「死ぬのでしょう?」――――Ginji



ベッドからはみ出した蒼白い手が、だらりと下がってもの憂げに床をまさぐった。古傷に覆われた細い腕。肩には炎を象った刺青が彫り込まれている。
ほっそりと伸びたその腕と、ベッドにうつ伏せに横たわったまま、だらしなく投げ出されたままの脚。くしゃくしゃになったシャツを、羽織るともなく羽織っただけの姿。
すでに日も高く昇ったのだろう、横たわる死神のシャツの上に、カーテンの隙間から漏れる陽光が細い筋をいびつに描いている。闇を渡り夜に笑う死神に、その一筋の白きラインはなぜか良く似合って綺麗だった。
日本人離れしたその体形を眺めていると、改めて、己と相手の身長差を思い知らされずにはいられない。
(脚が冷たそうだなぁ)
バスルームから出てきたところで目の前の風景に出くわした銀次は、その場に立ち止まり、頭をがしがし拭きながら、ベッドの上を飽きることなく眺めていた。
先ほどから、床に落とされたシーツやコートを探しているのだろう、顔を枕に埋めたまま、手がふらふらと床をさまよう。肌が冷たいのかもしれない、と、ひいやりとしたあの感触を思い出して近づく。
(けっこう無精だなぁ、この人……)
ちゃんと見れば良いものを、ぐったりと伏せたまま手だけ伸ばしているものだから、なかなかシーツの場所が見つからない。銀次はベッドサイドに立つと、シーツと布団をそっと身体にかけてやった。
シャワー浴びる? と尋ねようとして、わずかに覗いた瞳が閉じたままなのに気づく。
(寝てる?)
無意識の行動だったのかもしれない。長身の割に小さい顔は、腕と同じように蒼白い。無理をさせてしまったのだろうか。
枕に半ばうもれた、その彫像のような横顔に見惚れてベッドサイドに膝をついた時、視界の端にぱっと光が差し込んだ。
「あ、」
小さく声をあげて振り返り、テレビがつけっぱなしだったことに気づく。音はミュートにしてあったが、この光の明滅で起きてしまったりするかもしれない。
ベッドサイドのリモコンに伸ばしかけた手が、ふと、止まる。
(……あれ……?)
切り替わった画面の中、映っているのは東京のどこかのようだ。新宿ではない。ストリートの特集をしているところを見ると、渋谷だろうか。
画面の中では、きつい日差しの中ストリートダンスに熱中する人たちの姿があった。銀次の目を引いたのは、その環の中心と見受けられる一人の少年の姿であった。
(どっかで、見たことあるんだけどなぁ……)
少年のダンスは、生命そのものの烈しい躍動に満ち溢れていた。ぎらつくエッジのきわどい一線がそこにはあった。楽しいだけのダンスではない。スパークする死と生、南米や南欧の陽光を思わせる狂熱的な爆発――「ひまわり」に叩きつけられた黄色の絵の具を思わせるような。
(……普通の生き方した子じゃない)
どこかで、どこかで逢った――思い出そうしてふと、自分がリモコンを握ったままなのに気づく。
そういえば赤屍を起こさないようにテレビを消すつもりだったのだ、とリモコンを持ち上げて電源ボタンを押そうとして、


