「死ぬのでしょう?」――――Ban
浮かされるほどの陽光と、照り返す大地の熱で、視界さえ判然としないかと思われた。
「……おい」
「はい?」
ベンチに腰掛けていた一片の闇がわずかに姿勢を変え、こちらにほの白い顔の下半分を向ける。表情は見えない。ただ帽子の下で、唇がゆっくりと開いたような気がした。「どうぞ」とでも言ったようだ。こんな天気でも、あの手袋をご丁寧にはめている。ひやりとした風が一瞬、どこかからか吹いたような気がした。
ベンチの隣を勧めたのだとはわかっていたが、無視して傍らに立つ。
「……こんなところで何してやがんだテメー?」
「特に何も……」
おだやかに脚を組み、膝の上に手を置いて。いつものように帽子を目深にかぶり、黒衣の闇は公園の風景に顔を向けている。
立っている彼からその顔を覗き込むことはできない。
「美堂クン」
少しねっとりとした声で名を呼ばれ、じりじりと白光に焦げる公園から視線をそちらに向ける。さりげなく、ポケットから手を抜く準備をしながら。
だが黒衣が揺るぐことはなかった。
「ほらあそこにキミがいる」
神経質に細い、ゴム手袋に包まれた手がゆっくりと挙げられて、眼前の光景を指差す。
「なに?」
言われたことの意味がわからず、指の差すものを追って、サングラス越しの視線をそちらに向けた。
ありふれた公園の風景だ。
何を差しているのかわからない。
「――なんの禅問答だよ?」
あざけりを声に含めると、ものしずかなままのテノールもしずかなりに、笑みを声に含んだ。
「見えないのですか? よく見てごらんなさい」
仕事中ではなかったから、気を抜かぬでも蛮は放胆に視線を向け、指差す先を凝視した。
そして絶句する。
視線の先、ぼんやりとおぼろな木陰の暗がり。
引き裂け赤黒いものを露出させ、びっしりと何かがたかっている屍体――が、転がっている。
まとう服装は黒衣。髪は――見えない。あの髪は何色なのか。銀髪なのか黒髪なのか。
「ねぇ、キミでしょう」
おっとりとベンチに腰掛けたまま。人の形をした朧な闇はやさしく囁く。
「……ナニ、言ってやがる」
低い声を蛮は押し出した。瞳孔が爛々と輝きはじめるのを、サングラスで押し隠し。
「あれはテメーだろ?」
「……?」
「テメーか不動か。どっちにしろ、テメーらにゃ似合いの末路――」
言いかけてその言葉が不意に胸に突き刺さり。
わかりましたか、とでも言いたげな頷きを鍔広の帽子は返してみせると。
「どちらでも変わりはしません。キミも同じなのだから。
ほらキミもああやって――死ぬのでしょう?」
もはや原形も留めぬほどに、ぐずぐずに崩れた死体の傍ら。
重く黒衣の裾をはためかせた美しい笑顔の人形が少し、帽子の鍔を上げ――にこり、と蛮に笑いかける――
「――――ッッッ!」
跳ね起きた目の前に、端正な無表情の横顔があった。
「眼が醒めましたか」
「……ク……クソバネ……?」
「開口一番ひどい言い草ですね。1時間も人の膝を借りておいて」
「!!!!!」
辺りを見渡す。
公園の芝生、猛暑もやや手をゆるめる木陰、赤屍は片膝を折って片脚を投げ出し、おとなしく座っていた。跳ね起きる前の蛮の頭は、赤屍が投げ出した方の太腿にしっかり乗っていたということになる。
「……もしかして、何も覚えていらっしゃらないのですか?」
優雅な声音に痛烈な皮肉を込めて――本人無自覚だろうが――赤屍はちらり、と帽子の下から視線を流した。傍らに、すっかり結露も落ちた、いかにもぬるそうなペットボトルがあった。烏龍茶。口の中に残る茶の渋味に気づく。
「……ちょっと、待て。テメーオレに何を、」
「人聞きの悪い」
気を悪くした様子もなくおっとりと溜息をつき、赤屍はつい、となげやりに手を周囲へとめぐらせた。
