眠れる廃墟
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「ねぇ、士度」 声をかけられて、士度はうるさそうに、ライオンの背に預けていた顔を上げた。 のっそりとしたその仕草が、士度もまた一頭の獣であるかのような錯覚を起こさせ、窓際に腰かける雷帝の口元をわずかにゆるませる。 「静かだね」 「あぁ?」 「今日は、静かだ」 眠っていたのかもしれない。先ほどまで、おとなしく身を横たえたライオンに、瞳を閉じ寄りかかっていた士度は、2・3度軽く瞳をまたたいてから、「あぁ」と納得したように頷いた。 「正月だからな」 「オレがまだ小さかった頃は――」 声がわずかな痛みを含んで過去を想う。窓の外に視線を飛ばし、雷帝はその色の薄い瞳を軽く伏せた。 「――ロウアータウンは、こんなじゃなかったと思う」 「そりゃ、そうだろ。正月に休戦するのは『風雅』の風習の名残だ……」 小さな欠伸と共につぶやかれた言葉。士度は何かにつけてぶっきらぼうな、他人を寄せ付けぬ態度を取るが、基本的に問われた言葉をないがしろにすることはない。それが、主たる雷帝の言葉ならなおさらだ。きっと、本当は躾の厳しい、しっかりした家に生まれたのだろう――そう言っていたのは、同じように「しっかりした家に生まれた」であろう、 「カヅっちゃんの?」 雷帝はゆるく首を傾げ、すぐに窓枠から身を起こした。 「そうか、今日はカヅっちゃんの誕生日か」 「らしいな」 「お祝いを言おう。カヅっちゃんは?」 「まだ寝てるぜ」 「え?」 思わず窓枠から降りる。声はやや厳しいものとなった。 「病気?」 「いや?」 雷帝の反応に、士度はライオンにもたせかけ直した頭を巡らせて見返した。ライオンが同じように、どこか不思議げな顔でゆったりと、雷帝に向き直りかけたのを、軽く頭を叩いてやって制する。 不審を起こさせてしまったことを、「ごめん」と律義にライオンに謝ってから雷帝はビーストマスターに問うた。 「だって、毎朝あれほどちゃんと早起きしてるカヅっちゃんが、まだ寝ているなんて」 言葉を切ってからふと、 「そういえば十兵衛は?」 「一緒に決まってんだろ」 野暮な質問してんじゃねえ、と言いたげに即答され、「あ、そうか」とやや赤面する。 普段はぴったりと、花月の後ろに寄り添って離れぬ、それでいて花月が孤独を望む時はさりげなく距離をおいて近づかぬ――天才肌で気まぐれな面を持つ花月の、存外の気難しさを知り尽くした副官は、徹底して花月の影と尽くすその行いゆえに、四天王より一段低い存在として、時に、仲間内で軽んじられることもある。 だが雷帝・四天王をはじめとするVolts高位幹部連は、決して彼の実力を甘く見ることはなかった。彼らは、何か重いものを独り背負い、それと戦いつづけてきた花月が常に傍に置くということの凄さを知っていた。花月は『風雅』というひとつの大きな集団を率いながら、その傍らには本当に腕の立つ者しか置かなかった。何かに巻き込むことを、恐れるかのように。 そしてもうひとつ。十兵衛はVolts内において、花月の情人として扱われている一面も持っていた。 実際の所は誰も知らぬ。あの、どこかままごとの夫婦を思わせる幼稚さを捨てきれない、それでいて既に長く連れ添った感のある、彼ら一対は、初々しく人前で視線を交わし微笑み合い、あるいは寄り添って一冊の本を共に読みなどはしているが――、それでも「親友です」と言われれば納得してしまうような、潔癖な一面を持ちあわせている。Voltsの面々も、その中でかなりの割合を占める元風雅の面々も、「実際の所あの二人はデキているのか」という下世話な疑問を常に抱きつつも、弁解も説明もせずおっとりと寄り添う彼ら二人を、恋人同士として扱った。十兵衛にやっかみを感じる一部のメンバーは、花月と十兵衛が恋人同士なのではなく、十兵衛が花月の情人なのだと、心の奥底で解釈をねじまげ心の平穏を保っているのだが。 猫のようにひたすらに、逢瀬を隠す彼らの実態――ためらいがちに唇を触れ合い、悦楽に漏れる声を殺して身を重ね合うその「現場」を、知るのは本当にごく数人である。