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(10/10/23作成)


暮しの手帖
 「暮しの手帖」という雑誌をご存じでしょうか?音楽の専門誌ではありませんよ(それは、「クラシックの手帖」)。もちろん、肥料の雑誌でもありません(それは、「こやしの手帖」)。
 戦後間もない1948年に創刊されたという「暮しの手帖」は、編集長であった花森安治の個性が全面的に反映されていた雑誌でした。当初は年4回発行の季刊誌としてスタートします。表紙のデザインから、すべての装丁までを花森が手掛けたのをはじめとして、編集方針も花森の主張がしっかりと貫き通されたものだったのです。内容は、主に「生活」に関するものでしたが、服飾、料理などとともに、「商品テスト」というものがその大きな柱となっていました。その「テスト」のやり方は、ハンパではありませんでした。それは、まずテストを行う商品を、手に入るものをすべて実際に購入することろから始まります。決して、メーカーから提供されたサンプルを使うなどということはしないということで、すべてのメーカーに対して平等な評価を下すことが出来る、というポリシーの現れですね。それを貫くために、この雑誌は、自社のもの以外は、一切広告を掲載していませんでした。
 テストの方法も、実際に使われる場合を想定した、徹底的なものでした。たとえば「電球」などは、実際に切れるまでの日数をテストするのですから、要する時間は途方もないものになってしまいます。「ベビーカー」などは、使い勝手や耐久性をテストするために、社員を総動員して、一日中坂道などを歩きまわらせていたと言います。
 この「商品テスト」は、そのような、真の意味で「客観的」な評価を下すことによって、消費者に対しては購入の際の指針を提供するとともに、メーカーに対しては容赦のない欠陥の摘発となったのです。広告を載せないということが、ここで意味を持ってくることになります。メーカーにとっては、これほど恐ろしい「テスト」もなかったことでしょう。しかし、そのように指摘された欠陥を是正することが、ひいては消費者のためになるものだ、というのが、花森の主張だったのでしょうね。

 そんな雑誌が、「レコード」の「商品テスト」を行うことになりました。それは、1963年春に発行された、第68号でした。実際にテストを行って原稿を書いたのは、当時朝日ソノラマに勤務していた津守健二と、菅野沖彦の二人でした。おそらく、津守が演奏面、菅野が録音面の「テスト」を行い、評価を下していたのでしょう。さらに、最終的には、花森によって記事は推敲されたのでしょうね。その「暮しの手帖のレコードショップ」という記事は、まるで一人の人が書いたようななめらかさを持ち、その中には花森特有の厚い信念が込められた文章も垣間見ることが出来ます。
 その「テスト」は、実際にはどのように行われたのかは、連載の3回目、第70号に詳しく述べられています。

 こうしたおなじ曲の入った幾枚ものレコードをどうしてきくか、ということを、ここで、ちょっとご披露しておきましょう。たとえ、それが20枚あろうと、30枚あろうと、とにかくおなじ曲は、一時に通してぜんぶきいてしまいます。日にわけて、一日に10枚ずつといったきき方をすると、その日その日の状態によってきく標準がちがい、比較ができないからです。
 こういうきき方を二度、三度とくりかえします。その間に、曲そのものがどういうものかというイメージもしだいにはっきりしてきますし、また、一枚一枚の演奏のちがい、いいところ、気に入らないところなども浮かび上がってきます。
 そこで、音のよくないもの、演奏のおもわしくないものをだんだんとはずしていって、まず、いいと思われるものを数枚選び出します。そして、更にそれの、あるいは全体を、あるいは部分部分をと、また細かくききくらべます。これをまた、幾度もくりかえし、最後の一枚をきめる、というわけです。この間、再生装置の音量、高音低音の度合いをいつも一定にしておくことはいうまでもありません。

 第1回で取り上げたのは、ベートーベンの「運命」とシューベルトの「未完成」でした。1963年当時の「レコード」の状況などは、今から考えればまだまだ質・量ともにつつましいものでした。もちろん市場にあるのは「LPレコード」、その中には12インチ盤だけではなく、10インチ盤や、さらには7インチ盤(もちろん、33 1/3rpmですから、音はよくありません)なども含まれていますし、モノラルの録音もまだ数多く出ていました。そんな中で、この組み合わせ、あるいはどちらか片方が入っているレコードは、30枚もあったそうです。
 記事は、まずそこで取り上げる曲目の解説から始まります。そこで最も強調されているのが、その曲はどのように演奏されるのが最もふさわしいか、という点ではないでしょうか。言ってみれば、これから「テスト」を行うに当たっての重要なポイントが、そこでは述べられているのでしょうね。
 そして、なにしろ初めての試みですから、こんなコメントが付くことになります。

