正しい歳の数え方




「何を見ているんです?」
不意に後ろから声をかけられ、馬車は思わず手の中の物を床に落としてしまった。
「よっこいしょ」と背後から手が伸び、床に落ちたものを拾い上げてしげしげと眺めやる。
女物の赤いAラインのコート。サイズはS。ショート丈だ。大き目のフードとダブルの比翼仕立てが愛らしい。
「…………馬車、あなた」
背中から視線が突き刺さり、馬車は振り返るタイミングを逸してしまった。
「違う、これは」
「何です? 何が違うんですか?」
「う、」
「誰も馬車がこれを着るなんて思っていませんよ」
「思われてたまるか!」
思わず上げた声に売り場中の視線が集まり、馬車は天を仰いだ。ただでさえ、冷たい視線を浴びやすい状況である。何せ、天井につかえそうな無骨な大男のすぐ背後に、同じく大男――しかし微妙に体形の色っぽい――が、しかも黒ずくめではりついているのだ。
ハイティーン対象の婦人服売り場の、ど真ん中で。
「馬車に娘さんがいたなんて、とんと知りませんでしたよ」
なぜか微妙に刺々しい声で、しかも背後にはりついて、死神は刻々とプレッシャーをかけはじめる。
「娘も違うきィ」
「愛人ですか」
「あほう!」
「そろそろ売り場の視線にいたたまれなくなってきていませんか、馬車」
「誰のせいじゃ……」
後ろ手に「よこせ」と差し出した手に、コートのハンガーが引っかけられる。
力なくそれを、他の間のコートに戻し、がっくりと手を置いてうなだれた。
「それで、どなたへ?」
いい加減、馬車も振り向けばよさそうなものだが、どうにも顔を合わせづらいらしい。背中に張りつかれたままの奇妙な会話は続く。
「それよりおまえ、いつから見よった」
「あなたがタクシーを降りて、難しい顔で百貨店に入るところから」
「……声ぐらいかけんか……」
「あまりにも面白い顔だったので、声をかけ損ねたんです。あの死霊のターゲットを運ぶ時でさえ、あんな難しい顔はしていませんでしたよ」
で? と背後にはりついた死神は、実に冷ややかに、それでいてたのしげに返答を促した。考えてみれば、そこまでやましさを感じることもない状況なはずなのだが、なぜか馬車は肩身の狭さに溜息をつく。
「……レディ・ポイズンいう小娘を、おまえ、知りゆうか」
「たしか同業者だったのでは? あなたは組んだことがあるそうですね」
「1・2度な」
「あなたは1・2度会っただけの小娘に服をプレゼントするのですか!?」
「…………」
「馬車?」
「いや……おまえの理解の速さに驚いた」
普段ならおっとりと、「なるほど、それで?」と話の先をうながしていたはずだ。まさか、あの赤屍にツッコミを入れられるとは夢にも思わず、馬車はようやく事態の深刻さに思い至った。どうやらこの奔放な黒猫、今日は非常なる不機嫌の中にいるらしい。まさか、馬車が女物の服を買い求めているからでもあるまいが。
どう考えても、浮気を咎める妻と言い訳する旦那(ただし身長186cmと190cm超)、といった雰囲気のふたりを、興味津々というよりもはや薄気味悪げに、周囲の客や店員は見守る。無理もない。未だに赤屍は馬車の背中からわずか10cmのところにいて囁きかけているのだ。返り血を浴びないように、後ろから喉笛をかっきる時の体勢なのだが、馬車にとってはたまったものではない。
「とにかくまぁ、聞きやれ」
「聞いています」
「先日の仕掛で、車に乗るタイミングが合わずに、そのレディ・ポイズンの服をドアで裂いてしもうてな」
「…………馬車、あなた」
「言うとくがわざとやないきィ、ちうかそれ以上もの言うな」
大体、露出度の高い服を好む彼女は見るからに寒そうで――本人は平気らしいのだが――良い機会だと、馬車は彼女にコートを買うことにしたのである。ポケットの多い、脱ぎ着しやすい服がよかろう、ぐらいにしか思っていなかったのだが、とても探す気になれないこの色とりどりの服の洪水を眺めて、度肝を抜かれていたところの――誠に間の悪い、黒猫の襲来だった。
「それに、」
いい加減振り向いてもよかろうか、と逡巡しつつ馬車は言葉を続ける。
「あれは2月10日が誕生日と聞いたきねェ、ちょうどよかろう」
「誕生日?」
「知らんのか?」
「知っていますよ。その当人の生まれた日でしょう?」
「まぁな」
赤屍が誕生日を知っていたことに、少なからずほっとした瞬間、馬車は意外なことに気がついた。
「おい、おまえ、誕生日いつじゃ」
「さぁ?」
「……何を拗ねちょう」
「? 別に拗ねてはいませんが?」
思わず馬車は赤屍を振り返った。振り返る動きに突き飛ばされないよう、ふわりと半歩音もなく下がった赤屍は、帽子のつばを片手であげて不思議そうに馬車を見返している。
「自分の生まれた日というものは、誰でも知っているものなんですか?」
馬車は返答に窮した。
真っ当に(?)行けば、その手のことに興味がなくて忘れてしまったか、或いは――家庭の事情や何やで、誕生日を知らずに育ってしまったかのどちらかだろう。だがこの死神に限り、「早く人間になりたーい」的なオチを想像してしまうのは、一体なぜだろうか。
「ねぇ、馬車」
覗き込んでくる赫瞳に、我に返って馬車は答えた。
「知らんこともあるぜよ。……知らんのなら作りよったらよかろう」
「じゃ、作ってください」
「……は?」
「作ってください。誕生日」
100円貸して、とでも言うかのような口調で、赤屍は奔放に要求した。
「なして俺が」
「いやなんですか?」
嫌とか嬉しいとかの問題ではなかろう、と言いかけてふと黙り込む。
10秒黙り込んだのち、おもむろに首を横に振った。
「いやではないの」
いやではない。
むしろ……
――なんぞ、照れるんはなぜじゃ。
ぽりぽりと頬をかいて視線を逸らす。誕生日を決めてやる。なかなかに――照れくさいシチュエーションなのは確かだ。というか、「本当に俺でええのんかいな」と言いたいところである。
「なら、作ってくださいよ」
「ここでか?」
「婦人服売り場だと、何か差し障りが?」
「差し障り、は、ないが……」
「早くしてください」
駄々をこねそうな雰囲気になった、我侭全開の黒猫に「わかった、わかった」と両手を挙げ。
一瞬の逡巡の後、
――ああ、この日でよかろうよ。
「11月23日」
「……えらく中途半端ですね?」
「何を言う。勤労感謝の日じゃ」


