いざよいのラプンツェル




モニターの中で白い手がサイコロを振った。それを見つめる瞳に、優しい微笑がともるのを見て、朔羅はふと、言いようのない不安にかられた。
「――本当に、おひとりで彼と?」
「うん?」
夢から醒めたような表情の少年が振り返る。
「彼?」
モニターを視線で指すと、「ああ」と納得の表情で少年は破顔した。
「大丈夫だよ、朔羅。僕より美味しい餌をいつも提示していれば、僕に襲い掛かってくることはしない人だから」
「マクベスは――彼のことを?」
無限城から出たことのないはずのマクベスが、不思議と彼のことを知った口調で話すことに、不安と――言ってしまえば微量の嫉妬を覚えて、朔羅の細い眉が寄る。
「さぁ」
人当たりの良い、曖昧な笑みを浮かべてマクベスはモニターへと向き直った。
「無邪気な人だね、彼は。ためらいなくサイコロ振るんだからなぁ」
「マクベス、――」
「そろそろ、準備してもらえる? 朔羅」
「――わかり……ました」


幻影の壁の向こうに消えた朔羅を一顧だにすることなく、マクベスはただ、じっとモニターを見つめていた。
「本当に無邪気だね。
 ――相変わらず」
漏れる笑声。
鮮やかに蘇る緋とモノクロオムの、記憶――




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そこは、ベルトラインとの境界に近い、ある廃ビルの一角のはずだった。
「はずだった」といわざるを得ないのは、現実に広がる世界は、ただの廃虚だったから。
うずたかく積み上げられて山となった廃材の頂点に、ひときわ高々と、モニュメントを気取るかのように突き立った一本の柱。


その上に、彼は座っていた。


どこからもれてきているのだろう。
十六夜の月の光が細い帯となって彼の元に落ちかかっていた。
彼はおっとりと瞳を見張ってその光源を探しているように見えた。こんなところで月なんて見えないのに。無邪気に、懸命に、探しているように見えた。
夜目にもその顔は驚くほど白くて。そして端正だった。


きらり、と月光を弾いたその瞳の色が、まとう黒衣や、肩で揺れる黒髪とは別の色だったような気がして、一歩、また一歩、マクベスはおぼつかない足取りで彼に近づく。
途中、コンクリートの破片とはまた違う、変にやわらかい何かにつまづいて、視線を落とす。
その時はじめて、気づいた。
自分が彼しか、視界に入れていなかったことに。
周囲にごろごろと転がっているのが、人体の部品――である、ということに。


死体と言うのが一瞬ためらわれるほど、綺麗に、分断されたその部品は、おそらく、人間ひとりに対して、胴体、四肢、頭部の完璧な7分割を保ち、視界に入るものを目算しただけで12人。
もう一度、彼に視線を戻す。
月光の素を探すことを、あきらめたのか。残念そうに目を伏せ、彼は膝の上のものをきしり、と、象牙色の手でやわらかく握ったところだった。
膝の上に横たわる――それは、白銀の大鎌。
柄の部分だけで、優に彼の身長を超すであろうほどの。


「――あなたは、死神?」


未だ声変わりせぬ声でマクベスが問うと、5メートルほど頭上の痩身の影は、その時はじめて彼に気づいた、とでもいった様子で、ゆるゆると視線を向けて来た。
紅い――朱い――赫い――純粋なる血の色の――瞳。
きゅう、とつりあがる微笑の形の唇もまた。


「そう、見えますか――」
囁くような声なのに、それは鼓膜を確かに震わせる。
「――黒いマントも、骸骨の顔も、していませんが」
「死神って本当は綺麗な姿をしているんだって、昔、おとぎ話で読んだような気がするけれども」
「それはつまり――私を、褒めてもらったということでしょうか?」
巨大な破壊の碑の先端で、白銀の大鎌を膝に横たえた黒衣の死神が、綺麗に微笑う。
十六夜の光に包まれて。
非現実的な――それゆえに、この街にはふさわしい光景だった。
だからこんな、自分らしくない言葉を使ってしまったのだろう。仲間たちにも「小憎らしい」と笑われるほどに、かわいげのない、このマクベスが。


