く、
「いくつか、勘違いを直さしてもらうぜよ」
「……勘違い?」
「まず、バレンタインデーにチョコレートを送るのは、おおよそ、女から男への風習じゃき」
「……女?」
「そう」
「でも銀次クンが……」
ぴく、と馬車の眉が動く。
「あの雷帝の小僧が?」
「意中の人に送るんだって、チョコレート持ってきましたが」
それはつまり意中の人が赤屍なのではあるまいか、とわざわざ弁明してやるほど馬車はお人好しではない。「そうかそうか」と適当に流し、
「まぁあの小僧の場合は、そういう行事にかこつけて、想いを告げようとしたとか、そんなところと思うが……」
と、そのへんで曖昧にごまかしておく。
「そういうものなんですか」
「そういうものぜよ」
「……」
何となく納得が行かない様子の赤屍の顔を、毛布をどけて通気性を良くしてやりながら、
「チョコが食いたいがね?」
と念を押してみる。
「……もういいです」
「なして」
「だってもう15日ですから」
毛布の跡の微妙についた頬を手の甲でこすり、その手を伸ばして赤屍は、壁の日めくりカレンダーを指差した。
仕事に出ていく前に、馬車がまとめてめくっておいた日付は、たしかに2月15日。
「……やれやれ」
溜息をついて馬車は立ち上がった。追って起き上がりかけた赤屍に手を出し、
「メス、一本貸しぃ」
「……?」
不思議そうに、ぽん、と手に置かれたメスを握りしめて、日めくりカレンダーへ向かう。
その足下のごみ箱をがさごそと面倒くさげにあさり、何枚かの紙屑を拾って丁寧に広げる。
一枚手にとって、日めくりカレンダーの上にべたりと重ねた。
「……馬車、それ」
赤屍がまばたきして見守る中、おもむろに手の中のメスを、カレンダーに突き刺して紙を留めつける。
「……これでまだ14日やきねぇ」
カレンダーの上には、一度破られて捨てられた14日付の日めくりが、メスで無骨に留めつけられていた。
「……詭弁ですよそれは」
もっともな赤屍の言葉に耳を貸すことなく、一方的に、
「出かけるきィ、しゃんしゃん仕度せぇ」
と申し渡す。
「どこに行くんです?」
「菓子屋」
「は?」
「おまえの好みは俺にはちぃくともわからん。一緒に選んだ方がよかろ」
「……本気ですか?」
「おまえは俺が、冗談を言う人間だと思うちょったんか?」
「……いいえ」
「なら仕度せぇ」
もぞもぞと毛布から出てきた赤屍の腕を引っ張って立たせ。ふ、と思いついたように言う。
「それと、おまえの買ったちうチョコレートも、今のうちに貰うとくき、寄越しぃ」
「……いいですよ、もう」
何だか怒涛の展開に、珍しく腰が引けた様子の赤屍を無視して、椅子にかけたコートを勝手にばたばたはたいて目的の物を探す。
「ちょっと、馬車」
「ああ、あった」
チョコレートブラウンの、掌サイズの包みをポケットから引っ張り出し、
「もらってええがね?」
手の上でくる、と包みを回してみせる。
「……なんだかどうでも良くなってきました。好きにしなさい」
その返事を聞いてテーブルの上に包みを置き、のろのろコートを羽織る死神を「早よせぇ」と追い立てて居間を出て行く。
ばたん、と閉めたドアの勢いで、この良き日付の薄紙は、メスから外れてひらりと宙に舞い――チョコレートブラウンの包みの上に、奇しくもふわり、と重なった。
その後、とある有名なチョコレート専門店は、やかましく夫婦漫才を繰り広げるふたりの男の来店に、店中こぞって凍りつくことになるのだが――
それはきっと、言わずもがなのこと。
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