イゴッソォの白旗
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黒に包まれた白い身体が、奇跡のように綺麗に地面に沈むさまを、茫然と眺める馬車のごつい指から、煙草が落ちて膝に焦げ跡をじりじりと広げていく。 それにさえ気づかぬまま、馬車は満天の星を仰いで動かない地上のモノクロオムを、しばし、呆れたように眺めつづけた。 「……阿呆か、汚しくさって」 「そちらこそ、随分と可愛い穴をつくりましたね」 血に汚れた顔をけだるげに向け、赤屍は物静かに指摘した。馬車の作業服の膝に空いた焦げ跡に、赫い瞳が向いている。 「とにかく、いつまでも寝とらんと立ちぃ。よう間に合わん」 ごつい編み上げブーツの脚をのっそりとあげ、黒ずくめの姿の上にのしかかって絶命している横取り屋をひとり、ごっ! といまいましげに蹴り上げる。内臓を破裂させた感触があったが、今更死者が文句も言うまいと、見向きもせずにそのまま靴先で赤屍の脇腹をつついた。 「ほら、どけたったき、ちゃっちゃとせえ」 「起こしてください」 「……はァ?」 「起こして」 「……何を考えちょるか」 時々わざと浴びてるんじゃないかと思える返り血も、今日は鼻をつまみたくなるほどひどい。脚がすべったか油断したか、斬った相手と一緒に倒れ込んだせいで、顔からコートから、血の池にはまったとしか思えない惨状である。 その血みどろの姿のまま、真っ赤に染まったゴム手袋の両手を、馬車に向けて「起こして」と来られても、嫌がらせにしか思えない。 「起こしてくれないんですか?」 声が少しとがる。通常の人間の感情表現を使用するなら、「拗ねた」という言葉が一番近い。だが赤屍に限って、まともな感情の動きに沿って説明して良いかどうか、馬車には自信がない。 「……やれやれ」 人間でない生き物が何を考えているかなど、人間にわかるはずもない。 馬車は無邪気に伸ばされたままの両手を、つかんでぐいと引いた。 この血みどろの身体に助手席に居座られては、さぞや後の掃除が大変だろうと、一瞬憂鬱になる。だがそれも、この身体が大人しく助手席に座るという特権を考えれば、致し方ないことなのかもしれない。 「ほら、起き――――っ?」 引いた手を逆にぐん、と引き返され、馬車は前へとのめった。 「……っと……」 とっさに両膝を開いて地につく。結果として赤屍の脇に膝をつくことになった。そのまま尻餅をついたら、速さの割に筋肉の薄い赤屍の、腹を潰していたかもしれない。 ほっ、と安堵の吐息をついてから腹立たしさに、掴んだままの両手を地面に押しつける。 「何しゆう」 「倒れませんね」 残念、と言いたげな赤屍の顔を見てもう一度歎息。こういう訳の分からないことをしでかす状態の赤屍には、なにを言っても通用しない。満足するまで遊ばれてやる他はないのだ。 馬車は己のそんな、文句一つ言わずに遊ばれてやる度量と余裕こそが、赤屍に気に入られていることを知っていた。 それでも仕事が終わったわけではない。赤屍が車に乗りたくないというなら置いて帰っても構わないが、ここで置いて帰ったら帰ったで、機嫌を損ねるのは必至だ。 仕方なく馬車は赤屍の両手を離し、血みどろの身体の下に手を差し入れて、「よっ」と持ち上げると抱き上げて運んだ。 運び屋が運び屋を運ばなければいけないというのも、おかしな話ではある。 落ちかけた帽子をとって己の腹の上に乗せた赤屍は、歩かなくとも勝手に移動する現状をそれなりに気に入ったらしく、返り血を拭いもせずに鼻歌らしきものを歌っている。 それに合わせて脚がふらふらと揺れるのを、馬車はぼんやりと眺めながらトレーラーに向かった。 したたるほどに血を浴びたまま、上機嫌にクスクス笑う、ぞっとするほど綺麗な身体を、抱いてトレーラーに向かっている。それは、「誰が」「何を」「いつ」「どこで」と一語一語をバラバラに集め、組み合わせの珍妙さを笑う言葉遊びに似て、空恐ろしいほど関連性のない事実の集団だ。 滑稽な、それでいて限りなく深刻な悪夢の産物。 運び屋だろうと横取り屋だろうと始末屋だろうと、およそ裏界隈に棲息する者たちは、口を揃えて言う。 「あれに耐えることのできるおまえが信じられん」と。 それでも赤屍の仕事の達成率や、ある種の異形めいた美しさに特有の歪んだ魅力を知る彼らは、その口調に微妙なやっかみを乗せて馬車にパートナーシップの秘訣を尋ねる。 