本部から届いた地図を睨みながらも、馬車の関心は図面ではなく、いまだに姿を見せない同僚へと向かっていた。
世界中に潜伏する同僚たちの、年に一度の共同作戦だというのに、あの一匹狼は今年もボイコットするつもりらしい。
「いや……狼やのうて、ジャッカルやがねぇ」
そうひとりごちて、馬車は独特の赤い制帽をかぶり直しながら、苦笑した。
彼が待つ同僚とは、日本支部でも一・二を争う腕利きであり、……同時に、日本支部どころか、東アジア全域を含めてもずば抜けてトップの問題児だった。コードネーム「ドクター・ジャッカル」。運搬課といえば誰もが羨む花形だというのに、あっさりと仕事を放棄して、担当区域のターゲットを悲劇のどん底に陥れかけたこともある。
ならばなぜ、わざわざ運搬課を志願してきたのか……その理由は、誰にもわからない。
……たった一人の少女を除いて。
『決まってるじゃない。馬車さんが運搬チームだからでしょ』
何バカなこと言ってんの、と言いたげに、あっさりとそう断言した同僚は、きっと今頃、必死の思いでプレゼントを配りまくっていることだろう。聖夜を共に過ごす相手がいる同僚たちは、皆、そうなのだ。多少、ターゲットに見つかる危険性があろうとも、とにかく仕事を終わらせようとする。
だが、残念なことに、馬車にそれほどの甲斐性はない。第一、暇だったら一緒に酒でも飲まんかね、などと自分でも不器用この上ない誘い方であっても、とにかく誘ってはみたいその相手は、今、ボイコット真っ最中の一匹狼――いや一匹ジャッカルなのである。
ふぅ、とひとり溜息をつき、馬車はそれでも自分の仕事を果たそうと、眼前の白い袋に手を伸ばした。
空間歪曲技術によって、各支部の倉庫に直結しているその袋には、事務課が注文を受け、製作課に発注し、包装課がそれぞれの形状にあわせて梱包し、物流課が担当地区ごとに仕分けした荷物――
色とりどりのプレゼントが、リボンも美しく整えられてぎっしりと転送され、常にいっぱいに詰め込まれているのだ。
馬車が……コードネーム「ミスター・ノーブレーキ」が所属するその秘密結社の名を、「セント・ニコラス」という。
それは同時に、結社のメンバーが、対外的に名乗る名前でもあった。


セント・ニコラス「ミスター・ノーブレーキ」は、今までターゲットの配送違いも、配送遅れもしでかしたことはないエリート運搬員である。だが、今年、彼ははじめての失態を起こすことになりそうだった。彼には、配達することのできないプレゼントがひとつだけあった。それは……
「……?」
物思いは、助手席に置いた白い袋によって中断させられる。
――動いた?
生物の配達は、それ専門の運搬員に任せているはずが、物流課が間違って転送して来た可能性もある。早めに確認しなければ、と、トラックの運転席で袋の紐をほどいて、だが、馬車は無言でのけぞった。
袋の口から、ぬぅ、と出た、……白い手袋、黒い服。
「メリー・クリスマス」
不景気に蒼白い顔と黒ずくめの衣服と、手袋の狭間に光るメスからは、極端に場違いな台詞が、にこやかに放たれて馬車は絶句した。
「あ、……あ、あ、あ、」
「肩がつかえます。袋の口を切ってよろしいですね?」
「赤屍ぇぇぇぇっ!?」
いともたやすく、空間歪曲システムごと袋の口を切り裂いて、セント・ニコラス「ドクター・ジャッカル」はごそごそと袋から這い出した。
「狭いところに出てしまいましたね」
もはや言葉もない馬車に構わず、辟易した様子で、辺りを見渡していた赤屍は、「仕方がありません」とつぶやきながら、やけに嬉しそうに馬車の膝の上によいしょ、と腰を下ろした。
「お、おまっ、……おまえっ、」
「何ですか。プレゼントはもう配っておきましたよ。去年、私の分まで配ってくれたでしょう。そのささやかなお礼です。いえ、別に感謝していただく必要はありませんがね。ここが最後の一件です」
「こ……ここ、じゃと?」
ついていけずにただ繰り返す馬車に、わからない人ですね、と言いたげな視線を向けて、黒衣のセント・ニコラスはその鼻先に、「はい」と小さな箱をつきつけた。
「あなたは兼業セント・ニコラスですから。何かとこういったものは必要なのではないかと思いまして」
目つきのすべてで「早く開けろ」と圧力をかけてくる、膝の上の謎の生物に気おされて、思わず馬車は箱を受け取り、自分が何をしているかもよくわからぬままに、リボンをほどいた。
蓋を開けて、紺色のビロードの上にすまし顔で鎮座している、いぶした金のタイピンとカフスボタンを眺める。
混乱の極みにある馬車を、「気に入りませんでしたか」と苛々した声がせっついた。
「あ、いや、その……」
もしかしなくとも、これは赤屍から馬車へのクリスマス・プレゼントというものではあるまいか。
そう思いながらも、自信がもてず、馬車はしばらく、赤屍と、そのプレゼントを呆然と見比べた。
見比べているうちにも、見る見るうちに、膝の上の生物は不機嫌かつ物悲しげな表情へと変化していく。
それが馬車を、一気に我に返らせた。
「待て待て、驚いただけやき、嬉しいは嬉しいぜよ」
「今更結構です」
「いや、ほんまじゃ、すまん」
「帰ります」
「いがみなや……わしの配達が終わらん」
「だから、あなたの担当はすべて――」
「わしも、ここが最後の一件やき」
壊れた袋の中に頭を突っ込もうとしている黒衣から袋を奪いつつ、己の服のポケットから、赤屍の手渡した箱と寸分たがわぬ箱を引っ張り出す。
「…………馬車」
「その、……男相手のプレゼントちうのは、めっそう幅がねぇもんじゃの」
デザイン以外の違いといえば、馬車の用意したタイピンは、金ではなくプラチナだということだけだった。
「こんな……」
赤屍もやや混乱したらしく、一瞬黙り込んだ挙句、「高かったでしょう」などと平凡な返答を寄越す。
「まぁまぁ、ざっとしたもんやき」
「……それは高かったのですか、安かったのですか?」
方言がわからなかったのだろう。きょとんとしてそう尋ねた顔に、可笑しいような、ほっとしたような、微妙な気分になって馬車は頭をかく。
「でも嬉しいです」
「そうかよ」
膝の上にいそいそと座り直したセント・ニコラスに、ぶっきらぼうに頷いて馬車は窓の外を見る。
切り出すなら、今しかない。
「その……お前……」
「で、馬車、この後の予定はあるんですか? 私はあなたの家に押しかけてもいいんですかね?」


負けっぱなしだ。
深く深く、照れと敗北感を噛みしめながら、馬車は膝の上の、制服規定を違反しっぱなしの黒衣のセント・ニコラスを押しのけ、ギアを切り替えると自宅に向けてアクセルを踏み込んだ。