マイ・ディア・パブロフ――2




「……電気……ですか?」
「うん」
一通り話を聞いた花月は、膝の上に銀次を乗せたまま首を傾げた。
「銀次さんが……電流を?」
「もしかして、カヅッちゃんとかも気になってた? 髪の毛長いから静電気とか困ってたのかなぁ。オレ全然気づかなくて……」
「いえ、あの……少なくとも僕は、全然」
キミは? と十兵衛に声をかけるが、黙って肩をすくめるのみである。
しばらく悩んだ花月は、ややあって言いにくそうに、のんきにたれる銀次に問いかけた。
「銀次さん。もしかして……その、昂奮した時だけということは、ありませんか?」
「コーフン? なんで?」
「無限城にいた頃から、怒った時に放電したりしていたと思ったので……ねぇ、十兵衛?」
何となく助けを求めるような響きを感じ取ったのだろう。十兵衛は花月に顔を向けると、小さく頷いて言葉を継いだ。実にあっさりと。
「要するに、性的昂奮のことだろう」
「……セ???」
「欲情、だ」
「あー。……あー!?」
何てこと言うんだよ十兵衛ー、と花月の膝にぐりぐり鼻を押しつけて照れる銀次の、とうとう十兵衛は首根っこを捕まえて持ち上げ、カウンターの上にどんと据えた。
「心当たりはないか?」
「そ、そそそそそそそりゃあるけどさー!」
ゆでたれと化した銀次を落ち着けようと背中を撫でながら、花月はアドバイスを試みた。
「とりあえず、ふたりで話し合ってみるというのはどうですか。銀次さんだって、普段から欲情しっぱなしというわけでもないでしょうから」
「う……うん」
いまいち自信なさげに頷くと、銀次はよじよじとカウンターを降り、ふたりに向けてふかぶかとお辞儀をしてから手を振った。
「ありがとうカヅッちゃん、十兵衛、オレがんばるよ!」


「……このぐらいのアドヴァイスは、してあげても良かったんじゃないですか」
十兵衛とお揃いの梅昆布茶を飲みつつ、花月は蛮を振り返る。
ソファにそっくり返っていた蛮は、首を更にのけぞらせて逆さまに花月を見返した。
「そのアドヴァイスとやらが、本当にあってんならな」
「どういうことです?」
「花月、あまりきつく言わずとも――」
呼ぶ十兵衛の声は耳元で聞こえ、同時にそっと肩に手が置かれて花月は、思わずカップを膝の上に取り落とした。
「あつっ!」
叫ぶより早く十兵衛が、冷めたおしぼりを膝の上に乗せて花月を抱き上げる。
「マスターすまない、氷とできれば着替えを貸してもらえないか?」
「ああ、すぐ持っていくから。奥に入っていな」
「ちょ、ちょっと十兵衛、大丈夫だって――」
「驚かせたオレの責任だ。それにここは無限城ではないんだぞ」
「でもっ――あ、歩けるってば!」
騒ぐ花月を問答無用で抱いたまま、十兵衛はマスターから氷を受け取って奥へと消える。
見送った波児が、ふ、と歎息して蛮に声をかけた。
「要するに、アレか」
「アレだな」
しみじみと蛮も煙草の煙を吐く。
「欲情した時限定なら、何でもかんでも触るななんて言やぁしねーっての。ッたく、大甘かましてやがる割に鈍いヤローどもだぜ」
「鈍さで言うなら、おまえさんもなかなかのものだと思うがな?」
サングラスをかけなおして波児が苦笑する。
卑弥呼が蛮に寄せる想いの真剣さも、空気のように自然に受け止めてまるで意識せず、苦楽を共にした相棒が、恋人(未満)に一喜一憂するのを見るたびに、まるで頑是ない子供のように拗ねくさりつつ自覚ゼロ。
「他人のことは、よくわかるもんだよなぁ」
にやにやしはじめた波児に、「ンだよ」と仏頂面を向け。蛮は冷めた珈琲を不味そうに飲み干してから、奥の二人が出てくるまでの時間を計りはじめた。


