この日に受けたあなたの生――B





  ◆11月22日◆  




帽子を飛ばした夕風の冷たさに秋を思い知る。
そのぐらいしか、この監獄の都市に季節を知らしむるものはないと思っていた。


軽く跳躍して帽子を掴み、着地すると黒衣の死神が、夕焼けの赫を浴びたまま振り返り、投げやりに笑いかけてきていた。
相変わらず、死んだ魚のようなぼんやりした瞳をしている。
戦っている時だけ――殺しあっている時だけ、その虚ろな瞳の奥に、熾火のような光が昏く赫く、ぼう、と浮かび上がるのだ。


「ありがとう、美堂クン」
ものやわらかなテノールでものうく言って、死神は皓い微笑を再び浮かべた。片手で、乾いた強風にあおられる髪を軽く押さえながら、片手で蛮に手を差し伸べられる。
「フン」
鼻で笑って次の瞬間、蛮はフリスビーの要領で、力任せに帽子を風へ投げ上げた。
「……?」
風に煽られて彼方へ飛び去る帽子を赫瞳が追ったのは、ほんの一瞬のことだ。すぐに視線を戻して蛮を見つめる。
不審げな、不満げな。うつろな人形へ差し込んだその表情を見て、満足を覚えている自分に気づいてはいたが、蛮はその事実から目を背けて眼前の長身を嘲笑った。
「別にテメーのために取ったんじゃねーよ。目の前に来たから受けただけだ」
「……そうですか」
肩をすくめて黒衣は再び翻り、背を向けてゆっくりと前に向く。
向いた時にはもう、帽子など忘れ去ってしまったかのようなおっとりした態度で、ゆら、ゆら、と歩きはじめていた。
自分を先導して歩くのが気に入らず、
「こっちだタコ」
反対側に背を向けてさっさと歩き出す。
背後の気配がおとなしく方向転換して、後ろについてくる気配を感じ、そうなるとまた、頓着されていないようで癪に障る。
何もかも。
何もかもが、癪に障るこの長身の死神。
同類の匂いにひかれたかのように、ふらふらと蛮にすりよっては、邪険にされても大して気にせずに、しばし傍に留まってまた、気がつけばふらふらと去っていく。
蛮を壊したがっているのか。
蛮に壊されたがっているのか。
どちらにせよ……
「オイ」
「何でしょうか」
振り返りもせず声をかけると、背後からひっそりとしたテノールが振る。存外の距離の近さに、ひやりと首筋を冷たい空気が撫で上げた。
「オレは……テメーとは違うからな」
唐突な言葉にも問い返す言葉はなく。
ただ「クク」と喉の奥で小さく笑ったのち、ひどくなげやりにも聞こえる声が、
「知っていますよ」
そう……答えてひどく自然に、蛮の髪に軽く手を触れた。
触ンな、と振り払ったら、きっとこの殺人鬼は、子供じみたことだと笑うだろう。
そう己に言い聞かせて、髪についた木の葉をとったらしい、その神経質に細い手を蛮は放置した。クスリ……そう小さく笑うその声を、斜め後ろに聞きながら。


「明日、銀次と逢うらしーな」
「ああ、そうでした」
「……やっぱり忘れてやがったのか」
「キミと逢えた嬉しさに、すっかり」
しれ、とそんなことを言う化物に、「てんで嬉しかねーよ」と吐き捨てて歩みを速める。
「忘れんじゃねーぞ」
「さぁ」
「……馬鹿にしてんのか?」
「何か、とてもインパクトの強いできごとがあったら、忘れずにすむかもしれません」
面白がっている声。退屈に死にかけている者の声。
……違う。自分は同類などではない。
「ねぇ、美堂クン……何かとても楽しいことがあったら、私も、その約束を忘れずにすむかもしれませんよ……」
悪魔は美しい男女に姿を変える。このうつろな声はまさしく悪魔だ。
……自分もかつて悪魔と呼ばれたことがあったのだ。
「美堂クン……?」
背後に立つ、希薄な漆黒の気配。
その時になってやっと、自分が立ち止まっていることに気づく。
「……振り向いて、もらえませんか……?」
誘惑している。
蛇は誘惑するのが仕事だ。誘惑されるなど冗談ではない。
だが死神は、甘い甘い声で、蛮の中のもっとも暗い部分をかきたてる。
殺しあいましょう。
せっかく明日は、私の誕生日なのだから――そう、言葉に出さずに囁きかけるのだ。


蛮は振り返った。
夕陽の赫を背に浴びた、逆光の黒い黒い闇。
その顔に爛々と輝く、夕陽の赫よりなお紅い赫を見る前に、蛮は噛みつくように、その唇に吸いついた。
「ン、」
嫌がるように眉を寄せ、顔をそらそうとするのを許さず、髪を引いて頭を下げさせ、強引に唇を割って舌を差し込む。
唇を離し、低い声で恫喝した。
「もっと楽しい気分に、させてやろーか……あぁ?」


返答は、額に触れるだけの敬虔なくちづけだった。
ものやわらかな、うつろなテノールが囁き返す。
「……キミが、それで楽しいならね」


ケッ、と吐き捨てて、蛮は目の前の闇に背を向けた。
悪鬼のように殺気を放った次の瞬間にはもう、まるで、愛するかのように、そんな、やわらかい眼をしてみせる。
請うように、なだめるように、いつくしむように。
親に気に入られようとする子供のように、若い恋人に愛されようとする年上の女のように、そんな、こびる瞳を。


殺したいから、いつくしむのだと――
知っていなければ、きっと、その瞳に一瞬で堕ちていた。


「忘れンなよ」
もう一度声をかけて、それきり、振り切るように歩き出す。
「おかげさまで、忘れずにすみそうです」
そう答えた声もすでに、背を向けていると声調で知る。
チッ、と舌打ちをしてから、舌打ちをしたその理由が知れず、蛮はいらいらと天を見た。
血のように赤い、炎のように朱い空が、闇に駆逐されて消えていく、その過程。


「――泣かせンなよ」
聞こえないと知りつつも。
蛮はそう、言葉を重ねて、そんな自分を置き去りにするように不意に、歩みを速めた。