たとえば、普段から獣のように気配を殺す癖をつけているがゆえに、うっかり、気づかれずにでくわしてしまった士度や。花月が唯一仕える主として、事実を律義に打ち明けた相手――雷帝や。 彼らの出会いの頃より彼らを見守りつづけた朔羅……そして、『風雅』より忽然と姿を消し、今もなお行方の知れぬ花月の騎士、雨流。せいぜいがこの程度にしか知られていない、秘め事である。 そして彼らは決して、その秘を他に漏らすことはなかった。 「……本当に静かだね」 死に絶えたようなロウアータウンの静寂に、銀次はほっと吐息をつく。 「午後からはやかましくなるけどな。元々『風雅』の縄張りだ。朝のうちは、騒ぎゃしねーよ」 「カヅっちゃんのために?」 「正月ぐらい、何にも怯えず朝寝してーってのもあるだろうがな」 ライオンの背の上で、組んだ両手を頭の下に敷き、士度は天井を見上げる。 「……誕生日プレゼントとしちゃ、上出来なんじゃねーのか」 ぽつり、そんなつぶやきが、その唇から漏れた。 傍らの気配が身じろいだことに気づき、十兵衛は寝返りを打った。眼前で、長いまつげが震え、ゆっくりとまぶたが開いていく。奥底の、なめらかな黒水晶を思わせる瞳がちゃんと覚醒せぬまま十兵衛を見上げた。 「……花月、」 そっと低い声をかけると2度、ゆっくりまたたいた瞳はふっと覚醒し、顔を背け枕に顔を埋める。花月は、寝起きの顔を見られることをいやがる。照れがあるのだろう。無防備な、だらしない部分を見せることを厭う気分もあった。 気配に機敏な彼らはおおよそ、同時に目を覚ますから、普段は互いの寝顔を見ることはない。十兵衛は、めったに見ることができない花月の表情を、眼を細めて見守った。こんなことで、今年が良い年になるに違いないと確信できる彼を、仲間は時に愚直と笑う。なぜ笑われるのか、彼はいまだに理解できないらしい。 「何時?」 少し拗ねたような声。手を伸ばし、なだめるように軽く髪に触れながら答える。 「11時過ぎだ――」 「!」 「――が、別に焦って起きる必要はないぞ。新年だ」 「でも、」 「正月ぐらい、怠けてもいいだろう」 これが余人の言ったことなら、聞く気にもなれまい。だが、全Volts内で怠惰からもっとも遠い位置にあるこの男が、上半身は裸のまま、傍らにだらしなく添寝して言うと、それは空恐ろしいほどの説得力があった。何せ普段なら、雨が降ろうが槍が降ろうが、前日よほど頭の沸騰する事件が起こって夜通し花月を求めようが、朝にはしっかり起き出して朝食を調達してくる男である。 「……顔だけ洗ってくる」 どうにも気恥ずかしいのは確かだが、今日一日だけのだらけた二人っきりの時間に対する誘惑に負けた花月は、背を向けたままするりとベッドから脚を降ろした。やっぱり今年もこうなったか、と心中に歎息する。 すると、動きの止まった花月を心配してか、十兵衛は口を出した。 「大丈夫か? 抱いていったほうがいいか」 花月は耳まで赤くなって振り向く。 「何を言ってるんだ! 歩けるよ!」 「そうか。……おかしいな、手をゆるめた覚えはないが」 真剣に悩んでいるらしい十兵衛の頭を、かなり本気で殴って花月は夜着をひっかかえ、洗面所に飛び込んだ。十兵衛は片手で頭をさすりつつ、未だに和服の夜着を愛用する花月が、置き忘れていった腰紐を眺めていた。 『誕生日だから』 そう言われたら、僕個人の都合だよ、と言って断るだろう。『風雅』の面々が、正月に向けて着々と、多少のテリトリー縮小にも甘んじて休戦協定を結ぶその労苦も。まるで赤子を寝かしつけるように粛々と、息を潜めて迎えるこの朝も。その中で惰眠を貪る習慣も。 だが十兵衛は決してそうは言わない。 『新年だから』 「皆が」休みたいのだと、言われるとなるほどと納得せざるを得ないのだ。他ならぬ十兵衛までが、こうして隣に添寝したままなのだから。 勿論、一緒にこうしてだらだらする朝を、素直に喜んでくれてもいるのだろう。だが、 ――僕は大事にされすぎている。 畏れにも似た幸福感の中で、花月はそう思う。 ――何時か僕は……この報いを受けるんじゃないだろうか。 その考えは常に、頭の片隅にこびりついて離れなかった。 