「というわけで、」
「はぁ」
「欲情してない時ぐらい触らせてください!」
「いつ、欲情してないんですか?」
「へ?」
「ですから、いつ」
仕事返りの赤屍と、バスルームの扉越しに会話していた銀次はその場に固まった。
シャワーの水音に負けてくぐもる声。思わず扉に貼りついて聞き耳をたててしまう。
「銀次クン?」
「は、はいっ! えーとですね、とりあえず出てきてください。触ってみますから!」
「……………………………………………………」
うたがわしげな沈黙がかなり長く続いたのち、きゅ、という音と共に水音が止んだ。
耳を扉に押し当てると、なにやらごしごしと布音が聞こえる。
「あの、オレ拭きましょーか?」
「けっこうです」
「……そんな時だけ即答しなくたっていいじゃないですか……ぐがっ!」
勢い良くドアが開き、もんどりうって倒れた銀次は、目の前にあるスリッパとその上の裸足に気づいて硬直した。
「どいてください」
「は、ははははい」
「今は欲情しているんですか?」
「あー、……すいませんしてます」
ビジネスホテル備えつけの浴衣は、ずば抜けた長身の赤屍には、少し短い。くるぶしから上が、転がる銀次の眼前にある。
「では触らないでください」
あっさり片づけて、赤屍はベッドに向かった。
「そ、そんなこと言わずに――」
思わず目の前の踝を握りしめる。
瞬間、赤屍の身体が小さくひきつった。
「ン、」
「え?」
その反応に驚いた銀次が顔を上げた瞬間、
「離しなさい」
ゲシ、と容赦なく顔面に蹴りが決まっていた。
声もなくのたうちまわりながらも、銀次は驚異的な回復力でその場に跳ね起きる。
その時には、すでに赤屍は背を向けてベッドに飛び込んでしまっていた。
「ねぇ、赤屍さん」
「おやすみなさい」
「ねぇったら……」
ベッドに乗り上げてぺた、と首筋に触れてみると、
「触るなと言っているでしょう」
いやがって逃げながら赤屍が振り返った。
ごめんなさい、と先に謝っておいてから、
「ねぇ今、オレ電流……」
「流したでしょう」
「とんでもない!」
「欲情してるんじゃなかったんですか?」
「いくら何でも、このぐらいじゃ流れないよ!」
「……しかし、確かに今……」
難しい顔をして、赤屍は考え込む。銀次が、無害げにたれてごそごそベッドの隣に潜り込んでも、まったく意識に入れていない。
「あのね、赤屍さん」
「なんですか」
うるさげに答えてから、赤屍はつぶらな瞳のあやしげなたれ生物が、目の前まで迫っていることに気づいてやや距離をひいた。
「オレよくわかんないですけど、ほら、オレ赤屍さんにしょっちゅー電気流してたから、そのう……」
「私を組み敷こうとする時のことですね」
「あ、う、うん、はい、ごめんなさい」
「それで?」
「えーと。ほら、オレ聞いたことがあるんだよ、いっつもベル鳴らしてから餌あげてると犬はベル鳴らしただけで餌の時間だと思うって……」
「キミは私を犬と同列に置くつもりですか!?」
「わーごめんなさいごめんなさいってかメス出さないでー!」
ベッドの隅で丸くなって震えながらも、あくまでベッドを降りようとはしない銀次に、たれ状態だから油断しているらしい赤屍は素直にメスをしまった。
「……まったく。要するにパブロフの犬のことですね?」
「あーうーんそれ……かな?」
「わからないなら素直にそう言いなさい」
「ごめんなさい、わかりません」
よろしい、と頷いて赤屍は再び考え込む。
たれたままきゅぴーん♪ と獲物を狙う目つきになった銀次の、その擬音が聞こえたわけでもなかろうが、我に返ってもう少し距離を引いた。ベッドの端まで。
「触らせませんよ」
「でも、ずっと触ってたら、慣れるかもしれないよ?」
「……試しに、ちょっと触ってみてください」
「うわーい♪」
たれる銀次は欲望のままに、たれたまま赤屍に飛びかかってばふん、と乗っかった。
「…………銀次クン、私は『ちょっと』と言ったはずですが」
「おやすみなさーい」
「銀次クン?」
剣呑な目つきと声になった赤屍に、たたみかけるように問いかける。
「今は平気だよね?」
つぶらな眼で見上げられて、そういえば、と素直に赤屍は頷く。
「要するに……」
きりり、とシリアスヴァージョンに戻って銀次は、浴衣の襟から覗く首筋にくちづけた。
「やめ――」
「今は、電流流れた感じしたよね?」
「……流していないのですか?」
「オレ以外に触られても、ならないんだよね?」
「キミ以外に電気を扱う人間の存在を、私は知りません」
「ほら、どうせオレだけなんだし、そのオレでだって、大丈夫な時と、大丈夫じゃない時があるんだよ。だから、大丈夫じゃない時を何回も繰り返したら、たぶん大丈夫になるって!」
「……そうでしょうか」
「うん、多分!」
力強く「多分」と保証されて、赤屍は眉を寄せる。
「何事も挑戦だよ、赤屍さん!」
こうなりゃ押し切った者勝ち、とばかりににっこり、エンジェルスマイルを浮かべてみせる銀次に、何だかもう、考えるのもいやになったらしく。
「好きになさい」
赤屍は言い捨ててくるりと背を向け、熟睡体勢に入ってしまった。


寝息が聞こえ始めた頃、その背に顔を押しつけるようにして一緒に眠っていたはずの銀次が、ぱちり、と目を開いて半身を起こした。
背を向けた赤屍の、端正な横顔を覗き込んでひとり、ひどく嬉しそうに、あやすような笑顔で優しく笑う。
『ナイショだけどね、赤屍さん』
用心したか、声に出さず口の形だけで囁き。
『触られて気持ちイイ時って、ビビビッって電気流れたみたいになるんだよ』
不意打ちの時は、触れられてとっさに珈琲カップを落としてしまうほどに。触れられたところから、電気が走るような感覚もあるのだと。
言ったら赤屍は激怒するだろう。そんな感覚を自分に植えつけたのか、と。
触っただけで「電流が流れたように」感じてしまうほど敏感な身体をしているのに、自分が感じているのだということに気づかない。
いや、きっと……気づきたくない。
『だから、ナイショ』
あなたがこれを、電気や錯覚と勘違いしているうちに。
この感覚なしじゃ、生きていけなくしてしまうのだ。


「おやすみなさい、赤屍さん」
しあわせそうに、その背に頬を押し当て。後ろから、冷たい身体を抱きしめて瞳を閉じる。
眠る赤屍は、その微弱な電流を感じ取ったかのように、ひくん、と小さく震えて瞳を開き――銀次の手を押しのけかけてなぜか諦め、そのまま、ふたたびの眠りに落ちていった。