唯一無二の仔羊に
闇そのものを纏うかのような黒衣の死神は、そのがちがちに己をよろった服装と、186cmの長身があいまってかなりがっしりした体格に見えることがある。だが、
――どうして脱いだらああなるのかなぁ……
眼前で、戦艦のように優美で磐石たる立姿をさらしている赤屍の、背中――正確には腰のあたりを銀次は、しげしげと眺めまわした。
最初の出会いでいきなりセミヌードを披露したこの死神を、プライベートで脱がすことがどれだけの苦労を伴うか、銀次は身を以って知り尽くしている。いっそもう一回火をつけてみようかな、とおもうこともあるのだが、それは赤屍の思うつぼというものだろう。嬉々として胸をときめかせつつ反撃して来るに違いない。
――闘いで脱いでほしいわけじゃないし。
銀次はこの死神の身体の、存外な繊細さが好きだ。腕を掴んだ時に知る、手を硬く跳ね返す骨の感触とその長さ、細さ。コートをすべらせた時に知る、白も似合うなだらかな撫で肩。ネクタイを取った時に知る、傷痕の浮く首筋の神経質な細さ……黒を奪い取った時に現れる驚くほどの端正さは、「綺麗な身体」というものが男性にも有り得るのだということを、銀次に教えてくれる。それは花月のような中性的――むしろ女性的な美しさではなく、余計なものをすべて削ぎ落としたような、整えられたオフィスの美しさである。
正直に言って、性格的な面で好きになれそうなところなんてさらさらないし――だからと言って、どうも最近は嫌いにもなれないのだが――、身体的には、いくら綺麗だからと言って、自分より10cmも高かったらまず、惹かれるより前に気圧されるはずだ。実際、自分でも情けないことに、触れる時は何よりもまず、ビビって怖気づかないよう、己を励まして飛びかかっている。
それでもこうして、押しかけては共にいようとしてみたり……誰も殺させまいと体を張って止めてみたり。そんな、自分でも不可解なこの衝動は、
――許せないから、だけじゃない。
許せないだけなら。どこまでも敵対して止めようとするだろう。触れたいとなどは思わない。
血塗れた黒衣を奪った下から現れる――白さと細さに、泣きたくなるほどの感動を覚えたりなど、するはずが、ない。
「……いい加減に、私の腰から視線を外してもらえませんか」
我に返ると、肩越しに振り返った赤屍が、帽子の下半分にめいっぱい「呆れています」と大書して佇んでいた。
「あ、いや、ええと、その、」
「何ですか」
「き、綺麗な腰ですね」
「……それはどうも」
何を言ってるんだオレってば! と悶えている銀次を他所に、赤屍はさっさと扉を開け、部屋に引き取る。
「ああっ待ってくださいよー」
慌てて身体を割り込ませ、銀次もぎりぎりでその後ろにと滑り込んだ。
常の通りの、なんの個性も変哲もないビジネスホテル。ベッドはダブル。別に銀次の都合を考えてくれたわけではない。この死神はひとりでもダブルベッドを使う。寝相が悪いわけでもないのにな、と銀次は、コートと帽子を無造作に椅子に放る赤屍を見守った。
仕事がバッティングした時などは、真面目にチビりそうなほど恐怖を覚える相手だが、それでも、時折、かちあってくれれば良いと思う。自分なら、そう簡単にこの人に殺されはしない。他の奪い屋をこの人が切り刻むぐらいなら、死なない自分と殺りあって欲しいと思う。
無限城の――「雷帝」の亡霊として、この人を見ているのだろうかと。「殺す者」と「殺さぬ者」のぶつかりあいでしかないのだろうかと。……奇蹟のように整った、その異能のすべてを殺すために作り上げられた、目の前の人を見て疑問に思うこともある。考えてもわからないし、考えたくもないから、疑問は3秒で闇に葬る。
そのうち無性にせつなくなって、目の前の、だがもしかしたらとても遠いところにあるかもしれない身体に、触れたくて我慢できなくなる。
「赤屍さん、」
伸ばして掴んだ腕の、硬く、神経質に細い感触。銀次を拒絶する闇の衣からは、信じられないほどのましろさ。それはしろいシャツなどのせいではなく。
