七月ばかりに、風いたう吹きて、雨など騒がしき日、おほかたいと涼しければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかかへたる綿衣の薄きをいとよくひき着て、昼寝したるこそ、をかしけれ。
――『枕草子』






薄暗い無限城にも、日の差す一瞬は存在する。高く天頂に太陽の君臨する灼熱の八月、だが、花月はその暑さをものともせずに、身体いっぱいに荷物を抱えて運んでいた。
一歩ごとに、荷物をゆすりあげて歩くものだから、リン、リン、とリズミカルに鈴が震える。「身体いっぱいに」――という言い方はおかしいと言う者もあろう。だが、花月は今まさに、身体全体に押しつけるようにして大きな荷物を持ち上げ、運んでいるのだった。
「元」とはいえ、ロウアータウンの最大勢力『風雅』の頭であり、『Volts』が結成された現在でも、雷帝を護る四天王の一角を担う、「絃の花月」である。それが、「よっ」「ほっ」などとたのしげにひとりで掛け声をかけながら、バランスをとって大荷物と共に歩いているのだから、廊下で出会う部下たちは当然、騒然となった。
「何してんですか花月さん!」
「オレらが持ちますから!」
「ああ、いいよ気にしないで。このぐらい自分でできるから」
嬉しそうに、顔もほとんど荷物に埋もれながら花月はくぐもった声で答える。
「でも『自分』って……それ、」
遠慮がちに「それ」を指差して、何事か指摘しようとしたひとりのジャンクキッズが、いっせいに周辺の仲間たちに取り押さえられる。視界は遮られたまま、「うん?」と首をかしげた花月に、「あ、お、オレ、先導します!」と慌ててひとりが駆け出した。
「ほんとに、気にしなくていいんだよー」
うんと首を伸ばして、「それ」を顎で押さえるようにすると、視界を確保して花月は再び歩き出す。「誰か、十兵衛さんに報せろよ」という囁きは、残念ながら――あるいは、幸運なことに――、彼らの上司の耳には入らなかったらしい。上機嫌に、花月は歩み去っていった。
十兵衛の部屋に向けて。
「……なぁ、あれって……あれってよぉ!」
さきほど取り押さえられたジャンクキッズが、解放されておろおろと周辺に尋ねて回る。
「何も言うな」
「だって、なんで花月さんが十兵衛さんの布団抱いて歩いてんだよ!」
「うるせぇな、花月さんが布団干したいって言ってんだからそれでいいんだよ! つーか俺だって納得してねえんだよ!」
「なぁ、それってそうなのかよ、そういうことなのかよ!」
「新入り……」
深い声で、『風雅』創立期から花月に従う古参兵が、ぽん、と、わななく少年の肩を叩いた。
「……世の中にはな、アンタッチャブルってものがあるんだ」


