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「レコード芸術」への投稿


198511月号掲載

ADとCDの材質上の問題点

 CDの登場によって、従来の傷がついたりすりへったりするアナログ・ディスク(AD)は存在価値がかなり低下していますが、中には根強い愛着心が残っていることも事実です。極端な場合は、傷があるのは個人的な思い出につながるので捨て難いなどと、バカなことを言い出す人まで出てくる始末です。そこまでいかなくとも、音質的には明らかにADの方が優れているという意見は、マニアの間には根強いものがあります。ここでは、CDは20KHzでカットされているとか、量子化歪みの問題とかをとり上げて、CDの劣性を論じる人の反論を試みるつもりはありません。そうではなく、今まであまりとり上げられることがなかったと思われる、ADの材質から来る問題点について考えてみたいと思うのです。
 ご存じのように、ADの原料は酢酸ビニルと塩化ビニルの共重合体(樹脂)です。もちろんこれが単独で成型されるわけではなく、実際にはさまざまな添加剤(可塑剤、安定剤、滑剤、帯電防止剤、着色剤など)が加えられます。これらの添加剤は液体もしくは粉体ですが、粉体である樹脂とたとえば小麦粉と卵を混ぜるような具合に均一にしみ込ませられた後、熱を加え練り上げてコンパウンドとなります。このコンパウンドは、よく雑誌などで紹介されているように、ADの鋳型であるスタンパーにはさまれ、加熱、加圧されて一枚のADとなるわけです
 ここで問題になるのは、高分子である樹脂と、低分子である添加剤とは、本来非常になじみにくいものであるということです。いくら高温で練り込んでも、長い時間がたてば添加剤が自然に表面にしみ出してきます。(滑材などはコンパウンドとスタンパーの間のすべりを良くするものですから、特に表面に出て来やすいものが選ばれます。)これはブリーディングという現象で、プラスティック製品には少なからずつきまとう問題です。古くなった電源コードの表面をさわるとベトベトしていることがよくありますが、これなどはブリーディングの好例です。
 さて、ADでブリーディングがおこった場合には、どういうことになるのでしょうか。ADの音溝には極めて精密なレヴェルでの平滑さが要求されますが、そこに添加剤がしみ出してくれば、それだけで音質には影響が出てくるでしょう。さらに吸湿性の添加剤の場合には、空気中の細かいほこりを吸着して、相乗的に音は悪くなっていくはずです。当然カートリッジの針先にもほこりがつきやすくなるでしょう。(NHK・FMでADの音が悪いのは、大部分ここに原因があるのではないかと思っています。)以前「エバー・クリーン」という帯電防止剤を大量に放り込んだADが出ていましたが、これは片面かけ終わると針先に黒いよごれが付着したものでした。
 もちろんADのメーカーでもそのあたりの対策は充分考えてはいるのでしょうが、問題になるのは長時間の経時変化なのです。特に湿度が高い場合、ブリーディングはすすみやすくなります。実験室では促進試験である程度の判断は出来ますが、本当のところは実際に十年なり二十年たってみないとわからないのです。除湿機もなく、防塵室でもない私の部屋のコレクションで、十年以上たってブリーディングがおきていないと思われるものは、ほとんどありません。完璧な保存状態におかれていると思われるNHKのライブラリーでさえひどいありさまなのですから、一般の家屋でこうなってしまうのはあたりまえです。しめったガーゼでふくなどのクリーニングは、その場しのぎにはなるかもしれませんが、長い目で見れば湿気を与えてかえってブリーディングを促進させているようなものです。
 高品質素材とかDMMとか新しい技術も開発されていますが、ADの素材が添加剤を多量に必要とする樹脂である限り、根本的な解決策はないのです。CDの場合は、たとえブリーディングがおきても、ふきとるだけで問題は解決します。
 ADは何もしないでただ放っておくだけでも、目に見えないスピードで音が悪くなっていくのだ、という認識にたった上で、CDとADの将来にわたっての優劣を考えていくべきではないかと思います。
 レコード・メーカーにも望みたいことがあります。それは、このような致命的な欠陥をかかえたADの生産には早々と見切りをつけ、一日も早くCDの増産体制を確立して、今までの膨大なレパートリーをできるだけ多くCD化して、できる限り低価格で市場に出してほしいということです。

