Birthday――――惜しみなく奪ふ
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「てめぇから、呼ばれなくても俺の所に来るなんざぁ、随分と殊勝な心懸けじゃねぇか…」 場末の…、いや、繁華街の中心の地下の深く潜ったところにある酒場だ。男は、店の片隅の、スプリングの死んだソファーに深く、だらしなく腰を掛けて、相変わらずウォッカの瓶を片手に、どろりと酔った目で、目の前に立っているそれを見上げた。いや、その実この男は全く酔っていないのだろう。…酔眼はこの男の擬態だ。 「一体、どう言う風の吹き回しだ。てめぇ、何考えてる?」 何故、この男がいるだけで、この様にこの場は場末の雰囲気に包まれているのだろう?客はまばらだ。バーテンは寡黙に、グラスを磨いている。…それは別に、場末の符丁でも、繁華街の符丁でもない。…この男一人が持つ雰囲気が、この場を場末のすり切れた雰囲気に押し込め、そしてこの男をこの場の支配者へと仕立て上げている。男の片手は、傍らの女を抱いている。目が大きい。綺麗に出来た人形のような女だ。まるきり無表情に、傍らの男の冷たい左手を自分の肩に乗せるに任せている。男は、…不動は、骨のような左腕から、女を解放し、微かに顎を振った。女は、なんの反動も付けず、刃物のように席を立ち、カウンターの中へ、消える。残る、二人の目が、その女を見送るともなく見送り、再び互いの上に視線を戻す。 「私がここにいるのは、おかしいですか?」 「…あぁ、おかしい。てめぇが自分の意志でここまで来て、そんなところに突っ立ってやがるのはな」 不動は相手が動くのを待っている。相手が自分の隣に先程の女よりも更に硬い態度で、先程の女が占めていた場所に座るのを待っている。相手は…赤屍は、身じろぎすらしない。…息すらしていない石像のように、不動を見下ろす場所で、ただ、茫洋と突っ立っている。何時にもまして、何かが希薄だ。 「今日は…」 体の中の空洞を風が吹き抜けたような音を立てて、赤屍はそう呟いた。 「私の誕生日なんです」 「ほぅ…、そいつは初耳だ」 不動は、口元を少し歪ませて、そう言った。 「口に出していったことがありませんから」 「いいや、違う」 不動の口元は更に歪んだ。その形は笑みのように広がった。 「…てめぇに誕生日なんてぇモンがあるって事が、初耳なんだよ」 「…私をなんだと…」 赤屍は言葉の文面通りには怒りを表現することが出来なかった。その言葉の響きに唯一乗せられた物は、…言うなれば、疲れのみだった。 「てめぇはよ、死神ってなぁ、どっかの女の腹から、生まれてくるもんだと、そう思うか?」 不動は、口元にウォッカの瓶を持っていって、一口飲んだ。そして、苦そうに顔を顰めた。 「てめぇが、どっかの女の腹のあのみっともねぇ穴から放り出されてきただと?…そんな日が何時有ったんだ?」 相手の表情が先程からずっと、能面のように乏しいのを、不動はむしろ楽しげに鑑賞していた。ここで何かを一押しさえすれば、こいつから氷のような表情を奪い取ることが出来る。完全な人形に仕立て上げることも、出来る。 「…んなもなぁ、ねぇよ」 くっく、と喉の奥で、不動は咳をするように笑った。我ながら、芝居がかった動作ではあった。 「誕生日なんざぁ、てめぇの知る必要もねぇ言葉だったろうによ、どこのどいつにンなモン吹き込まれた?」 赤屍は、静かに黙りこくっている。…ただ、少しだけ、空気が変質したのを、不動は見逃さなかった。 「…ふん、大方どこぞのウドの大木なんだろうが…、まぁいい」 口元に、ウォッカの瓶を持ってきて、そいつがもう空なのに気が付いた。仕方なく、懐から葉巻を取りだして、目の前の相手を焦らせるようにゆっくりと、吸い口を切り、火を点ける。独特の芳りが、香る。昏い空気にぼんやりと紫煙が漂い、それが、手のように、赤屍の顔に伸びる。 「てめぇに誕生日なんぞがあったとしてもだな、そいつはてめぇの為のモンじゃねぇ。…周りの奴が、てめぇが生まれたもんだって事を確認する為だけのモンさ。本物かどうかも、わかったもんじゃねぇ」 紫煙が、赤屍の細い顎に掛かる。まるで不動自身が常にそうするように、痕が残るような強さで締め付ける。 「いいか?死のねぇ奴には生まれた日なんざ、ねぇのさ。誕生なんざぁ、てめぇみてぇな、そこにいるかどうかもわからねぇ様な奴に、…必要ねぇだろ?」 小首を傾げ、猥雑に笑う。 