この日に受けたあなたの生――G





  ◆11月22日◆  




「明日は、私の誕生日らしいのです」


いかにも他人事なその口調が気にはなったが、銀次は俄然はりきった。雑談のついでとは言え、赤屍がまたひとつ、個人情報を教えてくれたのだ。至極前向きに考えれば、これは、またふたりの距離が少し狭まったと考えられないこともない。
「じゃあ、オレ、プレゼント渡します!」
とっさにそう返してから、銀次は、端正な顔の死神が、その端正な顔を斜めに自分の方に向けて、かなり呆れた顔でしげしげと、実にしげしげと見つめていることに気づいた。
何となく、少しばかり後ずさる銀次に、ずずい、と赤屍は一歩を詰める。身長差もあいまって、逃げ出したくなるような圧迫感だ。
「私の欲しいものを、キミはくれるというんですか?」
「そっ、それは」
死神は死を与える神であると同時に、もっとも死から遠い神でもあるかもしれない。その死神の切望するものを、銀次は確かに知っていた。
殺しあうこと。――殺すのでも殺されるのでもなく、殺しあうこと。
眼をそらした銀次に、失望の嘆息を漏らして赤屍は、ふいと顔を背ける。そのまま、コートの裾を翻して去ろうとしたので、銀次は手を伸ばした。
「待ってよ、赤屍さん!」
「欲しくもないプレゼントなど、もらっても困ります」
「待って――待てったら!」
追いかけて追いすがり、黒衣に包まれた袖を掴んだ。
「……銀次クン?」
声が優雅な恫喝を孕む。だが銀次は手を放さない。
「そんなこと言ったってさ、赤屍さんって知らないことばかりじゃないか」
「は?」
「『欲しいもの』って、いくら赤屍さんだって、知っているものしか欲しがれないでしょ? そんなに、知らないことばかりなのに……オレが知ってて赤屍さんが知らないことだって、いっぱいあるのに、ねぇ、本当に、知らないものは欲しくないものだって言いきれるの!?」
悲鳴のように語尾を跳ね上げ、銀次はぐいと袖を引く。そして一歩も引くことなく、赤屍を睨み返した。


数十秒の睨み合いの後、赤屍は獰猛な微笑を浮かべて囁く。
「良いですよ。そんなに言うなら、明日、キミと逢ってあげましょう。
 ……何を持ち出してくるつもりか、知りませんがね。期待はしないことです」


そして今度こそ、コートをふわりと翻し。
一瞬のち、銀次の目の前から、夜闇に融けて死神は姿を消していた。







  ◆11月23日◆  




骨まで凍らせるような、晩秋の雨がまとわりつく午後だった。
空は気味悪い薄明るさを保った灰色で、そこから絶え間なく、水滴は落ちて銀次の傘に弾かれる。
「……ごめんなさい」
うつむいてぽつり、とつぶやいた銀次の手にあるものを、赤屍は首を傾げ、すぐに帽子をかぶっていないことを思い出して元に直し、覗き込んだ。
「それは何ですか?」
ぱらぱら、ぱらぱら、銀次の傘と、赤屍のコートと顔に雨が落ちる。
銀次はぎゅっと、手に持った安っぽいピンクの容器を握り、そして、蚊の鳴くような声で答えた。
「しゃぼん玉」
「シャボンダマ?」
ほうけたような声が返ってくる。
「……キミは……私に、しゃぼん玉を見せるつもりだったんですか!?」
「だって、見たことないでしょう?」
確信に満ちた問いかけに、ぐ、と赤屍は言葉に詰まった。たしかに、彼はそんなものを見たことはない。
「……でも、雨だとできないんだ」
泣きそうな声で、銀次はうなだれた。
「できないんですか?」
問い返した声が、自分でも意外なほど不満げで、赤屍はそんな自分に不安を覚えた。
「できないよ、雨で割れちゃうんだ」
大事そうに両手で握ったピンクの容器を、銀次は見つめる。
両親の記憶すら曖昧な幼児の頃に、捨てられた少年。しゃぼん玉に、何か優しい記憶でもあるのだろうか。
次にかける言葉を思いつかず、赤屍はただ、黙って銀次を眺めている。銀次もまた、しばらく黙ってうつむいていたが、やがて顔を上げ、おずおずと言った。
「でもね、あの……外でやる時ほどじゃないんだけど、部屋の中で遊んでも、けっこう、その、綺麗なんだよ」
祈るように赤屍を見上げ、
「……綺麗なんだ、すぐに割れちゃうけど、けど……だから、綺麗なんだ」