「――さびしそうだね」


ほっそりとした首をかしげて、死神がこちらを凝視する。
「さびしい、ですか?」
「うん。こういうの、なんて言うのかな。
 ……けだるい、かな。そんな顔、してる」


「……淋しいかどうかは、わかりませんけれども」
ものやわらかな、ものうげな声。
「なんだか、とても――気が沈むんです」
その瞬間の、風にはためく黒衣の影の、その白皙の顔があまりにもはかなげで。
思わず死体を踏み越えて、もう一歩。近づいてしまう。
「どうして? 人を――殺したから?」
「いいえ」
冷たく落ちかかる月光に顔を向け、彼は囁く。


「どうして誰も……私に触れることができないのでしょう?」


「触れる――?」
「ええ」
「触れてほしいの?」
「とんでもない。ただ……」
月光を赤く弾く瞳が揺れ、唇の狭間から、ふ、と吐息が洩れる。
その溜息の音さえも幻聴したマクベスは、自分が緊張していることを知った。
「ただ……なに?」
「……ただ、私は触れただけで相手を殺せるのに、相手は私に触れることもできない。
 これでは、誰も私を本気にさせてくれないのは……あたりまえです」


「私はいつまで待てば――
 必死になることを、許されるのでしょうか?」


彼の周囲に散る、あきらかに不必要に分断されている肉塊を、眺めてみる。
もとはビルだったはずの、廃材の山を見れば、相手がいかに強力な火器を使ったことも、一目瞭然だ。
マクベスは、導き手たる雷帝と違って、仲間の死には悲しんでも敵の死を悲しむことはない。だから、ここに転がっている死体がベルトラインのバケモノたちである以上、死んでいることを気にはしなかった。
しかし、これだけの量を生産できるのは、知る限り雷帝だけであるだけに――気には、なる。
「――これは、必死でやったことじゃないの?」
「少し、本気になりました……楽しかったです。人を殺すのは嫌いではないし。けど……」
「必死になるほどじゃ、なかったんだ」
「ええ。……きっと、あと少し、だったのに」


「いつも――あと少し、と思った時に――相手はすでに死んでいる――」


そう呟いた時の赫瞳を見た瞬間。
マクベスは叫んでいた。


「僕が!」


「――え?」
「僕が、大人になったら必ず――」


「――私と――殺し合って、くれるのですか?」


ぎゅ、と知らず膝の上の大鎌を握りしめ。
ともすれば姿勢が崩れることもいとわず、凍れる死神は身を乗り出した。


「僕にその力はない。僕の力は肉体の力じゃない。
 けど、」


この化生が、屍を山とし血を河とし、山河を描く絵師であっても。
人骨をかじり人肉を食らう、人型の悪魔であっても。
善悪の区別を持たぬ、殺戮の人形であっても。


こんなに、人の心を凍らせる淋しい瞳をするのならば。


「――必ず。
 あなたのその身体と心を躍らせる大乱に、あなたを――」


無限城の未知たるマクベスの名にかけて。
この綺麗で恐ろしい人形に。愉悦の表情と喜びに震えて踊る身体を。


「――君が?」


期待しても良いのだろうか、とためらう瞳で。
5メートル頭上の死神が覗き込んでくる。


「僕たちは、強大な敵には困らないもの。
 いつかきっと、僕たちが――強くなって、『いと高き御座』に挑む日が来たら。
 その時は、必ずあなたを――」


『いと高き御座』にいますのは――そう、わかっている。夢物語を語っていると。
それでもマクベスは5メートル向こうに言葉を投げ続けた。
いつか必ず。天を望む大乱にあなたを巻き込んであげる――と――


魅入られたようにおっとりと開かれた赫瞳が、ふ――と和む。
そのままうっとりと細められ……頭が言葉をためらうように左右にふられ、
ゆるゆると開いた唇が、蒼ざめた頬が、少しずつ――赤みを――


