悲しきレイディオ




壊れた神が、壊れた玩具を拾ってきた。
「見てくれよ俊樹、これは海なんだよ」
両手にそれを捧げ持って、至極真剣な顔で、そんなことを言うものだから。
片手を伸ばして肩を抱き寄せ、隣に座らせてもう片手で、その玩具を奪って眺める。
ざ、ざ、
途切れ途切れのノイズを吐く、掌に収まる程度の小さなラジオ。
売れば二束三文にはなるかと、悪い顔色を更に悪くする蛍光灯の、光に透かして眺めつづける。
「これのどこが海なんだ?」
片手で抱いたまま、片手でそれを眺めたまま、そう揶揄の言葉をかけると。彼の壊れた神は腹を立てたか、両手でそれを奪い返そうと身体を伸び上がらせた。
「海の音がするじゃないか!」
見下ろすと、蒼白く、ぼんやりとまたたく蛍光灯の光が、照らす、少女のような美貌。
眼の下の隈が、好事家の食指を誘うために刷かれた化粧のようだ。
ざ、ざ、
ラジオはもはや、本来あるべき役目を果たさず、ただ、雑音だけを弱く吐く。
「この向こうに無限の海が広がっているのを、想像するんだよ、俊樹」
「……本物の海は、こんなちゃちい音はしやしないさ」
それでも、この弱い雑音から、無限の波涛を想像することができる、腕の中の身体――それがいとしくないと言えば嘘になり。その甘ったるい感傷も、笑ってしまうほど愛らしくて、俊樹は投げるように、ふいとラジオを返してやる。
「本当の海は、そもそも、こんなところにはないよ」
拗ねたように言い返して、ラジオを大事に両手で包み込む、彼のボス。
彼の道標。
「『花月は東京に海が無いといふ、ほんとの海が見たいといふ。』」
鼻で笑って、どこかの詩を剽窃して言い返す。すると、「僕は海を知らないもの」と、ラジオを熱心につつきながら、腕の中の身体は本格的に拗ね、嫌がってもがいた。
「動くなよ」
甘い恫喝をこめて囁き、万力のような力で彼は、腕の中のウェストを固定する。不思議そうに見張られた黒曜石の、ぱっちり大きなうつろな瞳。
壊れた瞳だ。
この壊れた瞳こそが、彼には何よりもいとおしい。
巫女のような、神のような、地上を見ない、虚ろに空を見上げる瞳。
これは神子の瞳なのだ。
地上は彼が見てやろう。醜いもの、恐ろしいもの、すべてを彼が代わりに見ていてやろう。ただ、この神子はうつろに、うつくしく、絶対的な威圧をもってそこに立っていればいい。
壊れた神は、がらくたの城にふさわしく。
それがゆえに、俊樹はすべてを容認し、いつくしみ、そして仕えることができるのだ。この神子の気まぐれも、酷薄と映る無関心さも、悪よりまず醜を憎むその歪んだ心も、何もかもが、彼の神として立つにふさわしかったのだから。
「俊樹は海を見たことがある?」
おとなしく傍らにおさまって、うつろな神子は俊樹を見上げる。
「ああ」
「僕も見に行きたい」
ラジオに耳を当てながら、ねだるように傾げられる細い首。
「ロウアータウンを制圧したら、少しは楽になる」
「海に行けるかな?」
「行きたいんならな」
ざ、ざ、
壊れたラジオが壊れた神子の耳に囁く、海への誘いの声。
「俊樹、一緒に海に行こう」
袖を掴まれゆさぶられる。
「行こう、一緒に行こう、海を見に行こう!」
引っ張るなよ、と鼻で笑って、俊樹はふと、押さえがたい誘惑が己の中で鎌首をもたげたことに気づいた。
よせ、と心のどこかで何かが叫ぶが、その声を聞いた時にはすでに遅い。
俊樹は細い腰を抱いたその手を離し、代わりに白く尖った顎を掴んで己の方に向けさせ、口元だけで笑ってこう、尋ねていた。


「おまえとオレのふたりだけで行くというなら、連れていってやる」


不思議そうに見張られたままの、黒眼がちの大きな瞳。
その中に自分の顔が映っているのが見える。
ひどく暗い顔の。
ひどく追いつめられた顔の。
ラジオは淋しく、ざ、ざ、と。
蛍光灯は空しく、じ、じ、と。
薄汚いロウアータウンの片隅、ふたりして、待っているのは――別働隊を率いた彼らの「仲間」。
その「仲間」を置いて、
壊れた神と、壊れた神を望む巫とが、ふたりで、たったふたりで、無限の波涛へ……


「十兵衛も一緒じゃだめなの?」


何も知らぬ子供の声で、幼く、甘く、彼の神は無邪気に、残酷な神託を彼へ与えた。


「フ、」
その吐息は苦笑と聞こえてくれただろうか。
「駄目に決まってるだろ、あんなくそ真面目な奴。遊んだって面白くも何ともない」
「そうかなぁ。そうかもしれない」
あっさりと興味を失って、壊れた神子は再び、飽きることなく耳にラジオを当てて首を傾げる。
それきり俊樹は言葉を切り出さず。
ラジオに耳を傾ける彼の神子は、そんな会話さえ忘れてしまったかのようで。


この壊れた神が、本当に、無限城に君臨したならば。
その時、自分はいったい何が満たされるというのだろう。


君臨したその神の、足元に座すのは彼一人ではないというのに。


壊れた神子に壊れた言葉をつぶやきつづける、壊れたラジオをぼんやりと眺め。
俊樹はそんなことを考えながら、無意識の内に、花月の髪を撫でつづけていた。