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音楽展望
吉田ヒレカツ

2004227日  仙台市青年文化センターコンサートホール

2004/2/28記)

 1世紀近く生き長らえてきた私であるが、昔から新しい音楽に対する好奇心には旺盛なものがあったと自負している。私たちが日常的に出会うのは、もちろんかなり古い時代に作られた古典的な作品なのであり、それらの練り上げられた名演奏を堪能するというのも、音楽の楽しみ方のある意味で基本なのであろうが、今出来たばかりの音楽を味わうというのは、それとは別の意味で極めて衝撃的な体験なのである。カールハインツ・シュトックハウゼンの電子音楽に驚愕したり、ジョン・ケージの、言ってみれば人を食ったような、それまでとは全く価値観を異にする音楽(ある場合はパフォーマンスとでも言うのであろうか)に度肝を抜かれたり、スティーヴ・ライヒの、なんともアイディアに満ちた小気味よい作品に底知れぬ魅力を感じたりと、その時々の新しい音楽との出会いは、豊かな財産となって私の中に蓄積されてきたものだ。このような蓄積が、私が高名な評論家たり得る上でもたらした恩恵には、計り知れないものがあろう。
 そのようなわけで、かつてヤニス・クセナキスのピアノ協奏曲の録音でめざましい演奏を披露していた若いピアニスト、大井浩明については、だいぶ前から注目していたのであった。なにしろ、この大井ときたら、このような曲を演奏する人間はもう現れないだろうと思わしめたあの高橋悠治すらも、軽々と凌駕するようなとてつもないテクニックを身につけていたのだから。その大井が、なんと私の住む仙台で(蛇足だが、私はかなり以前に鎌倉からこの地へ転居している)開催される、地元のオーケストラの定期演奏会に於いて、日本初演の曲を演奏するというではないか。これは、何を置いても聴きに行かないわけにはいかないだろう。

 会場の青年文化センターは、2年ほど前にさる合唱団の「マタイ受難曲」を聴いた場所である。あの時は観客が殺到して通路に座る人まで現れ、中にはホール内に入れずに払い戻しを受けた客もいたという。元々それほど大きなホールではないのだが、開演間近に中に入ってみると、かなり空席が目立っていたのは、多少意外であった。私はこのオーケストラの定期会員でもなんでもないので、普段の定期演奏会の模様はよく判らないが、同じ公演をわざわざ2日に分けて行って居るぐらいだから、本当はもっと人が入るものなのであろう。とすると、これはやはり曲目と演奏家の知名度の低さの所為なのかしらん。事実、大井が初演するというピアノ協奏曲の作曲家は陳銀淑(チン・ウンスク)という韓国の人、最近世界中で注目を集めている作曲家のようであるが、私でさえ彼女の作品は全く聴いたことがないほどなのであるから、無理もないことであろう。さらに、指揮者が、朴恩聖(パク・ウンソン)というやはり韓国の人であれば、おそらく知名度の低さという点では極めつけではないか。ひょっとしたら、この中では大井がある意味最も有名なのかもしれないなどと、やや寂しい感慨にふけってしまったものだ。

 演奏者が入場、舞台の上はハープ2台にチェレスタ、さらに数多くの打楽器が所狭しと並んでいる。なかでも上手奥に置かれていた金属の物体は、ひときわ人目をひいていた。なにやらタン・ドゥンあたりが好んで使いそうな楽器のような形状をしていたが、演奏が始まってみると、なんとそれはチューバの弱音器だったではないか。とんだ早とちりであった。それはともかく、立派な体格の大井と、やや小柄なパクが並んで入場し、お目当ての、チン・ウンスクの「ピアノ協奏曲第1番」が始まった。プログラムの解説によると、これは4つの楽章から成る曲だということである。同じ韓国のユン・イサンや、かのジェルジ・リゲティの流れをくむという彼女の経歴から予想していた通り、聞こえてきた音は最近よく見かける耳に馴染みやすい現代曲とは一線を画した、極めて厳しいものであった。オーケストラは、殆どクラスターと言っても構わないほどの多量の音の群れを放出し、ピアノは信じられないほどの速さで細かい音を紡ぎ出している。しかし、そのリズミカルというよりは、殆ど何かパルスのようなものを打ち込んでいる様は、マリンバが主導権を握っている場面と相まって、なにかミニマル・ミュージックに通じるものさえ感じられて、ある種の爽快感すら味わうことが出来た。そして、ある瞬間を境に、全体の風景がガラリと変わってしまうという場面が幾つも用意されている中で、聴き手としては作曲家、あるいは演奏家が内に抱いていたであろう心象風景のようなものを、体全体で味わうことが出来たのである。
 第2楽章になると、前の楽章のような激しさは姿を消し、ピアノが奏でるまるでオリヴィエ・メシアンのような甘美な和声に酔いしれるという、至福の一時が待っていた。5拍子とか7拍子といった変則的な流れの中で、そこからは確かな瞑想の一時が享受できたものであった。第3楽章では、ひところ主流を誇ったトータル・セリーのような肌合いを持った風景が繰り広げられ、そのまま第4楽章に休み無しで突入する。そこではまた最初の厳しさが回帰されて、果てしない微細音符の応酬で、曲は終結を迎えるのであった。

 大井のピアノは、まさに驚異的な精度でこの困難な曲の要求に応えていた。その大きな体躯からは創造出来ないような、極めて精緻で全く無駄のない運指、そこからは、このような曲が演奏される時に決まってつきまとう悲壮感のようなものは、微塵も感じることは出来なかったのである。まるで、音符の多さを楽しんでいるかのような余裕あふれるその演奏を見ていると、かのクセナキスが絶大な信頼を寄せていたという事実が、現実味を持って迫ってきたものだ。
 伴奏の仙台フィルの健闘も、大いに称えるべきであろう。この有能なオーケストラは、決して演奏しやすいとは言えないスコアの中から、充分に暖かみのある音色を引き出していたのだから。ただ、異様に音の定位の不安定なこの会場の所為か、あるいは曲が本来持っている資質の所為なのかは判らないが、ピアノの音がオーケストラに埋もれて余り聞こえてこなかったのはいささか残念だった。私の生きている間に、このピアニストの単独の舞台を、聴いてみたいものである。

 後半には、ラフマニノフの交響曲第2番が演奏された。ここでは、オーケストラは指揮者ともども、今演奏したばかりの曲の呪縛から逃れようとするかのごとく、実にのびのびとした音楽を繰り広げていた。豊かな情感にあふれたこの曲の魅力を最大限に発揮すべく、全員が総力を挙げていたのは、第3楽章の甘美なテーマを吹くクラリネットが、あわやビブラートを掛けたかと思うほど、熱烈なソロを聴かせてくれていたのでも判る。私あたりは、この二つの曲のあまりの落差の大きさに、しばし呆然となってしまったのであるが。アンコールで、韓国の民謡を編曲したものを聴かされるに及んで、その思いはさらに募るのであった。一口に韓国の音楽といっても、これだけの世界観の違いがあるのである。音楽の多様性に思いを馳せるに付け、このような希有な体験を可能にしてくれた大井と仙台フィルには、心からの感謝を禁じ得ないのであった。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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