正しい散歩の誘い方




「お花見をしましょう」
「いやじゃ」


「……しましょう?」
にっこりとそれはそれは機嫌よさげに、両手計8本のメスをきらめかせる目の前の、今はスラックスにカッターシャツの「黒衣の死神」。
それをいやそうに眺めやり、馬車は溜息をついてソファに座り直した。
「今からか」
「今からです」
冷房を控えめに効かせた部屋で、ジャージのパンツにTシャツ。そんな、いかにも休日を怠惰に過ごす気満々のオヤジ……といった格好のまま、馬車はがしがしと頭をかく。
「あのな、」
「行きましょう?」
くくく、とメスが馬車の、まだ読んでいない新聞に向かう。最近、この厄介な人型の黒猫は、馬車が己の命を惜しまぬ仕掛屋であることを学習してか、非常に卑怯な手段を覚えるようになった。
命を奪るというならば、「おおやってみぃ、明日の仕掛はわやンなりゆうぞ」とでも言おうかと思ったが、まだ読み掛けの新聞を細切れにされるのは癪に障る。
「行っても構わんが……何の花ァ見よるが?」
馬車は憂鬱そうに窓の外を眺める。
外は、どっと汗の噴くような酷暑。まさしく灼熱の陽光に、思わずカーテンを閉めてしまう。
「……この真夏日に」
そう、誠に残念なことに、今は花見時を遠くすぎた8月の半ばなのであった。
これが3月に言われでもしたものなら、多少の照れくささを覚えこそすれ、間違いなく、自分はふたつ返事で穴場に連れていってやろうものを。
「今更言うな」という落胆もあいまって、馬車はかなり滅入らざるをえなかったのだ。
「桜ですよ」
不思議そうに、目の前に昂然とたたずんだままの奔放な黒猫は首を傾げる。
「桜を見るから花見なのでしょう。いいですか、王朝文学において『花』は一般に桜を指し――」
「桜なんぞ咲いちょらん」
せめて「向日葵ですよ」とでも言ってくれようものなら、まだ対応のしようがあるものを。
どんどんかけ離れていく会話に、ふて寝でもしたくなってきて、馬車はソファにごろりと横になる。
「何を寝ているんです!? 出かけるんです」
腹を立てたか、赤屍は声を尖らせて、新聞を四つに切り裂いた。
ばらばらと顔の上に落ちてきたそれを払いのけ、剣呑な無表情で、馬車はゆっくりと起き上がる。
「……てんごうしゆうのぉ……?」
西の訛りが、低い雷鳴を含んだが、恐れ入る様子もない人型の黒猫は、ぷいと窓の外を見て言い捨てた。
「あなたが人の話を聞かないからですよ。この季節でも、桜が咲いている場所があるというのに」
言葉の前半には、言いたいことが山ほどあったのだが、それをぐっと飲み込んで、馬車は言葉の後半に耳を傾けた。
「どこやが?」
まさか北海道とか言わんだろうな。そう危惧しつつも、おとなしく話を聞く様子を見せる。
満足げに赤屍は笑みを含んで答えた。
「ミタマです」
それは、郊外にある小さな研究所の名前だった。一瞬たりとも間をおかず、馬車は即座に答えを返した。
「却下」
「はぁ!?」
「へちぁおんしがこじゃんと嫌うちょったがね! なぁしてあしがそがなン行かんといけん――」
「馬車、悪態をつくのは構いませんが、そこまで行くと私にも何が何やらさっぱりわかりません」
「……あの研究所は、おまえもえろう嫌うとったがね。なして行きゆう」
「言い直してそれですか……」
生意気に溜息をついてから、優雅にソファに――正確には、ソファの上の馬車の太腿あたりの上に座った黒猫は、それでも馬車が真面目に聞いていることに機嫌を直し、説明を始める。
「たしかに研究所自体は気に入りませんよ、私をやたらと弄りたがりますからね。しかし、あそこには、遺伝子改良されて夏に咲く桜があるのです」
「……それを見に行くと?」
「あの研究所に『運び』の仕事があるのですよ。ねぇいきませんか、馬車」
馬車と桜を見に行きたいから仕事を引き受けたのか、気に食わない研究所にひとりで行くのが厭で、桜を餌に馬車を誘っているつもりなのか。
それとも、そんな深いことはまったく考えることなく、ただ、気まぐれに仕事を引き受けてきたのだろうか。
――そんなことばかり考えちょるから、こいつに振り回される。
馬車は眉を寄せた。
その表情を見た赤屍が、ぼん! と186センチの長身を、馬車の太腿の上で跳ねさせる。
「イデッ!」
「どうなんですか、行くんですか行かないんですか!?」
「脅しな!」
「脅して欲しいんですか?」
「逆じゃ、阿呆」
相変わらず東と西のギャップに苦しみながら、馬鹿な会話は続く。これ以上太腿の上で暴れられて、こっちが腰痛にでもなったら――いやそれ以前に、何やらおかしな気分にでもなりかねない。
たまりかねて馬車は、勢い良く起き上がると、立ち上がって赤屍を床に放り出した。
「何をするんです」
ひらりと立ち上がって眉を逆立てる赤屍の胸元に指を突きつけ、
「大体、つくりもの桜なんぞ――――」
言いかけてふと、言葉を呑む。
黙り込んだ馬車を、赫の双瞳で穴があくほど見つめ、無邪気なほど無機質に、人型の黒猫は尋ねた。


「ツクリモノは、キライなんですね?」


「……10分待て」
踵を返して寝室に入る飼い主を、黒猫は追ってひょいひょいと寝室に入っていこうとする。
「入って来んでええき!」
つまみ出されて不満気にドアを蹴りつけ――さすがに手加減はしつつ――、文句をたれると飼い主はぶっきらぼうに答えた。
「仕度するき、待っとれ。こげな格好で仕事ぁようせん」
「仕事?」
「ミタマが仕事やきねぇ?」


ツクリモノの桜は、確かに好きになれないが。
ツクリモノは嫌いか、と、……この、もしかしたらツクリモノかもしれない、黒猫に尋ねられてしまっては、何も、言えない。諸手を挙げて降参するしかないのだ。


「……やきんど、いつでも降参しちゅうような気もするぜよ」
部屋の外で律義に待ちながら、「スーツを着ていくんですよ、お花見はスーツだと鏡クンが……」とやかましい黒猫の、その吹き込まれた勘違いをどうやって訂正してやれば良いのかと、悩めど解決策は見つからず。
馬車は溜息をついてクローゼットを開き……


……根負けして、このくそ暑い中にスーツを着込み、トラックに乗った……
かどうかは、神のみぞ知る、ということで。