ハワイに招かれた榎本軍
 榎本軍がハワイに招かれたというと、不思議に思うかもしれない。しかし榎本軍が箱舘に渡る直前、実際にあった話である。
 榎本は江戸から軍艦ごと脱走した後、仙台領に入港する。そして続々と仙台に入ってくる幕臣たちと共に、新政府軍に対抗するよう仙台藩を説得していた。しかし仙台藩の意志は、すでに恭順に傾いていた。仙台に拠るべき場所が無いとなると、榎本たちは蝦夷地へ向かうしかなかった。ハワイ行きの話しが持ち上がったのは、正にこのような時期だった。十月十八日榎本軍の結集地である仙台領折ノ浜に、ハワイ王国の在日総領事と名乗るアメリカ人のユージン・ヴァンリートが訪れた。この人物は、横浜で発行されている新聞「横浜新報もしほ草」の発行人、横浜の総合商社「ハード商会」の代理人などの肩書きも持っていた。ヴァンリードは榎本に、行く場所がないなら是非ハワイに来て欲しいと言った。この頃のハワイは、白人によるサトウキビのプランテーションができ、白人の侵略が心配されていた。そこで同じ有色人種の日本人である榎本軍に、ハワイを守ってもらいたいと言うのだ。さすがに榎本もこの突飛な申し出を受けることは出来ず、「一個人の保身のために、行動を変更するわけにはいかない。元々自分たちは蝦夷地を開拓して、徳川の血縁を報じ、領地や俸禄をなくした者たちに土地を与えること。そして北方からの脅威に備えることが目的である」といって、申し出を断った。
 この話は、榎本が知人である吉田三郎左衛門(松前出身)に、自筆の詩軸を送った直後に出された手紙に書かれている。「将夕 拙者 艦隊を率ひて仙台に赴きし節 横浜在留の布哇国領事 来仙して拙者に該国に渡航せん事を頻に勧めし事有之 意外にも拙者が恐らく外国に遁走するも難惻様との風説も有之 趣聞及び居候に付き 転結し丹心不許云々と賦したる訳に候為念此昭申添候」
 この手紙は、松前町の松城小学校に現存する。

参考資料:北海道いがいいがい物語/誰も書かなかった箱舘戦争/横浜居留地と異文化交流/仙台額兵隊記


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