この人はましろい人なのだ。うつろで、きれいで、息の奥まで凍りついている。
またですか、と言いたげに、赫の瞳がうとましげに細められる。
「いいですか、銀次クン」
「わかってるよ、こんなことなんて望んでないんでしょ」
「慈悲深き奪還屋の少年が、望んでいない行為を他人に強いるんですか」
「赤屍さんだって、戦いたくもないオレを無理矢理戦わせるからお相子だ!」
そんなことが言いたいわけではないのに。
「……ならヤらせたら殺らせてくれるんですか?」
不似合いに品のない言葉を、上品に無機的に吐いて整った唇が歪む。笑みの形に。
「……赤屍さん、」
銀次の声が困惑に沈んだ。
愛されていないわけではない、と思う。銀次は知っている。この麗人がとても焦がれるような、ひどくいとおしいような、そんな眼で自分を見つめ、時にひどく大事に身体をいたわり、何気ない一動作にまでじっと視線を這わせていることを。
愛されているのだ、とても。けれどもそれは……
銀次の欲しい愛し方ではない。
日々健やかに強くなる銀次を、まるで最愛の子供を見つめる慈母のような、そんな優しい瞳で見守ってくれる。難しい仕掛に悩んでいる時には、何気ない助言をくれることもある。
だがそれは、食い殺すための家畜に、狩るための獲物に注ぐ愛情だ。
そんな愛し方しかできない人なのだ。
だが銀次がどんな風に、どれだけ真剣に、赤屍のことを想っているかなど、この死神には欠片ほどもわからない。
ただ、まとわりつかれて疎ましいだけ。
――オレもこんなにこの人が好きで……この人もこんなにオレのことが好きなのに。
なのにこんな似合わない言葉を、歪んだ唇から吐かせてしまうのがつらい。
「赤屍さん……」
腕を掴んだ手で、その腕をさするようにずらしながら、懇願するように銀次はその名を再び呼ぶ。
人殺しが悪だから、それを止めるのが正義だから、するわけじゃない。
オレが、人が死ぬのを見るのが、いやだから、止めずにはいられない――何のことはない、ただのわがままだ。
そしてこの人と何でもない、他愛ない話をしたり、遊びに行ったり、共に眠ったり……触れ合ったりしたいのも、ただのわがまま。
だけど、どうしても通したい、通さずにはいられないわがままなのだ。
触れられることをいやがったのか、眉を寄せて死神は銀次を見返し、ややあって乾いた声で言った。
「傲慢な子供ですね」
「……え、」
「99匹も羊を助けて、まだ満足できないんですか?」
「な…んの、こと?」
手を優雅に振り払って赤屍は、書き物机の前の椅子に脚を組んで座り、深く背もたれに身体を預ける。
そうやって銀次のことを、顎を上げて傲然と見上げて言葉を継いだ。
「イエス・キリストはね。99匹の従順な羊より、1匹の迷える羊が気になるそうですよ。
他の99匹を牧場に置いても、1匹を探し出して無事に保護したいそうです――まぁキミでもわかるように噛み砕いたから、だいぶ実際の記述とは違いますが」
「な、なに、それ……?」
赤屍がなにを言いたいのか気づかず、ついでに微妙にバカにされたことにも気づかず、ただ、おろおろと近寄って手を伸ばした銀次を、軽く「しっ」と振った手でその場に凍りつかせて赤屍は続ける。
「さすが無限城の申し子、キミは神の子と同じですよ。
Voltsの、キミの崇拝者の面々を救ったには飽き足らず……私の人殺しも止めさせようと夢中になる。
必死になって私のことを考えるから、まるで私に恋愛感情を持っているかのように錯覚してはいますが。私がキミの望むように、人を殺さぬ、『人間らしい』私になったら。
……キミにとって私は、Voltsの皆さんとそれほど変わらぬ存在に成り果てるでしょうよ」
ダイスキな、オトモダチにね。
心の底からの嫌悪と侮蔑をこめて、死神は薄ら笑いを浮かべて吐き捨てた。
さぞかし言葉が胸に突き刺さったことだろうと、その薄ら笑いのまま死神は銀次を眺めている。
目を見開いて、いかづちの王は見返していた。そのまま部屋を出て行ってチェックアウトしようと、せいせいした表情で立ち上がりかけて、