「殺さんでええのんまで、律義に殺してまわる仕事の虫には、ちょうどええ誕生日やきねェ」


「……誕生日って、そんな理由で決まるんですか?」
さすがに眉を寄せる赤屍の、帽子のつばを思いっきりさげてやり。
「何をするんですか」と帽子を抱え、寄せた眉を逆立てたその頭を軽くはたくと、
「差し障りがあるかえな?」
と仕返しのように尋ねてやる。
「……ありません」
「よし。来い」
「どこへ?」
「別の売り場」
「何で!?」
「選ぶんを手伝え。同業者のコートやがね」
「はぁぁ?」


「……なんだありゃ」
「なになに、何見たの蛮ちゃん」
「あぁ? なんでもねーよ。…………まさか、今のが…………」
「ねぇねぇ何見たのさ!」
「やかましい!」
「あああああ! 何ですぐ殴るのさー!」


腕を掴まれてずるずると、引き摺られていく186cmの黒ずくめと、微妙に機嫌良く無表情にそれを引きずる190cm超の魁偉な大男を、偶然見咎めた奪還屋の美堂蛮。彼が、後に運び屋界きってのビッグネーム二人について、
「顔ぐらいは見たことがある」
という感想に留めたのは、あれは、シリアスな空気を崩さないための賢明な判断であったのかもしれない。