今日の禁断 ウィーン


 昨日の「禁断」は、やってしまいましたね。なんせ、原作を読んだのが2018年ですから、もはや「面白い本だったな」という記憶は残っていても、細かいところなんかはすっかり忘れていたんですね。とりあえず、「1977年に東ドイツで行われた学会で、シンドラーがベートーヴェンの会話帳を破棄したり捏造していたことが明らかになった」という、それまで全く知らなかったことを教えられたのがショックでしたから、まず、とても興奮して、その件だけはしっかり覚えていたのですよ。ですから、そのことに最初に気が付いたアレグザンダー・ウィーロック・セイヤーのことも、しっかりそこには書かれていたのに、全く記憶には残っていなかったのですね。
 ですから、映画で染谷将太がその件について山田裕貴に詰め寄った時も、それは、最近のドイツでの出来事だと思って、それをセイヤ―というキャラに代弁させていたのだな、と思って、あんなことを書いてしまいました。お恥ずかしい。
 実は原作は自宅にはなくて、職場に置いてありました。ですから、今朝職場で、読み返してみようとしたら、前書きですでにセイヤ―のことが書かれてあったので、焦ってしまいましたよ。そして、最後の部分で、そのエピソードが詳しく語られていたのですね。それは、全く染谷将太のセリフと同じものでした。
 ですから、原作を読み返さなければ、危うく、私自身が原作を「捏造」してしまうところでした。
 それから、この際だからきちんと読み直してみようと読みだしたら、その文章がまさに映画の台本と同じテイストを持っていることに気が付きました。著者は、かなりくだけた文体で「登場人物が、もし現代の人間だったら、こんな風にしゃべるのではないか」というスタンスで、それぞれの人物にしゃべらせているのですが、バカリズムの台本には、殆どそれと変わらない軽さのセリフが書かれていたのですよ。というか、原作の会話をそのまま台本に使っているのでは、というところは、思い返すとたくさん出てきていましたね。
 プロットも、厳密には、もう1度見て確認しなければいけないでしょうが、原作に書かれているもの以外のシーンは、まず登場してはいなかったような気がします。ですから、極論すれば、バカリズムが行った仕事は、原作から適当なシーンを選んで、その中のセリフとともにつなぎ合わせただけのもの、ということになりますね。
 でも、それは、本当は「脚本家」としては、あるべき姿なのではないか、という気がします。もし、原作をそのまま映画にしたら、たった2時間では全く時間が足りません。ですから、その中に必要な要素だけを抜き取って再構築する、ということは、とても重要な仕事になるはずです。その点で、バカリズムはとても良い仕事をしていたのでは、と思います。
 というのも、オリジナルの小説などを元に作られたドラマや映画では、極端な話、全く著者の意向とは異なる脚本が作られることが日常的に行われているような気がしますからね。一番腹が立ったのは、原田マハの「キネマの神様」を、キャラクターからプロットまで完膚なきまでに「改竄」してしまった山田洋次です。
 「ベートーヴェン捏造」の場合、時代考証などは「やっぱり」というところもありましたね。オーケストラのチェロにエンドピンが使われるようになるのはもう少し後になってからです。あと、ロケをするほどの予算がないのは分かりますが、あのマットペインティングはしょぼすぎます。
Aventure Number : 4124 date : 2025/9/16


今日の禁断 シンドラー


 何年かぶりに映画館で映画を見てきました。コロナが始まってからは、ずっと映画館に入ってませんでしたから、その前、つまり2020年以前で最後に行ったのはいつで、何を見たのかも、もう忘れてしまっていますね。つまり、最近では、別に映画館に行かなくても映画は見れるようになっていますから、もう、このまま、一生映画館とは縁のない生活を送るのだなあ、と思っていましたね。正直、たとえばWOWOWなどで映画を見ても、最近では最後まで見通すことはないものがたくさんあるようになっていましたから、そんなものをわざわざ映画館に行ってお金を払って見たらつまらなかった、なんてことになると、もう悲惨でしょうからね。
 それでも、見に行こうと思ったのは、その映画の原作をだいぶ前にこちらで読んでいて、その時に、「実車化されたら面白い」などと思ったからです。実際、その原作は、文庫化までされていたと言いますから、かなり多くの人に読まれていていたのでしょうね。
 それは、本当に衝撃的で、面白かったので、それが映像化されたのはちょっとうれしかったですね。さらに、その脚本を書いたのがバカリズムだというのですから、まあ、まず失望することはないだろうと、見に行くことにしたのですよ。
 でも、いざ行こうということになると、出来れば、窓口で買うのではなく、前もって席を選んでおいた方がいいですから、ネットで席を選んでおくのは必須でしたが、それが、まず、チケットの入手方法などが、もうすっかり以前とは変わっていたことに戸惑ってしまいましたよ。特に、決済をクレジットカードで行おうと思うと、なんだか、パスワードも要求されたりして、結局、別のカードにしてやっと決済が出来ましたよ。
 そして、送られてきた番号でチケットを入手するのも、大変でした。
 最初は、以前も使っていたこの端末でチケットを入手しようとしたのですが、それは、もう一度座席表まで戻って、席を選ぶという、以前のシステムでしか買えないもののようでした。これだったら、せっかくネットで入手したのが意味がなくなってしまいます。途方に暮れていると、下の方に、何やら「VIT」という、ネット予約の時に目にした文字があったので、そこをタッチしたら、ちゃんとチケットが入手できました。
 でも、その後で別のところを見たら、ちゃんと、それ専用の端末があったのですね。こんなの、前はありませんでしたからね。
 無事に入手できたチケットで、スクリーンに入ります。私が取ったのはJ-5という、最後列、左右を開けて取ったのですが、そこは結局両方とも空いていたので、ゆったりと座れました。全体では、半分ぐらいの席が埋まっていましたね。
 映画は、原作を自由に解体して、バカリズムのいつものスタイルで、軽妙にストーリーが進みます。そして、いつの間にか、原作での根幹となっていた「捏造」の実態が、原作とは全く異なる手法で明らかにされている、という、想像もしていなかったものでした。ネタバレになりますから、詳しくは書きませんが、染谷将太が演じたアメリカ人のジャーナリストというのが、バカリズムの全くのでっち上げで、それ自身が「捏造」になっているのですよね。「捏造」によって「捏造」を描く、とんでもないアイディアに脱帽です。
(9/16追記)
ごめんなさい。原作を読み直してみたら、しっかりその「ジャーナリスト」は存在していました。映画での扱いも、その通りでした。上記の文章は、削除させていただきます。
Aventure Number : 4123 date : 2025/9/15


禁断ばっくなんばあ