「……赤屍さん、」
気の抜けたような声にちろり、と見上げた次の瞬間。
「――――!!!??」
ぶつかるように飛びついてきた銀次が赤屍の唇をふさいだ。
「ッッッ!」
しまった刺激しすぎた! と押しのけようとするがスキンシップに慣れぬ身体で、元気一杯の若者を押しのけられるはずもない。しかも完全に虚をつかれている。
ぐったりするまでしつこく口内を荒らされてからやっと、解放されてがくん、と首をのけぞらせたちょうどその首に、離れた唇は押し当てられ、低い声で囁きを送り込む。
「わかったよ赤屍さん。特別扱いじゃなくなるのが、いやなんだね?」
「……はぁ?」
「ずぅーっと、俺に一生懸命追いかけて欲しいんだ」
銀次が本気でそう思っているのか、赤屍を黙らせるためにわざと曲解しているかはわからないが、赤屍には不本意きわまる解釈であった。
「バカなことを――ツゥ、」
ぱしぱし、と放たれる電撃が小刻みに全身を震わせる。反論することが許されない。
「大丈夫だよ、赤屍さん。
どうせ赤屍さんは、死ぬまでオレの言うこと聞く気なんてないでしょう?」
首筋にキスされ、顔を埋められているため、銀次の表情を見ることができない。声から感情をうかがうこともできない。そのことになぜか赤屍はひどく苛立った。
その苛立ちが、墓穴を掘っているとしか思えない質問をさせる。自分でも、よく理由のわからぬままに。
「で、万一私が、キミの言うことを聞いて人殺しをやめたら、いったいキミはどうするんです……?」
返事の代わりにネクタイがしゅるん、と解かれて床に捨てられる。
「銀次クン、答えなさ――」
「その時はね、赤屍さん、」
ボタンがひとつ、ふたつと外されていくのを嫌がる前に、銀次が顔を上げないままに言った。
「毎日毎日、仕事の邪魔になるぐらい今以上につきまとって、デートは週に二回は絶対して、ひとつのグラスにストロー2本でジュース飲んだり、ゲーセンで一緒にマラカス振ってみたり、それから赤屍さんがべしょべしょに溶けちゃうまで、いっぱい……気持ち良くしてあげるんだ」
声がわずかに震える。
「他の人と一緒になっちゃうはずがないでしょう。やりたいことがまだまだ、たくさんあるんだよ。
……一生かけても間に合わないぐらい、いっぱい……したいことがあるんだ」
「……そんな行為をキミと行う毎日はまっぴらごめんです」
「だと思ったよ。じゃあどうせ赤屍さん、今のままじゃないか」
「そうですよ」
「だからたとえオレが、100匹目の羊を落とすのに必死になってるだけだとしても、赤屍さんには関係ないよ」
「……」
確かに関係ない。
だが何となく、「自分が言うことを聞かないから、銀次が追いかけてくる」というだけの状態は癪に障った。
なぜ癪に障るのだろう? と自分の中を探ろうとして、不意に恐怖めいた感情を覚え思考を放棄する。
それをじっと観察していた銀次は、困ったように、どこか淋しそうに笑って、シャツの前を開いて頬を摺り寄せた。
赤黒く残るむごい傷に、子犬のように鼻面を押しつけ、囁く。
「のんびり行こうね、赤屍さん」
「……銀次クン?」
「オレはまだまだ強くなるよ。一番強い状態になったオレと、戦いたいでしょう?
だからオレを殺すのはまだまだ先のことだよ。
それまでは……時々は、こうしてオレのこと満足させてくれても……いいよね?」
たしかにそうかもしれない。
今はまだ、成長する彼を舌なめずりして見守っていれば良いのかもしれない。
なぜか少しだけ安心して、赤屍は吐息と共に瞳を閉じた。
今夜もまんまと上に乗られたと、気づいたのは、のっぴきならぬところまで熱を煽られてからのことであった。
相変わらずあまりにも簡単に、よりによって銀次にだまされる自分に疑問を感じながら……そんな疑問さえ白く溶解し、いつベッドに移動したかもよくわからぬうちに共に過ごす夜は、更けていった。
ふたり、寄り添って眠る夜が。
あと何度無事に来るのかは、誰も知らない。