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(02/4/22作成)

(02/5/14掲載)


ストカスティック・ミュージック(英:stochastic music 仏:musique stochastique
 いくら「まちがい」だからといって、「スカトロティック・ミュージック」などと言ったりはしないで下さいね。もちろん、それはそれでなかなか興味深いものがありますが。おそらく、「プー」とか「ジョー」といった音をサンプリングして・・・(「下品ですみません」というのは、唐沢なをき)。
 「ストカスティック」という単語、普通の英和辞典で見つけることはできません。おそらく、フランス語をそのまま英語風にアレンジした言葉なのでしょう。仏和辞典では、「推計学の」という意味が載っていますから、日本語に訳せば「推計音楽」とでもなるのでしょうね。第二次世界大戦後のヨーロッパの作曲界というものは、まさに混迷の極みとでも言うべき無秩序の様相を呈していました。そんな中で、1922年にギリシャに生まれたヤニス・クセナキスによって創立されたのが、この「ストカスティック・ミュージック」です。作曲家であると同時に、建築家、数学者でもあったクセナキスは、統計理論を作曲に導入するという、今まで誰も試みたことのない作曲技法を編み出したのです。言ってみれば、音の群れを数学的に管理するということですから、何か理論先行の頭でっかちな音楽のように思われるかもしれませんが、実際に出来た作品を音として聴いたときには、その力強いインパクトに圧倒されるはずです。コンピューターを導入するなど、技法的にはさまざまな変遷をたどりますが、生み出される作品のテイストは生涯変わりませんでした。経歴を重ねるうちに「変節」してしまう現代作曲家の多い中、クセナキスは、2001年に亡くなるまで、自ら確立したこの語法を守りつづけたという稀有な作曲家です。
 1953年から54年にかけて作られた、この技法による最初の作品が、「メタスタシス」という、61人の楽器奏者による曲です。これは1955年のドナウエッシンゲン音楽祭という、現代音楽のメッカのような場所でハンス・ロスバウトの指揮により初演されたのですが、その頃の主流であったセリー音楽とのあまりの隔たりの大きさに、スキャンダルを巻き起こしたといいます。

XENAKIS
Eonta,Metastasis,Pithoprakta
高橋悠治(Pf)
Konstantin Simonovic/EIMCP
Maurice Le Roux/
Orchestre National de l'O.R.T.F.
LE CHANT DU MONDE/LDC 278368
 1965年にリリースされた、この曲が収録されたアルバムは、クセナキスとストカスティック・ミュージックを語る際になくてはならないものです。「メタスタシス」と、その翌年のやはり大規模な作品「ピソプラクタ」、そして、1963年から64年にかけて作られた小編成の「エオンタ」というカップリング、もちろん最初はLPで出ていたもので(トータルの収録時間は39分しかありません)、今回発売になったものは、何回目かのCD化によるものです。確か、最初にCD化されたときは、3000円前後の値段がつけられていたはずですが、今回はmid-price帯のリーズナブルな価格設定、しかも、おそらく、適正なリマスタリングが施されているのでしょう、LPをはるかにしのぐよい音を聴くことができるCDとなっていました。待ってみるものです。
 ここで「エオンタ」を演奏している高橋悠治は、自身も作曲家であり、一時期クセナキスとは共同作業を通じて、極めて親密な関係にありました。高橋のプロフィールで「クセナキスに師事」などという、あまりにもこの国のアカデミズムに毒された記述を目にすることがありますが、それは正確な言い方ではなく、ほとんど友人としてお互い触発し合っていたというのが本当の姿なのです。もちろん「エオンタ」は高橋が演奏することを前提として作られたものであることは言うまでもないでしょう。1976年に、クセナキスが自作「オレステイア」の日本初演のために来日した時には、高橋は公開の場で初めて「指揮者」としての姿を聴衆に披露しましたし、数日前に行われた公開セミナーでは、通訳としてクセナキスと同じ壇上にいたのです。

 その少し前から、高橋悠治は一人のアイドルとして私の中に大きな位置を占めていました。ほとんど天才と言っても構わない演奏技術をもって、どんな難曲でも、あたかも努力など全くしていないかのように易々と弾ききってしまうピアニストとしてのキャラクターに加えて、反体制の論客としての刺激的な言動は、感受性豊かな当時の少年の心に強烈な刻印を残すには充分すぎるものがありました。オーケストラと共演する時でも、よれよれのちゃんちゃんこにアースシューズといういでたち、常に猫背がちで、決して礼儀正しいお辞儀などはしないという物腰、さらには、ほとんど理解不能な文章などは、世の中の不条理さが少し分かりかけてきた時期の少年の性格形成に、大きな影響を与えることになるのです。そう、現在このサイトで見られるひねくれた視点は、実はこの頃の悠治体験によって培われたものなのですね。


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