「そこらの通行人に聞いてみれば良いでしょう。気分が悪いと言ったキミを、わたしはここまで担いで来て水を飲ませ、膝を貸していただけです」
それはそれで非常に屈辱的である。
黙り込んだ蛮に小さく喉の奥で笑うと、赤屍は中身の少し残ったペットボトルを蛮の手に押しつけて立ち上がった。
「台所事情が赦してくれないのはわかりますが、きちんと食事はとってもらわないと私が困る」
「なンだそりゃ」
「キミがこんなことで、通りすがりの仕掛屋に殺されたりしては、私は立ち直れないほどに悲しいからですよ」
ふわりと黒衣が翻り、眼前に白皙の端正な容貌が迫る。
瞳を閉じかけて歯の奥できり、と食いしばり、殺気を起こすほどの力で、焦点を合わせぬままに睨みつけると、その蛇の瞳孔をいとおしむように眺め返し、朧な闇の白い顔は更に近づいてそっと、額と額を合わせた。
「まだ少し熱がありますね。早めにお帰りなさい。
……あなたは私が食い尽くすのだから」
ぞっとするほど整った顔、薄く笑みの形に開かれた唇、そして濡れたように赫々と輝く凶眼――
「――ほざけ」
いっせいに木々から鳥が飛び立つほどの殺気は、どちらが先に放ったものか。
弾かれるように後ろへ飛んだ赤屍は、クスクスと上機嫌で含み笑いながら、次の瞬間には5メートル以上の距離を開け、ふと背を向けかけて振り返り、言った。
「ところで美堂クン、」
「悪夢(ユメ)は、見れましたか?」
「……!?」
眼前に甦る光景。
『キミも死ぬのでしょう……?』
『キミも同じなのでしょう……?』
食らい合い引き裂き合い、殺しつづけて最後には殺されて終わる。
ぼろきれのように引き裂かれて、臓物を地にぶちまけて……不動が、赤屍が、幾多の狂者がそうであるように彼もまた――そうするしかできない生物なのだと。
あの夢の中の死神は――そして彼の深層心理は――? そう、彼につきつけてきたと言うのか。
照りつける太陽のような雷の神と、呪われた蛇の王が共に立つことなど、所詮できないと――?
答えない蛮の表情にまたひとしきりおかしげに……そのくせひどく醒めた瞳で笑いながら。
「うなされていらっしゃったので。どうやら良い夢だったようだ」
それきりふわん、と黒衣の裾をまとわりつかせ。
暮れはじめる空が朱をふく方角に向け、死神は己の支配する漆黒の時間へ向け、ゆっくりと歩み去っていった。
「あのバケモンと闘る時ゃどーしたって命のやりとりになるぜ?
正直ワリにあわねーかな?」
眼前に揺れる黒き幻朧。
白い微笑。
芸術的な精緻で差し伸べられる手に4本のメス。
殺したい。
完膚なきまでに、原形を留めぬまでに息の根を止めて終わらせて。
そして手に入れる。
誰の所有物にもならない、誰を所有することもないあの生命を、彼だけの手に捕えて握り潰すのだ――
「……蛮ちゃん」
「……!!」
たった一言のやわらかい囁き。
ふ、と空間に光が満ちる。
本人は意識せずにやっているのだろう。この声の持つ、この瞳の持つ、この気配の持つやわらかい金の輝きが、どれほどの存在を救ってきたことか。
「ま、オレらの仕事は『ビーナスの腕』の奪還だかんな、ムダにやり合う気はねーよ」
興味なさげにそう言ってみせ、肩をすくめる。この輝きを安心させるために。
返って来る満面の笑み。雷の王であることを止めた黄金の少年。
――面と向かっては、ぜってー言ってやんねーけどな。
この輝きに、救われている。
この輝きがあるから、……あの黒きカゲロフを、食らわずに逃げ回りつづけることができる。
食らい尽くせば、食らい尽くされれば、……満たされるのかもしれないけれども。
そうしない生き方もあると、今の彼は、知っている――
ともすれば彼をあの木陰へといざなう黒く澄んだ気配に、今は背を向けて。
蛮は眼前の豪華客船に向け、愛しい相棒と共に少年のように駆け出していった。