桜の樹の下には――昼の桜「想い初めにし」
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桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。 ――梶井基次郎『桜の樹の下には』
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穏やかな春の陽光も、そよそよと花弁を散らせる春風も、色褪せてそのままに凍りついた。視線の先で、なにかに憤るように、固く握りしめられていた拳から、はたり、と鮮血が滴って桜色の地を赤く汚した。 「――花月!」 発した声の無様な揺れ具合が、憎かった。父ならば、風鳥院の姫若の前では、決してこんな声は出さない。何があっても、まるで、感情を捨て去ったかのような、平板な穏やかな声を放つ。 拳を固く作ったまま。びくり、と揺れた細い細い肩。桜舞い散る御所車の袖が、ふわん、と揺れて振り返った、誰よりも愛しい彼の小さなご主君―― 「……じゅう――」 「花月、いったい……」 「――十兵衛ぇっ!」 鈴を振り捨てて、目に涙をいっぱい溜めて。溺れる子供のように手を伸ばす花月に、何か考えるよりも、体が先に動いていた。 駆け寄ってくる十兵衛を見て、自分からも駆け寄ろうとしたのだろう。足元も確かめず、その黒目がちの瞳で十兵衛を見つめたまま、足を踏み出し――がくん、と体が傾く。 「あッ」 「花月!」 飛びついて、地にまろぶ花月の身体の下になる。 もつれあって倒れた時、体の上にやわらかい重みが飛び込んで、十兵衛は目的をうまく果たしたことを知った。 そして身体の下には―― 「――ツ……」 「じゅ……十兵衛っ枝が! 刺さったんじゃ……」 「大丈夫――大丈夫だ、花月」 おさない顔を蒼ざめさせた、禿姿の大事な友人の、頭を不器用に撫でてやりながら。身体の下に敷いてしまった桜の枝を、そっともう片方の手でどける。 そう、彼ら二人の周囲には、まさしく爛漫の桜の枝が……樹から無惨に切り取られ、累々と転がっているのだ。 桜の中に埋もれたような気分になった十兵衛は、知らず、うそ寒い気分を禁じられず、花月を見上げた。 ゆっくり起き上がって、ふたり、桜花弁の絨毯の上に座る。桜の枝に囲まれたまま。 「……怪我は、ないか?」 「……うん」 「そうか、それはよかった……」 「……どうして……聞かないの?」 「うん?」 いまだ声変わりせぬ高い幼い声で。花月はうつむいて囁く。 「……切り口を見れば、わかるよね? 僕がやったってこと……」 「……ああ」 「怒らないの?」 「……なにか……あったのか?」 「怒らないのっ? 僕が、キミの――キミの『主君』だから?」 「花月――そうじゃない。そうじゃないよ」 慌てて手を伸ばし、おかっぱ頭を撫でてやる。はらはらと落ちかかる桜の花弁を、ひとつひとつ、取ってやりながら。 御所車の膝に、水滴がひとつふたつと落ちているのにも気づいていたが、それには、知らぬ振りをした。 「……じゃあ、なんで……?」 「うまくは言えないんだけどな……」 困ったように頬をかき。 やっぱり、つややかな黒髪を優しく撫でた。 「……なんだか花月が……すごく傷ついているように見えたんで。 そんな顔されたら、怒れないよ」 わあっ、と高い声を上げて泣き出した花月の肩に、ためらいがちに手を置く。 首っ玉にかじりついてきたので、おずおず、と背に手を回した。 こちらの胸の痛くなるような、悲痛な泣き声。 こんなに幼いのに。 まだ、本当ならランドセルをしょっているはずの、子供なのに。 どうしてこんな声で泣かなきゃいけないんだろうと、背をぎゅっと抱いてやる。 見え隠れする自分の腕の、何と細いことか。 ――はやく……はやく、父上の力を借りないでも、花月を護れるようになりたい…… 花月に対応する「筧」は、自分なのだから。 「……ごめんね」 「いや……いいよ」 きちんと膝をつき、懐から出した懐紙で、ぐずぐずと鼻を噛んでいる花月の目元を、自分の懐紙で拭ってやる。 しばしの沈黙の後、花月がぽつりと言った。 「桜の下になにがあるか知ってる……?」 「え?」 思わず、背後の巨木の幹を振り返る。 視線を下に降ろした。 桜の下にあるのは土だ。それは間違いない。いや―― ――桜の樹の下には。 どこで聴いたかも思い出せない、そのフレーズ。 「……しらない?」 涙にぬれた黒曜石の眼をぱっちりと見張って、花月が見上げてくる。 