それに対して馬車は肩をすくめてこう答える。 「あれが何を考えとるか、いちいちてごうちょるがいけん※」と。 悪魔やら鬼やら、獣やら妖やら。そんなものに比べれば、日本語が通じるだけずっとましだと馬車は言う。 そんな凄まじいふっきれようを見て、質問者たちは一様に首を振る。そしてそれ以上の思考から逃避するのであった。 「ねえ馬車」 「ん」 馬車の胸ポケットから引っ張り出した煙草の箱をしげしげと眺め、赤屍は切れ長の赫瞳に大真面目に疑問符を浮かべて問う。 「なぜ『セブンスター』なのにこんなにたくさん星が?」 「……」 んなこと俺に聞かれても、と思いながら馬車はそれでも生真面目に脚を止め、首を傾けて顎で天を指した。 「百億の星ちゅうて、ほんまに百億でもないきに。それと同じや思うちょれ」 「……そういうものですかね?」 「そういうもんぜよ」 「……では」 まだあるのか、と内心身構える。 「なぜ『セブンスター』という名前なんですか?」 それこそ聞かれたって知っとうわけなかろ、と思いつつも、やっぱり馬車は半ば諦めの境地に達して生真面目に答える。 「星はなして星ぃ言うがかぇな?」 「そんなこと……」 「聞かれても困ろうが」 「……」 今宵の馬車はからかっても面白くない、と思ったか、他に何を言って言い込めてやろうか策を練ろうと思ったか、赤屍は沈黙した。 やれやれ、と抱いたまま肩をすくめて馬車は再び歩き出す。 「ねえ馬車」 またかい! と思いつつも、 「ん」 「セブンスターとは七つ星のことでしょうか?」 「七つ星?」 「ええ、あの」 空を見上げて何か探す表情になった赤屍に、思い当たって頷き、 「ああ、ス――」 一瞬ふと喉がからんだような心地になって目の前の顔をのぞきこむ。 何やら難しい表情の赤屍の白い――今は赤く汚れた額が、ぱぁ、とオレンジの光に照らされた。 「おい、」 「ああ、ついた」 どうやらブックマッチと格闘していたらしく、何本目かにやっとついた火を、箱から一本抜いたセッタに移している。何をするのかと思いきや、気まぐれに馬車の唇にくわえさせてきた。 何を遊んでいるのやら、と思いつつ反射的にそれをくわえながら、馬車は赤屍の言葉を待つ。なんとなく自分からは言いたくない――言葉を。 赤屍の薄い唇が、馬車の言いかけた言葉をゆっくりと、かたちづくる。 「――『スバル』のことですよね?」 「先日偶然彼と遭ったことを、思い出しましたよ」 「スバル」――「彼」らの愛車からの連想だったのだろう。赤屍は機嫌良く脚をぶらぶらさせて馬車の腕の中で話し出す。 「彼」……それが邪眼使いの青年ではなく、裏新宿において「雷帝」と呼ばれていた青年を指しているのだと、聞かずともわかるほどに、赤屍のその赤く薄い唇に「彼」の話題はのぼるようになっていた。 馬車は助手席に赤屍を放り込み、そのまま助手席に肘を突いて傍らに立った。愛車になかばもたれるようにして、黙って話の続きを促す。 シートの上で軽く弾んだ赤屍は、乱暴な扱いに少し鋭い流し目をくれてから、言葉を継いだ。 「ちょうど仕事帰りで、まぁ汚れていたので――彼に言われたんです」 べとべとのコートをべとべとのゴム手袋の両手でつまみ、赤屍はクス、と思い出し笑いする。 「『あんた、返り血浴びるのが好きなの?』――って」 「……それで?」 自分の愛車のシートがみるみるうちに赤黒く汚れていくのを、ぼんやりと眺めたまま、馬車はセッタの灰をとん、と地面に落とした。 「そう言われて初めて、もしかしてそうなのかな、と自覚したものですから、試しに今日浴びてみたのですが―― これが改めて浴びてみると、本当に生臭くてべとべとして」 どこかあどけないほどの笑顔――血塗られたままの。 「私は別に、血を物理的に身体に浴びたくて人を殺す、というわけでもないらしい――と、再確認したというわけなんです」 ひどくそれが不思議で可笑しいことなのだと言いたげな顔で、赤屍は馬車に向き直り、首を傾げた。 「彼の質問は、私にはどうにも不可解で。 だから彼に会ってからというもの、それまでは当たり前に受け入れていた世界が、ひどく新鮮な――まったく違ったものに見えたりする。 ――不思議だと思いませんか?」 セッタの灰が指まで焦がす。 ふ、と気づいて馬車は地面にそれを落とし――ブーツの踵でぎちぎちと…… 踏みにじった。 「……それは、恋をしちゅうよな台詞ぜよ、あの小僧に――」 「恋?」 誰も――誰も聞かなかったのだ。