チタンの腕にはキリングドールを



手を伸ばしたのは欲しかったからじゃない。ただ、今にも倒れそうに見えただけだ。


「……なんですか?」
おとなしく肩口を掴ませて、帽子のつばの下で、端正な唇が不審そうに歪む。
義腕を使いはじめた頃は、誤って掴んだ相手の骨を砕くようなこともあった。もちろん、現在はこの擬似的な電気信号の触覚にも慣れている。
「細ぇ肩だな」
義椀に力を込めていくと、みしみし、と手の下で骨がきしんだ。
特に痛がる様子もなく、黒いコートの半ばにごわついた染みを作ったまま、蒼白い頬のキリング・ドールはものうげに不動を見返す。
放してはいただけませんか、と問う声がなげやりだ。頬の白さは、頭上でジジ、ジジ、と愚痴を繰り返す、時代遅れのネオンのせい――だけでも、ない。この死神の肌は、どれほど血を浴びても、常に蝋人形のように透き通って蒼ざめている。
「こんなところで何をふらふらしてやがる?」
「仕事帰りです」
仕事帰りなのは、立ち込める血臭でいやでもわかる。決して人通りが皆無とは言えない、夜の繁華街裏通り。何人の善良な区民が、通報しようかするまいか迷っていることだろうか。大抵は、やっかいごとに関わるのを恐れて耳と目をふさぐのだが。
肩を掴んだまま、面倒くさくなってビルとビルの隙間に引きずり込む。人がひとりやっと通れる程度のその隙間は、重なり合うビルのせいで複雑に曲がりくねり、時折思い出したように、薄汚れたドアやのれんが姿を見せる。7度ほど、迷路のような分かれ道を曲がっても、通りには出ない。ただ、何の変哲もないドアがまたひとつ、姿を顕わしただけだった。
「……何の真似です?」
「なぜとっとと旦那のところに戻らねえ?」
「旦那?」
「てめえの運転手だよ」
「ああ……馬車ですか」
少しだけ鼻で笑い。歩いて帰るのが面倒くさくて、と、肩をすくめる。帽子の下の唇に、血まみれの微笑をはりつけたまま。
「迎えにこさせろや」
「今日は運び屋のお仕事で」
遠出しているのだろう。
「ふぅ……ん」
舌なめずりの音が聞こえそうな相槌を、打つ。気にした様子もなく、目の前の生ける蝋人形は、赤黒く汚れた手袋を、少しひっぱってみてすぐに諦めた。
「取ってやろうか?」
つい、と左手でその手を取って手袋をつつく。はじめて、少し気を引かれた、といった様子で、帽子の下からちらりと赫の瞳がのぞいた。
「お願いします」
両手をおとなしく預けたのを確認してから、片方ずつ、歯で手袋を噛みきって引き千切る。
裂けてほとりと地に落ちた手袋を、ぼんやりと眺める赫瞳は奇妙に生気がない。――いつものことではあったが。
「生理か」
「は?」
「いつにもまして眼がうつろで、生きてんだか死んでんだかもわかりゃしねえ」
「……たぶん生理ではないと思いますが」
「たぶん」ってなにさ! と銀次ならつっこんだだろうが、不動はあっさりそれを聞き流した。
無遠慮に顎を義手でとらえ、もう片方の手で帽子を奪うとしげしげと、血に汚れた白皙の顔を覗きこむ。
「てめえ」
「はい」
うつろな赫瞳と目が合った瞬間、喪われた右眼に突き込まれるメスの幻影。
「――ツ、」
目を細め、このうつろな瞳から常に放たれつづける「死の気配」をやりすごす。仕事がバッティングしていない限り、その手のメスが放たれることはない。それは、よく知っている。
一秒先、二秒先にちらつきつづける死の予感を楽しみながら、不動は顔を近づけ、耳元に囁いた。
「てめえ、退屈で死にかけてるだろう」
しん、と凍りついた沈黙に、やけにそらぞらしく、表通りの雑踏が漏れ聞こえ。
その中でひどくものしずかな、沈んだテノールはなめらかに返答する。
「――そうかもしれません」
「身体を洗うのも、飯を食うのも、息をするのも面倒くさくなってきているだろう」
「――どうでしょうね」
「今日の敵は、そんなにつまらねえ相手だったか?」
「――」