赤屍はしばし、眉を寄せて10センチ下の眼を覗き込んでいたが、やがてふいとそれを背けた。
歩き始め、銀次が泣くまいと声を呑んで見送るその視線を、背で受けながら片手を挙げる。
目の前に停車したタクシーが、扉を開けると、赤屍は振り返って白皙の貌をさらし、言った。
「ぐずぐずしないで、早く来てください」
そぼ濡れた黒衣に渋る運転手を、無視しきって、赤屍はそれきり、黙って後部座席に滑り込む。
傘を放り出して駆け込む銀次を、呑みこんでタクシーは発進した。赤屍の滞在する、ビジネスホテルに向かって。


赤屍は、あの寡黙な土佐男以外のタクシーに乗り込むと、少し不機嫌になる。運転がまずいと主張するのだ。荒っぽい蛮の運転に慣れている銀次に、そのあたりのことはわからない。ただ、赤屍は運転のよしあしより「馬車の運転じゃない」からこそ、不快に感じるのではないか、――そう思って時折、少し悲しくなることがある。
だから、普段はふたりで逢ってもタクシーに乗ろうとは思わない。今も、銀次は、安っぽいピンクを宝物のように両手に囲い、じっと、自分の膝を見つめている。
だが、いつまでたっても、隣に窮屈そうに身を縮めている死神が、文句を言い始める様子はない。
勇気を出して顔を上げ、右隣を見て息を呑む。
「赤屍さん……?」
返答はない。
珍しく帽子を持たぬ赤屍は、その白い端正な顔をさらしたまま、窓の外を眺めている。
……いや、窓の外ではない。「窓」を眺めているように見える。秀でた額を、半ばひんやりと硝子に触れさせて、モノクロオムの死神は何かを見つめている。
やがて、緩慢に銀次の方に向き直り、じっと、無言でその眼を見返してきた。
「……何、見てたの……?」
かすれた声で問う銀次を、不思議そうに見返して、それから、赤屍は再び窓に視線をやった。
「水滴が、」
「え……?」
「窓についている水滴に、信号やネオンの光が映っています」
指差すその手の、神経質な細さに不可解な感動を覚えながら、銀次も身を乗り出すようにして、赤や青の水玉をじっと見つめる。
「綺麗だね」
「しゃぼん玉とは、こんなものだろうかと思って見ていました」


何気なく言ったのだろうその言葉に、銀次は口を開けたまま、目の前の死神をぽかんと見上げた。
「銀次クン……?」
「……あ……いえ」
さして興味を持ったわけでもなかったのだろう。赤屍はあっさりと、言葉につまる銀次から視線をそらして、再び、窓を一心に見つめる。
そして銀次は、窓を見つめる赤屍を、一心に見つめた。
これほど苦しい想いじゃなければ、と心につぶやく。
これほどしんどい恋じゃなければ、――恋なんて呼べないぐらいのこの望みじゃなければ、きっと。
この人が言ったこの一言に、こんなに心が震えることなんて、なかっただろう。
何気ない言葉。
殺気のない横顔。
静かな優しい声。


……いつか自分が殺さなければならないかもしれない相手でなければ、このおだやかな瞬間が、
これほど大切に思えることも、きっと、なかった。


こんなにも、一緒にいたいと願っても。
この人よりも大切な人が、自分にはいる。
そしてこの人が、その大切な人を殺そうとすれば。


自分はもしかしたら、この人を殺さなければならなくなるかもしれないのだ。


憶えていよう。
銀次はその横顔に見入る。
他愛ない、チープなネオンの光を映す、水玉を見てしゃぼん玉を想像する、この静かな横顔を。
憶えていよう。
明日には消えているかもしれない、明後日には消し去ってしまうかもしれない、
この、


特別な日に神様がくれた、奇跡のようにいとしい瞬間を、命消え去るその一瞬まで。