あなうらめし、と



居間に入ると、長長と床に寝そべって、手のかかる居候は退屈そうにテレビを見ているところだった。
今日は、仕事がなかったらしい。寝室から引きずり出してきたのだろう、馬車の毛布を勝手に腹の下に敷いて、それにくるまって、ごろーん、と寝返りなど打ってみたりしている。
「おい、どいちゃり」
一応やんわりと言ってみるが、面倒くさそうな一瞥が返って来ただけなので、馬車は容赦なく、毛布の塊からはみ出した長い脚を、自分の足先で押しのけた。
そうしてテレビの正面を陣取り、どっかりと座り込みながらネクタイをゆるめる。これが愛らしくも優しい若奥様だったりしたら、「おかえりなさぁい」とか明るい声がはじけたりして、風呂は沸き、ぬるい春の宵にふさわしい燗酒も出ては来るのだろう。だが、どこをどう考えても、そんなものをこの、長長と伸びている生き物に要求するのは酷だろう、と馬車は勿論理解していた。レディ・ポイズンと呼ばれる同僚ならば、おそらく「そもそも、そんなものを要求してみようかと一度でも思っちゃう馬車さんが、あたしには理解できない」と、至極健全に吐き捨てたことだろうが……。
まるで自分の城を侵されたかのごとく、剣呑な視線をくれた死神は、だが、ややあって、さすがにここを馬車の家だと思い出したのか、仲直りを求めるように、「入りますか」と毛布の端を身体の下から引っ張り出した。
「いらん」
ようわからんボケ方をする奴じゃの、と思いつつ馬車は丁重にそれを辞退する。いくら肌寒い夜とはいえ、大の男ふたりが、ぬくぬくと毛布に包まって共にテレビを見る、という図はこっぱずかしい以前に、何かが――いや、むしろ何もかもがおかしい。
「食事はどうしたんです?」
「食うた」
「私はまだ食べていないのですが」
別に馬車を待っていたわけではなく、面倒くさくて食べていなかっただけに違いないのだ。なのにやたらと不満げにそう言い募る赤屍に、黙って馬車は寿司の包みを押しつけた。
その包みをまじまじと見つめてから、「前から思っていたのですが」と赤屍は包みと馬車を見比べた。
「意外と言うか何と言うか――まめな男ですね」
「……」
家で待つ妻に毎日土産を持って帰ってくるならば、たしかにそれはまめな男だろう。だが、自分で餌をとりもしない怠惰な野良猫に、毎日餌をやっているとすれば、それは男がまめなのではなく、むしろ猫が不甲斐ないのではなかろうか。そう思ったが、馬車は口には出さなかった。
口に出して言ったのは、テレビのことである。
「何見ちゅう」
「さぁ」
寿司の包みの包装紙だけを、一瞬の早業でばらばらにしてから、赤屍は顔をあげてテレビを見た。
「怪談らしいですよ」
「へぇ」
道理で退屈そうに眺めていたわけだ、と納得してから、馬車もまた、再現映像らしいそれをぼんやりと眺めていた。
「変えたぁいかんのか」
「どうぞご自由に。先程は見ていたのですが、面白くなくなりましたから」
リモコン片手に問う馬車に対して、菓子折りの蓋を開けながら、興味なさげに赤屍は言う。
「へぇ?」
さっきまでは面白かったのか、という思いを込めて相槌を打ちながらも、「起きて食え」と毛布の塊を両手で床から引っこ抜けば、しぶしぶと、ソファの前のテーブルに菓子折りを置いて、赤屍はパキンと割り箸を割った。
ソファによりかかるようにして床に座り込み、「幽霊の話をしていましてね」と、生真面目に話しはじめる。
怪談と言えば、大概は幽霊の話だろう。そう思いながらも、馬車は「ふぅん」と適当に頷いてやった。
「浮気をした夫の元に、亡くなった妻が化けて出るのですが」
「はぁ」
それのどこが面白いのだろう。何か素敵なオチがあるのだろうか。そうぼんやりと考えながら、安っぽい再現映像をぼんやりと眺めているが、赤屍が話の続きを切り出す様子はない。まさかそれで終わりかよ、と視線を流せば、ひとつめのにぎりを腹に収め終えたところだったらしい赤屍もまた、じぃ、と馬車を見返していた。
