裏新宿の近くには、たむろする娼婦を買い上げ、連れ込むための宿がある。ラブホテル、などというものもあるにはあるが、勿論、不動がそんな、ぺかぺかと磨かれた安っぽく派手派手しい場所などを、死神との逢瀬に選ぶはずもなかった。
無限城から雷帝の姿が消えたことによって、裏新宿の闇の秩序は乱れきっている。新たな支配者と噂される、電脳の帝王MAKUBEXの支配力は、まだ、無限城の外郭には到っていない。
「MAKUBEXという少年は……」
ふんわりと身の沈むベッドに浅く腰掛け、赤屍は物憂く窓の外を見た。ひとめで高価なものとわかるカーテンが、少し引き開けられて、防弾ガラスの向こうに鉄とネオンと廃材が覗く。それはひどく不思議な光景だった。
自分のコートと赤屍の帽子をコート掛けに引っかけた不動が振り返ると、視線を感じたように、顔を彼の方角に向ける。
「結局、ロウアータウンを把握したのでしょうか?」
「なぜ俺に聞く?」
「このあたりに、お詳しいようでしたので」
見ている所は見ているか、と不動は隻眼をわずかにすがめた。
彼は、MAKUBEXとの取引に応じていた。無限城の外郭を我が物顔に使っているのも、そのささやかな利潤だ。たかが裏町の一角、自力で手中に収めることも可能ではあったが、労せずにすむならそれがいい。獣は獣らしく、食指が動かねばひどく怠惰な存在なのであった。
「なぜMAKUBEXを気にしてやがる?」
「あなたは、14歳の少年にまで嫉妬するのですか?」
優雅な皮肉を、ものやわらかなテノールの表面にかぶせて赤屍は笑った。何も明かす気がない、と知って不動は追求を止めた。正直、別に大して知りたいことでもなかった。おそらく、彼に関する仕事の依頼でも来たのだろう。その程度のことに違いなかった。
だが、向けられた皮肉に対して、手ひどい返礼はしてやらねばならない。
「言うじゃねえか」
片頬をひきつらせるようにして笑うと、不動は長い四肢の映えるざっくりとした仕草で、ベッドに向けて歩み寄ろうとした。
瞬間、ノックの音がそれを引き止める。
どうぞ? と言いたげに、笑みを貼りつけたままの顔で首を傾げる。その身振りだけで赤屍は、不動を戸口へ追い払う意志をはっきり示してみせた。
普段なら、不粋なノックなど無視してベッドに相手を突き倒すところだ。だが、おそらくこのノックの主は、今のこの対峙にとって多少、大事な意味を持つだけに、不動は舌打ちをして身を翻した。
ドアノブに手をかけて、キン、と左眼の光に現実の瞬間が、右眼の闇に一秒先の未来が映る。
それを、ほとんど無意識の癖として確かめながら不動は扉を、前触れもなく開いた。
目の前に、フルフェイスのヘルメットを片手に抱えた、ひとりの男が立っている。
「お届けモノ」
それだけ言えばわかろう、とでも言いたげに、この季節に学生たちが持っていそうな細長い筒と、受領書を一度に男は押しつけた。
脚にがっちりとはめられた、バイクの操作用の様々なギミックや、素材の知れぬツナギを見て、バイク専門のひとりの運び屋の名を思い出しながら、不動は右手で筒を受け取る。
無造作にひねって蓋を開け、中身を取り出してにやり、と笑うと、無言で蓋を閉め、小脇にそれを抱えた。
「上出来だ」
「伝えとく」
眼帯に手をあて、仕込んだ鉄線でピッ、と右手の親指を傷つけると、不動はその血を受領書に軽くなすった。
ほらよ、と投げれば、軌道の読みにくい紙の動きを、いともたやすく捕らえてポケットに突っ込み、「毎度あり」と無感動につぶやいて運び屋は背を向ける。
「ベータ・ケンタウリですか?」
扉を閉めた不動の背に、赤屍が物憂く声をかけた。
「そんな名前だったかもな」
不動はもともと、運び屋や案内屋の類を軽視する傾向にある。赤屍の挙げた名前に聞き覚えのあるような気はしたが、すぐに頭の中から追い出して筒を片手に、振り返った。
「その筒は?」
赤屍と不動、お世辞にも他人に興味があるとは言えない両者が、どちらも名を聞いたことのある運び屋。その運び屋が運んだ荷物であるだけに、赤屍の興味はまずそちらに向く。
「『三倍返し』さ」
不動は、彼以外の人間がやれば究極に悪趣味で粗野な、それでいて彼がゆえに気障な仕草で、筒の蓋をねじり、床に放り出した。
「では、私にいただけるものなのですね?」
ベッドから立ち上がろうとした赤屍に、顎をしゃくる動きで、そこにいろ、と傲然と命令し。不動は大股で歩み寄ると、赤屍の眼前で、筒をさかさまにしてみせた。
がつん、という異様な金属音をたてて、筒の下に当てられた不動の義手に、筒の中の物が落ちる。
音の異様さと、不動の無造作なその仕草に、赤屍はベッドに腰かけたまま、わずかに身を乗り出し、そして、わずかに眼を見開いた。
「薔薇――……?」
つぶやきかけて、いや、しかし、と黙り込む。薔薇が重い金属音をたてるはずもない。
だが、不動の義手に握られたそれは、たしかに、一輪の薔薇の形をしていた。
金属――で、造られた、造花なのだ。
だがそんな、他愛ない酔狂だけなら、この胸を騒がせる感覚もありえないと――赤屍は、魅入られたようにさらに身を乗り出し、ほぼ無意識のうちに、手をその薔薇に伸ばす。