「……桜の樹の下には……死体が埋まっているっていう、あれか?」 ためらいがちに尋ねると、「知ってるんだね、さすが十兵衛」と、少しだけ笑ってくれた。 だが、その笑いも、日が蔭るように萎れる。 「桜の花は、腐れた死体の養分を吸って咲くから、こんなにキレイなんだって……」 その視線は、無惨に地に転がる桜の大枝に向けられている。 「……言い伝えだろう」 「……そうかもね……」 子供らしくない、諦観の混じる伏し目。 思わず頬に手を添えて、顔を上げさせる。 「……十兵衛?」 「何がそんなにつらいんだ、花月?」 「……」 「オレでは……オレでは、役に立たない……か?」 「そんな! そんなことは……ただ、」 「ただ?」 つらそうに沈黙する、少女としか思えない少年の隣に座ったまま、十兵衛は天を見上げる。 吸い込まれそうな青天井。以前は桜の枝がのしかかってきたはずだった。このアングルの視界なら。 そうやってどのぐらい一緒に沈黙していただろう。花月が、く、と袖を引いて来たので、視線を降ろす。 「どうした、花月?」 「風鳥院は、」 「ん?」 「風鳥院は、どうしてあんなに『優婉にして華麗』なんて褒め称えられるんだろう?」 「どうして、って……」 「本当は、」 「本当は、死体の養分を吸って咲いているのに」 「……花月、」 「そうだろう、十兵衛?」 「……」 首を横に振るべきだ。そんなことはない、と安心させてやるべきなのだ。なのに、凍りついたように十兵衛は動けなかった。 多くの分家、分派を抱え。その頂点に燦然と咲き誇る風鳥院流宗家。闇の一面「裏」を持ちながら、すべての家に敬われ、慕われる、「風鳥院流の大輪」……それゆえに敵多く、累々たる敵と味方の屍を量産したその上に、風鳥院流は艶やかにさいた大輪の華だった。 「『筧』だって……400年の歴史、何人の人間が風鳥院のために命を落としたと思う? それをみんな犠牲にして、その上に咲いて――それで。それでみんな『綺麗だ』って褒めて、持ち上げて――この桜のように」 「……そうか。だから……」 だから、斬ったのか。 腐乱した死体を醜く抱え込み――その上になまめかしく咲き誇る桜が、許せなかったのか。 己が将来継ぐであろう家の――いやらしい、醜い一面を見せ付けられたような気がして、斬ったのか。 そんなことをしても、何の意味もないのだと。桜には何の罪もないのだと。知っているから。目に涙をいっぱい浮かべて。血が滴るまで、幼くやわらかい拳を握りしめて。 「……なぁ、花月」 握りしめたままの拳をそっと手に取り、力を込めて開かせて。とん、とん、と鍼を置いてやりながら。 「オレなら……冷たい墓の下に押し込められるぐらいなら。桜の養分になる方が、嬉しいよ」 「……十兵衛」 「同じ死ぬなら……おまえのために、死にたい」 見つめる先に、まだ蕾ながらも艶やかな――彼だけの桜。その桜の上に、さらに桜の花が降る。 黒眼がちの、赤子の瞳のように美しく光を弾く黒瞳から、目を離すことができない。 この桜のためなら。 いや、この桜のために。 自分は蛆をたからせ腐乱する死体となってかまわない。 ……そうありたい。 手に入れることのかなわない――彼の主君――彼の華――ならば、せめてその下に埋もれる死体に―― 「……いや、」 「かづ、」 「いや、いや、いや、いや!」 強くしがみつかれ、息が苦しいほどに抱きしめられ。 「花月、」 「死ぬなんて言わないで十兵衛」 誰を殺しても――誰を喪っても、咲きつづけなければいけない桜。 その妙なる華を腕に抱いて、優しく背を撫でて。 「すまない、花月、もう言わないから……」 「――死なない?」 「……ああ」 頷く前の一瞬に、すべての罪悪感を押し込める。 たぶん自分は死ぬだろう。 この美しい桜のために。 そして一生、自分という記憶を彼に植えつけるのだ。――その養分となることで。 そういう死に方も、そういう愛し方もあるのだと。 花月は、この満開の桜の中でオレに――教えてしまったから―― 「十兵衛ェェェェェェェェッ!」 悲鳴のような絶叫が、一瞬、彼を現実に戻す。 もう、痛みも感じない。 ただ、落ちかかる黄金の夕陽の、強烈な残光の中、逆光の美貌が見えた。 散る涙を頬に感じ――小さく微笑う。 何も悲しむことはないのに。そう言っても無駄なのだろうが。 「こうしていると、思い出すよ、花月……」 「え?」 涙と泥と血にまみれた顔を見上げ。 「昔――貴様と戯れたあの庭先の日溜まり――を」 そして―― 桜の樹の下に埋もれる屍を夢見た、あの幼き日々を―― |