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(99/12/14掲載)


ブラスバンド(英:brass band
 こんど出た200CD 吹奏楽の名曲 名演奏」の編者、磯田健一郎氏によれば、ブラスというのは真鍮のことで、すなわち真鍮で出来た金管楽器を用いたバンドがブラスバンドなのだそうです。もちろん、イギリスあたりではこういう形態が普通なので(だから「ブラス!」などという映画も堂々と作れる。)問題はないのですが、日本やアメリカのように木管楽器(真鍮製のフルートってのもありますが…うるさい!)も入っている合奏の場合は、「吹奏楽」あるいは「ウィンド・アンサンブル」というのが正確な呼び名だと彼は主張されております。マスターはブラス、おっと吹奏楽には疎いのでよく判りませんが、たぶんそういうことなのでしょう。
 ちなみに、この本は「吹奏楽〜」と銘打ってはいますが、その実態はメシアンやクセナキス、はてはジョン・ケージやミニマリスト達といった、およそいわゆる吹奏楽とは無縁と思われている作曲家まで網羅した、まさに「現代音楽作曲者辞典」なのですよ。一面識もない出版社の方のおかげでこのような素晴らしい本に出会えた幸運を喜ばずにはいられません。
 っと、話がとんでしまいましたが、この際だから、ついでにこの本にちなんだマスターの思い出話にもお付き合いいただけますか。
 日比谷にある日生劇場(今は改装中)は、かつては劇団四季の本拠地として、様々な演劇やミュージカルを上演していましたが、劇場の企画公演として、毎月1回「日生劇場音楽シリーズ」という会員制のコンサートを行っていたのです。毎回かなり質の高い演奏を安い料金で楽しめるので、マスターも会員となって足繁く通っていました。毎回同じ席で聴けるのですが、マスターのすぐ前の席が吉田秀和氏というとんでもない席割り、それだけでも感激ものでしたよ。
 そのシリーズの100回記念行われたのが「武満徹フェスティバル」という企画。19741117日のことです。その当時6才(神童!)のマスターはクラシックっ子で、いわゆる現代音楽はあまり馴染みがなく、そのコンサートで演奏された曲も殆ど理解できませんでした。ただ、ステージと客席の間に存在するただならぬ緊張感には圧倒されっ放しでした。それからです。このような緊張を強いられる音楽の本質を追求しようと(つーと大袈裟ですが、単純に知らないものがあると悔しかっただけかも。)、武満と言わず、あらゆる現代の音楽に興味が向くようになったのは。
 その時に、唯一親しみをもって聴くことができたのが、この本でも取り上げられている「ガーデン・レイン」でした。全盛期のフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルの委嘱で作られたこの曲の世界初演のお披露目というのが、じつはこのコンサートの目玉だったのですね。もちろん演奏はPJBE。普段大きな音を出すことを仕事としている金管楽器奏者が、あえて弱音のみで勝負させられている緊迫感、落ちつかないけど居心地が良いなんとも不思議な響き、手の空いた奏者が、複雑なリズムを処理するためにおこなう指揮、そんなものが相まって、ある種の陶酔感にひたった感触は、確かに現実のものだったと、今では思うことができます。
 というわけで、とんだ昔話になってしまったものです。考えてみたら、ニューフィルの団員の中にも、この時にはまだ生まれていなかった人がいるようになってしまってるんですものね。
ポリドール(当時) MG 1047
 PJBEは、このコンサートの1週間前の1110日に、初演に先立ってこの曲をレコーディングしています。これは、そのオリジナルLPのジャケット。カップリングを変えずにCD化されたものが「吹奏楽〜」に掲載されていますが、「初演後すぐに録音した」というコメントは、したがってまちがいです。(「まちがい指摘辞典」になってしまいました。前●サンごめんね。)

三枝成章(日:さえぐさ しげあき)
 トヨタコミュニティーコンサートで、毎回軽妙でためになるトークを聴かせてくれる三枝さんとは全く別の人です。だって、「あき」の字が違うでしょう?(あちらは彰。)顔も違うし。
 「N響アワー」でおなじみの池辺・バーコード・晋一郎とほぼ同じ時期に東京芸術大学作曲科で学んだ三枝成章は、在学中に作品が出版されたり、数々の作曲コンクールに入賞したりと、各方面から注目を集める存在でした。かなり前衛的な作品も作っていて、ピアニスト高橋アキ(前回の「辞典」に登場した高橋悠治の妹。今回の資料の著者、故秋山邦晴の妻)のレコーディングのために書いた曲のタイトルは
 彼の活動は、作曲家としてのみならず、幅広い方向を向いており、その一環として、音楽に限らない他のジャンルの芸術家とのコラボレーションを目指し、1975年から毎年夏に「ニューミュージック・メディア」という野外音楽祭を開催することになります。この現代音楽版ウッドストックともいうべきイヴェントは、3回目の1977年には、東村山ユネスコ村にミニマル界の大御所テリー・ライリーを招いて、そのピークを迎えました。これが、いまでも語り草になっている「ユネスコ村ライブ」です。この時のライリーは、みずから考案した「純正調オルガン」を演奏して、東の空が白むまで、延々と即興演奏を繰り広げたのでした。
 と、まるで見てきたようなことを書いてますが、じつは編集子には、このイヴェントのチケットまで買ってたのに、風邪をひいてしまって行けなかったという、今もって残念な体験があるのです。(当時9才の神童。)
 っと、やっぱり話がそれてしまいましたね。まいごの音楽用語辞典。
 というわけで、TCCの音楽監督としてというより、現在もっともポピュラリティーのある作曲家の一人として多方面で大活躍の三枝成彰さんにも、かなりとんがっていた時代もあったということです。(あれ〜っ。)
 ちなみに、テリー・ライリーはもうすぐ来日して、純正調ピアノによる新作を披露してくれます(124日 神奈川県立音楽堂)。三枝さんは、このコンサートには足をはこぶのでしょうか。
ライリーの初期の傑作「IN C」の
サイン入りジャケット

参考文献:秋山邦晴著「日本の作曲家たち」(1979年/音楽の友社)

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