今日の禁断 シュッシュポッポ


 今朝の朝ドラは、なかなか見ごたえがありましたね。弟までが軍隊に入って、「お国のために」出陣することになったなんて、いくらあの時代だって辛すぎる、と思っていたら、そのあとで彼は「この戦争さえなければ」という本心を兄に吐露するのですよ。泣けましたね。
 このところ、このドラマではあの時代の世相を、かなりリアルに表現していたのではないでしょうか。「お国のために死ぬ」などというテーゼが、本当に存在していたのだな、ということがありありと伝わってきます。実際はあの通りの軍国主義が日本中を覆っていたのは紛れのないことでした。もうそんなことは忘れていたり、そもそのそんなことは知らなかったりしている人たちにとっては、かなりショッキングな設定だったはずです。私でさえ、もうこんなシーンは見たくないな、と思い始めていましたからね。そんな状態がかなり続いた後での、今日の回ですから、「やられた」と思いましたね。すごい脚本です。
 そこから、まだ「コール青葉」の話に飛ぶことになります。あのサイトでは、コンサートでの音源は1曲ずつ1つのファイルになって届いていました。それらには、きちんとナンバーも振ってあったので、簡単に曲目とは合致させられますから、作業はとてもすんなりと進みました。まあ、それだけで十分だと思っていたのですが、その前に作ったページでは、それ以外に、ステージ全体をノーカットで連続して聴ける、というファイルも作っていたのですね。確かに、これだったら、流れがよく分かりますね。ですから、今回も手抜きをせずにそういうファイルを作ることにしました。作業としては、小さなファイルを結合するだけですから、簡単です。ただ、その順序はまちがえないようにしないと。
 そんなことに注意して、まずは「津和野」のステージを、MCまで含めて全部結合してみました。そうすると、開演前のアナウンスから、森さんや安野さんのおしゃべりも含めて、あの時のシーンが蘇ってくるようになりましたね。
 ところが、演奏がすべて終わって、その日が安野さんの誕生日の近くだったので、「ハッピーバースデイ」を歌ったり、プレゼントを贈ったりするような声が聴こえた後に、安野さんが「東北大学の校歌を聴かせてくださいよ」みたいなリクエストを振ってきたのですね。それに応えて、いつも合唱団で歌っていた「青葉もゆる」という歌を、もちろん全員暗譜で歌えますから、歌ってましたね。でも、それが終わると、お客さんのための退場の案内のアナウンスが流れてきましたよ。いや、確か、もう1曲、「津和野」の中の「忘れ旅」という汽車の歌を歌ったはずなのに、と思っていると、お客さんがすべて外に出てしまった頃に、いきなりその曲の頭の警笛の音が聴こえてきたではありませんか。
 やってしまいましたね。「忘れ旅」と「青葉もゆる」の順序が入れ替わってしまったのですよ。確認してみたら、元のデータはちゃんとした順番だったのを、私が入れ替えてしまっていたようですね。お粗末でした。慌ててファイルを入れ替えましたよ。
 今気が付いたのですが、そのアンコール曲の中には「僕の初恋 名誉の戦死」という歌詞があるんですよね。朝ドラでさんざん耳にした忌まわしい言葉が、こんなところにあったとは。あの世代の人たちには、もう日常語として刷り込まれていたのでしょうね。
Aventure Number : 4075 date : 2025/6/12


今日の禁断 ジップ


 このところ、「コール青葉」のアーカイヴのページにすっかりかかりっきりになっています。まずは、新しく加えたページに、津和野で行ったコンサートの時のプログラムを加えました。このページを作り始めた時には、私の手元にはなかった(というか、どこにいってしまったのかわからなくなっていた)ので、なんでも持っている件の事務局長、いや幹事長さんに「プログラムは持ってませんか?」と聞いてみたのですが、さすがに、もうしまい込んであるので、掘り起こすのは大変だ、と言われたので、それは諦めました。まあ、ゲストの名前とか、演奏した曲の詳細などは、一緒に送ってくれた映像(数台のカメラで撮っていて、ちゃんと、テロップも入っています)を見ればわかるので、とりあえずはしっかりそれを見てみよう、と思っていました。
 そうしたら、次の日に「プログラム、見つかりました」と、スキャンしたPDFが送られてきたではありませんか。もちろん、そこには必要なデータは全て揃っていましたから、あとは楽勝、完璧なページが出来上がりました。
 そんなやり取りの中で、この頃には、ここで加えた森さんがらみの2つのコンサートだけではなく、他の年にもそういう「おまけ」のコンサートをやっていたことを、お互いに思い出しました。やったことは覚えているのですが、詳細な日程などはわからないので、私の「禁断」を見返してみましたよ。
 まずは、次の年、2008年に、上野にある芸大の旧奏楽堂で、やはり森さんとのジョイントで「声明」なども加わったコンサートがありました。7月末だったので、死ぬほど暑かったことしか覚えていません。なんせ、夜になってもまだ暑いんですからね。絶対にこんなところには住みたくない、と思いましたね。打ち上げでの冷えたウーロン茶の美味しかったこと。
 これは、その時撮った奏楽堂の外観です。座っているのは、確か滝廉太郎。
 中に入ったら、ステージにはパイプオルガンがありました。演奏には使いませんでしたけど。
 そして、翌2009年には、8月末になんと2日間連続してコンサートがありました。1回目は品川の教会で、森さんの新曲のお披露目、そして次の日には、町田市文化交流センターでの、安野さんの講演会のおまけです。すぐ近くの文学館で安野さんの展覧会をやっていたので、その関連イベントだったのでしょう。私も、そこに行ってレアな図録などを買ってましたね。楽屋で着替えた時に、先輩たちが政権交代の話を熱く語っていたのですが、それが実現していましたね。そんな頃でした。
 その時は、東京に1泊したのですが、仙台に帰ってきてすぐその足でその頃団員だった合唱団パリンカの練習、次の日には、秋田まで、パリンカが参加するコンクールに行ってきた、という、ものすごいスケジュールだったことまで、しっかり思い出してしまいましたよ。もちろん、秋田でも1泊して、次の日にコンクールの本番でした。
 その頃のニューフィルでは、末廣さんとマーラーの「9番」を練習していましたね。でも、私は1番ではなかったので、それほどきつくはなく、こんなことも出来たのでしょう。
 もしかしたら、この3つのコール青葉のコンサートのデータも、幹事長さんから大量に送り付けられてくるかもしれませんね。
Aventure Number : 4074 date : 2025/6/10


禁断ばっくなんばあ