この美しい異形は人外の化生だと、信じきっていたがゆえに。 そんな簡単な問いひとつ、投げかけることなく、人外を人外のまま留めおいていた。多くの者は聞く勇気と実力を持たず、聞くことのできるわずかな者は聞く意欲と意味を持たず。 「彼」が――はじめて。 「……あなたもおかしなことを言うんですね?」 じぃ、と不思議そうに赫い瞳が覗き込んでくる。血に汚れたままの顔で。 「妬いてるんですか?」 よくわかってないくせにやけに核心を突いた台詞を吐きやがる、と、馬車は溜息を隠すために新たなセッタに火を点けて深々と煙を吸い込み、深々と吐いた。煙をかぶって眉をしかめる赤屍に、嫌がらせのようにもう一度、煙を吹きかけてやる。 「――今更なして妬くかよ」 くわえ煙草のまま、文句を言おうとした赤屍の、血に汚れた額をとん、と押して助手席のドアを閉め、運転席にまわる。ドアを開けて乗り込みかけて、ふと、 「おまえが俺のンじゃと――ちぃくとでも、思うたこともないに」 そう、ごく自然に答えると運転席に乗り込んだ。 殺戮の余韻か、少し気だるげにシートに身を預けて前方を眺める赤屍は、その瞳だけをちらりとこちらに向ける。 そのまま一枚の絵に空間を切り取って飾っておきたくなる、生き様が綺麗に研磨された女の仕草を、ハンドルに腕と顎を預けて車の窓越しに観察する時のような――そんな気分で馬車は、運転席におさまるとじぃ、とその姿を横目で見返した。 「少しも、ですか?」 「少しも」 「一瞬たりとも?」 「一瞬たりとも。――――ただ、」 ただ、とのつぶやきと同時に視線を外してエンジンをかける。きしむような振動と音にまぎれて聞こえないことを知りつつ、馬車は車のキィに視線をやったままつぶやいた。 「――モノにしとると思うか、しようと思うか、したいと思うか、は――、それぞれ、別の話じゃきに」 自分の物だなどとおこがましいことも、自分の物にしようなどとしんどいことも、夢にも思わないにもかかわらず―― 「何か言いましたか?」 「いいや」 「何か言ったでしょう」 「おまえはちぃとも俺の言うこた聞かんし、こんなんで俺のンと思えるはずがない、と言うたぜよ」 「――それは心外だ」 「何が心外ぜ!」 返ってきた答えのちぐはぐさに、思わずすっとんきょうな声を出してしまう。第一、前半が心外なのか後半が心外なのか。 「わからないなら良いです」 「……おい」 「とりあえず、返り血が好きだと言うわけでもないということはわかったので、早くこれを落としましょう」 「……どこで……」 「あなたの家以外、どこがありますか?」 「……また俺ンく(家・部屋)血まみれにしゆうがかよ……」 「私が泊まるのがいやなんですか?」 「……その格好で寝ッ転がるだきゃあ許さんぜよ」 「覚えていたら、気をつけます」 「……」 車だけでなく部屋まで掃除する羽目になりそうだ。しかも諸悪の根源は決して手伝いなどすまい。 深く深くセッタの煙を吐き出して、馬車は一気にアクセルを踏んだ。 ハンドルを切りながら、横目で見やると、赤屍は眠っているのか、瞳を閉じて彫像のように動かない。 ――まぁ、恋と現実は違うちうこらぁね。 きっとこの綺麗な異形は、己とはまったく異質な青年が己から逃げ、時には体当たりし、そうして必死に自分を変えようとすることを、苛立ちつつも楽しんでいる。 己の周囲の世界が変わる――己自身が変わるという経験など、したことがないのだから。 だがそんな、存在を削り合う切磋琢磨に、絶対的な自由を謳歌してきたこれがいつまでも我慢していられるはずもない。 飽きるか疲れるかした時、また当たり前のように、こうして助手席に都合よく潜り込む黒ずくめの姿があろうことを、馬車は疑ってはいなかった。 締めつければ嫌がって逃げ、追えばからかって逃げ、責めれば呆れて逃げる、けれど。 何もかも許容して放任しておけば、ある時ひょっこりと――戻って来て隣に座っているものなのだと。 自分のものにはならなくとも、こうして自分の傍で骨を休めるようにはなりうるのだと。 異形を異形のまま遊ばせておく度量さえ、自分が持っていたならば。 ――自分の物にしようなんざ、思っとったら疲れるだけさね? 雷小僧よぅ。 生意気そうな、それでいて奥の深いふてぶてしさを持ち合わせた金髪の小僧の顔を思い浮かべ。 強敵には違いなかろうが、戦わにゃぁそもそも敵にもなるまいね、と、馬車はひとりうっそうと笑って運転を続けた。 |