自分は俊樹を喪ったように、いつか、十兵衛を喪うのではないかと。 「花月」 突如扉が開いて、鏡を覗き込んだまま考えに沈んでいた花月はビクリと肩をそびやかした。 「すまん」 驚かせたことに即座に謝った十兵衛は、すでに顔を洗い終えた様子の花月を、不思議そうに見つめる。手に腰紐を携えて。 「戻ってきたくなかったか?」 「そんなんじゃないよ、けど……もう。察してくれよ」 何となく顔を合わせにくかったのも事実である。 普段は朝に向けてしっかりと頭を切り替え、顔を合わせるのだ。さぁ、これから二人でもう一度褥に潜り込みましょう、などという事態は滅多にないがゆえに、どうにも気恥ずかしくてならぬ花月であった。その点、まったく察していない十兵衛は気楽なもので、 「まだ髪を梳いてないんだろう」 などと無表情に嬉しげという、ある意味器用な表情を見せて洗面台からブラシを取り上げなどしている。ラブラブする気満々です、と顔に大書されていた。 おのれ、うぬが誕生日には覚えていろ、などと時代劇めいた呪詛を胸中漏らして、おとなしく手を引かれ寝台に戻る。確かに誕生日は祝われるべき日だ。だがここまで掌中の珠のように扱われると、くすぐったくてならない。またそのくすぐったがる顔を、十兵衛は見て喜ぶのだ。 「慣れていないんだよ、こんな呑気な誕生日って」 覚悟を決めて遠慮なく、十兵衛の肩口に頬を擦りつけ甘えた花月は言い募る。己の身体ごとそれをシーツでくるむようにして、十兵衛は襦袢姿の花月を抱きしめた。 「そういえば、正月はいつも目の回るような忙しさだったな」 「そうだよ。僕はいつも夜が明ける前に起きなきゃいけなかった」 「誕生日と元旦が重なってはな……」 古武術の、そして琴の御家の宗家嫡子として、飾り立てられ、引き回され、琴も弾かされ舞も舞わされ…… 「……あの頃と変わらないのは、キミが傍にいることだけだ」 「そうだな、おまえも変わったな。昔は可愛かったが、今は綺麗だ」 「だから何を言ってるんだ!」 「すまん。今も可愛い。いや、昔も綺麗だった」 「そうじゃないってば!」 何を怒られたのかと、額に汗して悩み考え込んでいる十兵衛を、抱きついたまま押し倒す。 「どうしてキミはそうなんだ」 「よくわからんが、とにかくすまん」 「……もういいよ」 「花月、」 「いいんだ」 ぎゅっと抱きついて胸板に顔を押しつけ、瞳を閉じる。 こんな馬鹿な会話でも相手への愛しさが募ってしまう自分は、正直言ってこの男以上の馬鹿ではないかと――花月はかなり真剣に悩んだ。 「……おまえが正月に生まれてくれたおかげで、皆もオレも、正月にこうして休む口実ができた。ありがとう、花月」 また怒られるだろうかと、どこか恐る恐る切り出す十兵衛に、気分を害していないことを報せるかのようにクスリと笑い、「どういたしまして」と答える。 「おめでとう」ではなく「ありがとう」。恩を着せず、むしろ進んで恩に着るその姿勢は、花月を楽にしてくれる。 ほ、と十兵衛が安堵の吐息をついたのが、胸の上下でわかった。 「それからもうひとつ、礼を言いたいことがあった。毎年言ってはいるんだが」 花月が顔を上げると、十兵衛は生真面目な顔で花月を見返し、言った。 「オレと同じ代に生まれてくれてありがとう、花月」 『ということは、君が将来、僕の主治医になるというわけだね!』 あの言葉と共に十兵衛の前に惜しげもなくさらされた、満面の笑み。 まだふたりが日溜まりのもとに微笑みあっていた頃――いや、それどころか、ふたりが初めて出会った時の。 互いが互いの「対」だと知った時の感動を、忘れてはいない。 この人に一生添うのだと。 相手が花月だから、相手が十兵衛だから……その運命に幼い心は、歓喜できた。 「……うん」 再び顔を伏せ、十兵衛の上に身を重ねてそっと、手探りにその手を取る。 「うん……うん」 「ありがとう」 「僕も……僕もね、十兵衛……」 「ああ」 胸がいっぱいでそれ以上言葉を返せず、ただ、十兵衛の手を握りしめ。 一年に一度。 こうして、いつも思っていても口に出さないことを、出せる日があることを、ふたりは感謝して同時に瞳を閉じた。 |