「……信じても……」
「……え……?」
「信じても……良いですね……?」


はためく黒衣。
月光を弾く大鎌。
赫瞳は濡れたように爛爛と炯炯と。
目をそらさなければ。
5メートルの高処にあるこのうつろに冷たい死の誘惑から。


「君が約束通り良い子に――いいえ、
 ワルイコに、していたら――」


この5メートルの距離が自分を守る間に、目を、
目を、そらさないと、
きっと自分はこの廃材を駆け上って――


「その時は――」


凍りつくような、
魂を抜かれるような、
死の恐怖に近い戦慄の、


「――君に――必ずこの腕を貸しましょう――」


それは――美しい――微笑だった。




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「マクベス!」


どれほど凍りついていたのか。
その言葉に弾かれたように振り返る。
「マクベス、無事か!」


「――ア、」
掠れきった声に自分で驚きつつ、とりあえず、大丈夫だ、と首を縦に振る。
「こんな――こんなところに独りで」
激しく息をついて自分の手をつかむ熱い手。
「――銀次……さん……」
「絶対に、だめだ。二度とこんなことしちゃだめだ。
 死ぬかもしれなかったんだぞ!」
ここがどこかわかっているんだろう? そう言われて一気に意識が覚醒する。
ばっ! と振り返った。


破壊のモニュメントは冷たく月光に凍りついて立ち尽くし。
そこに生者の姿は――何一つとして、存在しなかった。




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モニターを食い入るように見つめる横顔は、あの時よりもずっと近いところにある。
その頬がわずかに紅潮しているのを、じっと、マクベスは見つめていた。
「本当に、彼と戦って良いのですね?」
「うん。殺しても良いよ。殺せるものならね」
「全力で動いても――この部屋は、壊れない?」
「大丈夫。『上』の遺跡が、そんな簡単に壊れるはずがない」
「――ああ」
もれる喜悦の声に、ぞく、と背筋を何かがかけのぼる。
決して嫌悪ではない――不思議な衝撃。
「君は――」


振り返った帽子の下で、笑うその顔は――
あの凍りついた夜と――


「――君は――ワルイコですね――
 マクベスくん」


5メートルの距離はない。
無邪気で無知な自分はもういない。
あの頃の自分には戻れない。
死神の唇は目前に――
「――ここまで。上がってきたんだ」
ほっそりした黒ずくめが、背を向けかけて振り返る。
その手を掴んで、半ば胸に飛び込むようにして抱き着いた。
「マクベスくん……?」
うなじに手を当てて思いっきり頭を下げさせ、きょとんとされるがままの唇に、己が唇を押し当てる。
その背後に炸裂する雷光を映すモニター。
きっちり10秒間、口内を荒らした後につきとばすように離れ、
「――おつり」
にっこり、と笑う。
「……高くつきますよ」
「その分報酬も高くしてあげるよ。好きなだけ銀次さんから搾り取って?」
「……そうします」
さすがに虚を衝かれたのだろう。帽子を深くかぶりなおしながら、ちろ、とねめつけてくる様がコケティッシュだ。
「本当に――」
ふい、と背を向け、
「――ワルイコだ」


常の如くの微笑に一瞬で戻った彼は、それきりコートの裾を翻して背を向け……
ためらうことなく、雷鳴とどろく部屋の方角に、虚像の壁を――突きぬけた。


モニターに見入る。
全身から悦びが溢れ出す、その躍動する肢体。
愛しげに目の前の破壊機械を見つめる赫瞳。
ほっそりした手に握りしめる長剣を、いとも無造作に、なんと高々と振り上げることか。
それは手加減の必要のないことを喜ぶ、美しくも無邪気な舞踏。


「……ごめん、ね、ドクタージャッカル」


小さく呟いた時。
モニターの端に映る邪眼の男――


見開かれる赫瞳――


「――ごめんね」


5メートルの高処から、刺激を望むあなたを呼んで、利用した。
「この埋め合わせは――必ず、してあげるから」
背後のドアを振り返る。
もっと。
もっと楽しいことを、用意してあげたから。


――だから、嫌いにならないでね。


ものさびしく小さく笑うと、マクベスはひとり、とぎれとぎれの朔羅の報告に耳を、傾けた。