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音楽展望
吉田ヒレカツ

2001/6/13

 寄る年波には勝てず、ほんの少し体調を崩したと思っていたらそのまま寝込んでしまい、このまま寝たきりになってしまうのか、などと悲愴な感慨を抱いたものであった。このページに掲載させていただいていた演奏会の批評も、そういうわけでしばらく外へも出られないような状態だったので、お休みさせて貰っていた。幸い、ほぼ元通りの体力まで恢復することが出来たようなので、またぼつぼつ書いていこうと思っている。

 今回は、仙台市の宮城県民会館でロングラン上演中の「オペラ座の怪人」というミュージカルに行ってみた。私が昔良く足を運んでいた日比谷の日生劇場を本拠地としていた劇団四季が、最近はどんどん規模を拡大して、このような地方都市で公共のホールを何ヶ月も借り切って公演を行うようになったのである。この県民会館というのは、私が投稿しているホームページのマスターが所属しているアマチュアオーケストラも、定期演奏会に利用している場所だそうで、この公演の期間中にこの会場を当てにしていた音楽団体は、別な会場探しに東奔西走させられるのを余儀なくされたということである。そのような犠牲の上にたって挙行されたこのロングラン公演が、果たしてどの程度市民に受け入れられていたかということを肌で感じてみたいという好奇心も、会場に足を運ばせる原動力にはなっていたのかもしれない。

 会場は、ほぼ満員の盛況であった。しかし、客層は私がいつも行きなれている演奏会とは若干異なっているようである。隣には4人連れの妙齢のご婦人の団体が座っていたが、オペラなどで辟易させられるフレグランスの類は皆無、それに代わるものが、それぞれが手にしていた食物の香りであった。話の内容を聞くとはなしに聞いてみると、どうやら近県の片田舎から、はるばるやってきたご一行のようである。3ヶ月にわたるこのロングランは、殆ど切符が売り切れているとは聞いていたが、それは、仙台市内だけではない、このような遠距離観客に支えられての成果なのであることが実感させられた思いであった。ちなみに、すぐ後ろに座っていた人たちもそうであったが、この連中はミュージカルが始まってもなにやらガサゴソ物を食していたようで、はなはだ迷惑であった。これなら、安っぽい香水の香りのほうがまだましである。

 ミュージカルについては、私に語れることはほんのわずかである。この方面にはまたその道の専門家が居るのであるから、いまさら私がのこのこしゃしゃり出る必要はないであろう。ただ、この作品の作曲家であるアンドリュー・ロイド・ウェッバーについては、例えば「ジーザス・クライスト・スーパースター」や、「レクイエム」などは私の大好きな曲であるから、いささかの馴染みもあろうというものである。とくに「ジーザス〜」は、題材がまさに「マタイ受難曲」であるから、それこそ日生劇場で行われた公演も見に行ったし、ノーマン・ジュイソンの監督でもって作られた映画も、サントラ盤まで買いこんで何度も繰り返し見たものである。したがって、この作曲家の得意としている技法とか、作品の持つ独特の肌合いなどは、ある程度熟知しているつもりであった。
 実際、このミュージカルでも、彼の持ち味はいかんなく発揮されている。最大の特徴である、極めてわかりやすい、一度聞いただけでも耳に残ってしまうであろう美しいメロディー。意図的に難解を装った、無調と変拍子からなるフレーズ。そして、恐ろしく能天気な一面に一見違和感があるコミカルなナンバー。この3者が絶妙なバランスで織り込まれながら、音楽は進行していくのである。
 それに加えて、実際にステージに接してみなければ分からない細かい仕掛けにも気付かされるのであった。例えば、「その他大勢」であったクリスティーヌが、主役の代役をやれるかもしれないということで、最初はオーディションという感じでピアノ伴奏で歌っているのが、突然厚いオーケストレーションになったかと思うと衣装も変わって、そこはすでにオペラの本番だったという演出には驚かされた。演出に関して言えば、舞台がオペラの舞台(いささかおかしな表現ではある)ということで、プロンプターボックスなども設置してあり、演出家役の俳優がスコア片手にそこを覗き込んでやりとりをしているという仕草が、本来の劇の進行と同時に行われていたりしたのは、なかなか傑作であった。鑑賞中の飲食に余念のない、近在からやってきた隣席のご婦人(はっきり言えばババア)には、このあたりの機微は決して理解できないであろう。怪人が演奏するオルガンの鞴(ふいご)が上下しているのも、とってもリアルであったし。このような些細なところをおろそかにしていない演出には、いたく好感が持てた。

 この作品には、いたるところにオペラのパロディもちりばめられている。幕開きの「ハンニバル」はまるで「アイーダ」のようだし、次の「イル ムート」にいたっては、完璧に「薔薇の騎士」、そして、怪人が作曲したとされる「ドン・ファンの勝利」は、「ドン・ジョヴァンニ」そのものである。したがって、出演者もまるでオペラ歌手のような本格的なベルカントで、一瞬ミュージカルではなくオペラを見に来たのかとの錯覚に陥ってしまったほどである。それもそのはず、あとで出演者のプロフィールを見てみたところ、殆どが「東京G大卒」とか、名のある音楽大学の卒業生なのである。いまや、ミュージカルといえども、このような専門教育を受けていなければ使い物にはならないのであろう。観客にとっては、レベルの高い歌唱を聞くことが出来るので、これは大いに歓迎すべきこと。

 ただ、不満も無くはない。最も困ったと感じたのは、音響設備である。今はその方面の技術は飛躍的に向上しているとみえて、マイクなどは巧妙に隠されているのだが、スピーカーを通して出てくる音がとても貧しいのである。楽器の音に関しては、聴こえて欲しいパートがはっきり聴こえてくるし、音質的にもあまり不満は感じないのだが、肝心の人の声がとても歪が大きくて、聴くに堪えない。先ほど述べたように、マイクなしでも聴こえる声の鍛錬をやってきた人たちばかりなのであるから、もっと肉声を大事にした音響というものは考えられないのだろうか。

 舞台装置や、先ほど少し触れた演出などは、細かいところまで神経の行き届いた優れたものであった。惜しむらくは、このような主要スタッフが、すべてロンドンからの借り物であったという点である。おそらく、これはプロダクション全体としての権利を買い取った結果なのであろう。それだからこそ、高い品質の舞台を提供できたのであろうが、この方面に日本人が手をさしはさむ余地が無かったというのは、あまりにも寂しいことなのではないか。オペラの世界では、もちろん演出の権利などは誰も独占してはいないから、日々新しい試みが実践されているのだが、こと輸入ミュージカルに関しては、巨大利権が入り混じって、別な意味での硬直化が起こっているのではないかな。したがって、私が最も不満と感じたのは、日本人が日本語で歌っていたということだという、いささか皮肉な結論が導き出されてしまうのである。まったく韻を踏んでいない字余りの訳詞には、かつてオペラの世界においても広く行われていた訳詞上演の居心地の悪さを思い起こさせられてしまったものである。

 終演後のカーテンコールに対する聴衆の反応は、いかにもおざなりで、以前この同じ会場で聴いた三善晃の「遠い帆」の暖かな拍手には比ぶべくもなかった。近隣地域を含めたこの街が、このミュージカルを受け入れる素地において不足しているものがあることは明白だが、財力にあかせて本場のものをそのまま移入すれば最高のものが出来ると信じている主催者の姿勢は、全面的に肯定されるべきものではないような気がしてしょうがないのだが。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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