「――ええ。反吐が出るほどに」
端麗な唇が不快に歪められ、言葉を吐き捨てた。


「かわいそうになァ。こんな時に限って、べったべたに甘やかす旦那は不在か」
甘い声で囁きながら抱き寄せる。
「いい加減なことを言わないで下さい。どうせ、邪眼の彼以外のことなど頭にないくせに」
それはまるで男女の修羅場のような台詞だが、実態は、「私と殺し合って欲しい」という物騒この上ない願いだ。
「……そうでもないぜ?」
首筋に跳ねた血を舐めとってやりながら、囁きつづける。
「私と遊んでくれるのですか?」
「てめえの言う『遊び』とは……ちょっと違うだろうがな」
「……?」
しつこく首筋を這う舌から顔を背けて逃げつつも、抑え切れない興味に、つい、と赫の視線は流される。
かりかり、と駆動音をさせながら、その頬にこびりついた血をこそげとり。
「取引だ」
「取引?」
「次の依頼まで40時間、オレはオフだ。その40時間、ずぅっとかかりっきりでてめえと遊んでやるよ」
「……どうやって遊んでくれるのですか?」
頬に触れる義手に手を重ね、不思議そうに赫瞳が見上げて来る。くいついた、と心中つぶやき、
「たっぷり気持ち良い想いもさせて、泥のように眠らせて、眠ってる間に風呂に入れて、体中ぴかぴかに磨いてから、新品の服を着せて、美味い飯を食わせてやる――ってのは、どうだ」
「……交換条件は?」
心が動いたらしい。シャツにまで染み込んだ返り血を眺め、考え込みつつ蒼ざめた肌の死神は、問いを重ねる。
「交換条件は……そうだな」
血が染み込んでがちがちに固くなっている、ネクタイの結び目をいともたやすく引き千切りながら、


「その間ずぅっと、てめえはオレの生き人形になるってことで、どうだ?」


「……生き人形?」
「喋らない、」
唇に手を当て、
「動かない、」
背中を撫で下ろし、
「息をしているだけの生き人形。……てめえにゃ慣れたお遊びだろうが」
どうせ言わなくたって、人間の振りをしているだけの、このうつろな生物はただの生き人形なのだ。
殺戮という名の歯車をいっぱいつめこまれて、誰もが目をみはるなめらかさでキレイに動いてみせる、白い肌の赫い瞳の、美しい笑顔の唐繰人形。
「……生き、人形ですか」
「悪い条件じゃないと思うがな?」
「……そうですね」
けだるげに、両手があがって不動の首にまわる。
「その取引……受けましょう」
そう囁いた声が聞こえた瞬間。


「……っと、」
がくん、と目の前の死神の身体は力を喪って腕の中にくずおれていた。


眠るように瞳を閉じた白皙の容貌を眺め、軽く頬を叩く。
「眼は開けてろ。まばたきぐらいは大目に見てやる」
ふぅ、とかすかに睫毛を震わせて開いた赫瞳を覗き込み、満足したように笑うと、軽々とそれを抱き上げる。
何の変哲もない目の前のドアを、片手で開け、中から慇懃に出迎えたボーイに「持ってろ」と腕の中の生き人形を放り出す。
動じた様子もなく、しっかりと抱き留めたボーイへ矢継ぎ早に指示を出しながら、後ろ手にかっちりとドアを閉めた。


可愛い彼の生き人形を、他の誰かの眼から隠してしまおうと、するかのように。