「誕生?…笑わせる。…てめぇに誕生なんざあったら、てめぇはとっくに全部、俺のモンだ。…なぁ、人形よ?」 不動は反動も付けず、そのバネの死んだソファーから立ち上がった。紫煙が掴んでいた顎を今度は、自分の生身の右手で掴み直す。顔を自分の方に向けさせ、人差し指が、頬をなぜる。 「作られたモンには、誕生も死も、入りやしねぇさ。ただ、作られた日と壊される日があれば、充分だろう?てめぇには?」 機械の左手が、相手の首を甘く噛むように柔らかく締めた。 「違うか?てめぇは作られた、…どうせ、壊されるか、壊れるかしなきゃぁ、てめぇがいつも言ってる、死とやらは永遠にありやしねぇさ」 きゅっ、と左手に力が籠もった。 「もっとも、てめぇが壊れたからと言って、そいつが他の連中の死かどうかは、確かじゃぁねぇけどなぁ?」 煙を赤屍の顔に吐きかけて、不動は笑った。喉を振るわせて、低く。 「あめぇ事ぬかしてんじゃねぇよ」 左手に掛かっていた力が、更に強くなった。赤屍の顔が微かに不快げに歪んだ。そのいつものような表情の変化で、逆に不動は、手の内から獲物が逃げたことを確認した。 「…オレがもう少し、この手に力を入れりゃぁ、てめぇのその細っこいくびはへし折れて、てめぇは壊れるだろうさ?…そうだ、いま、てめぇがそうして、オレの胸元に伸ばしてるそのメス、そいつがオレの心臓をぶち破ってもな、…オレは死ぬ一瞬前に、てめぇのそっ首、間違いなくへし折ってやれるとも」 いつの間にか、赤屍の細い腕の先にはメスが握られ、それは不動の左胸の薄皮一枚上で停滞していた。 「だがなぁ、…てめぇの望んでいる死とやらは、こんな、やすっぽい酒場で、オレと心中するなんて、そんなくだらねぇもんか?違うだろうが?」 赤屍は、相変わらす、熱のない目で、不動を見つめた。しかし、その目にはいつの間にか、ヒヤリと相手の魂を貶め、地獄の鬼に引き渡すモノの、酷薄さが宿っていた。 「…そうだ、てめぇは最期まで、…そんな目で、オレを見ているべき人間だろうが?違うか?」 「…手を…」 「あん?」 「手を、放しなさい」 のどを絞められている人間が出すような声とも思えなかった。それは冷たく、冴え渡っていた。 「…やなこった」 不動は、にやり、と卑しく笑みを作った。…この場で唾を吐き捨てたくなるほど、やすっぽいツラだ。 「…そうですか」 次の瞬間、不動の左手は、スポンジのように柔らかく、切り裂かれていた。赤屍は、自分の首にまとわりついていた冷たい金属の塊を、煩わしそうに、解いた。ごとり、と重たい音を立てて、義手だったモノは床に落ちた。…そして、改めて、不動の左胸に、メスを突きつけた。 「……。…今日は、私の誕生日だったんです…」 赤屍は、歌うようにそう言った。 「ですが、私は心が広いので、今日も与えることにしましょう…。……とりあえず、不動、…貴方には、こんなやすっぽい酒場では死なずに生きながらえられる、命を、…あげます」 赤屍の口元が酷薄に微笑んだ。 「貴方に相応しい死に場所は、他にあるはずですからね…」 「…そいつはてめぇもだ」 赤屍の手の内のメスが、不意に消え去った。 「では、今宵限りは良い夜を…」 「…てめぇもな、オレの死神よ」 赤屍は最早、出口から外へと出るところだった。…が、振り向きざまに、一言言った。 「私は、貴方だけの死神ではありませんよ」 「……オレの命は、てめぇだけが奪って行けるもんだろうが?」 赤屍は、それには答えなかった。ただ、赤い唇だけが、やけに深い笑みを刻んだ。…扉が閉じた。 …不動は、顔色一つ変えずにグラスを磨き続けていたマスターに、ウォッカの瓶を一本注文した。切られた左腕を拾うと、熱のない目でそれを見つめ、再び置くから出てきた女にそれを放った。 「捨てとけ」 女は奥に引き込んだ。不動は、マスターから放られたウォッカの瓶を、右手で受け止めると、歯で栓を抜いて、ラッパ飲みにした。口元から透明な雫が数滴、垂れた。 ウォッカの瓶が半分もなくなると、不動は、深く息を吐いた。そして、力が抜けたように、ソファに深く腰を下ろした。 「…お優しいこった…」 手の中から、今日も逃げていった、いや、敢えて逃がした獲物の手触りを思い出し、不動は低く、しかし長く、笑い転げた。 何時とも知れない、しかし何時かはある、…山ほど積み上がった紅く染まる屍体の山の上で、メスに切り刻まれて無惨に横たわる、己の姿を思い浮かべて、…長く長く、笑い転げた。 |