一つの曲がレコードになるまでにたどるみち

 レコードというものは、みな、りっぱな指揮者と、すばらしいオーケストラで、最上の録音をした完全な芸術品ばかりだと思いこみがちですが、これらのレコードをきいたかぎりでは、そうとばかりはいえないことがはっきりわかりました。
 まず、この30枚のレコードには、28人の指揮者が登場しているのですが、その一人一人の演奏がちがっています。
 それは、音楽のうけ取りかたが指揮者によってちがうからです。
 作曲家は自分の音楽を譜面に書きのこします。指揮者は、まず、その譜面をよくよく研究して、自分の頭の中に一つの音楽を描き出すのです。その音楽と、作曲家自身の考えた音楽とが完全に一致すれば、問題はないのですが、じっさいには、指揮者一人一人の顔がちがうように、その音楽もさまざまなのです。作曲家の音楽は、指揮者の頭の中で、いわば、一つの屈折をしているのです。
 その上、ピアノやバイオリンの演奏家なら、頭に描いた音楽を自分の手で、直接音にあらわすことができますが、指揮者は、それをオーケストラの奏者にまかせなければなりません。どんなにていねいに練習をし、どんなに細かい注意をしても、なにからなにまで、大勢の奏者が自分の思いどおりに演奏してくれるとはかぎりません。指揮者の頭に描いた音楽は、ここで、もう一度屈折します。
 なお、その上に、こうした演奏がレコードになると、録音という、もう一つのレンズを通すこととなり、音楽は三度目の屈折をするのです。
 演奏された音楽は、決して、簡単にそのままレコードにおさまるのではありません。レコードは、いろんな人の手を通って作られます。まず、音楽家が演奏する音を、マイクロフォンや録音機を使って、テープにおさめます。この仕事をするのが、プロデューサーとミキサーです。
 プロデューサーは、レコードの企画をたてます。たとえば、ワルターの指揮、ウィーン・フィルの演奏で、ベートーベンの第五交響曲を作ろう、といったことです。
 ですから、プロデューサーは、音楽をよく理解し、音についての鋭い感覚をもっていなければなりません。そうでなければ、いい企画はできません。
 ミキサーは、プロデューサーの指示にしたがって、スタジオで演奏されるいろいろな音をまぜあわせて、一本のテープの上に音をまとめる技術者です。この人のマイクロフォンの使い方や音のまぜ方で、テープにおさめた音楽はよくもわるくもなってしまいます。
 こうして、テープの録音が終わると、カッターという機械で、いよいよレコードの溝が原盤にきざまれます。この機械を扱う人が、カッティング・マンです。
 カッターは、いまでは、たいへん精巧なものができていますが、それでも、テープの音に近い原盤ができるかどうかは、この技術者の腕前にかかっています。この原盤をもとに、たくさんのレコードが作り出されるわけですが、音のよしあしは、ほとんどここまでできまってしまいます。
 ですから、いいレコードとは、この三つの屈折がすくないもの、ということになってきます。作曲家の音楽に忠実な演奏を、できるだけそのとおりに録音したレコードを選び出そうというわけです。「そのとおりに」というのは、簡単なようで、じつは、いちばんむつかしいことなのです。
 この30枚の中にはりっぱな指揮者の名演奏も、たくさんあるのですが、それがレコードという一つのものになったときには、大きな差がついているのです。
 レコードをききくらべるためには、トリオ・コンポーネントST-800という装置を使いました。それは、一般家庭で使われている装置と、ひどくかけはなれて上等なものでもなく、また、音質が判定できないほどわるいものでもないからです。そして、いまはやりの残響装置がついていないので、クセのない音を出すからでもありました。
 そして、いよいよテスト結果の発表です。これはもう、巨匠であるかないかなどということは全く関係のない、「よい」演奏しか評価はされません。さらにシビアなのが、「音」、つまり録音に対する評価です。ここで、「商品」としてのレコードを選ぶ際の基準が明確になってきます。いくら演奏が良くとも、録音の悪いものは容赦なく振り落とされてしまいます。SPからの復刻などはほとんど顧みられませんし、新しいステレオ録音と言えども、バランスが不自然だったり音楽を損なうと判断されたものは評価されることはありません。
 そのようにして「おすすめ」のレコードが紹介されるのですが、同時に「お買い損」のレコードも、しっかりどこが悪いのかを示されて紹介されます。これほど小気味よいものはありませんね。現在でも、録音が悪かったり時には編集ミスなどのある欠陥品が、堂々と商品としてまかり通っていますが、そんないい加減なメーカーを、彼らは厳しく、まさに消費者の立場から告発していたのですね。