瞬間、不動の生身の腕が伸びて、その手を捕らえた。
抗うより先に、ベッドのヘッドボードに、195センチの巨体が186センチの長身を押しつける。その瞳の奥底まで、死の気配を刻みつけてやろう、と赫の凶瞳が見開かれて不動の隻眼を睨んだ。
だが、
「プレゼントだと、言ったろう?」
1秒後の死のヴィジョンに耐え抜いて、不動は痛みと欲望がぎりぎりに互いを引き裂く笑みを、浮かべてみせる。
「くれてやる、てめえのその――手に」
そして不動は、義手を高々と挙げ、壁に押しつけた赤屍の右手に薔薇を――突き刺した。
痛みよりも不審に眉を寄せ、腰をヘッドボードに、頭を壁にもたせかけて、ベッドに足を投げ出して座る赤屍。
その右腕は、金属の、銀色の薔薇によって、釘打たれた殉教者のように、壁に留めつけられている。
「何の真似です?」
痛みも怒りも現れぬその声に満足を覚え、不動は己もベッドに乗り上げ、ぎり、とより強く、金属の薔薇をねじ込んだ。
己の痛みに無関心な赤屍が、己の右手を貫いたその薔薇に、無感動に視線をやる。だがふと、その瞳がひどく純粋に不思議そうにまたたかれたのを見て、「気づいたか?」と不動は笑った。
「このオブジェの材料は……? なぜ、こんな細い茎でたやすく突き刺さるのです?」
「無重力合金を、知ってるな?」
「……無限城の……あの夢の合金ですか?」
今度こそ赤屍は、己を虐げる薔薇へ、掛け値なしの熱い視線を送った。
針金細工のように器用に、棘まで再現したその薔薇を、ゆっくりと指先でたどり、そして、不動は血の滴る赤屍の掌に触れる。
「軽く、鋭く……電気を通さない」
耳元で囁かれた言葉の後半に、はっ、と赤屍は小さく息を呑み、そして、まるで初恋の相手を言い当てられたかのごとく、わずかに赤面して視線をそらした。
「からかわないでください、彼とはそんな……また戦えるという保証もありませんし」
「欲しくねぇのか?」
「……欲しいです」
「イイお返事だ」
耳朶にキスをして、不動は血塗れた赤屍の手首を義手で握りしめたまま、生身の右手ですみやかに、白いシャツの味気ないボタンを外しにかかった。
銀色の薔薇のその茎を、赤屍から流れるあの特殊な血が伝い、そして、花弁を赤く塗装して落ちていく。
ぽたり、ぽたり、赤の滴る、ナイチンゲールの童話を思わせるその光景を、うつろに映す赫瞳が、ふと、閉ざされてそして嘆息を漏らした。
「何を考えてやがる?」
細い肩からシャツを追い落とし、顔を首筋に埋めながら不動が問う。
「別に……ただ、」
ぼんやりとした声で、魂の半ばを薔薇と肉体の快楽へ、半ばを何者かへの追憶へ奪われた死神は答えた。
「手袋をしていなくて、よかったと……思っただけです」
「旦那」が贈ったのは手袋か、と聞き返すような泥くさい真似は性に合わず。
不動は鼻で笑うだけで、それきり、目の前の愉しみを味わうことだけに専念した。
ひととき愉しめばさっさと出て行くつもりが、つい、浅い眠りに落ちていたらしい。ふと気づけば、片手で腰を捕らえていたはずの相手が、体勢を変えるためにか、みじろいだのがわかった。
もぞもぞ動いてんじゃねえ、と尻のひとつもはたこうとして、ふと、何をしているのか気になり、横目で相手を眺めやる。
不動に腰を引き寄せられて仰向けに横たわったまま、シーツから両手を出し、目の前に掲げて死神はじっと、それを眺めているようだった。
やがて、そっと、祈るように両手を組み合わせる。
何を似合わない真似を、と思いっきり嘲笑してやろうとして、だが、不動は言葉を失った。
組み合わされた両手に、あの異様な、穿たれたような古傷以外の傷痕が、ない。
そして、両手がほどかれ、ゆっくりと、球を作るような形で開かれていくにしたがって、その素の右手からずるりと引き出されていくそれは、
――あの薔薇か。
赤黒く、禍々しく染まった、それゆえに一層美しい、金属の薔薇。
それが一度、まるで本物の薔薇でもあるかのように、彼の両手の中でくしゃりとつぶされて、また、開かれた時には一本の、銀のメスに変わっている。
薔薇は彼の血と混ざり合ったのだ。
混ざり合って、そして、彼の一部に取り込まれた。
厳粛な、荘厳とも言って良い敬虔な眼差しを、メスに向けている赤屍の、彫刻のように整った横顔が、彼の隻眼の隅に映る。
ク、と不動の咽喉が鳴った。
赤屍が、我に返ったように彼を見る。
「なんです?」
「いいや」
不動は荒っぽい仕草で寝返りを打つと、ベッドに半ばうつぶせになり、こみあげる笑いを押し殺した。
彼の贈った薔薇が、常にあの禍々しい白い身体の中にある。
どんな男と殺し合う時も、どんな男の身体の下に敷かれて悶えている時も、常に、常に、彼の薔薇は身体の奥底にうずめられているのだ。
その淫靡な想像が、不動の咽喉から、隠しがたい哄笑となってほとばしる。
ひどく愉快だった。同じ病に身を堕とすがゆえに、彼にもっとも近い、彼の奥底に触れる贈物を、おそらくただひとり、与えることのできた自分と……この禍々しい身体を取り巻く、すべての哀れな犠牲者を思えば、自棄のように愉快な気分は、彼を、とらえがたく支配し続けるのだった。