「――見てるんです」
ものしずかな声がそれを制し、冷たい指先がリモコンを握る手に触れて銀次はすくんだ。
「あ、…赤屍、さん」
「見ていますから。そのまま」
顔を半ば埋めたまま、シーツと枕から覗く右眼はザクロのような赫だった。背徳と死と契約の果実。
こちらは向いていない。テレビをじっと見つめている。赫の中に明滅する、光と、生と死を謳う命の躍動。
どこかうっとりとした、あの悦に入った微笑を、蒼白い頬と口元が浮かべた。
「キミはあの少年を知っていますか」
「あ、……いえ……」
一瞬、制止を聞かずテレビを消そうとした自分に戸惑いつつ、銀次は首を振る。
「壊し屋ですよ」
「え、」
「蒼生流か、分派した秋里流か。そのあたりの舞楽の一派です。あの一族には仕掛屋が多い。彼らの舞踏は、また武闘でもあるのですよ」
ブラウン管の向こうで、汗を滴らせ忘我の無表情となった少年は踊っている。それを見つめる死神の赫瞳がいつしか、爛々たる光を奥にたたえていることに気づいて銀次は、問答無用でスイッチを切った。
「――――銀次クン?」
おっとりとした口調がひどく剣呑な響きを帯びる。
その細い肩を掴んで仰向けに引っくり返し。銀次は憤る赫瞳を覗き込んだ。
「赤屍さん、今あの子を殺したでしょう」
「……何のことですか」
「頭の中で。殺してみたでしょう」
「……いけませんか?」
「いけません」
己の口からもれる言葉に嫉妬が含まれないよう、必死で声を低め。
「赤屍さんにとっては、ちょっと良い感じの子を脱がせて頭の中で抱いてみる、ってのと同義じゃないですか。ちょっと腕の立つ仕掛屋と頭の中で殺し合ってみる、って」
「浮気だとでも言いたいのかな? 銀次クン?」
鼻で笑って顔をそむけ、リモコンに手を伸ばすその手を掴み。リモコンを脚で部屋の隅まで蹴飛ばして。
「俺を殺してもいないくせに。
 ……そういうの、俺の前でするのやめてください」
自分の目の前で、この人が殺戮の予感に悦に入り歓びに唇を震わせるその姿を、見たくないだけではなく。
……自分の目の前で、他人のことであんな顔をするこの人を見たくないし、赦したくないから、決してさせない。
ベッドに乗り上げて顔を覗き込むと、少し疲れたように、呆れたように笑って死神は瞳を閉じた。
「そんなことを言われても」
ゆっくりと開いた瞳は硝子のように綺麗で――硝子のように虚ろで。
「赤屍さん……?」
「キミは雷帝にはならないのでしょう」
どこか遠くを見ている、そんな眼差しで銀次の鳶茶の瞳を眺めやり。
「ならばいつか私はキミを殺しますから。次の人を探さなければいけません」
「……つ、ぎ……?」
「キミが死んだ後、私はどうしたら良いのかわからない。
 だから次の人を探しているのですよ」
とりあえずは美堂クンなのでしょうがね、と。
赫瞳はひどく無機的に、やはり、疲れたような顔で――なげやりに、微笑した。


(……なに、これ)
自分がなにを言われたかよくわからず、ただ呆けたように、目の前に横たわる綺麗な顔を眺めつづける。
ひどく傷つくようなことを言われたような気もするし。
ある意味ものすごく熱烈な告白をされたような気もするし。
無理矢理開いた口は、
「……オレ、」
そこで開いたきり止まってしまい。
「……死ぬんでしょう、キミは?」
おだやかに確認されて、ただ、首を横に振る。
「嘘ですね。死にますよ。雷帝でもないキミなど」
「そんなっ、ことっ」
「私を満足させることもなく。キミは私に殺されて死ぬ」
他の人に銀次が殺されることなど、思いもよらぬといった風情で。
「死」という不吉な単語を睦言のように甘く、かなしく繰り返す。
「だから次の人を、探すのですよ。
 今までだって、ずっとそうしてきたのだから」
どれだけの間。
次の人こそ、次の人こそと思いつづけて、それでも望みを叶えられることはなく、増えていく屍を尻目に新しい人を探して、渇望して。
そのうちにきっと、「今の人」が生きているうちに、「次の人」を探すようになったのだろう。
誰もこの人を満たしたことがない。当然だ。人はそうやって満たし合う生物ではないのだから。
人倫にもとると、言うもおこがましい望みであり――行い。唾棄されてしかるべきの。
けれど――――


シーツにくるまれたままの身体を力任せに抱きしめて。
「銀次クンッ?」
驚いたように跳ね起きようとする身体を額を押さえて押し倒したまま、肩口に己の額を押しつける。
「ギ……何を、」
「しよ」
「は?」
「ねぇ、しよう、赤屍さん」
「切り刻まれたいのですか!?」
「お願い、あと1回だけ」
「あと1回が何回続くんですか」
「赤屍さん」
「…………」
「赤屍さん……ねぇ……お願い……」


天井を虚ろに見上げた赤い硝子球の瞳がほんの一瞬、何かひどく淡い光をたたえる。
それは本人と銀次が自覚する前に泡となって瞳の奥ではじけ、消え去り――瞳そのものが静かに閉ざされ。
ふ、とつかれた吐息はすでに感情のうかがえない、曖昧に冷たいものであった。
「…………好きになさい」
「……うん……」
本当に好きにしていいのなら、この人の身体が溶けて流れるまでめいっぱい、べったべたに甘えて愛したいけど。
(オレは……これでいい)
「次の人」のことなんて考えて欲しくないから、「もう一度、もう一度」と、呆れられて馬鹿にされながらそれでもせがむ。
殺人鬼なのに。
殺そうとしてくるのに。
そんな人のことを、
(……これってなんて言うのかなぁ……)


身体の下、優雅なほど綺麗な仕草で反り返る白い身体が、シーツがずれて現れた時不意に。
(……「いとしい」……?)
そんな単語を思い出して泣きたくなった最後の思考が欲に食い尽くされ。散らばっていくその気持ちを追いかけるように銀次は再び――かなしく冷たい死神を力任せに抱きしめて抱き潰した。