 そんな、ある意味ラジカルな姿勢での「テスト」ですから、読者からの反発もあったようですね。次の号では、このようなコメントがなされていました。

レコード自体は、芸術ではなくて、商品です

 私たちが、どういう角度から、いいレコードを選び出すか、ということについて、一応おことわりをしておきたいと思います。簡単にいえば、私たちはレコードを芸術と全く同じものだとは考えず、商品として、一つのものとして考えているということになります。
 第一回のレコードショップを読んでいただいた方がたからいろんなご質問やご意見がよせられました。その中で一番おおかったのは、演奏のよしあしは主観的なもので、ひとによって好みがちがうのだから、これがいちばんいいときめるけるのはおかしい、ということでした。
 この欄は自分はこの演奏が好きだというような、はっきりした意見をもっておられる方のためよりも、レコードがたくさんでているけれども、そのうちのどれを買っていいものか、と迷っていらっしゃる方がたに、これをお買いになれば、まちがいはないでしょう、という目やすをつけてさしあげるためのものです。
 ご自分で判断のできる方、また、この記事が縁となった、だんだん音楽に親しみ、ご自分の好みを持つようになった方がかりにあるとすれば、その方がたまでに私たちの考えを押しつけようなどとは毛頭考えておりません。
 それともう一つ、演奏家も人間である以上、全能ではなく、かならず得意の曲と、そうでない曲とがあるはずです。ある曲にはじつにぴったりと合った演奏をするひとが、ほかの曲をひいたら、それほどでもない、ということはよくあります。私たちは、チャイコフスキーやメンデルスゾーンなりの音楽がいちばん忠実によくあらわされていると思うものをいい演奏だとおすすめしているのです。
 ところで、さきにもいいましたように、レコードは芸術そのものではなく、みんなが買って楽しむ一つのものなのですから、いくら演奏が芸術的にりっぱでも、そのレコードから出てくる音が貧弱では、決していいものだとはいえません。
 こうして、演奏と音と、両方ながらそろっていれば、これはどなたにおすすめしても、まちがいはないだろう、私たちはこう考えているのです。
 どうです。なんともスカッとするコメントではないでしょうか。
 それから半世紀、現在自称「日本で唯一」の音楽雑誌である「レコード芸術」の誌上で繰り広げられている「テスト」(とは言いませんが)でのあまりの志の低さには、呆然とするほかはありません。「暮しの手帖」で見られた自信にあふれた論調を、業界の思惑でがんじがらめになっているこの雑誌から期待すること自体が、間違っていることを痛感させられました。

 最後に、1969年春の第100号までに「おすすめ」とされたレコードをご紹介します。表記は、当時のままにしておきます。

*ヴィヴァルディ:四季
ヤニグロ=ザグレブ合奏団

*ヴィターリ:シャコンヌ
シェリング=ライナー

*ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー
バーンスタイン=コロムビア交響楽団

*グリーク:ピアノ協奏曲
カッチェン ケルテッシュ=イスラエル・フィル

*ヨハン・シュトラウス ウィンナ・ワルツ
ボスコフスキー=ウィーン・フィル
カラヤン=ウィーン・フィル
ケンペ=ウィーン・フィル

*シューベルト:第8交響曲<未完成>
クリュイタンス=ベルリン・フィル
ワルター=ニューヨーク・フィル

*ショパン:ワルツ集
ウェルナー・ハース

*ストラヴィンスキー:春の祭典
バーンスタイン=ニューヨーク・フィル

*チャイコフスキー:第6交響曲<悲愴>
マルケヴィッチ=ロンドン交響楽団

*チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
オイストラッフ オーマンディ=フィラデルフィア管弦楽団

*ハイドン:第101交響曲<時計>
ビーチャム=ロイヤル・フィル

*ハイドン:チェロ協奏曲ニ長調
ナヴァラ リステンパルト=ザール放送室内管弦楽団

*バッハ:管弦楽組曲第2番
ミュンヒンガー=シュトゥットガルト室内管弦楽団

*ビゼー:アルルの女組曲
クリュイタンス=パリ音楽院管弦楽団

*ビゼー:歌劇カルメン
カラス プレートル=パリ国立歌劇場管弦楽団
プライス カラヤン=ウィーン・フィル
*ブラームス:第1交響曲
クーベリック=ウィーン・フィル

*ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲
グリュミオー ハイティンク=アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ハイフェッツ サージェント=ロンドン新交響楽団

*プロコフィエフ:ピーターと狼
バーンスタイン=ニューヨーク・フィル
山田和男=日本フィル

*ベートーベン:第5交響曲<運命>
クリュイタンス=ベルリン・フィル
ワルター=ニューヨーク・フィル

*ベートーベン:第9交響曲
モントー=ロンドン交響楽団
フルトヴェングラー=バイロイト祝祭管弦楽団
ワルター=コロンビア交響楽団
セル=クリーヴランド管弦楽団
カラヤン=ベルリン・フィル

*ベートーベン:第5ピアノ協奏曲<皇帝>
クライバーン ライナー=シカゴ交響楽団

*ベルリオーズ:幻想交響曲
モントー=ウィーン・フィル

*マーラー:交響曲<大地の歌>
バーンスタイン=ウィーン・フィル
ワルター=ニューヨーク・フィル

*メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
フランチェスカッティ セル=コロムビア交響曲

*モーツァルト:第41交響曲<ジュピター>
ベーム=ベルリン・フィル

*モーツァルト:クラリネット五重奏曲
ボスコフスキー=ウィーン八重奏団

*ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
イエペス アルヘンタ=スペイン国立管弦楽団
ブリーム=ディヴィス=ミロス室内管弦楽団

「暮しの手帖」という雑誌は、現在でも発行されています。しかし、編集者も変わり、世の中も変わったためでしょうか、往年の勢いは、もはやありません。


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