「……何じゃ」
「考えていました」
「何を」
「あなたが私より先に死んだら、やはり、私の浮気のたびにあなたも化けて出るのかと」
「……………………………………」
もう、お前は一生ものを考えるな。単刀直入にそう言ってやろうかとも思ったが、とっさにその声すら出ずに、まじまじと馬車は赤屍を見つめ返した。
たしかにそれなりに、それなりの関係がないというわけでもない。だが、妹背や夫婦と呼ばれるような関係であると、認識したことは一度もなかった。大体、そんなものが似合う二人ではない。断じてない。
……だからと言って、この死神が気まぐれに馬車の家に住み着き、何の因果か、そもそものきっかけが何だったのかさえ思い出せぬままに、時には臥所を共にしてしまったりもする――それを、なんという関係だと呼べば良いのか、馬車にはそれも思いつきはしなかった。「恋人」――などと、言える柄でもないし、相手にはそんな認識もないだろう。
「ねぇ、馬車、化けて出ますか」
赤貝と鯛をかたづけてから、真顔で赤屍が、馬車の答えを催促する。
「あー……」
天井を見上げ、どうして自分はこんな阿呆な質問に、真面目に答えてやっているのだろう、と思いながらも馬車はうめいた。
「あー?」
「何ちうか……バツが悪ィき、ようせんの」
「それは出ると言っているのか出ないと言っているのかどちらなのです? 日本語で答えてくださいよ」
「立派な日本語じゃ」
「どちらなのです?」
「……出やせん」
「なぜ?」
不満げに箸を置いて、赤屍は背筋を伸ばす。
なんとも面映く、馬車は溜息をついて頭をかいた。
「なして、ちうて……そがな……みっともない真似ぁ、ようせんにゃあ」
そもそも、目の前の奔放な生物を、馬車は自分のものだと思ったことなどはない。生きている間、こうして気まぐれに留まるならば、それで充分だった。死んでまで、血まみれの充実した人生を送るであろうこの猫を、己の墓に縛りつけるつもりがあるはずもない。……縛りつけたいと、思わないわけではないにしても。
馬車の答えが意外だったのだろう。切れ長の赫瞳を軽く見開き、あっさりと赤屍は言う。
「みっともない? そうですか? 私は化けて出るつもりですが」
「はぁあ!?」
「出ますよ? あなたが浮気をしたならば」
大真面目に断言して、勝ち誇ったように赤屍は、甘エビのにぎりを口に放り込んだ。
咀嚼して、飲み込んで、ちろりと舌で唇を舐めて、ふと、気まぐれに媚びるような仕草で軽くいざり、馬車の傍らに身を寄せる。
言葉もない馬車の顔を覗き込み、眼を細めて、どこまでが本気かわからない、常の笑顔のままで言葉を継いだ。
「多分、あなたより私の方が先に死ぬでしょう。私には死はありえないのに、なぜか私はそう思う。
 ……だから言っておきますが、馬車。浮気をしたら、化けて出ますよ」


手元に置いておけない野良猫。
いつかどこかで痩せ細り、噛み殺されて死ぬ――なのに突然、こんな風に妹背の真似事をしてみせる、ひどく愚かで、そして……残酷な。


手を伸ばし、ぐしゃり、とその黒髪をかきまわして馬車は軽く、その白い額に己の額をぶつけてやった。
「何をするんです」
「あほう」
「何が」
「そんなにわしに、浮気をしてほしいがか」


「……訂正します。浮気をしたら、決して化けて出てあげません」
「そいでええ」
ぽん、と頭に手を置いて、「はよ食い」と寿司の方にその頭を押しやってやる。
「もういりません」
急に甘えたくなったのか、ごねはじめたでかい黒猫に、「そうかそうか」と頭を撫で続ければ、膝の上にくたりと身体を乗り上げてくる。
「ガキのようじゃの」
苦笑して、それでも馬車は、頬をじっと膝に押し当ててくる孤独な生物の、その背を押しつぶすように抱きしめた。