今日の禁断 シランクス


 「船に乗れ!」を読んでみました。全3巻という大作で、まとめて全部買ってしまったのですが、最初はなんともとっつきにくく、正直買ったことを後悔していました。しかし、ある時からスラスラ読めるようになり、結局一気に読み終えてしまったのですから、「第一印象」というものはそれほどあてにはなりません。とは言っても、この本に頻出するあまりに自己中心的な、些事をいかにも大事のように見せる書き方には、最後までなじむことはできませんでしたが。つまり、ほとんどが他の書籍からの引用である、ちょっと小難しい部分はためらわず読み飛ばしてしまったということです。そんなものがなくても、この小説は十分に楽しめるのに、それはおそらく著者自身には許せないことなのでしょうね。そんな風に間を空けて読んだために、読み終わったころには出版元が変わっていて、全く別の表紙の文庫本が店頭に並んでいることになってしまいました。私が買ったのは「ポプラ文庫ピュアフル」でしたが、いまではモニターにある「小学館文庫」が出回っているはずです。
 おそらく、実際に著者が体験したであろうことを元に、恵まれた音楽的な環境の中でチェロを学んでいた主人公が、すんなりとは名門音楽高校へは進学できず、「三流」の音高に進学するあたりが、物語の始まり。それからの彼が体験する(した?)ことが、赤裸々に語られるという、基本は「青春小説」なのでしょう。そこに、舞台である音楽高校の中での、まずはプロフェショナルなチェリストを目指す主人公の活躍ぶり、さらには挫折の様子が、詳細な音楽的なディーテイルを伴って描かれます。そこでは、学生によるオーケストラの練習風景などという、かつて「のだめ」などでさんざん紹介された情景も登場しれますが、「のだめ」と決定的に異なるのは、作者が実際にチェリストの教育を受けていたことがある、という点です。こればかりは、いくら音楽が好きで知識も豊富な人でも、太刀打ちできるはずはありません。もちろん、私だってチェロに関しては全くのシロートですから、そこに登場する練習曲や、弦のメーカーなどは、全く聞いたこともありませんが、それは「専門家」が書いているのだから間違いはないのだろう、というスタンスで、未知のものはそのままにしておこうという感じで読み進めていけます。
 ところが、こと、オーケストラに関しては、私はある意味「専門家」ですから、いろいろ気になるところが出てきてしまいます。まず、最大の違和感は「ゲネプロ」という言葉。これはもちろん「ゲネラル・プローベ General Probe」の略語ですから、「総練習」という意味、特にクラシックの場合は本番の直前に行われるリハーサルのことを指し示す言葉です。ところが、この小説ではそのずっと前、そもそもの譜読みの段階からこの言葉が出てきます。おそらく著者は「ゲネプロ」を、オーケストラが全員集まって行う「全合奏」という意味で使っているのでしょう。それはそれで書き手の流儀ですから別にかまいませんが、私の知る限り、そのような意味でこの言葉を使っている人は、クラシック界には誰もいません。
 さらに、著者はそのオーケストラが練習している「レ・プレリュード」の途中「ちょうど200小節」で、「『アー・ドゥア』に『移調』している」と書いていますが、これも「『エー・ドゥア』に『転調』している」の間違い(あるいは「勘違い」)です。些細なことですが。そして、もっと些細なことなのですが、気になってしょうがないのが、最後の年の学内演奏会でモーツァルトの「ハフナー」を演奏した後、その次に「ジュピター」を演奏するために木管の編成が変わる時の様子。そこでは「クラリネットやオーボエにまじって、沢さん(註:2番フルート)がひっそり舞台から立ち去って」行くのですが、オーボエがいなくなって、どうやって「ジュピター」を演奏するのでしょう。さらに、「ジュピター」の後にアンコールでもう1度「ハフナー」の第1楽章を演奏することになるのですが、その時には「沢さん」と一緒に「オーボエもファゴットも」戻ってきたんですって。オーボエはさっきいなくなったので分かりますが(いや、そういう問題ではありませんが)、ファゴットは「ジュピター」を演奏していたはずなのに、どこから戻ってきたのでしょう。これって、ミステリーでしたっけ。
 好きだった人が、突然目の前からいなくなってしまったというシチュエーションには、ほとんど泣き出したくなるような思いに駆られましたし、なんたって親友がフルーティストだというのですから、そそられるところはたくさんありました。お客さんを前にしての奇跡的な名演の体験などは、本当にこういうことを経験していなければ絶対に書けないことでしょう。素晴らしい小説だと思います。それだからこそ、こんなつまらないミスを犯しているのが、残念でたまりません。
 あ、もう一つありました。お金持ちの主人公の家には、30畳のリビングにベーゼンドルファーのグランドピアノが置いてあって、そこで「ブランデンブルク協奏曲第5番」の練習をするのですが、ピアノの音が大きすぎるのでピアニストに少し音を小さくするように求めると、彼女は「弱音ペダルをロック」するのです。そういう機能はアップライトピアノにはありますが、グランドピアノにはありません。
Aventure Number : 2645 date : 2016/6/26


