ブレーキング・ブレーキ



馬車にとって、トラックは城であり、鎧であり、武器であり、脚である。当然、降りることは好まない。しかし積み下ろしの際は、そうも言っていられない。
扱う荷物がデリケートな場合は、煙草すら吸うことができない。もっとも、タクシー運転手としては一本も吸わないのだから、短時間の禁煙は、別に苦にならなかった。
トラックを降り、台車を抱えて、目的地まで歩こうとして、
「――よぅ」
人一人やっと通れるかといった、細い路地への入り口に、見かけたことのある男が立って煙草を吸っていた。
その手に抱かれているものを見て、台車を取り落としかけ――だが、それを気取られることなく、地面にゆっくりと降ろす。
「言っただろうが。プラスチックケース5つと、人形一体……ってな」
「――人形が、見当たらんが」
眼前の隻眼の男は、手袋をはめた左手で軽々と、180センチを越える長身を抱きかかえている。シーツで厳重に、丁重にくるまれ、死んだようにぐっすり眠る眠れる死神には、馬車はいやと言う程見覚えがあった。
「こいつが人間に見えるのか?」
「――息はしておろう」
「どうだかな」
面倒くさげに、煙草を落として踏みにじる。その傍らに、衣装ケースらしいものが山と積まれているのに、今更ながら気づいて眉を寄せた。
「持ってけや。『運び屋』」
左手がひるがえり、眠れる死神の身体が馬車に叩きつけられる。同じように、右手をあけたまま左手で抱き留め、溜息を吐いて覗き込んだ顔は、やっぱり、ぐっすりと眠っていた。起きる必要がないと、本能が判断しているらしい。
ひどく蒼白い顔をしている。疲労しているのか、と、シーツをかき分けて顔をちゃんと見ようとして、手が止まった。
「……感謝しろよ」
黒いコートをだらりと羽織った隻眼の男は、顔を背け、新しい煙草に火を点けている。ここで馬車が殴りかかったとて、見もせずかわせる、という無言の自信の表れだった。
「奪い屋が、一度奪ったものを返すことなんざ、めったにあることじゃねえ。運が良かったな、運び屋」
シーツの下は、ローブにくるまれているらしい白皙の肌の。首筋にはっきり、見せつけるようにつけられた朱の印。
「ならばなぜ返す」
「決まってるだろうが。欲しくもねえからさ」
「……ならばなぜ食う」
二度目の問いは、一度目よりもほんのわずかに、低い声でなされた。
奪われたから怒る、そんな資格があるなどとは思っていない。自分のものだと思い上がったつもりもない。
だが、欲しくもないのに食って捨てるほど、安いセクサドールだなどと、この男がこの死神を見なしているのなら。
「言やれ。……なぜ食うた」
瞬間、ぱちり、と、馬車の腕の中で赫瞳が見開かれる。
「……ク、」
おかしげに隻眼を細め、男は背を向ける。赤ん坊がむずかるように、もぞ、とシーツの塊が動いた。馬車が無意識に放った殺気に、揺り起こされたのだとは、本人も自覚してはいまい。
「食ったつもりはねえな。退屈で死にかけてたのを、ちょっとばかりお慰め申し上げただけだ。本当は服まで着せてやる約束だったが、目を覚ましやしねえから、こン中から選んでてめえが着せときな」
後ろ手に軽く、ケースの山を叩いた手が、ぴん、と煙草をはじいて地に投げ捨てる。
それに、と、細い路地に窮屈げに滑り込むその一瞬前に、投げつけられた言葉。


「……欲しくもねぇと思わねえと、欲しくなるだろうが」


欲しいのは、ほんの一時、気まぐれに手に納まるだけの生き人形。
身も心も魂までも削り抜き、破滅への道を突き進んでも欲しいと思える相手なら――
あいにく自分は、間に合っている。


不思議そうに、おっとりと自分を見上げている赫瞳を、見たくなくて、片目で目をふさがせる。
「……なにを、怒っているんですか?」
かすれきった声がものうく問うてきたが、答える気になれず。
「知るか」
「呼びつけたのは、私ではありませんよ」
「黙っちょれ」
「……」
困惑したような沈黙ののち、目をふさがれたまま、赤く薄い唇が開く。
「……要するに、あなたは私に会いたくなかったんですね?」


だとしたらどんなに良かっただろうか、と天を仰ぎ。
シーツの塊の中で身がすくむほどに、一瞬だけ、きつく片腕で抱きしめて。
「馬車――」
「……帰るぞ」
と、抱き直しつつつぶやいた声は、普段と変わらぬ茫洋とした低声に戻っていた。
「……どうしたんですか?」
「別に」
「…………せっかく、彼のおかげで少し気分も持ち直したし。あなたも帰って来て機嫌良く過ごせると思ったのに」
本気で悲しがっている声で、何もわかっていない無邪気な獣は、シーツの中に潜り込んでしまった。
あの男はこの奇妙な生物を人形に喩えたが、と、溜息をついてシーツを片手でかきわけ、思う。自分にとっては、すばらしく発達した知能と殺傷能力と、キレイな顔と身体を持った大きな獣か赤ん坊か、そんなものでしかない。要するに、「キモチイイこと」を求めているだけの生物なのだ。そしてそれが喪われると、死んでしまう。
馬車にあやしてもらうのも、襲いかかってくる敵を切り刻むのも、あの男に一時満たしてもらうのも、すべては同じ「キモチイイこと」のひとくくり。
「……ひとつ言うておく」
かきわけたシーツの間から覗いた顔に、呼びかける。
「はい」と嬉しそうに返事をしたシーツの塊の頭をばふっ、とかなりの力で叩き。
「安売りだけは許さんき、覚えちょれよ」
「……?」
言われた言葉の意味を考えている死神を、まるで荷物のように肩に担ぎ上げた。
意味の分からないことを長く考えるつもりはないのだろう、すぐに肩の上で視線が切り替わる。
「あの箱は何ですか?」
「さぁ」
「持って帰らないんですか?」
「いらん」
「この格好は腰が痛いです」
「我慢せえ」
「……所詮、夫婦ってそんなものなんですね」
「はぁぁ?!」
「だって彼が、相棒のことを女房役って言うからおまえらは夫婦だって」
「あほう!」
「…………」
やや寝ぼけたままの頭で、なぜ怒られたのか考えている死神を、家に帰ったらみっちり再教育しなければいけないかと思うと。なまじ性質の悪い犬に噛まれるより、そちらの手間の方がよっぽど悔しいと思う馬車であった。


ひさびさに、良い殺気を浴びた。心地よさにひとり、目を細めると携帯が鳴った。
手にとって耳に当てると、聞き慣れた声が滑り込む。さきほどまで、彼が人形で好き放題遊んでいた、あの店のボーイだ。何の変哲もないドアからは想像もつかない、瀟洒に整えられたお忍び用の宿。
「……なに。置いてかえっただと?」
人の好意を無にしやがって。いまいましげにつぶやいたのち、
「構わねえ、送りつけろ。住所? 東新宿の探し屋に、つきとめさせりゃいい。費用は気にするな。どうせ、」
口元がく、と歪み、


「……どうせ、アイツを殺すまでの暇つぶしだ」


それきり、面倒くさげに通話を切って、不動は携帯電話を放り出した。


その後、無記名で届けられた大量の服を、着るか着ないかで運び屋ふたりが大喧嘩を繰り広げた――かどうかは、当人たちと、神のみぞ知るところである。