1986年3月号掲載

再びADとCDの問題について

 去年の十一月号に拙稿が掲載されて以来私あてに様々な反響が寄せられ、二月号には反論までとりあげられていましたが、私が述べたかったことの本筋とは少しはずれたところでの議論(ADはやめてCDだけを生産しろと言ったことへの反発)を放置しておくのはいかにも心残りなので、前回言い足りなかったことも含める意味で、大人げないことではありますが再度ペンをとりました。
 私がレコード音楽に親しみ始めたのは、小学生の頃ですから、もう二十年以上も前のことになりますか。当時はもちろんモノーラルでした。一応人並みのステレオの装置を手に入れることができたのは大学生になってからですが、その時にアルバイトで貯めたお金で買ったのが、ベームがバイロイトでライブ録音した「トリスタン」のDGG輸入盤です。宝物のようなそのレコードは何度となくくり返し聴いたものですが、いつしか興味がワーグナーとは無縁の方向へ向いたため、レコード棚の奥にしまわれていました。そのレコードに十年後に再会した時はそれはみじめなものでした。前奏曲が始まる前の静寂はスクラッチノイズでかき消され、ニルソンの声は醜く歪みきっていたのです。それから機会を見ては古いレコードを点検してみますと、外国プレス品はほとんど全滅、国内盤はメーカーによってはあまりひどくないのもありますが大同小異でした。
 私なりの推測では、欧米で開発された素材を気象条件が全く異なる高温多湿の国にそのまま持ち込んだことが間違いだったのではないでしょうか、日本のメーカーでそのことに気がついたところが、それなりの対策を講じた結果、ある程度は材質を改良することができたのでしょう。いずれにしても、添加剤がブリーディングをおこしたものは表面を見てもきれいなのに針先に綿ボコリが付いたり、カビがはえやすくなります。
 前回も述べたようにNHK・FMを番組ガイドを見ながら聴いていると、©マークに比べて®マークの音があまりにもひどいのにがっかりさせられます。最近の例では十二月十一日に放送された「ドイツ・レクイエム」(カラヤン)とか十二月二十七日のJ・ノーマンのシューベルトなど、発売後何ヶ月もたっていないものなのに、特に声楽パートではっきり歪みを聴きとることができました。特別に劣化を促進させるような取り扱いをしているのか、カートリッジのメインテナンスに不備があるのかは不明ですが、これは困ったことです。
 CDがまがりなりにも全世界のレーベルを包括しうる企画に一本化できたのは、ある意味では奇跡に近いことではないかと思います。将来はさらにCDにとってかわる媒体(メディア)も登場することでしょうが、企業のエゴをのりこえての企画の一本化が可能かどうかは疑問です。VD業界で二つの陣営が泥仕合を演じているのを見るにつけ、その思いは強まります。(話はとびますが、オーディオ業界ではユーザーを無視した、メーカーのためだけの評論家しか存在しないのではないかと思うようになってきています。無益なシェア争いをいましめることは全くせず、ひたすら、いずれか一方あるいは両方とも数年後には消え去ってしまうかも知れない商品の提灯持ちに終始しているのですから。)
 暴言多謝。閑話休題。もちろんCDにはまだまだ未熟な部分はあるでしょう。モーターノイズについては(むしかえすようですが、この件について多くを語る評論家を知りません。)私の場合はプレーヤーごとアクリル板のフタをつけた自作の箱にとじこめて解決していますし、取り出しにくいと言われているブックレットはケース内の紙を180度回転させて、とじ目が外側になるようにしています。
 全く個人的な意見で、他人に強いる気持ちは毛頭ありませんが、私は媒体(メディア)マニアではなく、音楽家や制作者のメッセージを媒体を通して受け取る音楽マニアでありたいですし、十年後にもそうありたいと思っています。そのためには今までに購入した音楽ソースが、十年後にも購入時とほぼ同等のクォリティを保っていてほしいと願っています。しかし、その望みをADに託すのはちょっと荷が重過ぎるようです。十年前の恋人に裏切られてしまっていたところに、いつまでも美貌を失わない(とされている)人が現われたとあれば、いかに不人情の浮気者とののしられようが、私は若いCD嬢のもとへ走ります。もちろん古女房のAD婆さんと一生添いとげる誠実さをほめそやすのにやぶさかではありません。他人の恋路に踏み込む権利など、もとより私にあるわけはないのですから。

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