「花月さんが、十兵衛さんの布団を抱えて幸せそうに歩いています」との、部下たちのおせっかいな知らせを受けた十兵衛は、まるで伝言ゲームのようなその報告に首をかしげながらも、急ぎ足で自室へと向かった。
長い四肢を機能的に動かして、上下動なく滑るように花月のもとへ急ぐその姿が、ジャンクキッズたちに興味津々で見送られているなど、毛ほども気づかない。
ついでに、夏も盛り――天文学上ではなく旧暦上では、もうすでに秋へと入っている、今日というこの日がいったい何を示しているのかも、露ほども気づくことはなかった。
「花月、皆が言っていたんだが――」
ドアを開けながら声をかけ、……だが、はっと息を呑んで声を押し殺す。
畳敷きのベッドの上には、敷布団がきちんと拡げられてはいるものの、明らかに「やりかけです」といった適当な状態のままだ。そして花月は十兵衛の、その干したてのもっとも心地よい状態の敷布団を、実に傍若無人に、胎児のように丸く寝転んで独占していた。
すうすうと、呑気な寝息までたてている。
「……」
どうしたものか、と黙考しつつも、十兵衛はとりあえず、その傍らまで歩み寄った。
見れば、花月は夏用の掛け布団を抱え込むように抱きしめて、そこに顔まで半ば埋めて眠っている。
……何とはなしに、気恥ずかしい。
「花月、……その……そんな汗臭いものを抱いて寝るなよ」
普段なら、花月の安眠を妨げるものは、神仏といえど許しはしないというのに、十兵衛はやや焦って、掛け布団を無理矢理引っ張りはじめた。
「いや……」
冷房を置かぬ十兵衛の部屋の中で、ぐっしょり寝汗をかいた花月は、色っぽい拒絶の声をあげながら十兵衛の掛け布団をしっかと抱え込む。
仕方なく十兵衛は、花月をごろんと仰向けて、よいしょ、よいしょ、と布団をそこから引きずり出した。
「なんだよぅ」
半分寝ぼけた声で、花月がとろんと抗議する。
「それはオレの台詞だと思うぞ、花月」
布団を畳みながら、十兵衛が照れ隠しにぶっきらぼうな声を出すと、ぱちり、と大きな黒曜石の瞳が見開かれた。
「うわっ……もしかして僕、寝てたの?」
「そう……だが」
「ご、ごめん十兵衛! うわっ汗かいてる……せっかくシーツ洗ったのに!」
たしかに、洗いたての、太陽の光をいっぱいに吸い込んだシーツは、微妙に湿っぽい気配を漂わせていた。
「……ごめん……」
気の毒なほどしょんぼりとして、花月はベッドからもそもそと降りようとする。そう言われると、無理矢理起こした自分が今更ながらに反省されて、「いや、疲れていたんだろう」と十兵衛は花月を、ベッドの上に押し留めた。
「寝床を整えてくれていたんだろう? 悪かったな。そんなに不潔にしていたつもりはなかったんだが……」
「ああ、いや、そうじゃないんだよ、ただその……」
言いかけて花月は、気まずそうに押し黙るとうつむいた。
どうした、とその顎に手を当てれば、しおれた声がぽつりと答える。
「……君、誕生日じゃないか」
「そうだったか?」
そう言えばそうだったような気もしてきた。十兵衛はあまり気のない返事をしてから、花月の顔を覗き込んだ。
「それと、オレの布団に何か関係があるのか?」
「直接に関係はないけどさ……」
言いにくそうに視線をそらして、花月はぼそぼそと言葉を継ぐ。
「……いつも……一緒に寝ても、僕のベッドでも君のベッドでも、君が布団を干してくれるから。
 誕生日ぐらい、僕がベッドを綺麗にして、それで、その……」
さすがに言葉の続きはいえなかったのか、花月はいったん沈黙し、それからとってつけたように、
「そういうこと」
と言ってベッドを飛び降りようとした。
その手を掴んで、十兵衛はいともたやすく、花月が先ほどまで寝ていた場所に彼を押し倒す。
「ちょ、十兵衛?」
「つまり、これは誕生日プレゼント……という奴か?」
真顔で確認する不粋な男に、口を尖らせてぷいと顔を背けながらも、
「そうだよ。つい寝入ってしまったから台無しなんだけど」
「それは違うだろう、花月」
生真面目な男は生真面目に、花月の言葉を訂正した。
「……何がだい?」
「オレにとっては、これこそが最高の贈り物だ」
逃げられないようにがっちりと両手で両肩を捕まえて、十兵衛は、さらに問いを投げようとした花月の、形の良い唇についと軽く唇を触れさせる。
「だから、何が……っ、十兵衛、昼間っから何するんだ!」
「何って……贈り物を開けているところだが」
花月のTシャツをめくりあげて脱がせながら、十兵衛はやはり大真面目に、花月を真っ向から見つめて答える。
しばらく言葉の意味を考え、そして、花月はようやくそれを理解して――一瞬後、脱がされてあらわになった腹まで一気に、見事に赤くなった。
それを発見していとしげに眼を細めた十兵衛は、身をかがめ、汗ではりついた花月の前髪をかきあげて額にくちづけた。
「干したての布団、洗いたてのシーツ、寝起きのお前。
 ……誰もがうらやむ贈り物だ。オレはそう思うよ、花月」


風呂で汗を流した後に、いつのまにかまた、寝入ってしまっていたらしい。十兵衛がやさしい声をかけて出て行ったのを、花月はおぼろに覚えていた。
外はすっかり陽が落ちている。メンバーへの指示を、今頃、十兵衛は花月に代わって出してくれているのだろう。
汗をかいているから、と嫌がる花月に、どうせもっと汗をかくさ、とどこまでも天然に恥ずかしい答えを返す彼は、言葉どおり、花月に嫌ほど汗をかかせてから、その身体を綺麗な浴衣で包んでくれていた。
――あの掛け布団でよかったのに。
いつのまにかベッドから払い落とされてしまっていた布団を、緩慢に起き上がって花月は引っ張り上げる。
花月の誕生日ではなく、十兵衛の誕生日だと言うのに、こうして今日も花月は甘やかされている。
――僕は負けっぱなしのような気がする。
誰もいない部屋で、ひとり、口を尖らせて、だが、花月は、結局、十兵衛の匂いのする布団の誘惑に負けた。
一度起き上がらせた身体を再び横たえ、心地よさげに瞳を閉じる。
昼間もこうして頬を寄せて、その心地よさに眠ってしまった。時折焚く香や、無限城にはつきものの埃の臭いに混じって、染みついた、いとしい者の匂い。
彼が生まれた日に、それを実感することができる己を、花月は、たとえどんな過去や現実を背負っていたとしても、誰よりも幸福なのだと信じていた。


……夜更けに帰る十兵衛が、同じ幸福を噛みしめながら、包み直した贈り物をこの上なく大事に、もう一度開けていつくしむであろうことを、眠る花月はまだ、知らない。