今日の禁断 チャイコフスキー


 5.6MHzDSDまで何のストレスもなく聴けるような環境が整ったので、そうなるとどんどんハイレゾの音源を聴きたくなってきます。しかし、そういう時に立ちはだかるのが、ほかならぬハイレゾ専門のダウンロードサイトだというのは、不思議な話です。それは、おそらく、そのようなサイトでは最大のシェアをもっている「〇-Onkyo」のことなのですが、ここの「商品」に対するいい加減な態度には、何度腹を立てたことでしょう。つい最近も、MERCURYのサンプラーを購入したら、その中のお目当てだった「1812年序曲」がステレオではなくモノーラルだったということがありました。それを問い合わせたら、確かに同じ曲を同じアーティストがモノで録音したというものは存在しているという答えでしたから、引き下がるしかありませんでしたが、なぜサンプラーにステレオ版があるにもかかわらずわざわざモノ版を使ったのか、という疑問には答えてもらうことはできませんでした。
 そんな時に、このレーベルのハイレゾはどのぐらい出ているのか、このサイトで調べてみたら、その「1812年」のフルアルバムが見つかりました。それはこちらなのですが、もしかしたら将来内容が変わるかのしれないので、今日現在の画像を載せておきます。
 ちょっとデータが小さくて分かりにくいので、そこだけ原寸で。
 しかし、まず、ここに載っているジャケットの画像が、前の「禁断」でしっかり紹介しておいた通り、これは「モノ」のジャケットなんですよね。それにもかかわらず、録音データは「1958年」と、「ステレオ」を録音した時の年号になっています。まずこれで、どちらかが間違っている、あるいは故意に別のものを載せた、ということが分かります。次に、この音源は視聴できるようになっているので、聴いてみました。そうしたら、これは見事に「モノ」の音源でした。ステレオの音源も持っているので、単に音場だけではなく演奏の違いまで比較したうえで、これは1954年に録音された「モノ版」だということは断言できます。もっと言えば、この演奏時間のデータも、「モノ」のものです。
 ですから、以前のサンプラーも、ここから音源を取っていたことになりますね。ですから、それが「モノ」であるのは当然のことです。つまり、「〇-Onkyo」が扱っているデータに、そもそも「ステレオ版」なんて存在していなかったんですよ。それなのに、ここにステレオ版のデータを載せているのは、紛れもない「偽装表示」です。危ないところでした。試聴音源を聴かなければ、間違ってこれを買ってしまうところでした。3,200円ですって。
 そこで、もしかしたら、私と同じようにこれをステレオだと思って間違って買う人がいないように、このサイトの問い合わせフォームで、このアルバムのクレジットを正しいものに直すことと、私が以前買ったサンプラーの返金をお願いしてあります。それを書き込んでもう1週間経ちますが、先方からの返答はまだ届いてはいません。
 つまり、いまのハイレゾ配信サイトというのは、こんなデタラメが平気で横行しているところなんですよ。仮に奴らに悪意がないとしても、この程度の商品知識しか持っていない奴が、堂々と高額商品の売り買いに関与しているのですよ。こんなところで買い物なんて、安心してできますか?ハイレゾ市場はこれからも拡大していくことでしょうが、いつまでもこんな商売を続けられているのは、不安でしょうがありません。何とか真人間になってもらって、人の道から外れない「正しい」行いに励むよう、お願いするしかないのでしょうか。
Aventure Number : 2644 date : 2016/6/24


禁断ばっくなんばあ

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