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音楽展望
吉田ヒレカツ

2002年9月24日  名取市文化会館大ホール

2002/9/27記)

 庭先のキンモクセイが甘い香りを放つようになってきた。暑かった夏も終わり、いよいよ秋本番を迎えようとしているのであろう。そんな香りに誘われて、仙台市近郊の名取市まで、サカリ・オラモの指揮する「バーミンガム市交響楽団」を聴きに行くことにした。何でも、開催地のホールの主催事業とかで、入場料が相当安く設定されているという。私が入手したのも4000円という極めて安価な券である。この、世界有数のオーケストラがこの値段で聴けるのであれば、わざわざ此れほどの辺鄙なところまで出かける価値もあろう。とは云っても、会場へ向かう道の渋滞振りには、正直言って閉口してしまった。余裕を持って仙台を出発したにもかかわらず、夕刻の車の多さときたら、並大抵のことではない。という訳で、会場についたのは開演10分前、さしもの広い駐車場も正規の場所は須く自動車によって塞がれているという有様であった。仕方がないので、迷惑にならないような通路に駐車してホールに入ったら、幾刻も経たぬうちに開演の予鈴がなってしまった。これでは、憚りに行く暇も有ったものではない。件の4000円の座席は、2階席の後ろ半分、この値段では仕方がないが、しかしこのホールの設計のいい加減さには驚いてしまう。なにしろ、この席に普通に座っていたのでは、舞台が前方の手すりに遮られて見えなくなってしまい、まるで柵を通して眺めているような窮屈な塩梅になってしまうのだから。

 しかし、1曲目のエルガーの序曲「コケイン」の冒頭がヴァイオリンで奏された時、その上質な響きにはしばし座席の不自由さも忘れてしまうほどであった。なんという澄んだ音であろう。一本きちんと芯が通った上に、柔らかいヴェルヴェットでも巻きつけたようなとても贅沢な肌触り。音質だけではなく、木管楽器のソロを受け取るニュアンスなどアンサンブルの点でも、まさにツボを押さえた心憎いものがあった。金管楽器もなんとも柔らかい響きで、いくら強く演奏しても、決してこの弦楽器が聴こえなくなってしまうことはない。実はこの曲は初めて聴くもので、曲自体にはそれほどの魅力は感じられなかったが、そのようなオーケストラの素晴らしい響きに酔いしれて、とても楽しく聴くことが出来た。

 2曲目は、ヴェトナムのピアニスト、ダン・タイ・ソンを迎えて、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。ピアニストの想像力の豊かさが存分に発揮された聴き応えのある演奏であった。時折、ソリストとオーケストラとの間に噛み合わないところも見られたが、それはよしとしよう。主題の反行形の、例の甘いテーマでのオラモの美しい歌わせ方といったら、そんな些事はとんと気にならないほどであったのだから。

 さて、今夜の主たる演目であるシベリウスの第2交響曲である。フィンランド出身のオラモにとっては、まさに十八番といえるものであろう。CDもすでに発売されているが、その独特の昂揚感には感服させられたものだ。恐らく実演でも満足のいく演奏を聴かせてもらえることだろう。
 しかし、第1楽章が始まると、その異常に速いテンポに一瞬戸惑いをおぼえてしまった。CDも実況録音であるが、これほどの速さではなかったように記憶している。その所為かどうかは分からないが、ホルンは見事に間違ってしまったし、木管楽器もなかなかテンポに乗り切れない居心地の悪さが感じられた。その木管であるが、オーボエのあまりに明るすぎる音色には辟易とさせられたものだ。シベリウスにはもっとも似つかわしくない音なのではないかとすら思わせられる。フルートもいささか溶け合わない音色なのが気になった。そこへ行くとクラリネットはなかなか慎み深い音ではあるのだが、逆に独奏になったときの存在感があまり感じられない。ファゴットも、私にはなんとも締りのない下品な音が耳障りであったことを、正直に告白しよう。
 オラモの指揮は、そのテンポに見られるように、オーケストラ、そして聴衆をとことん煽り立てるのが身上のようだ。首を激しく振りながら、体全体で熱い音楽を表現しようとしている姿からは、さるカリスマ指揮者を髣髴とさせられるものがあった。ただ、その東洋人と違うのは、オーケストラの制御能力にはいささかの遜色もないということだ。特に弦楽器などからは、まさに一丸となってこの指揮者の情熱に応えてやろうという意気込みが痛いほど伝わってきたものだ。フィナーレのクライマックスはややしつこく感じられるものであり、シベリウスの交響曲としてはいささか物足りないものがあったとはいうものの、演奏が終わってみれば、オーケストラの完璧な響きにすっかり魅了されてしまった私がいたことは、否定できない。

 盛大な拍手の中、指揮者が出入りする際に2番フルート奏者がこっそり退場するのを見て、私には、今夜のアンコールがなんであるのかが判ってしまった。フィンランド生まれの指揮者、そしてフルートが1本しかない編成の曲といえば、これしかないだろう。果たせるかな、コントラバスのピチカートで始まるその曲は、まさにシベリウスの「悲しきワルツ」だったのである。この演奏に関しては、私は多くを語るすべを知らない。いかに、ヴァイオリンとチェロのユニゾンが素晴らしかったとか、ピアニシモの音色が絶品だったかと書いてみたところで、あの奇跡とも言うべきひと時を文章で表現することなど全くもって不可能なのだから。ヴァイオリン4挺による和音がホールの壁に吸い込まれて消えてしまっても、聴衆は今確かに味わったはずの稀有な体験の余韻で、しばし呆然としていた。それは、間違いなく世界最高のレベルにある弦楽器によって奏でられたこの世に又とない極上の音楽だったのだ。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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